第112話 姉妹の奉仕1
突然すぐそばで大きな魔力が膨れ上がる感触を得た。
異常を感じた俺は、咄嗟にその魔力の発生場所へ視線を送る。すると衝立の裏から顔を半分出して、こちらを睨む見覚えのある顔があった。
「ずいぶんと元気なご様子ですね……?」
ギルド職員のリン・マウ女史だった。
スラリと伸びた肢体と涼やかな声を持つエルフ族の美女である。日常ではギルドの受付で、冒険者の対応している姿をよく見かける。
「あー、いえ……おかげさまで」
いつもより低い声のリンに驚きつつ、ベッドから体を起こす。俺の反応にリザも素早く重ねた体から飛びのき、何事もなかったかのように澄ました顔で数歩離れた位置にて姿勢を正した。
「いまは異常事態だというのに……それにここは治療院なんですよ。そ、そのような……男女がそういうことを……する場所では……私だってもう10年くらい彼氏いないのに……」
リンの言葉は小さくて、最後の方は何を言っているか聞き取れなかった。
「とにかくそういうことは、家に帰ってからお願いします。明日には警戒も解かれるでしょうから、今日はここで大人しく休んで居て下さい」
「わかりました」
僅かに頬を染めつつも、不機嫌そうなリンに余計な言葉は掛けずに了承した旨だけを伝える。
「それと、これはマスターからの伝言です」
リンは投げやりな感じで、片手に収まるほどの何かが入った革袋を手元に投げて寄越した。咄嗟に片手で受け取ると、僅かな重さを感じる。
催促され、中を確認してみると魔石のようだ。
「老兵を貸してほしい。だそうです。確かに伝えましたよ」
そういって彼女は仕事は終わったとでも言わんばかりに、踵を返して立ち去っていった。
「……今日は大人しくしておこうかな……?」
そっとリザに視線を移すと彼女は顔を手で覆い隠し、僅かに震えていた。
「……恥ずかしくて死にそうです」
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翌日、ミラさんシアンと合流し治療院を後にした。
俺の失った腕を見て「私の力では治療できません……ごめんなさい」と嘆くミラさんに気にしないようにと言葉を掛け、悲しそうな顔で傷を見つめるシアンの頭を撫でて「何とかなるさ」と笑いかけた。
いろいろ不便なのは承知しているが、今更足掻いても仕方ないので、なるようにしかならないだろうと言うのも本音ではある。
アルドラに関しては昨日のうちに魔石を使用して顕現させ、送り出している。今頃ギルドの指示のもとで働いていることだろう。
冒険者ギルドに顔を出してから、俺達は帰路についた。
「ギルドの話によれば異常発生は収束したようだが」
ベイルに接近していた大型巨人の希少種を退治したことで、巨人の群れは散り散りになり文字通り統率を失ったらしい。
大部分はおそらく縄張りへ戻るために森へと移動し、一部はまだ近くを彷徨いているようだ。そのため冒険者が幾つかの班に分かれて排除に動いているそうだが。
「はい。ですが、街が受けた被害も大きそうですね……」
大きな通りに差し掛かると、道を塞ぐように巨岩が鎮座していた。
周囲の建物も大きな破壊の後が見られる。視線を上げると岩の破片とでも言える鋭い岩石が、幾つも屋根に突き刺さっているのが見えた。
驚いた様子でそれを見上げていると、近くにいた老人が声をかけてくる。
「あんた冒険者か?その怪我は今回のでやったのか?それだけの大怪我で生き残ったとは運がいいな」
老人は巨岩が落ちた場所の隣家の住人らしい。
家の地下室に避難していた為に死なずに済んだという。
「わしは生まれも育ちもベイルだが、この街がこんな大事になったのは今回が初めてだよ。犠牲もだいぶ出たそうだが、わしもあんたも生き残った。お互い運が良かったってことだな」
貧民街へと赴く道すがら、同じように多くの被害を受けた建物を目にした。
全壊しているもの、半壊しているものと様々だが、それなりに大規模な攻撃を受けたようだ。
昨日の今日で場所によっては既に復旧作業が始まっている箇所もあった。瓦礫の撤去作業だ。道などが塞がっていると、これから行われる作業や人の移動の妨げにもなるし、早くに行動したほうが良いのは確かだろう。
広場では炊き出しのような光景も目にした。作業している者達を見ていると、リザが女神教修道会の援助だろうと教えてくれた。
こういった慈善事業のようなことも教会では行っているらしい。
普段はあまり接点がないので、殆ど見かけることはないのだが。
家に戻ると、あの日に出かけた朝と同じように、何一つ変わっていなかった。
どうやら幸運なことに、この家は被害に会わなかったようだ。
扉を開けると主の帰りを待っていたかのようにネロが出迎えてくれた。
「にゃあ」
シアンに向かってひと鳴きすると、ひょいと軽い動作で彼女の肩に飛び乗った。ここが彼の定位置なのだ。
「ただいまネロ。留守を守ってくれてありがとう」
「にゃあ」
シアンの言葉に満足したように彼は小さく鳴いて答えた。
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「私は食事の用意をしますね。皆お腹すいたでしょう。まだお昼過ぎだけど、早めの夕食にしちゃいましょうか」
朝に治療院で出された食事は、量も味も十分とは言えないものだった。それもあってミラさんの手料理は非常にありがたい。
「お願いします。実はすげー腹減ってて……」
昼も食べ損なっているので、現状かなりの空腹だった。
「ふふふ。わかりました。今はまだこんな状態だから満足な食料を用意できないけど、貯蔵庫にあるもので何か作りますね」
何がいいかしら?と俺にリクエストを聞いた後、彼女は台所へと向かった。
「お母様、湯の用意もお願いします。ジン様に先に汗を流して頂くので」
「ええ。わかったわ」
リザはそう言うと、手際よく湯浴みの用意を始める。
「俺より先に、皆に湯を使って貰ったほうがいいんじゃないかな」
リザは勿論、避難していたミラさんもシアンもそういった時間は無かったはずだ。2人とも体を清めたいだろう。
「私は後で大丈夫ですよ。食事の用意もありますしね」
「兄様、私も大丈夫です。先に体を休めて下さい」
「私も霊芝の下処理がありますし、ジン様に先に使って頂いたほうが良いでしょう」
そう言われると断る理由もないので、先に使わせてもらおう。
女性陣は夜に浴びたほうが、気兼ねないのかもしれないしな。
リビングでワインを傾けていると、湯の用意が出来たと声が掛かった。
リザに着替えなども用意してもらい、至れり尽くせりといった状態である。
「悪いな。後は1人でも大丈夫だ」
右腕が使えないとなると、服を脱ぐだけでも一苦労である。慣れていないと尚更だ。
「そんな……もっと私に頼って下さい。私はジン様のお役に立ちたいのです」
リザはそう言いながら、服を脱がせてくれる。
なんか介護されている気分だ。
でも悪い気分ではない。ちょっとこの状況は嬉しかったりする。
「そうか。ではせっかくだし頼もうかな」
「はいっ」
リザに見られて困るようなものは無いのだが、改まってこういった状況で晒されると言うのも変な気分である。
晒し者である。何が晒されたかは敢えて言うまい。
完全な晒し者と化し、仁王立ちとなった俺のもとに1人の少女が駆け寄ってくる。シアンである。
リザが気を効かせて素早く俺の腰にタオルを巻いた。
「私もお手伝いさせて下さい」
着替えてきたのか彼女は楽な部屋着になっている。
キャミソールと言ったような形状の上衣だ。袖はなく細い紐で吊るされた、丈の短いワンピースとも言えるような服だ。
白いキャミソールにシアンの青い髪が映える。
少し痩せ気味の華奢な体躯に、ショートボブといったようなふんわりとした短い髪をしている。
シアンはリザのような豊満な肉体ではないし、魔術の才も生産術のようなものもない。
だからこそなのか遠慮しがちというか、自信なさげというか、助けを乞うような上目遣いと共に、彼女から放たれるか弱い雰囲気がより一層の庇護欲をそそるのだ。
「……わ、私も兄様の妻ですよね……?」
彼女の憂いだ瞳に見つめられると、男として断る術は見つからなかった。
「そうだな。シアン頼むよ」
「はいっ」
俺が少し悩んでから頼むと、彼女は嬉しそうに明るい声で答えた。