それはそれとして書きだめがない
誰かに背中を押された。
それはユダも同じらしいから、たぶん同じように押されたのだろう。誰が、と思うより早く、ドクトルが背後で微笑んでいることに気付く。
「命令。ぼこぼこにしてやって」
ゾッとする笑顔だが、そこは言わないでおこう。
戦っていいと言うなら願ったり。
視線を前に。
そこに佇む、人影一つ。
黒の軍服。
フードは無い。
立ち姿から力みを感じないところから察するに、やはり手練なのだろう。
腰に佩いた鞘に目がいった。
妙に長い鞘。
変哲のない柄。
その長さで抜けるのか、どうしたってそこに隙が出来そうだ。
精悍な……傷跡の目立つ顔。
遠目では目の色が判断しづらい。だが、こちらを睨んでいるのは間違いなかった。
「ドクトル」
「なに?」
「分からない。尾行は一人きりか?」
「んー……まぁ気配を感じたのは一人分。もしかしたら他にもいるかもね」
なら。
「ユダ、俺とお前で奴を抑える。ドクトルは――」
「言われなくても、斥候に出るよ」
良しだ。これで集中できる。
ふっとドクトルが掻き消えた。
鞘の具合を確かめる。
固定は済んでいる。紐の垂れもない。
可動は充分。
続いて体の具合を。
脚で床を踏みしめる。
問題無いな。
「さて……」
「どちらから行きますか」
「お前は見てろ」
自分から行く気がないなら席を譲ってもらおう。
特等席は僕のものだ。
睨み合う。
歩み出すのは同時。
ゆっくりと、部屋の中央に近付いていく。
この感覚が好きだ。
今から果し合いが始まるのだと思うと心の底からワクワクする。
部屋の中央。
ど真ん中を挟んで睨み合う。
なにか合図が必要か。
「階級無し、無所属。政世出身、名はスサノオ」
「特殊暗殺部隊、少尉。戦世出身。名はアロベナ」
いざ尋常に。
「「勝負!!」」
遠い。
柄に手を置いてからそう思った。
たとえどんなに抜刀が遅くとも、太刀と打刀ではリーチが違う。もしも一息に抜くことができるというなら、この距離で不利なのは僕か。
ならば。
腰を低く落とし肩を前に。
全身で魔力の管を編む。
循環を早め――
「まぁ待て」
発砲が先とはせっかちだな。
一秒後を予見して射線から外れる。
魔力が編めない。
仕方がない、単純な形を想像しよう。
円を描く一本のパイプ。
循環を早め。
「そう急くな!」
一歩で距離を潰す。
懐に飛び込んだ。この距離で太刀は使えまい。ここは僕の間合いだ。
足を踏みしめ。
柄を軽く握り。
力の伝導がつながる。
「しっ……!」
刀を抜き放つ。
アロベナの脚に撥条が宿った。
そう形容できるほど高密度の魔力。
それが一息で縮んだかと思うと、刃が届くより早く、勢いよく解放される。
宙に飛び上がった。
高い。
上方。
この距離は――
「――接続」
アロベナが小さく呟く。
中空で正座するように脚を畳み。
流れるように柄に手を掛けた。
――まずい。
今度は両の腕に撥条ができる。
時間がやけにゆっくりと。
僕はその中でまともに動くことすらできず、ただその、 うんざりするほど精錬された抜刀を眺めていた。
鯉口を斬り。
その太刀が、抜き放たれる――
充分だ。
魔力の管を編む。そのための時間は充分に取れた。
未来を予見。
あの太刀……。
下がる必要はどこにもない。そう判断して前に出る。警戒して下がると思っていたのだろう。実際予見する直前まではそう考えていた。
そして、だからこそ。
それがまずかったらしい。
アロベナの体制が少し崩れる。焦ってタイミングが遅れたようだ。
そして、だからこそ。
ドンピシャり、そこに「完璧な居合」が完成した。
中空でだ。
美しい剣技を見ている時はいつもそうだ。そこに視線が釘付けになる。僕はアロベナの足元を抜けながら、どこかゆったりとしたその所作を眺めていた。
刃が鞘走る。
中空を。
鈍色が切り裂き。
この広い実験場に、粉塵の帯が巻き起こる。
風が吹いた。
時間の流れが不意に元通りになった。
アロベナが落ちてくる。その着地に合わせて切り上げる。
脚に撥条。切り裂くはずの靴底が、僕の刀を蹴って、背後へと跳んだ。
なんという脚力のバランスか。刃を引くより早く、地に叩き付けるほど強いとは。
背後を振り向く。
アロベナの構えは変わらない。再び抜刀の構え。
ド直球、疑う余地のないほどの自信。
背後の壁をチラと見る。
長く――深い切創の跡。あの刃の長さでは、とても付けられそうにない跡。
あの鞘に何かあるな。
仕掛けは何か分からないが、もう一度抜かせるのは得策とは言えない。
素手で止めるのは難しいか。ならば。
身体中の力を抜く。
崩れ落ちるほどに脱力し。
そこから一気に魔力を循環させる。
一歩。距離を潰して。
今度こそは逃がさないと刃を突き出す。
予備動作はもう学んだ。あの撥条の発動には一秒以上かかるのだ。ならば、その出足を斬るだけのこと。




