火の魔法の力
暗くなった荒れ地をフラフラと歩き出したゴローに気づき、モンは地下への入口から出てくると、ジェイのところまでやってきた。
「ゴローはどうしたの」
モンがジェイに追いつくと、二人でゴローの後を追った。
「返り血を浴びたから、洗ってくるって言うんだ」
黒いドラゴンであるゴローに黒い血が付いたのだろうか。二人には見えなかった。それでも、確かにゴローは濡れているようには見えた。それはあのドラゴンの血なのか、ゴロー自身の汗なのかはわからなかったが、それでもゴローはそれを洗いたいのだろう。
「じゃあ・・・あっちの方に川があるわ」
モンはゴローが歩いて行く方向ではなく、もう少し右に逸れた方向を指さして言った。
「ゴロー、ゴロー!あっちに川があるって!」
ジェイはゴローに向かって叫んだ。
ゴローもその声に気づき、一度振り向くと、ジェイの指さす方へと歩いて行った。
モンの言った通り、右に目をやると向こうに木が数本生えているのが見えた。きっとそこに川があるのだろう。
ジェイとモンはゴローに追いつくと、必要以上に近づいて声をかけず後ろからついて行った。
しばらく歩くと、ドウドウと川の流れの音が聞こえてきた。木々も増えてきて坂を上ると、そこには向こう岸まで渡ることなどとてもできそうもないような水量の多い川が流れていた。
「これ、川か?」
ジェイがあんぐりと口を開けて、荒れ地にいきなり現れた川に驚いていた。
「もう少し南に行くと、海があるのよ。こう見えてこの辺りは河口に近いのよ」
「河口?ここが?へえ~」
そう言われてみれば、この広い川の水量に納得がいく。それになんとなく潮のにおいがするような気がした。
ゴローは川岸に近づくと、豊かに流れる深い色の水を覗き込んだ。そしてそのままじっとしている。
「ゴロー・・・?」
その背中を見ていて、ジェイはゴローが泣いているのかと思った。
背中が揺れているわけではない。泣き声が聞こえるわけではないが、その背中にたとえようもない哀愁が漂っていて、どう声をかけていいかわからない。
ジェイとモンが、声をかけるのをためらっていると、ゴローはいきなりドボンと川に飛び込んだ。勢いのある流れに死んだように流されていくゴローを、ジェイとモンはあっけにとられて見ていた。
≪溺れてんじゃないよな≫
あんなに大きな身体のゴローが水に溺れて死ぬようには思えないが。
少しすると、ゴローは川岸に自力であがっていた。
「ジェイ、行きましょ」
モンはすぐにゴローがあがったところまで走って行った。
川岸でゴローが身体を大きく震わせたのが見えた。水しぶきがあちこちに飛び散っている。
「ゴロー!」
「ああ、死ぬかと思いました」
≪マジか≫
「冗談ですよ」
すぐにゴローは笑ったが、ちょっと冗談には聞こえなかったので、ジェイとモンは微妙な顔をするしかなかった。
3人は星空を見上げるようにしながら川岸に座った。
誰も口を開かずに川の音を聞きながら空を見ていた。しばらくするとゴローがボソボソと小声で話しはじめた。
「あのドラゴンと話をしたんです」
「話し?」
モンが聞くとゴローは少し頷いた。
「言葉ではないんですけど・・・あのドラゴンは独楽と名付けられた、一番初めの王でした。彼は、自分が王であり、神であると言いました」
「神?」
「そうです。世界は彼の意のまま。したいように生きることができるから」
火を操る魔法は絶大な力を持っている。人を焼き町を焼くことができ、その恐怖で全てを思い通りにすることができるのだ。まさに神のような力だということは、ジェイにも理解できた。
「だけど、私は、私たちは、神なのですか。
確かに食べなくても死ぬことはありません。思いのままに生き、殺すことが出来きます。でもそれは、この左腕に宿る魔王に授けられた火の魔法のおかげであって、これがなければ、何も思い通りになんてならないはずです」
ゴローはまるで、独り言のように、暗くなった空に向かって何か自分を弁解するかのように、訥々と話し続けた。
「火の魔法はすでに私の身体の一部になっていて、私を死から守り、強い者として生かし続けています。だけど、それでも、私は自分が神だなどとは思いません。この力は、」
「ゴロー。お前は、人間だろう?」
気が付くとジェイは立ち上がっていた。そしてゴローの言葉を遮った。その額の光りは、今は穏やかだった。ジェイの心が凪いでいることは、この光りを見ればわかることだった。
「自分のことを神だと思ったら、人間には戻れないさ。だけどゴローはそうは思っていないだろ。人間の心を持っている」
ゴローはジェイの瞳を見つめた。真っ直ぐにゴローを見る瞳には嘘はない。ゴローが人間であると信じている目だ。
ゴローは息をついて、頷いた。
ジェイは、そしてきっとモンも、ゴローが人間だと信じている。
嬉しかった。だけど、だったら、どうしたら人間に戻れるだろうか。心まであの金色のドラゴンのように獣に成りきってしまったわけではなくとも、この躰は黒く大きく、翼まであるのだ。どこをどう見てもドラゴンでしかない。
「俺がわかることはさ、火の魔法はお前のことを死から守っているわけじゃない、ってことさ」
「どういうことですか。私は火の魔法があるから50年間食べなくても死なないんです。胸を刺されても死なないんですよ?火の魔法があれば、私はいつまででも生きることができ、そして大きな力を使えるんです」
そんなことはわかりきったこと。反論するゴローの声は大きかった。
しかし、ジェイは静かに言った。
「違う。火の魔法があるから、お前は死ねないし、火の魔法があるから、お前は人間になれない。火の魔法に縛られているのはお前の心だ」
ゴローの、ドラゴンの瞳がギラリと光った。
「じゃあどうしたら良いんですか。火の魔法を取り去れば私は人間に戻れるっていうんですか。そうできるなら、とっくにそうしています!
ジェイこそ、賢者だったら、私のこの魔法を取り去ってください。今すぐ!」
悲痛な声を残して、ゴローは走り出した。夜になった荒れ地の暗闇に吸い込まれるように、その真っ黒な身体はすぐに見えなくなってしまった。




