稲光
足を狭く。
右手を前に。
力を抜いて、顎を引く。
来ればいい。
攻めてくればいい。
確実に打ち落とす。この居合で。
出来る確信があった。
目を開く。
空を斬る音。 面を狙ってきたか。
左半身を引く。
そのまま、居合で切り上げて。
甲高い音が響き、それがゴングとなった。
「殺す! 今ここで!」
「やってみろ!」
感じるのは怒り。偏に強い怒り。感情に任せ刃を振るうルシフェルに、少し前の自分を重ねる。
なるほど確かに隙だらけ。その肉体も、精神も。
突き崩されて然るべし。
魔力の循環を早める。
時間を決めろ。ミカエルの死までそう遠くない。彼女を助けるためにはどの程度時間が要るのか。
見定めろ。勝利のための道筋を。
そして導け。そこへと辿り着くための、たった一つの未来の姿を!
幾許かの交錯を終えて鍔迫り合う。いつしか傾いていた力の天秤は、今や釣り合いどちらも押し切れずにいる。
それは心に在るもの故に。
「俺達は、馬鹿だな」
「なに?」
「そうだろルシフェル。賢ぶったって無駄だよ。認めなくちゃならない」
それは、互いに認めたものの、確かな差。
「ただ受け入れれば良かったんだ。自分に嘘をつくことを。自分につかれた嘘を」
たった一つの単純なこと。そのためだけに、僕らはこうして争っている。
「俺にはお前がいた。ただそれだけだ」
家族。
そのために、そのためだけに。
人はここまで馬鹿になれる。
「だけど、お前には誰もいなかった。そうだよなルシフェル。家族に囲まれ、お前のことを願った俺とは違って……お前には方舟しかなく、そのためには強くなるしかなかった」
それは悲しいことなのか。それは忌むべきことなのか。
僕には分からないが、少なくとも、ルシフェルにとっては。
「俺達は、互いに別のものを極めた。同じものを手に入れるためにな」
敵を求め。
家族を求め。
その根源にあるものは同じ。
「僕は兄が欲しかったんだ」
隣に誰かがいれば良かった。
同じ人から産まれた誰かが。
兄がいれば何かが変わったとは言えない。それはたらればの話に過ぎず、僕らにとって、今ここにあるものが全てだから。
けど思うことは自由だろう?
兄がいた過去を。ルシフェルが、僕の兄として生きている未来を。
きっと強さを求めることは変わらない。
けど手段は変わっていた。
こんな血腥い強さではなく。
兄を越すため。妹に背中を見せるため。
その最中にいる僕は、なんと心地よかったことだろう。
きっとルシフェルだってそうだ。本当は家族を殺すことなど望んでいない。こうなってしまったのは、僕らが嘘を認めなかったから。
僕には兄がいた。ルシフェルには家族がいた。
それだけのこと。
「知った風に語るなよ。お前の魂は片割れだ! 返してもらう! そうすれば俺は……俺は……!」
「人間にはなれんだろうさ」
いや、もしかしたら成れるのかもしれない。
ルシフェルが認めないだけで。
「きっと納得などしないだろうさ。お前の勝利は幻だ。この先ずっと悔いることになる」
体ごと刃を押し込む。
均衡が崩れた一瞬、ルシフェルは怖がるように退いた。
「だからなんだ!? 後悔? 後悔だと!! 俺はずっとその中にいる! 今更だ、悔いの一つや二つなど、いくらでも背負う!」
ああ、それではいけない。
それだけはダメだ。
ルシフェルがずっと後悔を残したままなんて、きっと僕は納得しない。
「だから言うんだ。お前の勝利は幻だと」
それは勝ったという思い込みに過ぎない。
勝ちというものを履き違えている。そんなものは勝利ではない。
「教えてやるよ。そういうのは勝利とは言わん」
僕は何を恐れていたのだろう。
ルシフェルが望んだものは、すぐそこに、手を伸ばせばそれでいいと言うのに。
何を恐れることがある。
手を伸ばせ。僕の手を。
掴み取れば、僕の勝ちだ。
「だから見せてやる。俺の……俺なりの勝ち方を」
八相に構える。
ちらりとミカエルを見た。
意識が薄れているのか。呼吸が浅く、顔色も随分と悪い。
急がねば。
逸る気持ちを抑え、真っ直ぐにルシフェルを見た。
構えないまま。
「おかしなことをぐだぐだと。何度も同じことを言わせるな。俺達はもう、互いに殺し合うしか道はないんだ」
「笑わせる。まだ目が見えていないのか?」
「お前……」
身に纏うオーラが真っ赤に染まる。
銀剣はない。
あのオーラと銀は同時に使えない。さすがに覚えた。
ならば攻撃あるのみだ。
正面から、相手に反撃の隙を与えないほど。
強く、激しく、燃え盛る炎の如く。
攻めるべし。
八相から脇に構えを変えて。
グンと強く踏み込んだ。
血管の中に魔力が通るような感覚。呼吸によって酸素を送り、速度をさら上げていく。
屈むように上半身を落とし、刀を背中で隠すよう後方へ回す。
握る手は左。柄頭を強く強く握り込む。
右拳を、左腕に沿わせて。
前へと跳躍。
高さはなく、滑るような移動に、ルシフェルは目を見開いた。
潰された間合い。構えなかったルシフェルは慌てて防ごうとする。
遅い。
「武神流――」
右拳を、強く。
強く、地面に向けて打ち出す。
押さえ込んでいた左腕は、拳の勢いを乗せて加速。想定よりも遥かに早く、ルシフェルへと届く。
魔力を巡らせる。
空気の管。血管からパイプへと繋げ。
さらにイメージ。
空気を受けた炎が、大きく真っ赤に威力を増す様を。
「一刀紅枝垂」
ルシフェルの纏う深紅のオーラに、僕の魔力が衝突する。
一瞬の歯止め。オーラが止めたか思いきや、勢いは死なずに刃が走る。
稲妻を起こしながら。
ルシフェルの肉体を、柔らかな手応えで滑っていく。
巻き上がる鮮血。
届いたことを確信する。
「節穴だな。まさか油断したってこともあるまい」
三度、ルシフェルが距離を取る。
深呼吸。
見る間に傷が塞がっていく。
今まで荒波立っていたオーラが鎮まる。
「……認めるよ。お前のことを、まだ甘く見ていたらしい」




