第257話 避難
リザside
帰還の呪符でレイシの屋敷に舞い戻ったリザは、侍女の案内で巫女と共に見張り塔へと向かった。
「そんなに睨まないで欲しいですね。私の説明では納得できませんでしたか?」
強い視線を感じたのか、巫女は振り向くことなくそれに応じた。
「納得はしていませんが理解はしました」
リザの言葉に巫女は含み笑いで受け流す。
「彼は貴女が思っている以上に素質がありますよ。私が言うのだから間違いありません。それに彼にはメルキオールがついていますから心配する必要は無いでしょう」
巫女であるフルール・ミスラの体に、海神としてレヴィア諸島の安定を図っていた古代人アルメリアの人格が憑依している。突然そう説明されても「はい、そうですか」と簡単に頷ける者はいなかった。彼女の祖父であるレイシにしても当然だ。帰ってきた孫娘に得体の知れない存在が憑依しているなどという、摩訶不思議な話を鵜呑みにできるほど思慮の浅い人間では無い。
彼女の説明によるとフルールは意図してアルメリアに協力し、肉体を提供している状況なのだという。それを証明するため彼女と一度人格を切り替え説明する算段にもなった。ともあれ、この状況を信じる信じないに関わらず、現時点では話を進めるしか無い。未知なる怪物である混沌に次いで不可解な魔人の登場。後手に回った状況に、ゆっくり策を練っていられるほど時間の余裕は無いのだ。
リザは焦る感情を抑えつけ、今はただジンの安否を願い時を待つことにした。
見張り塔はレイシの個人所有する土地で最も背の高い建物だ。
広大な耕作地を盗賊や獣の類いから警戒するために用意された施設ということらしいが、そのような者が来た試しはないので現状では無用の長物と化している。
戦闘で消耗したフィール、体力に不安のあるダリアやミラなど、休息が必要な者は客室を借りて回復を図ることになった。休めるときに休むというのも、冒険者として重要な資質の一つなのだ。
見張り塔には案内の侍女と、巫女に憑依したアルメリア、魔力に余裕のあるリザが向かった。
「巫女の持つ歌唱スキルを利用して、島民全体に声を届けます」
歌唱スキル。世界的に見ても所有する者が非常に少ない希少なスキルの1つ。その希少性から効果の程も不明な点が多いようだが、アルメリアの説明によると魔力を声に乗せる事ができるのだという。
声に魔力を乗せる性質は呪歌と似ているが、呪歌というのは魔物だけが所持するとされ、その効果も人に害悪を与えるものに限られる。
歌唱は人が会得し、声の届く味方全体に魔力による強化を与えるスキルのようだ。不思議なことに魔物の耳に届いても、彼らの強化には繋がらないらしいので支援スキルとして一定の評価を受けているという。
「歌唱スキルにそれほどの効果が……」
自身も知り得ない歌唱スキルの効力にリザが驚いていると、巫女に憑依したアルメリアは彼女の驚きを小さく微笑んで訂正した。
「残念ながらフルールの力では、そこまでの効果はありません。精々、周囲の人々の疲労をほんの少し癒やす程度でしょう。ですが、私には憑依した者の能力を少しだけ引き上げることができるのです」
石造りの堅牢な塔。最上段の小さな窓からアルメリアが身を乗り出すと、鈴の音のような心地よい声が島中に響き渡った。
歌唱スキルで声を飛ばすと聞けば、リザとしても張り裂けるほどの大声を想像したものだが、実際のそれは想像とは正反対の静かな声だった。リザはそれを詩の朗読のように感じた。けっして乱暴な音ではなく、心地よく頭に響く音色だった。
ドタドタと階段を慌ただしく駆け上がる音、姿を見せたのは息を切らした様子のレイシだった。侍女が慌てて駆け寄り体を支える。
「侍女に命じてミスラ戦士団に使いを出しました。島民をこちらへと避難させるようにと」
「ありがとうございます。レイシ殿。私の声が届かない場合も考えると、人を向かわせるのが一番確実ですからね」
しかし、無理はしないように。異変を感じたら自分の身の安全を第一に考え避難するようにと付け加えた。
「わかりました。それで、あの、先ほどの声色は海神様の?」
「ええ、私はしばらくここから島民に向かって呼びかけようかと思います。皆さんを守るにしても、一カ所に集まってもらった方が都合が良いですから」
「なるほど、わかりました。それにしても、凄い物ですな。これが海神様の魔術ですか……」
アルメリアは強力な魔力を持ち、巫女に憑依した状態であっても巫女の能力を強化することで、自身の能力の一部を行使することができる。
それでも混沌を滅するには至らなかった。足止めするには十分だが滅するのは難しい、混沌はそれほど驚異的な再生力を持っているのだ。
「その声は島民、海人族にしか聞こえないのでしょうか?」
傍にいたリザの耳にも届いてはいたのだが、それは近いからという可能性もある。距離を開けた場合だと、どうなるのかわからない。
「いいえ。善に与する種族であれば、島内くらいならば届くはずです」
「それであれば――」
リザの提案にアルメリアも頷いた。
「なるほど、ちょうど良いですね。客人にも呼びかけて手伝っていただきましょう」
再び階段を駆け上がる音。姿を見せたのは屋敷に長年勤める海人族の年配の侍女だ。
「どうした、何かあったのか?」
「お、お館様、クオン様が見当たりません。客室に姿は無く、このような物が……」
「何、クオンの奴こんな時に限って――」
息を切らせた侍女は羊皮紙の切れ端をレイシに手渡した。
『拙者、ちょいと用事を思い出したので少々出かけまする』
拙い字で書かれた書き置きにレイシは頭を抱えた。
「非常時にこそ屋敷にいて欲しかったのだが……はぁ、仕方あるまい」
レイシが行き倒れ同然のクオンを拾ったのは、単に竜人族が珍しいという事と腕の立つ剣士だという彼を海神討伐に利用できないかという算段からだった。
とはいえ、余所者の彼に全幅の信頼を寄せているというわけでは無い。人当たりも良く、屋敷の者たちとも上手く付き合っていた男だったが、こうして肝心なときに姿を消すということも予測していたので、レイシにしても特別驚きは無かった。
「……アルメリア様、どうかなさいましたか?」
歌唱スキルで島民に避難勧告をと告げていた彼女であったが、窓辺から身を乗り出したまま何事か物思いに耽っているように見えた。
リザは彼女のことを全面的に信頼している訳では無かったが、自らの直感からは敵対を感じ取れず今後ジンの手助けになる可能性も考慮して一定の敬意は払うことにした。
「ああ、いえ。あの魔人について考えてました。彼らの目的は混沌では無かったようですので」
魔人はアルメリアの本体である魔獣の体を焼き払い、彼女が結界で封じていた混沌を強引な手段で解放した。
だが魔人の目的は混沌の解放というわけでも無く、その狙いは別にあったようだ。
アルメリアが空中に手をかざすと、大気中の水分が集まり、次第に小さな水球がいくつも誕生した。水球同士がくっつき、離れ、それぞれに複雑な動きを始める。
氷結魔術で凍り始める水の流れ。部屋の中に氷で作られた幻想的なオブジェが完成した。
「これはまさか……」
リザより先に気がついたのはレイシだった。完成したそれを見て驚愕を顕わにする。
「ええ、青の回廊の全容です」
氷の彫像で立体的に作られた青の回廊の全体模型。見た目で言えば蟻の巣のようだ。これはレヴィア諸島の島々と、そこから海底へと繋がる古代遺跡、青の回廊がどこでどのように繋がっているのかを示す物であった。
上部には今自分たちがいるミスラ島。そして地下へと伸びる道を複雑に辿ると、最下層である混沌の封印がある。
「全ての島々に道は繋がっているんですね」
リザの言葉にレイシが驚く。その驚きの先にあったのは、レヴィア諸島の中でも一番北にある一番大きな島だった。
「あの忌まわしい島にも青の回廊は繋がっているというのですか」
「忌まわしい島ですか?」
レイシの戸惑いにリザが疑問を投げかけた。
「ここから2日ほど北に向かった場所にある島です。近づけば生きては帰れない、死の島ですよ」
土地の半分が溶けない氷に覆われた島。切り立った崖と暗礁域。複雑な海流に加え、凶悪な魚鱗竜の巣が無数に存在し、近づく者を阻む自然の要塞。
500以上の島々が点在するレヴィア諸島だが、全ての島々に海人族の手が入っているわけではない。猫の額ほどの大きさの島とは言えない岩場もあれば、ミスラ島のような数千人が住む大きな島もある。
その中には凶悪な魔物が多数住み付き、人を寄せ付けない危険な島も多数あるという。
「氷で覆われた島は、魔物を封じるために作られた牢獄のようだと……ミスラの者は畏怖の念を込め、氷獄島と呼んでおります」
「氷獄島ですか……」
お読みいただき、ありがとうございます!
ブクマ、評価よろしくお願いします(=゜ω゜)ノ