命の優劣
ここからは週刊連載となります。
毎週月曜日に更新です。
目の前の机に灰皿は無い。
おかしく思って間取りを見渡すと、かなり広い部屋をもらっていることが分かった。
立場が上だとこういう褒美もあるのか。
少し離れたところには、やはり灰皿が置かれている。それほど汚れてはいないが、処理されていない吸殻が何本か、ガラスの上に転がっている。
葉巻の方が似合いそうな風貌をしているのに、随分と愛煙家なのだろう。
「お待たせ。まぁ食え」
「なら、ありがたく」
机の上に大皿が置かれる。今しがた捌いたらしい刺身の量は大盛りなんてものではなく、まさしくてんこ盛りだ。……食いきれないことはないが。
さてゼウスはというと、さっき見つけた灰皿の近くでタバコを咥えている。
「おい、食ってるんだぞこっちは」
「知るかよ。いいから食っとけ」
「煙で不味くなるだろ」
まったく困ったものだ。
渡された箸を左手に構えて食を進めた。
「左利きなんだな」
「ああ。特に矯正はされなかった」
「そうか。政世の人間はだいたい治されるって聞いたが」
「いつの時代の話をしてる。そんな文化はもう廃れたよ」
実際、左利きで困ることは少ない。剣術は未だに右利き中心で考えられているものが多いのも事実だが、そこは訓練でどうにかしてきた。
「やっぱりお前、まともじゃねェよ」
ぴたりと箸が止まる。
「方舟の住人に、それを言うのか」
「俺らの中でもってことさ。普通は故郷に帰りたいもんだ」
また、その話か。
同郷の仲間を殺して魔導石を起動させること。それを提案した時、 真っ先に異を唱えたのはゼウスだった。あの時はノア様の前ということもあり、小競り合いで済んだのだが――
「で? 今回はどうする気か、聞かせてくれるか? ……大方テロ紛いのことなんだろうがよ」
どうやら、今日ここで決着を付けたいらしい。
「特別なことはしない。明日あの学校にいる人間は一人も逃さず殺しきる。何人か見せしめにすれば事足りるだろう」
カチリと音がして、遅れて煙が上がった。
どうやら想像の域を出ない答えだったか、ゼウスは退屈そうな顔で腕を組んだ。
「ミカエルを同行させる」
「それを決めるのはマステマだろ」
「作戦指揮はアイツにしても、神官の裁量権はオレ様にある」
力強い口調。有無を言わさぬ正論だ。
「いいか、終わったらすぐに引け。軍を相手取るにゃあ、まだ早すぎんぞ」
「銃弾程度はなんともない。それは昨日証明した」
「あ? ……なるほどな。例の人間二人かよ」
通りで。呆れたようにゼウスは言う。
「オメェは命に優劣をつけすぎるキライがあるなぁ」
「何かおかしいのか」
「分からねェってんならそれでもいいが、後悔しても知らねェよ?」
そんなことを話すために呼んだのか。まったく下らない。飯が不味くなる。
黙々と箸を進めながら、高田さんと藤高、二人の処遇を考える。
どうやったって、どちらか一人はまともな処理は望めない。
「処理はこちらに任せてくれないか。一人は方舟に引き入れたい」
「無理だってェの。誰を認めるかはノアしか決められねェ」
「なら、実力を証明すればいいわけだな?」
「……お前ン時みたいには行かねェよ」
ぐりぐりとタバコの火を消して、ゼウスは落ち着いた口調で話す。
何か考えがあるらしい。相変わらず、見た目と違って思慮深いやつだ。
「しかしまぁ、一人生かしたいってんならいい。逃がすルートは確保してやる」
「できるのか?」
「出来るとも。オレは大神官様ゼウス様だぜ。外から魔導石を持ってくる時、方舟がどうなるのかは一番よく知ってる」
皿に乗った刺身はもう半分以上無くなって、 残すところは僅かだ。
先にゼウスが切り出した。
「侮るなよ。人間ってのは恐ろしいぞ」
「冗談うまいな」
「オメェを見て言ってんだ」
はて、何を気にしているのだろう。政世の人間は魔力を知らないし、知ろうともしない。その上戦闘に関しては、ほとんどズブの素人だ。
敵ではないし、そうなる可能性もない。
油断しているだとか、傲慢だとか言われても、跳ね返せるほどの実力が、今の僕には確かにあった。
「俺は負けない。それを証明してやる」
「弱くなったな、スサノオ」
「は?」
「ここに来たばっかりの時ゃ、そりゃオメェは強かったよ。あのまま行けばとうにオレ様に迫ってた」
聞き捨てならないな。今の僕のどこが弱いというのか分からない。
最後の一切れを飲み込んで、ギロリとゼウスを睨む。
「口を慎め。今の俺は神官なんだぞ」
「その上に立ってんのがオレ様だ」
ニヤニヤしやがって。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「行けと言うなら是非もない。ミカエルはもらうぞ」
食事の礼も言わず、部屋を出た。
いつ頃からか、雲は晴れない。
ミカエルにこのことを伝えに行こう。
◆ ◆ ◆ ◆
「ホーント、よく喧嘩売るよねー」
いつも通り散らかった部屋で、ミカエルはケラケラと笑う。
「そんなにおかしなことか」
馬鹿にされれば誰だってそうなる。
「おかしーよ。勝てっこないのにさ」
「分からないだろそんなこと」
「分かるって。逆立ちしても勝てないよ」
絵でも描いているのか、板の上でペンを走らせながらミカエルが言う。
「私がボコボコにされるんだから」
「それは……」
「稽古でも私に勝ったことないのに、スサノオじゃ勝てないって」
「次は勝てる」
「そればっか。最近は特にひどくなってるってさー」
「じゃあ言わせてもらうがな、お前は盾に頼りすぎだ。もっと攻め手を中心に――」
「私はいーの。強いんだから」
アドバイスも虚しく一蹴され、返す言葉もなく黙った。
しばらくしてから口を開いたのはやはりミカエルだ。
「それで、私を連れていけって?」
「ああ。ゼウスの命令だ」
「逆らわないんだ」
別に、逆らったってよかった。
「お前は頼りになる」
「ふふ。嘘でも嬉しい」
ペンを置いたミカエルが立ち上がる。
ハンガーに掛けられていたセーラー服を手に取った。
「じゃ、ちょっと気合い入れちゃおっかな?」
「作戦は明日だぞ」
「案内してよ」
慣れた手つきでスカートを履いて、ネクタイを締めた。
「君の知ってる政世をさ」
さて困ったことになったなと、僕はため息を見せた。
妹以外の女性と外に出た経験など、一度もない。




