第107話 食うか食われるか
バチンッと高い音と共に体から迸る紫電が這いよる魔物を痺れさせ、取り付こうと飛来してくる魔物を撃ち落とした。
稲妻をその身に纏わせる魔術。【雷付与】である。
見た目に反して、威力はさほどでもない。
ヴォンヴォンとなる翅音が、周囲の空間を埋め尽くす。
曲剣に付与した【雷付与】で前方を払い進んだ。
利き手を失っているため、使い勝手は悪いが仕方ない。
【雷扇】は魔力を使いすぎる。【雷撃】はいくら撃ってもキリが無さそうでやめた。
リザも杖に付与して手伝っている。彼女は虫タイプの魔物に嫌悪感はないようだ。
足元を這う虫が潰れ、グシャリと嫌な音を立てる。
大きく迂回すれば多少は違うかもしれないが、最短距離の道を進んだ。魔物はどれもレベル1の小型のもの。防御に徹すれば危険は少ないだろう。
「そろそろ森を抜けるぞ」
「はい」
森と人族の領域の境目、境界と言われる地域。
密集していた木々は疎らになり、若木が目立つ。巨木は少なく僅かに数える程度。使えるものは木こり達が切り出していくのだ。
下草は刈られていて、其処を棲家にしている小動物や虫の類も少ない。そのためそれを狙う大型の生物も少なくなる。
人の手が入ったこのあたりからが、人族の領域なのである。
藪がなくなり、それにともなって小型の魔物の数が大きく減った。開けた場所に出たせいもあるが、魔物の密度は明らかに変化していた。
「ふぅ……どうやら無事に抜けられたようだな」
俺は思わず安堵の溜め息を吐いた。
森を抜けたことで、瘴気も収まり視界も回復している。ここまでくれば街まであと僅かだ。
「……ジン様、何か聞こえませんか?」
リザがある方を向いて呟く。雲の少ない晴天の空に、何羽かの鳥が天高く飛んでいた。
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「うおおおおおーーーッッ!」
「怯むなっ!撃て撃ちまくれっ!」
「駄目だ、全然効いてねぇ!矢が刺さらねぇんだっ」
丘の向こうから怒号が聞こえる。
声のする方向へ様子を見に来てみれば、若い冒険者の1団がサイクロプス相手に苦戦を強いられていた。
冒険者たちのレベルは20前後といった所か。
ギルドではサイクロプスの討伐にレベル30代の集団、40代であれば少数、50以上であれば単独の撃破というのを推奨している。
もちろん討伐に適した事前の準備等は当然のことである。これらは単なる目安。さらに言えばそれぞれの得手不得手によって状況は変化するため、もっとも重要なのは各自の判断ということだ。
サイクロプス 妖魔Lv26
巨人のサイズは3メートル強といったところ。サイクロプスとしては小型だ。
だが骨太で肉厚なその体の迫力は相当なもの。
目の前に対峙されれば、いかに荒事に慣れた者でも尻込みするのも当然といえる威圧感がある。
6名の冒険者のうち4名の弓使いが、絶え間なく矢を放っている。
的が大きいからか多くの矢が巨人に命中しているが、殆どの矢が刺さるまでに至らずに地面に落下していた。
何本か矢が皮膚に刺さったとしても、明らかに傷は浅くダメージがあるようには見えなかった。
巨人が動くか腕を払うだけで矢は地面に落ちた。
「グオォォオアアアアアアァァァアッッ!!」
巨人の咆哮が響く。若い冒険者たちは萎縮してしまっているように見えた。
俺たちは【隠蔽】を付与しつつ、少し離れた場所から様子を伺っていた。
「やばそうだな。手を貸したほうがいいか」
リザがギュッと袖を掴む。
「ジン様は大怪我からまだ体力が戻ってないんですよ。危険過ぎます。それにこんな腕では満足に戦えないでしょう?」
傷口は塞がったとはいえ、失った血は戻らないらしい。
魔法薬や治癒術で回復しても、回復した直後は絶対安静が常識だと怒られた。
「うーん……でも時間稼ぎくらいは出来るんじゃないか?このまま見捨てるのは寝覚めが悪いし。まぁヤバそうだったら【疾走】で逃げるってことで」
正直彼らには荷が重い相手だろう。ベイルまで普通に走って1時間強ってところか。冒険者は走るのが仕事というくらいの体力仕事だし、それくらいは走れるだろうが、万が一捕まれば助かる術はない。
俺は自分を良い人間だとは思っていない。
側にいる大事な人を守れれば、他人はどうでもいい。悪人ならいくら死んでも構わないとさえ思うようになった。
でも、もし余裕があるのなら、少し手助けするだけで助かる人がいるなら、助けたいと言うのも本音だ。
情けは人の為ならずとも言うしな。
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「すまない、助かった」
「あ、ありがとう」
「礼はいいから早く逃げろ!街まで止まらずに走れ!」
巨人に向けて【雷撃】を放ち、こちらへ注意を向けさせる。自慢の雷魔術でもダメージを与えることは難しいのだが、光と音があり派手なのが効いたのか、こちらへと目標を変えてくれたようだ。
俺は巨人と冒険者の戦闘に割って入り、時間を稼ぐから逃げるように提案した。この状況を見れば、誰もが打ち倒すのは無理だと判断するだろう。
冒険者の集団は巨人への抵抗を即座にやめて、街まで帰還することを了承した。
少し状況判断が遅いと思わざるを得ないが、ここで文句をいってる状況でもないのでさっさと逃げてもらうことにする。
あのような若い冒険者がこんなところを彷徨いているということは、ギルドは異常発生をまだ察知していないのだろうか。
念の為に、リーダーと思われる男に森で異常発生が起こっていることを伝え、ギルドに連絡してもらうように頼んでおいた。
「俺達も少し時間を稼いだら、帰還しよう」
「はい」
【疾走】は発動までにタイムラグがあるし、戦闘的な運動を補佐してくれるスキルではないので、通常戦闘では使えない使いづらいスキルである。
しかし敵前から逃亡するというだけなら、問題なくその能力を発揮してくれるだろう。
タイムラグとは言っても1分や2分もあるわけではないのだから。
リザの【脚力強化】があれば【疾走】が無くとも十分逃げ切れそうだ。巨人との一定の距離を保ちつつ、魔術で牽制を行う。
正直仕留めるのは難しいだろう。利き手が使えない状況では、有効な攻撃手段であるムーンソードを満足に振るうことも出来ない。
それよりもまず膝を突かせるのも大変そうだが。
「これはマズイな」
「早く逃げましょう!」
俺とリザがそれを発見したのはほぼ同時だった。
森の方からもう一体の巨人がこちらへと迫ってきているのである。
時間を稼ぐことへ意識を集中させていた、と言うのもあったかもしれない。気がつくのが遅れてしまったのだ。
ともあれこうなれば俺もリザも胸中は同じだと思われる。即座に撤退だ。
だがそれをリザに告げる前に、状況に更なる変化が訪れた。
グラットン 魔獣Lv42
巨大な何かが、何処からとも無く現れた。
そして一瞬の動きで、森からやってきた来訪者の首元に齧り付く。
バキバキと固い何かが砕かれる音が響いた。
「まだいたのか……」
とっくに討伐されたものとして、気にも止めていなかった。
遠目から見てもその巨大さがわかる。頭部が異様なほど巨大化した、狼のような魔物だ。
ゴワゴワとした焦げ茶色の毛皮に覆われた巨大な野獣は、仕留めた獲物の臓物を貪り食っている。
そういえば生息域は森の境界だったかと思い出した。
境界といってもその範囲は広大なのだ。1匹の魔物となれば、そうそう出会うものでもない。
攻撃の瞬間まで姿が見えない。高速で移動する。
たぶん【隠密】と【疾走】のスキルが使えるのだろう。
それによる奇襲戦法を得意とする魔物か。
突然の事態に、近くに存在していた巨人のことを忘れていた。
「グオオオオアァァァァッァ!!」
雄叫びを上げながら迫る巨人から、牽制の魔術を放ちつつ安全な位置まで距離をとる。
そしてリザを片腕に抱いて【疾走】を発動させた。