第19話「肩を見ろ」
数日が経っていた。
セドリックという異物は、砦の日常に滑り込むように馴染んでいった。
朝は訓練場の隅で腕を組み、昼は兵舎の食堂で正規兵と談笑し、夕方には守将の執務室に顔を出す。どこにいても薄い笑みを絶やさず、誰に対しても丁寧で、誰にも本音を見せない。
セラフィーナはそれを、回廊から、食堂の端から、兵舎の窓から、観察し続けた。
歩幅。視線の流し方。笑うときの口元の力の入り方。誰と長く話し、誰の前を素通りするか。
三日もあれば、人間の動線は読める。
セドリックは毎晩、消灯後に兵舎の裏手を一周していた。散歩にしては規則的すぎる。おそらく砦の構造——門の配置、物資庫の位置、夜間の哨兵の巡回ルート——を体に叩き込んでいる。
——やることは同じか。
ヴァルドーの犬は、ヴァルドーと同じ手順を踏む。情報を集め、弱みを探し、報告する。違うのは、この犬の方が多少は頭が回りそうだという点だけだった。
だが、今は泳がせておく。
尻尾を掴むのは、尻尾が十分に伸びてからでいい。
*
その日の昼過ぎ、セドリックが守将の執務室から出てきた。
「セラフィーナ教官」
回廊で足を止めたセラフィーナに、彼は形だけの敬礼をした。
「砦の南東、第三巡回路の定期警戒が三日ほど滞っております。私の方で守将殿にお伺いを立てたところ、本日中に実施してはどうかと。——もちろん、合同訓練の一環として」
笑みの形は完璧だった。眉の角度も、声の抑揚も。
だが手袋の親指が、ほんの僅かに剣の柄側へ寄っていた。無意識の癖。自分が主導権を握っていると思い込んでいるときの。
——第三巡回路。渓谷沿いの、見通しの悪いルート。
断る理由はなかった。巡回の遅延は事実だろうし、哨兵の報告でも南東方面の魔獣の痕跡が増えていた。
問題は、セドリックがそれを「自分の手柄」にしたがっていることだ。副団長の監督役が前線で指揮を執り、棺桶小隊を使って成果を上げる。報告書にはそう書くつもりだろう。
くだらない。
だが、教え子を実地に出す機会は無駄にしない。
「構いません。一時間後に南門で」
それだけ言って、セラフィーナは背を向けた。
*
冬の陽が低い。
第三巡回路は砦から南東へ伸びる尾根道で、左手に痩せた針葉樹の林、右手に岩壁の切り立った浅い渓谷が続く。道幅は馬車一台がやっと通れる程度。見通しは悪く、岩の陰や木立の隙間から何が飛び出してきてもおかしくない地形だった。
先頭をセドリックが歩いている。
正確には、歩いているつもりでいる。
実際に前方の安全を確保しているのはテオだった。セドリックの三歩前を、音もなく。視線は常に地面の足跡、木の幹の爪痕、枝の折れ方を追っている。以前の彼なら、こんな場所では足が竦んでいた。今は違う。恐怖が消えたのではない。恐怖の使い方を覚えたのだ。
セラフィーナは隊列の中ほどにいた。リシェルが半歩後ろ。ガルトが右側面。ノエルが左後方。クレアが最後尾。
棺桶小隊の基本陣形。
セドリックだけが、その陣形の外にいる。
「このあたりは小型の魔獣が多いと聞いていますが」
セドリックが振り返りもせずに言った。
「数匹程度なら、私一人でも十分ですがね」
誰も返事をしなかった。
ノエルが鼻を鳴らした音だけが、冬の空気に小さく響いた。
*
巡回路の中腹を過ぎたあたりで、テオの足が止まった。
右手が上がる。拳を握る。——停止の合図。
セラフィーナの目が、テオの背中を捉えた。肩が上がっている。呼吸が浅い。だが足は震えていない。
恐怖ではなく、警戒。
「……教官」
テオの声は低かった。ほとんど吐息に近い。
「匂います。獣の、でも——違う。もっとでかい。この辺にいるやつじゃない」
セドリックが眉を上げた。
「匂い? 何を言っている。魔獣の気配なら、私にも——」
「黙って」
リシェルの声だった。短く、硬い。
セドリックの口が閉じた。閉じさせられた、という方が正確だった。リシェルの目はテオだけを見ていた。
セラフィーナは動かなかった。
テオの鼻は、これまで一度も外したことがない。寒村の防衛戦でも、夜襲の前兆でも、砦の防衛戦でも。彼が「違う」と言ったなら、それは通常の警戒対象ではない何かがいる。
風が、渓谷の底から吹き上がった。
冷たい風の中に、確かに混じっていた。腐肉と、焦げた脂の匂い。
——この匂いは。
セラフィーナの記憶が、瞬時に索引を引いた。
南方の大森林。帝国との国境付近。かつて騎士団の討伐対象リストで見た、山岳地帯の固有種。
大鬼。オーガの変異種。
この地域には、いない。
いるはずが、ない。
「全員、後退。ゆっくり。音を立てずに」
セラフィーナの声は平坦だった。だが棺桶小隊は、その平坦さの中にある温度を正確に読み取った。
五人が、一斉に半歩下がる。
セドリックだけが、立ったままだった。
「何を怯えている。たかが魔獣の一匹や二匹——」
地面が、揺れた。
*
岩壁が割れた。
正確には、渓谷側の崖の縁が崩落した。大量の礫と土砂が巡回路に雪崩れ込み、粉塵が視界を白く染める。
その中から、現れた。
大きい。
それがセラフィーナの最初の認識だった。
通常のオーガの、倍はある。身の丈は三メートルを優に超え、両腕は人間の胴体ほどの太さがあった。灰色の皮膚は岩のように硬質で、全身に古い傷痕が走っている。頭部は異様に小さく、そこに嵌め込まれた赤い双眸が、無感情にこちらを見下ろしていた。
——やはり変異種だ。
通常のオーガとは骨格が違う。肩幅が異常に広く、重心が低い。両腕が地面に届くほど長く、四足歩行と二足歩行を切り替えられる構造。大森林の急斜面を上下するために進化した、山岳型の突然変異。
平地の砦周辺に、こんなものが自然発生するわけがない。
——誰かが、連れてきた。
思考は一瞬で完了した。だが、それを追及する時間は今ではない。
「散開禁止。固まれ」
声は届いた。五人が即座に密集陣形を組む。ガルトが前、リシェルとテオが左右、ノエルが半歩後方で槍を構え、クレアが最後尾。
セドリックは、陣形の外で棒立ちになっていた。
大鬼の赤い目が、動いた。最も近い位置にいる人間を捉えている。
セドリック。
「——っ」
セドリックの顔から血の気が引くのが、十歩離れたセラフィーナの位置からでも見えた。
だが、彼は剣を抜いた。
見栄。虚勢。あるいは、ヴァルドーの腹心としてのプライド。理由はどうでもいい。セラフィーナにとって重要なのは、彼の剣の構え方だった。
細身の剣を正眼に構えている。型は綺麗だ。王都の道場で教わる、一対一の決闘用の構え。
——大鬼相手に、決闘の型。
読む価値もなかった。
大鬼が動いた。
四足で地面を蹴り、低い姿勢のまま突進する。巨体に似合わない速度。岩壁すれすれを駆ける動きは、山岳種特有の横移動。
セドリックの剣が閃いた。悪くない速度だった。少なくとも、正規の騎士としては上の部類に入る。
刃が大鬼の前腕に触れた瞬間、金属が悲鳴を上げた。
折れた。
刀身の半ばから、斜めに。裂けるように砕けた断面が、鈍い冬の光を反射した。
大鬼の前腕の一振りが、折れた剣ごとセドリックの体を弾き飛ばした。軽装鎧の胸当てが歪み、セドリックは三メートルほど吹き飛ばされて巡回路の地面に叩きつけられた。
「が——っ」
背中から落ちた衝撃で、肺の空気が全部抜けたのだろう。口を開けたまま、魚のように喘いでいる。
大鬼が、その上に影を落とした。
右腕を振り上げる。地面ごと叩き潰すための、大振りの一撃。
「た、助け——」
折れた剣の柄を握ったまま、セドリックの目が見開かれた。声は途切れ途切れで、言葉の形をなしていなかった。
「たす——やめ——し、死にたくな——」
——見えた。
セラフィーナは、大鬼の肩を見ていた。
右肩が上がっている。腕を最大まで振り上げるために、左足に重心を移しきっている。右半身はがら空き。振り下ろしの軌道は真下。横への対応は二手遅れる。
三手先まで、丸見えだった。
佩剣の鯉口を切った。
「下がっていなさい」
誰に言ったのか。全員に、だった。
セラフィーナが、一歩を踏み出した。
*
大鬼の右腕が振り下ろされた。
地面が爆ぜる。巡回路の硬い土が砕け、破片が四方に飛び散る。セドリックがいた場所——ではなかった。セラフィーナがすれ違いざまに襟首を掴み、陣形の方向へ投げたからだ。
セドリックの体が、ガルトの足元に転がった。ガルトは一瞥もせず、大盾の代わりに幅広の剣を構えたまま前方を睨んでいる。
セラフィーナは既に、大鬼の懐にいた。
近い。
大鬼の体温が感じられるほどに。腐肉混じりの呼気が、銀灰色の髪を揺らしている。
右腕が地面にめり込んでいる。引き抜くまでに、一拍。左腕を横薙ぎに振るまでに、もう一拍。
二拍あれば、十分だった。
一太刀目。
低く。地面すれすれを走る横薙ぎ。
刃は大鬼の左足首——正確には、アキレス腱に相当する部位を、外側から内側へ走り抜けた。
岩のような皮膚。だが腱は違う。関節を動かすための構造は、どれだけ巨大な生物でも柔らかい。そこを選べるかどうかが、技術と本能の境界線だった。
大鬼の体が傾いだ。
三メートルを超える質量が、支えを失った左足側へ崩れ始める。反射的に右腕を地面から引き抜いて体を支えようとする。
——読んでいる。
二太刀目。
大鬼が体を支えるために突き出した右腕。その肘の内側——関節の隙間に、剣が吸い込まれた。
斬る、というよりも通した。硬い外皮と外皮の継ぎ目を、刃の角度で縫うように。
筋繊維が断裂する感触が、柄を通じて掌に伝わった。
右腕が力を失う。支えを失った巨体が、今度は前のめりに倒れ込む。地面に左膝をつき、残った左腕で辛うじて上体を保っている。
首が、下がった。
背中を丸め、頭部が前方に突き出す。巨大な後頭部と首の境目が、冬の白い陽の下に晒された。
三太刀目。
音はなかった。
少なくとも、セラフィーナの耳には届かなかった。
一太刀目と二太刀目は、隙間を通す技術だった。
三太刀目は、違う。
両腕を失い、膝をつき、前のめりに崩れた三メートルの巨体。首を支える筋肉はすべて、倒壊する体を支えようとして限界まで引き伸ばされている。頸椎にかかる荷重は、自重の何倍にもなっているはずだった。
壊れかけた柱を、最後に一押しする。それだけでいい。
剣を、腰の高さから、体ごと振り抜いた。
刃が首の側面に入った。外皮と外皮の継ぎ目——顎の下、最も薄い線を起点に。硬い外皮を力で断つのではない。荷重で既に限界まで張り詰めた頸椎と筋繊維を、斬撃の衝撃が一気に引き裂いた。
大鬼の頭部が、体から離れた。
赤い双眸が、まだ開いていた。何が起きたのか理解できていない目。それが地面に落ち、二度跳ね、動かなくなった。
胴体が倒れるまでの数秒間、セラフィーナはもう振り返っていた。
*
静寂が、重かった。
大鬼の胴体が地面に沈む音が、遅れて響いた。巨木が倒れるような、鈍い振動。地面に染み出す黒い血が、冬の乾いた土にゆっくりと広がっていく。
セラフィーナは剣を一振りした。
刃に張りついた黒い血が、弧を描いて飛び散った。
五人の顔を、順に見た。
ガルトは幅広の剣を構えたまま、目を丸くしていた。普段は何を見ても動じない大岩のような男が、握った柄が微かに下がっている。
ノエルは槍を肩に担いだまま固まっていた。唇が半開きになっている。何か言おうとして、言葉が見つからない顔。
クレアは薬草袋を胸に抱えたまま、大鬼の死骸とセラフィーナの剣を交互に見ていた。
テオは——笑っていた。引きつった笑いではなく、理解が追いついた後の、納得の笑み。「やっぱりか」とでも言いたげな顔。
リシェルだけが、違った。
ノートを取り出していた。
懐から引き抜いた小さな手帳を開き、何かを書き込もうとしている。だが、指先が震えて文字にならない。彼女の目は、セラフィーナの剣筋が通った三つの場所——左足首、右肘、首——を結ぶ線を、何度も何度も辿っていた。
「——教官」
リシェルの声は掠れていた。
「三太刀、でした。古巣の騎士のときと、同じ」
三。
足を止め、体勢を崩し、首を取る。常に三手。形は違う。相手の体格も、弱点の位置も、毎回異なる。だが構造は同じだった。
重心を奪い、自由を奪い、命を断つ。
その構造を、リシェルは覚えていた。
セラフィーナは剣を鞘に収めた。
「セドリック殿」
地面に転がったままのセドリックに、視線を落とした。
彼はまだ折れた剣の残骸を握っていた。柄から半ばまでしかない刀身の断面が、ぎざぎざに裂けている。軽装鎧の胸当ては歪み、背中は土まみれで、顔は蒼白を通り越して灰色に近かった。目だけが、異様に大きく開いている。
「お怪我は」
「——な、ない。ない。大丈夫だ」
声が裏返っていた。立ち上がろうとして、膝が言うことを聞かず、もう一度尻餅をついた。
セラフィーナは手を貸さなかった。
代わりに、五人の方を振り返った。
「今の大鬼は、肩の動きが大きかった」
授業の声だった。戦場の緊張を一切引きずらない、いつもの、冷たく平坦な声。
「右肩が上がった時点で、振り下ろしの軌道は真下に確定。左足に重心が乗り切っているから、右半身の防御は二手遅れる。——肩を見ろと教えましたね」
テオが頷いた。ガルトも、遅れて。
「あれだけ大振りなら、三手先まで丸見えです。三手読めれば、三太刀で終わる。体が大きいことは、弱点が遠いことを意味しません。弱点が大きいことを意味する」
ノエルが、ようやく口を開いた。
「……教官」
「何ですか」
「あんた、前で戦っても化け物だな」
セラフィーナは答えなかった。
ただ、剣の柄に残った大鬼の体液を、布で丁寧に拭き取った。
「巡回を続けます。テオ、前方の索敵を。——この先に同じものがいないとは限りません」
テオの足が、即座に動いた。もう迷いはなかった。
リシェルがノートに何かを書き留めた。今度は、指は震えていなかった。
セドリックがようやく立ち上がった。
折れた剣を鞘に戻そうとして、ぎざぎざの断面が鞘口に引っかかった。二度試して諦め、ぎこちなく腰帯に挟んだ。薄い笑みを作ろうとしていた。だがその笑みは、頬の筋肉が正しく動いていなかった。
「……いやはや、さすがは元・剣聖ですな。助けていただき、感謝いたします」
声は平静を装っていた。しかし、歩き出したときの彼の立ち位置が、すべてを語っていた。
セドリックは、隊列の最後尾に下がった。
セラフィーナの前を歩かなくなった。それだけではない。無意識に、セラフィーナとの距離を取っていた。三歩ではなく、五歩。五歩ではなく、七歩。
恐怖は正直だ。体が覚えた距離感は、虚勢では上書きできない。
——面目を潰された犬は、二つに分かれる。
大人しくなるか。噛みつき方を変えるか。
どちらに転ぶかは、まだわからない。
セラフィーナは視線を前に戻した。
巡回路の先に、大鬼の足跡が続いていた。渓谷の底から尾根道へ上がってきた痕跡。だが、その足跡はこの巡回路に到達する前に、不自然に蛇行していた。
迷っている足跡ではなかった。何かに導かれている足跡だった。
——この地域に、大鬼は出ない。
出たとすれば、理由がある。
理由は、自然ではない。
胸元の鍔には触れなかった。まだ、その段階ではなかった。
ただ、記憶の引き出しに、一つだけ追加した。
渓谷の底から吹き上がった、あの風。腐肉と焦げた脂に混じって——もう一つ、別の匂いがあった。テオも気づいていただろうか。甘い。焚き火に似ているが、木の煙ではない。
何の匂いかは、まだわからない。
わからないことは、保留する。保留した問いは、いずれ答えを引き寄せる。
「テオ」
前方のテオが振り返った。
「帰路は風下を取りなさい。匂いを覚えておくように」
テオは一瞬だけ目を細め、それから頷いた。
「了解。——教官、俺も気になってた。あの獣臭の下に、なんか変なのが混じってた」
やはり。
セラフィーナは頷きを返さなかった。ただ、巡回路を歩き続けた。
冬の陽が、渓谷の向こうに傾き始めていた。
大鬼の死骸の上に、鴉が一羽、降りた。
*
砦に戻ったのは、日没の直前だった。
南門をくぐると、哨兵が大鬼討伐の報告を聞いて目を見開いた。消灯までの一時間で、噂は砦中に広がっていた。
兵舎の廊下で、正規兵たちが棺桶小隊とすれ違うたびに道を開けた。以前のような侮蔑ではない。敬意とも違う、もっと原始的な何か。恐れに近い畏怖。
その視線は、棺桶小隊の五人ではなく、その後ろを歩くセラフィーナに集中していた。
「剣聖、って——あれ、本当だったんだな」
「大鬼を三太刀って、嘘だろ……」
「俺、前に食堂で隣に座っちまったぞ。やべえな」
廊下のひそひそ声は、セラフィーナの耳にも届いていた。
どうでもよかった。
兵舎の自室に入り、剣を壁に立てかけ、軍服の泥を払った。
窓の外に、セドリックの姿が見えた。
兵舎の裏手。いつもの散歩ルート。だが今夜は、歩く速度が速い。足取りに余裕がなかった。
振り返る。周囲を確認する。また歩き出す。
慌てている。
面目を潰された人間が、次の一手を急いでいる足取りだった。
——ヴァルドーへの報告。
それは確実だろう。「セラフィーナは直接戦闘でも規格外だった」という報告。それ自体は脅威ではない。ヴァルドーが知ろうが知るまいが、事実は変わらない。
問題はその先だ。
物理的に勝てないと悟った犬が、次に何をするか。
答えは一つしかない。物理以外の方法で、噛みつく。
セドリックが、兵舎裏の角で足を止めた。
視線が、ある方向に動くのが見えた。兵舎の壁沿いに並ぶ武具掛け——巡回から戻った棺桶小隊の装備が、まだそこに立てかけてあった。ノエルの重槍。ガルトの幅広の剣。クレアが置いた薬草袋。
装備を見ている。
数秒の後、セドリックはまた歩き出した。
——噛みつき方を変える方、か。
——だが今は、まだいい。
セラフィーナは窓から目を離し、胸元の鍔に指を触れた。
冷たかった。体温で温まっているはずなのに、いつもより冷たく感じた。
大鬼の、あの不自然な出現。渓谷の底の、あの匂い。セドリックの、あの視線。
点が三つ、散らばっている。
線で繋ぐには、まだ早い。だが、いずれ繋がる。
「……寝ますか」
誰に言うでもなく呟いて、ブーツだけ脱いで寝台に横になった。
天井の染みが、いつもと同じ形をしていた。
目を閉じた。
大鬼の赤い目が、瞼の裏に浮かんだ。死ぬ直前まで、何が起きたか理解できていなかった目。
あの目は——セドリックの目と、同じだった。
何かを見ていたはずなのに、何も見えていない目。
肩を見ない者は、三手先が読めない。三手先が読めない者は、自分がなぜ負けたかもわからない。
「肩を見ろ」は、敵の話だけではない。
味方の肩も、見る。
セドリックの肩は、今夜から変わるだろう。
虚勢の肩ではなく、何かを隠す肩に。
——見ている。
眠りは、浅かった。




