─引退したいおっさん、さりげなく却下される─
冒険者ギルドに併設された酒場。
依頼を無事終えた祝杯が、あるいはこれから困難に立ち向かう緊張に満ちた会話が日々交わされる冒険者の社交場──の奥、ギルドカウンターのさらに奥の薄暗い解体場から声が響く。
「だから! 今日で冒険者は引退だって、言ってるでしょうが!」
鱗の代わりに、岩のような甲殻に覆われた、ストーンドラゴンの巨大な死体の前で、俺『椎葉悠希男』はギルド長とやり合っていた。
日焼けした禿頭を鈍く光らせながら、ギルド長が俺の腕を掴む。
「何を言ってるんだ! ユキオ! お前は確かにいっつも一人で、仲間らしい仲間もなく、何を考えてるのかわからない奴だが、これまで文句も言わずに依頼をこなしてきたじゃないか。そんなお前が、急に引退なんて……どうせ他にやることもないだろうが!」
「引き止める気があるのかよ!」
「後生だから、頼む! 引き受けてくれ!」
「あーもう! だからもう引退するんだって!」
なんでこんな不毛なやり取りをしているのか……それは、半日ほど前、ストーンドラゴンを討伐した時に遡る。
いや、そのずっと前、始まりは三年前この世界に来たことか──。
◆
三年前のあの日、上司の無茶ぶりに耐え抜いて夜中に退社。ふらふらで歩いていると道脇から声をかけられた。
ビルとビルの隙間から手招きする、ジャージ姿の爺さん。白髪頭の長髪、頭頂部はちょっと寒そうで、みすぼらしい出で立ちだが、不思議と不潔感はない。
「なぁ、兄さん。異世界行ってみない? マジのやつ」
あまりに不審な言葉。
健康な精神状態なら一笑に付してスルーだが、その時の俺は──推して知るべし。
思わず「うん」と、頷いてしまった。
次の瞬間、真っ暗闇を落ちていく俺の頭の中に爺さんの声が響いた。
「サービスでチートつけとくから、チート。とりあえず頑張ったら結果出るやつにしとくから、やってみな」
「何か雑だな、おい!」
俺の虚しいツッコミが虚空に漂う間もなく、俺は異世界ルヴァニアにいた。
そこは剣と魔法の異世界。
チートの説明も、神様との意味深なやりとりもなく転移した俺は、やむなくチートの把握に努めた。
ちなみに神様?の爺さんからのフォローは一切無し。ふざけてる。
ただ、もらったチートはとんでもなかった。
レベルシステム。ただ、それは戦闘だけでなく能動的な行為全般に経験値が設定されていた。とにかく何にでも経験値だ。
レベルアップで体はメキメキ強くなり、スキルや魔法も自然に覚える。
しかも、なんとこのレベルシステム自体が、俺だけに与えられた仕様だった。
誰にも理解されない、言うことすら憚られるレベルシステムに加えて、チートスキルの数々のせいで、よくわからないヤバい奴という認識だけが先行してパーティだって組めやしない。
そんな苦労や孤独感を乗り越えてひたすらにレベリングに勤しんだ。
そして、今回ストーンドラゴンを倒した瞬間、脳内に聞き慣れたファンファーレが流れるとともに、とうとうレベル99に到達したのだ。
人の胴体ほどの大きさのストーンドラゴンの頭の前で思わず両手を突き上げた。
──上げすぎだって?
いやいや、人間余裕がないと、自分も他人も、助けられるものも助けられない──それは前の世界で思い知った。
余裕がありすぎるくらいがちょうどいい。
そして、俺は決めていた。
レベル99になったら、ワーカホリックなレベリングと金稼ぎを終わりにして、さっさと引退して、理想の生活環境を見つけて、のんびり遊んで暮らしてやろうと。
そういうわけで、俺は移住先探しのワクワクに胸を躍らせながら、依頼達成報告のため、街に戻ったのだが──。
◆
「そう言わず頼む! お前しかいないんだ!」
過去の戦争の時に造営された西の砦、その後廃棄されたその砦でレッドドラゴンが目撃された。
ギルド長は、ストーンドラゴン討伐の報告をしていた俺を見るなり、討伐を受けてくれるよう泣きついてきたのだった。
「レッドドラゴン一体なら、熟練パーティならなんとかやれるだろ?」
「さっきも言ったが、遠方に稼ぎの良い依頼が重なって、熟練パーティは皆出払ってるんだ。なぁ、頼む! お前ならあの『棒』一本でなんとかできるだろ?」
ギルド長が言う『棒』とは俺の得物のことだ。俺の相棒、伝説級の武器。
そのへんで拾った木の棒。愛称『ちょうどいい棒』。
……いや、説明させて欲しい。
この棒、とんでもない優れものなのだ。
レベルが50を越えたあたりから、そのへんで売ってる武器が俺についてこれなくなった。良くて三、四振り、安物だと一振りで使い物にならなくなる。ところが、ある日森で見つけた手頃なサイズ感の木の棒なのだが、とにかく丈夫で使い勝手も抜群。
もはや、俺が本気で振れる武器はこれしかない。
おまけに、棒占いは完璧。倒れる方向で道案内から恋占いまでどんとこいの、とっても『ちょうどいい棒』なのだ。
「俺は引退するって、決めたんだよ! 人命優先とか、緊急ってことならともかく、そうじゃないなら熟練パーティが戻るまで、監視でも付けとけばいいだろ?」
掴まれた腕を振り払ってギルド長に背を向ける。
気付けば、目の前には馴染みの受付さんが所在なく立っていた。
まだ小さい弟達がいて、家計を助けるために一念発起してギルドで働き始めた少し不器用だけど、家族想いの健気な娘さんだ。
「あの……ユキオさん……」
震える声で受付さんがうつむきながら俺の名を呼ぶ。
「あの……あたし達、本当に困ってて……なんとか、なんとか、お願いできないでしょうか……」
いやいや、そんな泣き落としにかかってたまるか。
しっかりと断りを入れるべく、息をついて向き直ると、涙目で俺をじっと見上げる受付さんの栗色の瞳とばっちり目があった。
おさげの三つ編みがふるふると揺れる。
「……やるよ」
そうして、一息つく間もなくレッドドラゴン退治に行くことになったのだった。
依頼受領のサインを済ませたところで、ギルド長が俺に声をかける。
「……言い忘れてたが、どうやら普通のレッドドラゴンとは、体格その他、かなり違うらしい」
──この野郎。
「よろしく頼む!」
無言で睨みつける俺から目を逸らすと、ギルド長は禿頭を撫でながら受付の奥へと戻っていった。




