契約
跳ねるようにして体起こした。
どれくらい寝ていた?
戻ってくるのに何分かかった?
ミカエルが、危ない。
忙しなく部屋を見渡して、自分の刀を引っ掴む。
「お前、ホントに寝起きっから騒がしいな」
「ゼウス、俺は行く」
「はいよ、好きにしな」
ベッドから降りて。
ポケットをまさぐり。
鍵ではない、別のものに手が当たる。
……というか、このパーカーはもう使えそうにないな。派手に破れているし、血塗れだ。
「……世話になった」
「分かんねェぜ? 世話になんのはこれからかもな」
ぐぅ、と腹が鳴る。
消耗した体には、補給が必要だった。
ポケットから携帯食糧を取り出して、パーカーを脱いで畳む。
ベッドの上に置いてから。
「食うのか?」
そう、ゼウスが問いかける。
この行為に、何か意味があると言いたげに。
急いでいる。
急いではいる。
だからこそ、目の前のこと、一つずつを片付けていかねば。
「ああとも」と、僕は答えて。
「そうかい」と、ゼウスは返して、「お前が決めたことなんだな?」
腹が減ったから食うのだ。それ以上も以下もない。
頷くと、ゼウスは満足気に息を吐く。
「なら食ってけ。ゴミはコッチで処分しとくよ」
促されるまま、封を開けて口に頬張る。
甘い――固めの食感――チョコレートのような――固形の食料。
それを噛み砕き、胃に落としていく。嚥下は喉に引っかかるようで、しかし水を飲んでいる暇さえ惜しかった。
一分一秒を争う。
梱包を放り投げて。
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちの方だよ」ゼウスは嬉しそうに目を細めて。「これで契約完了だ」
「……何か言ったか?」
「いンや。行ってらっしゃいってだけさ」
気になるが、いいだろう。
また、確かめに来ればいいだけだ。
「では行ってくる」
「推薦状書いとくよ、期待しとけ」
僕は戸を開け、表層へと躍り出た。
◆◆◆◆
方舟を駆ける。
駆ける。
駆ける。
一縷の望みに賭ける。
ミカエルはまだ生きている。
その望みに賭けて、駆ける。
願わくば、なんの障害もなく、彼女の元まで辿り着けるように。
だが現実はそうはいかない。
駆けていく方向とは少しズレた位置へと引き寄せられる。目的地が徐々に遠のいていく。
装置まであと少し。あと少しなのに――僕を引き止めるものが、確かにいた。
そう、僕はこいつを倒さねばならない。
たどり着くためには。
救うためには。
この男――
「また、会ったな」
「感動の再開ですねぇ」
――裏切りのユダを、超えて行かねば。
集中。今まで曖昧だった魔力の中心点、収束点を心臓に定め――流れに従い、魔力を流す。
乱れず淀まず、血管の中を流れるように。
「……結構。どうやらまた一段とお強くなられた」
「まだ試していないもんでな。お前はうってつけというやつだ」
柄に手をかけた僕を見て、ユダは敢えて何もせず。
「やめにしましょう」
ただ、ゆっくりと両手を上げる。
「なんのつもりだ」
「どうもこうもありませんよ。あなたは我々にミカエルを引き渡した。ならば私はルシフェルの隙を作らねばならない」
ふと、少し前に交わした言葉を思い出し。
「そういう取引をしたはずです」
「断っただろう」
「あの時はね。しかし約束は果たされました」
結果的にはだ。僕にその気はなかった。
「だから、ここは一時休戦です。貴方が無傷で、いち早く装置まで辿り着くこと。それこそが、ルシフェルの隙に繋がります」
どうやら。
「本当に戦う気はないのか」
「無論」
構えは解かない。
装置の形。その位置。ミカエルの協力と、ルシフェルの目。その二つを持ってして、僕は正確に把握している。
ユダを倒していくことが最大の懸念だった。
後ろを取られる可能性もある。
だが、今ここで戦う必要がないなら願ったり。
「……なぜだ」
「分かっているでしょう。いや、聞いていたはずですとも。私が見たいのは『貴方達二人』の結末であり、ルシフェルの悲願ではない」
理解はしていた。
だが納得はできない。
つまりこいつが動く理由に腹を据えかねるのだ。
ユダ。裏切りのユダ。
だから、信用するに足らない。
その強さは確かなものだ。一度敵に回って痛いほど身に染みている。だからこそ、こいつが自由に動いているこの状況を、僕は少しだけ恐れている。
だから。
「お前の掌では踊らない」
僕は断固として、意志を示す。
「お前が何を想像しているかは知らない。だが、どうやって勝つかは俺が決めるし――」
一歩。
踏み出す。
「――何が勝利か。それも、俺が決めることだ」
強くイメージする。
装置の形を。
ガラスケースのような、透明な装置。
どちらか一つでいい。
辿り着くことに、意味はある。
「行ってらっしゃいませ。次会う時はどうか玉座で。期待しておりますよ――凄之男」
一歩。
ユダの気配が消え去って。
目の前に、装置が見えた。




