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翠蘭帝国宝石記~没落妃を救い、劇物茶師と共謀し、孤独な皇子に帝王学(麻雀)を教える勝負師の職人生活~  作者: 寝不足魔王


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第17話:盤上の火花、招かれざる影

 翠蘭帝国の後宮、その最果てに位置する茶師の離れは、湿った土の匂いと、幾千の薬草が醸し出す重厚な香気によって、外界の喧騒から切り離された一種の聖域となっていた。

 夕闇が木々の隙間から忍び込み、薄暗い工房の中を支配し始める中、レンと茶師の二人は、卓という名の戦場を挟んで対峙していた。そこにはもはや、宝石管理監としての職務も、茶師としての日常も存在しない。あるのは、指先に宿る気魄と、運命を凝縮した石が放つ乾いた音だけだった。


「……また、そこを突いてくるのね。あんたの打ち筋、本当に性格が悪いわ」


 レンは薄絹の下で口角を吊り上げ、卓上の端石を見据えた。

 指先を僅かに触れさせれば、石の中に宿った精霊の鼓動が、まるで指先を噛むような鋭い熱となって伝わってくる。レンはそれを、流れるような動作で卓の端へと押し出した。石は滑らかな円弧を描き、茶師の手元にある石の列を、鋭く弾き飛ばす。


「……性格が悪いのは、お互い様だ。貴様の指先、先ほどから一厘の迷いもなく私の急所を狙い続けているではないか」


 茶師は無愛想な面に僅かな愉悦の色を滲ませ、次の一手に手を伸ばした。

 彼が指先で操るのは、薬草を量り、配合を司るための極限の精度。石が卓の上を滑る音は、まるで研ぎ澄まされた刃が鞘から抜かれる音にも似て、静まり返った離れに高く、鋭く反響した。


 その光景を、ハクは背後二歩半の定位置で、未だに喉の奥を焼く薬草茶の痺れに耐えながら見守っていた。

 彼の琥珀色の瞳は、卓上で行われている「遊戯」の異常な熱量を正確に捉えていた。それは、後宮の妃たちが興じるような暇潰しの遊びではない。互いの精神を削り合い、一手の隙も許さぬ、真剣勝負そのものだ。


(……この二人の間に流れるのは、精霊の毒よりも濃密な執念だ。管理監が宝石を弾くたび、周囲の魔力が渦を巻き、工房内の空気が目に見えて歪んでいる。これが……術の『調律』だというのか)


 ハクは、レンの身体から放たれる凄絶な高揚感を、武人としての本能で察知していた。彼女が石を弾く一挙手一投足には、一国を賭けた戦場にも等しい重圧が込められている。ハクは剣の柄に置いた指を無意識に強め、レンを包むこの異常な空間そのものを守護するように、自身の気配を極限まで尖らせた。


「……そろそろ、仕上げの時間ね。茶師、次の『配合』を見せてちょうだい」


 茶師は無言で、氷のように冷たく、かつ鼻を突くような刺激臭を放つ青黒い煎じ薬を、新たな茶碗に注いだ。

 レンがそれを迷わず口に含む。

 刹那、氷の刃が喉を通り過ぎ、直後に猛烈な火が内側から爆ぜるような感覚がレンを襲った。その暴力的な刺激に、彼女の五感は強制的に極限まで研ぎ澄まされる。後宮の澱んだ空気で鈍りかけていた感覚が、一瞬にして最盛期ピークへと引き戻された。


「――っ、はあ……! 最高。視界が、信じられないくらいに澄み渡るわ」


 レンは茶碗を卓に置き、ギラついた瞳で盤面を見据えた。

 しかし、そのレンの瞳が輝きを増した瞬間、ハクの全身が弾かれたように扉の方へと向いた。

 彼の琥珀色の瞳が、夕闇に沈む屋外の茂みを射抜く。


「……管理監、動くな。招かれざる影が、この地にまで伸びている」


 ハクの低い、地を這うような声。

 レンと茶師の対局で満たされた熱気が、一瞬にして氷のような殺気へと塗り替えられた。

 離れを囲む鬱蒼とした茂みから、微かな、だが確かに規則性を持った「衣擦れの音」が響いた。それは、風や小動物の立てる音ではない。明らかに人の意志を持って忍び寄る者の足音だった。


「星読みの手先……斥候ね。こんなところまで、嗅ぎ回りに来たの?」


 レンは石を握ったまま、薄絹越しに皮肉な笑みを浮かべた。

 伝統権威である星読みにとって、レンの不穏な噂は絶好の攻撃材料だ。彼女が何を隠しているのか、その弱みを掴むために放たれた影が、ついにこの聖域にまで達したのだ。


「……ここから先は、私の領域だ。管理監、貴殿はその石に集中しろ。……場を汚させるな」


 ハクは音もなく、離れの入り口へと移動した。

 彼は剣を抜かなかった。しかし、その場に直立し、全身から放たれたのは、一瞬で大気を凍りつかせるほどの圧倒的なまでの「拒絶」の気配だった。最強の騎士が、本気で敵を排除しようとする際の無言の警告。

 茂みに潜んでいた斥候たちは、その場に立ちすくんだはずだ。一歩でも踏み込めば、その瞬間に自らの命が奪われることを、魂の奥底で理解したに違いない。


 数秒の、永遠にも感じられる静寂。

 やがて、慌てたような足音が遠ざかっていく。斥候たちは、ハクという絶対的な障壁の前に、一矢も報いることなく撤退を選んだのだ。

 ハクは再びレンの背後へと戻ったが、その表情にはかつてない危惧の影が落ちていた。


「……管理監。霧はもはや、貴殿を隠す目隠しではなく、貴殿を包囲する檻へと変わりつつある」

「檻か……。悪くないわね。相手が攻めてくるってことは、ようやく私のツモが回ってきたってことだもの」


 レンはハクの言葉を意に介さず、卓上に残された最後の一打を、渾身の力を込めて叩きつけた。

 石同士がぶつかる、高く鋭い金属的な音が工房内に響き渡る。

 和了あがり

 卓上の均衡は完全に崩れ、レンの石が勝利の配置を完成させた。石に宿った精霊が、歓喜の火花を散らし、茶師の目の前で青白い光となって弾けた。


「……負けたな。貴様のその異常なまでの執念、薬草の苦みを超えて私を酔わせる」

「ふふ、茶師。あんたのおかげよ。今の私は、後宮の誰にも負ける気がしないわ」


 茶師は無言で自身の薬草棚に視線をやった。そこには、緊急時に使われるであろう毒の瓶が並んでいる。彼もまた、平穏な日常が終わり、避けられぬ嵐が目前に迫っていることを、職人の勘で悟っていた。


 セツが工房の扉を叩き、夕食と点検の時刻を告げる。

 帳面を手にした彼女の顔も、今日に限ってはどこか険しい。


「……レン様、星読みの宮から、公式な呼び出し状が届いております。明日の朝、本殿にて。……霧の正体を明かす時が来たようですわ」


 レンは懐の宝石を一度だけ、強く握り締めた。

 茶師との共謀、ハクの守護、そしてリン皇子への贈り物。

 全ての手牌は揃った。


「いいわ、受けて立つわよ。私の和了を邪魔する奴には、とびきり苦い『罰則』を与えてあげなきゃね」


 レンは不敵な笑みを隠さぬまま、闇に包まれた離れを後にした。

 背後でハクが再び二歩半の距離を保ち、その鋭い眼光を周囲の闇へと配る。

 後宮の霧を晴らすための、レンの、そして勝負師としての本当の戦いが、今まさに始まろうとしていた。


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