嘘吐き
「そういえば、体の調子はどう?」
「良くはないが、悪くもない」
腹を摩る。
こうして方舟を歩いていても魔力酔いは無いし、体に違和感はない。問題としては腹が減っているというのもあるが……。
あとは戦いの中で調節するだけだ。
気を張っているのも悪くは無い。敵に警戒するということは、常に魔力を巡らせるということ。それをしているうちは体が治っていくのだから、一石二鳥というものだ。
「あんまり消耗しすぎないようにねー」
ミカエルの言うことも最もではあるのだが。
魔力が回復していく様子は分からない。治癒を繰り返せばそれだけ磨り減っていくのは事実。早くたどり着かなければ、手遅れになるかもしれない。
「そろそろ距離を縮めていく。……離れるなよ」
「こっちの台詞。ちゃんと着いてきてよ?」
循環を早める。
隣に立つミカエルを見遣り。
「お前が俺の後ろに着いてこいってことだ。目的地が分かってない気がする」
上手く伝えられた気はしていない。
ミカエルの言葉からすると、玉座にはいつも誰かがいると考えているのだ。
しかし僕が見た玉座には誰もいなかった。僕が目指すのは玉座ではなく、その裏側だ。
もう一度、鮮明にイメージを浮かべ。
「行くぞ」
踏み込んで駆け出す。
関節や筋肉の断裂はない。扱いに慣れてきている。初めて魔力を知った時とは段違いだ。
ほんの僅かな期間だというのに、ユダといた時間が遥か昔に感じた。
駆ける。
どうやらまだまだ、イメージが弱いか。玉座には中々辿り着かない。
もう一度強く。
目を閉じてイメージする。
ルシフェルがいないことを祈りながら。
方舟の景色はどこまでも果てしない。
本当に、玉座などあるのだろうか。視界を遮るものは一つもないのだ、もしかするとルシフェルは、方舟でないどこかに装置を隠したのかも。
思いかけて、捨て去る。
あれはたしかに方舟の空だ。何度も見てきたのだから間違いない。
強く思え。あの景色を。あの玉座を。
ドクトルが、僕らを使って取り戻そうとした機械を。
ぐるりと視界が回る感覚。
それに足を取られそうになって、思わず踏み止まる。
「うわぁ! 急に止まんないでよ!」
「は? おっと――」
背中にミカエルがぶつかった。少しばかり体勢を崩す。
「……小揺るぎもしねぇこいつ」
「口が悪いぞミカエル」
横に目をやる。
ミカエルが鼻を抑えて、不満そうに僕を見る。
「どうしたの?」
「層が移った」この感覚には慣れていない。「……ここがどこか分かるか?」
言われ、ミカエルが辺りを見渡して。
「方舟じゃない?」
「そういうことじゃない。深層以外のどこかってことだ」
「ああそういうこと」
正面を見据える。
障害物の無かった方舟に、一つだけ……何かがあることに気付く。
同時に、そこに誰かがいることも。
「誰かいるな」
「やっぱり誰かいるじゃん……! いるじゃん! 嘘じゃん! そりゃそうだよ表層だもん! 絶対誰かいるって思ったもん!」
「表層」なるほど、知らない場所だ。「ミカエルが最初に俺と会ったのは、表層じゃないのか?」
「え、何言ってんの違うよ? あそこは中層。トビラがあるのは表層。割と、迷いやすいのが中層なんだよね」
文字通り、僕はあの時迷っていたところを見つかったのか。
誰かに会いたいと思った結果がミカエルだった。今となってはいい思い出だ。
「で、ここも表層。まぁ、集会所とかになりやすいね……一番人がいる可能性が高いからさぁ」
「ずいぶん嫌がるな」
「だから言ったじゃん、会議サボったんだって……やだなぁ……ノア様いたら絶対……いやあの人はそんなに怒んないか……ああでも会いたくない、できることならあの人の目は見たくない……」
そこまで嫌がるとは、余程重要な会議をすっぽかしたのか。自業自得、若しくは僕のせい。
「大丈夫だろ……」
「何を根拠に言ってんの!? 他の神官だったら私守んないからね! んもう! 私守んないからね!」
「だから、大丈夫だろ……」まだまだ遠いが、あの孤独なシルエットは。「知ってるやつだ」
嫌だと言うならここで待っていればいいのだ。
一歩、距離をぐんと縮める。
その姿が鮮明になっていく。
握手を求められるほどの距離になってから確信した。
間違いない、この筋肉は。
「奇妙なところで会うな、ユダ」
「おや、貴方こそ、珍しい方をお連れですね」
なんとなくだが、いずれ会う気はしていた。なんせ同じものを追っているのだ。どこかで巡り会ってはいただろうが、まさかこんなに早くとは。
「お前も割り出したか」
「は? ……ああ、そういうことになりますかね。マスターの物を取り戻すのは私の指名だ。それに……」
「それに?」
「この装置をどう使うのか見てみたい。彼はそう言ったでしょう?」
魔力の循環を感じる。
「こう思ったのですよ。私も、この計画の行く末を見てみたいと」
背筋が凍った。
ユダとの距離が離れ――僕が下がったのか? いや、違う。
「ねぇスサノオ、あの子味方じゃなかった?」
「そのはずだ」
胸に重い衝撃を感じた。
もう少しズレていれば鳩尾に入っていた。
凍てつくようにヒリついた空気は融解し、まるで熱を持ったかのように――全身から汗が噴き出す。
「おや……アバラを砕くつもりだったのですが」
意味が分からない。
肌が粟立つ。
魔力の循環を。
遅れて柄に手をかける。
「やはり、しぶとい方だ。貴方を殺すのには手を拱くのも仕方がないと納得できます」
「ミカエル、装置を頼む」
脚に固めていた魔力を全身へ。そして管を撥条へと変化させる。
「何があった?」
「言ったはずだ、私は見届けたいのです。貴方とルシフェルの行く末をね」
対し、ユダは構えない。
ただ魔力を循環させ、僕に掌を向ける。
「抵抗すると言うならどうぞお好きに。ただし忠告しておきましょう」
脂汗が止まらない。ルシフェルと戦った姿を見た時から知っている。
ユダ。この男は――。
「貴方に負ける私では無い」
――強い。




