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十三 第一章・転移直後 ルクシニア帝國大使来訪


 十三


 日本国は五島列島の西側を、三隻の軍艦が海上自衛隊の護衛艦に先導されるように航行していた。三隻の軍艦の艦尾には、白地にななめに交差する赤十字の中央に翼の生えた太陽十字が描かれた旗が、真夏の日差しの下で海風にはためいている。

 それらの軍艦はみな、連装砲塔を三基搭載し、直立する三本の煙突から盛んに黒煙をはきだしていた。艦橋は煙突よりも低い位置にあり、主砲塔は艦橋前に一基、船体後部に二基背負い式に配置されており、副砲は煙突を囲むようにケースメイト式に左右両舷に八門づつ搭載されている。

 軍艦に詳しい者が見るならば、第一次世界大戦前の装甲巡洋艦を思い起こすかもしれない。


「日本国訪問ですか。楽しみですな、大使閣下」


 先頭艦の艦橋で矮躯の小鬼族の軍人が、好奇心をおさえられない様子でかたわらに立つ巨躯の牙鬼族の紳士にむかって話しかけている。


「陛下が持ち帰られた書物でしか知ることのできなかった、異世界の高等文明国家だからね。私も早くこの目で確かめてみたいものだよ」


 前後左右に分厚い巨躯を六ボタンの霞色のダブルスーツで包んだ大使と呼ばれた牙鬼は、丸眼鏡の下の眼を細めて先導する護衛艦をながめている。


「とはいえ、我々には任務がある。そこは心得るとしようではないか、軍務局長」

「もちろん、それは理解しておりますとも。ですが、帝國臣民諸種族を十把一握に「魔族」などと蔑まない人族の国ですからな」

「まだそうと決まったわけではないぞ。何しろ我々帝國人は、人族からすると見た目は異形の存在そのものなのだからね」


 わくわくを隠そうともしない軍務局長と呼ばれた小鬼は、真白い詰襟の軍服の背筋を伸ばしたまま、大使の言葉に二度三度とうなずいて返した。


「それでも小官は、皇帝陛下より伝えられた日本人の善性を信じたいと思っておりますよ」



 日本国が異世界に転移して一週間ほどがすぎ、来寇する不審船もほぼ見なくなったころ、日本の排他的経済水域に進入する軍艦を那覇基地から発進したP-1哨戒機が発見した。

 その報告を受けて現場に急行した護衛艦「ゆうぐれ」は、多数の単装砲を搭載し四本の煙突からもくもくと煙をたちのぼらせている巡洋艦を発見したのである。その軍艦は、艦尾に白地にななめに交差する赤十字と翼の生えた太陽十字が描かれた海軍旗をはためかせた、ルクシニア帝國は南洋艦隊所属の巡洋艦「キラ=グルス」であった。

 巡洋艦「キラ=グルス」は、並走する護衛艦「ゆうぐれ」に対して、海軍旗をポールのなかばまで降ろしまた戻すという半下の礼をもって敬礼した。当然「ゆうぐれ」も同様の敬礼をもって返礼し、ルクシニア帝國の軍艦との接触を横須賀の自衛艦隊司令部に報告したのである。

 ルクシニア帝國からの使者の来訪はすぐに官邸に報告され、巡洋艦「キラ=グルス」は護衛艦「ゆうぐれ」の先導を受けて佐世保港に入港したのであった。

 巡洋艦「キラ=グルス」の艦長は、ぎょろ目に大口の魚人族であり、乗組員もまた同じ種族であったが、佐世保基地の海上自衛官達は武官としての礼節をたもって相対し、日本国が文明国と呼ぶにふさわしい存在であると行動をもって示したのである。

 「キラ=グルス」の艦長は海上自衛隊員の態度と、外務省から派遣された外交官の対応にいたく感銘を受けた様子であり、さっそく本国に日本国との接触の成功を打電した。その報告を受けた結果が、早々にルクシニア帝國より派遣されたこの使節団なのである。


「初めまして、閣下。日本国政府より皆様のホスト役をまかされました、外務副大臣の諏訪義弘と申します。日本滞在中に何かご希望がありましたら、遠慮なくお申しつけ下さい。可能なかぎりおこたえさせていただきたく思います」

「こちらこそ、歓迎嬉しく思います。私は、ルクシニア帝國外務次官ヨルハド・ルツ=ヴィスと申します。皇帝陛下より全権の委任を受けた大使として、貴国との協定の締結のため来訪いたしました。今回の会談が、両国にとって実りある良きものとなるよう願っております」


 博多港に入港したルクシニア帝國艦隊は、護衛艦「ゆうぐれ」が所属する第2護衛隊の「あしがら」「あさひ」「はるさめ」の登舷礼をもって迎えられた。彼らも同様に登舷礼をもって答礼し、その姿はテレビ放送やネット配信で日本国中に流された。

 そして埠頭に接舷した装甲巡洋艦のタラップから降りてきたルクシニア帝國からの使節団を、陸上自衛隊の特別儀仗隊が出迎え、音楽隊が先に来訪した巡洋艦「キラ=グルス」より伝えられたルクシニア帝國国歌を吹奏する中、儀仗を実施した。

 諏訪義弘外務副大臣は、ヨルハド・ルツ=ヴィス外務次官に向かって腰を折って一礼し、ルツ=ヴィス次官は、脱いだ帽子を左手で抱え右手を左肩にあてる帝國式の礼をもって返礼した。


「使節の皆様は船旅でお疲れのことでしょう。本日はここ福岡市のホテルで一泊していただき、明日飛行機で首都東京に移動いたします。なにかご質問等ございますでしょうか?」

「お気遣いありがたく思います。委細お任せいたしますので、よろしくお願いします」


 ルツ=ヴィス次官を送迎のリムジンまで案内する中、諏訪副大臣がこれからについて説明した。それに鷹揚にうなずいてみせた次官は、牙鬼族ならではの巨躯を縮こませるようにして、外務省が用意したリムジンに乗り込んだ。



 先に来航した「キラ=グルス」艦長より、ルクシニア帝國では新鮮な魚介類を使った料理が上流社会では喜ばれる、と伝えられていたこともあって、ルツ=ヴィス外務次官ら帝國使節団を饗したホテルの夕食は、海の幸がふんだんにつかわれたものとなった。

 特に使節団の皆を喜ばせたのはカツオのたたきであり、タレも特にすだちや夏みかんといった柑橘類の風味が好まれた。


「いや、帝國でも魔術を使って新鮮な魚介類を饗することはままありますが、このように素晴らしい風味のものは初めてです」


 ナプキンで口をぬぐったルツ=ヴィス外務次官の手放しの賛美に対し、諏訪外務副大臣は彼が500グラムくらいあったカツオをぺろりとたいらげたのに内心驚きつつも、それをおもてには出さずに答えた。

 なお、饗されたカツオは転移前に水揚げされ冷凍保存されていたものであるが、旬の戻りカツオであったため味わいが濃厚であり、ルツ=ヴィス次官の舌と相性が良かった様子である。


「日本国には、長年にわたって魚介類の料理を発展させてきた歴史があります。その中には材料となる魚の料理前の処理も含まれるわけで、多分そこの違いもあるのでしょう」

「ふむ、肉料理における肉の血抜きや香辛料のすりこみに寝かせ、そういった処理にあたる部分ですな。元の世界で日本は、最も食にこだわりがあった国とうかがっております。これは滞在中の楽しみが増えたと申し上げたい」

「ご期待にそえるかどうかは判りませんが、東京はかつて世界で最もバラエティに富んだ食の街として有名でした。皆様の舌にあう料理がきっとありましょう」

「それは楽しみです。両国の文化交流の結果、帝國の食のさらなる向上がなされれば、全ての帝國臣民にとっての喜びとなりましょう」


 海の幸にあわせて出された日本酒で血色のよくなったルツ=ヴィス次官の言葉に、諏訪副大臣は東京への連絡事項に料理関係も入れることを心のメモにしるしたのであった。

 石炭炊きの装甲巡洋艦が第一線で使用されている程度の文明ということは、当然料理の技術も時代相応ということになる。つまり、使節団に美食を饗することは立派な交渉術となるわけだからだ。


「我が国では、牛肉を使った料理もなかなかのものと自負しております。ぜひともお楽しみいただければと」

「ふむ、帝國では牛は割と田舎の料理に使われるものでしてな、故郷の味というところですか。それは実に楽しみです」

「地球世界では、和牛は最高級の食材として世界中で珍重されておりました。ご堪能いただきたいものです」


 美食に美酒に、にこにこ顔の使節団を見やりつつ、諏訪副大臣も笑顔で皆の期待を盛り上げた。



 次の日福岡空港から政府専用機で羽田空港へ移動したルクシニア帝國使節団は、赤坂離宮の迎賓館に案内され、畠山武雄内閣総理大臣の訪問と挨拶、そしてルクシニア帝國側からの全権委任状の提示が行われた。

 歓迎のレセプションのあとヨルハド・ルツ=ヴィス大使は、使節団の主だった者達と翌日以降の会談について打ち合わせを行った。


『さて諸君、明日から仕事が始まる。現在帝國がおかれている状況は、決して楽観できるものではない。さらにこれからも高度文明国家の転移が発生する可能性は大きいと考えてよいだろう。それを念頭において交渉にのぞんで欲しい』


 昼間の愛想の良い表情とはうってかわった厳しい顔つきで、ルツ=ヴィス大使は全員の顔を見渡した。その視線を受けた使節らも、皆一様に厳しい表情になってうなずいている。さらに使う言葉も日中口にしていた帝國公用語ではなく、古い時代に牙鬼族の部族で使われていた方言をもちいて話し合っていた。


『大使閣下、連邦との交渉はどのような状況でしょうか。話せる範囲で結構ですのでお聞きしたい』


 軍務局長の言葉にルツ=ヴィス大使は、一度丸眼鏡を外してまぶたをもんでから視線をもどし答えた。


『はっきり言うとだ、向こうの要求は北部油田地帯の事実上の割譲だよ。前回の戦争での潜水艦を使った商船への無差別攻撃の効果を、彼らは高く評価している』

『確かにあれは、帝國商船隊を事実上壊滅させ、帝國海軍に致命的な打撃を与えましたな。五年たった今も、海軍は再建のめどさえたってはおりませぬ』


 極めて渋い表情になった軍務局長の言葉に、同じく渋い表情になったルツ=ヴィス大使も言葉を重ねた。


『そういうわけだ。幸いにして皇帝陛下は、日本国と相互防衛条約を締結して下さった。明日からの交渉で細部をつめることになるが、是非とも自動参戦条項を入れたいものだ。日本軍の対潜能力と防空能力の話が事実ならば、我が国は連邦の植民地にならずに済むだろうからね』

『連邦との交渉は、どこまで引き延ばせそうでしょうか?』

『連邦は、西方の猪鬼族の王国群の制圧が終盤にさしかかっている。彼らも二正面作戦は避けるつもりのようだから、あと二年か三年は開戦にはいたらないだろう』


 使節団員の一人の質問に、ルツ=ヴィス大使は疲れたような表情になってそう答えた。そして続けて憂鬱極まりない声色で、誰もが聞きたくないであろう知らせをつけ加えた。


『そして凶報だ。皇帝官房第六部からの情報だが、連邦は石炭を液化して石油を精製する技術の実用化にめどが立ちつつあるらしい。今は燃料不足で港の置物になっている大型水上艦が、次の戦争では出撃してくる可能性が非常に大きいと海軍軍令部では予想している』

『……耳長どもめ。森の妖精ならば森の奥に引っ込んで精霊とたわむれていればいいものを!』

『その森での生活に耐えられなくなった跳ね返りが、革命を起こして作ったのが今の連邦だよ。森の指導者層を労働収容所送りにして、人民社会主義を標榜する全体主義国家を作りあげた狂った輩達だからね。我々も手段を選べる余裕はないということだ』


 渋い表情のまま、ルツ=ヴィス大使は話をまとめた。


『今回の交渉で、私も切り札をきる覚悟でいる。諸君らもそのつもりで交渉にのぞんでいただきたい』



 ルクシニア帝國使節団が打ち合わせを終わって少し経った夜半、千代田区霞ヶ関の中央合同庁舎二号館の警察庁は外事課長室を、篠竹峻彰警視正がおとずれていた。

 すでに夜もふけているというのに、警察庁のフロアの窓の明かりが消える様子はない。それが今のこの国がおかれている状況を如実に物語っている。


「マルタイのミーティング内容の翻訳が終わりました。こちらになります」

「ご苦労さん。それにしても、よく翻訳できたね」


 篠竹警視正から報告書を受け取った外事課長は、ミーティングの内容に目を通しながらぼんやりとした表情を変えずに言葉を続けた。


「あちらさん、相当追い詰められているねえ」

「この内容は、市ヶ谷も当然つかんでいると思われますが」

「だろうねえ。でもね、それは我々が知るべきことではないんだよね」


 ぼんやりした表情で、気の抜けた調子ではあったが、それが外事課長による叱責であることを篠竹警視正は間違えなかった。


「申し訳ありません。失言でした」

「うん。それで、どうやって翻訳したわけ?」

「はい。今回の異世界転移で、転移した地球人の脳幹に、現地人が神と呼ぶ存在がこの世界の言語をインストールしたのは間違いありません。それは、これまでに確保された現地人侵入者への尋問で確定しています」


 篠竹警視正は謝罪のあと、変わった話題にあわせて説明を始めた。


「ただしインストールされた言語は、それぞれの種族の共通語ないし公用語にあたる言語であり、部族単位の方言は含まれていません」

「そうみたいだね」

「ただし、この世界に「勇者」として拉致された者の中には、コミュニケーション系の「恩恵」を与えられた者もおります。幸いにして「エンプレス」が我が国に「送還」した者達の中に、そうした「恩恵」の持ち主がいました」

「それ、保全は大丈夫?」


 さすがに声色が低くなった外事課長の質問に、篠竹警視正はしっかりとうなずいて返した。


「はい。その者に直接翻訳させたわけではありません。昨日中に自分が牙鬼族や小鬼族の古語についてレクチャーを受け、それを元に翻訳しました」

「……そのチートって、相手に言語体系を理解させるのまで含んでいるんだ」

「はい。別件で何度か他言語でレクチャーを受け、効果を確認してあります。そして、自分の身分も変えて接触しておりますので、我々が関与していると気がつかれている可能性は低いと考えます」


 胡乱気な表情になった外事課長を前にして、篠竹警視正は左手の中指でメタルフレームの眼鏡の位置を直して表情を隠した。

 そんな彼のしぐさを見やりつつ、外事課長はまた表情をぼんやりとしたものに戻した。


「なら、お前さんのことを信じるさ。で、この翻訳文の確度は?」

「最悪でも七割、自分としては九割強と見積もっております」

「「勇者」のチートってのは、本当に反則だねえ。この世界の神様も、随分と気前がよいもんだ」

「元々は、魔王暗殺のための鉄砲玉として拉致されていたのが「勇者」ですから。「エンプレス」が魔王となったのが六百年前、そして帝國を建国し皇帝位に登極したのが二百年前と聞いております。自分が拉致された時点では、もはや魔王暗殺すら「勇者」には求められていませんでした」


 淡々とした口調で、だがメタルフレームの眼鏡の下の瞳には苦渋に満ちた色を浮かべて、篠竹警視正は言葉を続けた。

 そんな部下の様子を興味深げに見ていた外事課長は、報告書がおさめられていたバインダーを音を立てて閉じた。


「よし、今日はご苦労さん。もう上がっていいよ。帰ってゆっくり休んで英気を養っておくように」

「はい。それでは今日はこれで失礼いたします」


 左手の中指でメタルフレームの眼鏡の位置を直すふりをしてから、篠竹警視正は一礼して外事課長室を出て行った。

 扉が閉められしばらく経ったところで、外事課長はおおきくため息をついてから、チェアの背もたれに体重をかけてのけぞった。そして、机の中からタバコの箱を取り出し、一本抜こうとしてやめ、また机の引き出しの中に放りこんで戻した。


「この世界で「勇者」ってのは、どんな目に遭わされてるんだか」


 彼のつぶやきを聞いている者は誰もいない。


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