十二 第一章・転移直後 大陸へ進出した者達
十二
円筒形の塔の内側の壁面全てを本棚にした図書室の一階に、本来ならば写本を行うための作業机がいくつも置かれている。らせん状に本棚にそって上にのびてゆく階段の手すりには、魔術を使っていると思われる照明が多数すえつけられ室内を照らしだしており、図書室内に荘厳な雰囲気をかもしだしていた。
その作業机のひとつに一人だけで座っている八坂初行は、一心不乱に革張りの装丁の異世界の言葉で記された本のページをめくっていた。
「勇者様、そろそろ休憩の時間です」
「……え、もうそんな時間が経ったんだ。はぁ、歳をとると時間が経つのが早くて困るなあ」
「そんなお歳には見えませんが……」
「いやいや、私これでも五十を超えているんで。ニコレッタさんとは親子ほども離れているんで」
声をかけられた八坂が視線を上げた先には、栗色のウェーブのかかった髪の毛を左右の側頭部でまとめて垂らした、齢十代後半くらいに見える少女が困ったような笑みを浮かべて立っていた。
ニコレッタと呼ばれた少女は、両手で抱えていた本の山を八坂の前に下した。
「ご要望にそった本は、これで最後だと思います。こちらの山は読み終えられた分ですね?」
「うん、書架に戻してもらえる? すまないね、重いだろうに」
「大丈夫です。わたしも正式に叙任された司祭ですから!」
ニコレッタの元気いっぱいな言葉に、八坂は困ったような笑みを浮かべるとつるつるの頭をひとなでした。
八坂初行が異世界に勇者として召喚されてから二週間ほどが経っていた。最初は自分に何が起きたのかまったく理解がおよばずパニックを起こしていた彼であったが、相手はそういう者を相手にすることに慣れているのか、辛抱強く彼を落ち着かせ現状を認識させ、対話が可能な状態にもっていったのである。
というわけで八坂は、自分がこの地球とは違う異世界に「勇者」として召喚された、という事実を受け入れることができたのであった。
「司祭かあ。故郷の読み物では、神殿が異世界から勇者を召喚して世界を救う、といった物語とかもあったからまだ納得がいったけれど、普通は勇者とか言われてものみこめないよねえ」
「申し訳ありません、勇者様。召喚でどなたが選ばれるのかは神の御心によりますので」
「うん、気にしなくていいよ。私も、多分神様だと思うナニカに遭った気がするから」
恐縮しているニコレッタにむかって、怒っていないよと笑顔をつくって返した八坂は、自分がこの世界に転移する直前に何か自分の知覚で認識しきれない強大な存在に接触し、この世界の人間に助力したくなるよう意識を操作され、そしてなにやら反則じみた力こと「恩恵」を与えられたことを思い出しやるせない気持ちになった。
神様からチートをもらって俺TUEEE!! するのがラノベの定番とはいえ、そもそも神様らしい存在と対話すら成立しないとか想像の埒外である。多くのラノベでは神様相手にイキる主人公が多いが、あの圧倒的な上位存在を前にしてそんな真似ができるとは、八坂はまったく想像することすらできなかった。
おかげさまで、勇者としての観念や知識を洗脳じみた形ですりこまれても、怒る気にすらなれないくらいである。かといって、かの上位存在に感謝しようとはかけらも思ってはいなかったが。
「それで、この本も全部理解なされたのですか? 魔導書としてはかなり難解な内容ですけれど」
「うん、「恩恵」のおかげだろうね。今持ってきてもらった分を読み終えたら、今日の分もレポートにするから」
「……はい。いえ、勇者様の論文は、非常によくまとめられていると導師様らが驚いていらっしゃいましたけど」
「私も、一応大学は卒業しているからね。仕事でも報告書は書かないとだし」
作業台の上には、読み終えた本の山と、これから読む本の山と、そして白紙と書き散らかされたメモが山となっている。
八坂は「恩恵」のおかげもあって、この世界の言葉での会話のみならず、読み書きについても不自由せずに済んでいる。さらにはページをめくる数秒の間に、そこに記されている全ての文章を読み理解し記憶することすらできた。
というわけで彼は、一冊本を読み終えるたびに本の内容の抄訳をメモにまとめ、一日の最後に自分なりの理解をレポートとしてまとめているのであった。
「わずか六日でしたものね、勇者様が座学を修められたのって」
「修められたとは思えないんだけれどもね。ただ、先生方から『もう自分に教えられる事は無い』と言われてしまってはねえ」
困ったように笑いあう二人であったが、実際に困っているのは教会側であるのを八坂は理解していた。
最初に確認してみたところ、自分の「勇者」としての資質が魔導士向きだと判明したので、教会の魔導師達から魔法について指導を受けることになった。そして彼は、大学のゼミのノリで教科書を読みレポートを書き質疑応答を繰り返し、魔術についての知見を得てそれを深めようとしたのである。
そのこころみは大当たりして次々と教師役の魔導師が変わり、とうとう自分を指導できる魔導師がいなくなった、と最初に声をかけてくれた僧侶から伝えらる結果になったのであった。
ちなみにその僧侶は、教会の本山である聖堂教会を守護する聖堂騎士団を統括する枢機卿の一人であり、かつて聖騎士として魔獣討伐に活躍し片腕を失って統括職についた、という武闘派であることは、後にニコレッタから教えてもらったことである。
というわけで、八坂は今ではひたすら魔導書を読んではレポートを書き、かつての教師役の魔導師らに提出しては査読を受ける、という日々を送っているのであった。
「それで、勇者様、実際の魔術の行使の練習はどうなさいます?」
「うーん、もう少し魔導の理論の基礎構造の構文を理解してからにしたいなあ。実技の方は急がないとダメなのかな?」
「いえ、記録によれば、勇者様方は理論の学習よりも実技の方を好まれる方が多い、とありましたから。学者肌の方はほとんどおられなかったようですよ」
「そりゃ、「勇者」として召喚されたのなら、一刻も早く「恩恵」使って活躍してみたいと思うのは仕方がないよね」
かつてこの世界に召喚された「勇者」達が、自分ほど歳をくっておらず元気がありあまっているタイプであったならば、座学よりも実技に興味を持つのは仕方がないことだと八坂は思うのだ。とはいえ、すでに仕事で徹夜するのも辛くなるほど体力がおとろえ、身体のあちこちにガタがきている身では、そこまで積極的に「勇者」として活躍しようという気になれないのも仕方がなかったが。
たしかに「勇者」として召喚されたおかげで、身体の不調はうそのように消え去り、持病も快癒し五感が信じられないほど鋭敏になっているとしても、である。
「私みたいな年寄りが召喚されたのは、多分これまでの「勇者」では解決できない問題のせいだと思うんだよね。だから、まずは足元をしっかり固めたいなあ、と」
「基礎、なんですね。その、魔術の構文の体系化、ですよね、今なさっているのは」
「そう。本当に基礎中の基礎のつもりなんだ。頑丈な建物をたてるには、基礎をしっかり作らないと駄目、みたいな」
実際のところ八坂は、自分が今やっている作業を、OSの制作のようなものだと認識している。基本的な言語は、これまでの魔導研究で経験則的に積み重ねられてきた研究によってほぼ完成の域に達していると判断していた。よって、自分が魔術を行使するための魔導のOSの制作が、今やらなくてはならないことだと考えているわけである。
「神様から頂いた「恩恵」で、作業速度がめちゃめちゃ早いからね、そんなにかからずに実技にいどめるようになると思うよ」
とはいえ、八坂にとって実際の魔術の行使は、彼が開発した魔術OSのデバックという意味が大きいのだが。それはニコレッタに言っても仕方がないことだろうと考えていた。
日本列島の異世界転移によって、北海道の道東、道北、千島列島、そして樺太島南部を領土とする日本人民共和国もまた、巻き込まれるようにして異世界に転移していた。
そして日本国が多数の海賊や私掠船による襲撃を受けるのと同様に、共和国も異世界人の侵攻を受けていた。
「同志大隊長殿、海岸堡と連絡がとれました。現在こちらに向けて海軍歩兵の大隊戦術群が進撃を開始したとのことです。合流まで十八時間はみて欲しい、とのことです」
「了解した、同志通信士官。同志兵站士官、各中隊の弾薬の残りは確認できたか?」
「はい、同志大隊長殿。30分前の定時報告で、各中隊半基数を残している、と。大隊段列からそれぞれ一基数保有となるように補給の手配をしました」
「よろしい。敵の反撃は撃退したが、味方到着までに敵残余が再編成して攻撃をしかけてくる可能性は常に考慮しなくてはな。弾をケチって出さなくてもいい死傷者を出したくはない」
「はい、同志大隊長殿。以降も適時弾薬の補給を継続します」
本多・亜希・ロズィームナ少佐と彼女の指揮する大隊は、戒厳司令部警備の任務をとかれ、原隊である親衛空中強襲旅団に復帰していた。共和国の首都豊原の防衛を担当している第一親衛機動歩兵師団が、異世界転移後に樺太島北方の旧ロシア領占領のために移動したために、かわって樺太南部防衛のため北海道から移動してきた第三親衛戦車師団が首都の警備についたことで、党中央委員会から与えられていた任務から解放されたためである。
そして親衛空中強襲旅団は、その本来の仕事である機械化部隊の進撃のための経路をヘリボーンで確保するという任務につき、わずか72時間で樺太島のロシア領全体に展開したのであった。
ただ、共和国にとって想定外であったのは、樺太島北端のエリザベス岬からわずか30キロしか離れていない位置に陸地があったことである。
結果として第一親衛機動歩兵師団が樺太島北側に展開するまでに、樺太島旧ロシア領の各地には大陸から来寇した現地勢力が上陸してしまっており、現地のロシア人と戦闘状態に入っていた。
本多少佐の大隊も、南へと避難しようとするロシア人達を進撃ルートの路上からどかし、食料と水をヘリで輸送させて難民を慰撫し、ついでに内陸にまで入り込んできた異世界人達を制圧する任務をこなす羽目になっていた。
異世界人の中には魔術が付与されている武器を使用する者が少なくなかったが、それもかつて「勇者」としてこの世界で戦っていた経験の豊富な本多少佐の指揮によって、簡単に駆逐されてしまった。そして彼らの大半がむくろをさらし、ごく少数の運にめぐまれた者が捕虜として憲兵隊に引き渡され、強圧的な尋問を受けることとなったのである。
「第二中隊より報告、北東側街道に多数の騎兵を確認、突撃隊形を形成中、とのことです」
「了解した。同志砲兵士官、第二中隊からの火力支援要請に即応できるよう待機させてある迫撃砲は何門ある?」
「はい、同志大隊長殿、四門を指向させられます。それと各戦砲隊は、砲側に弾薬を一基数分集積を終わらせてあります」
「結構。同志兵站士官、迫撃砲弾の補給の手配も頼んだ」
「了解いたしました、同志大隊長殿」
そして日本人民共和国は、ロシア連邦との国境線を国防軍が超えたのと同時に最高評議会を招集し、樺太島北部の領土編入を全会一致で可決し、国防軍に対して必要とする全ての権限を付与するむね議決を行った。
さらに、第一親衛機動歩兵師団がエリザベス岬に到着するまでの間に、異世界からの侵略行為に対して断固たる反撃を行うことを決議し、待機していた陸海空軍に対して全力での大陸への反攻実施を命じたのである。
その結果として本多少佐の大隊は、エリザベス岬の北側の土地の内陸部にヘリボーン作戦を実施、現地領主の館を強襲し占拠、そこを拠点に円周陣地を構築して本土から到着するはずの逆上陸部隊を待っている、というのが現状であった。
なお本多少佐は、当然のように領主館にいた者を老若男女問わず自ら射殺し、作戦遂行の邪魔にならないよう処置している。その行為に対する政治士官および部下達の控えめな抗議を、彼女は一筋の表情筋すら動かさず、魔術を行使される脅威を理由として一蹴した。ただし、領主の館の周囲に点在する村々の住民に対しては、彼女は一切手を出さなかったし、部下に手を出すことも禁止したが。
そして領主の館を強襲してからすでに四十時間が経ち、その間に組織的な反撃は二回、少数による散発的な遭遇は十数回に及んだが、これらを全て撃破し空挺堡を確保した状態を維持していた。
「第二中隊より火力支援要請入りました。前線観測班より火力誘導指示入り次第、迫撃砲射撃開始します」
「大隊長、了解。同志砲兵士官、任せる」
指揮所を設置した領主の館の大広間に置かれたモニターに、大隊と第二中隊が飛ばしたドローンからの映像が映しだされる。
少なくとも三十騎以上の騎兵と百を超える歩兵が隊列を組んでいるが、大隊の火力中隊の装備するPM-43重迫撃砲四門の射撃による爆炎に包まれ、次々と物言えぬ肉塊へと変えられてしまっている。幸運にも生き残れた者が武器も何もかも捨てて街道を走って逃げてゆく姿が、モニターに映しだされていた。
「同志大隊長殿、追撃はしなくてよろしいのですね?」
「そうだ、同志先任士官。生き残った連中には、我々の火力の恐怖を現地人達に伝えてもらうという役割がある。伝聞による恐怖の伝播は、必ず憶測によって肥大し実態とかけ離れたものになる。我ら国防軍が投射できる火力は、当然この程度では収まらないからな。せいぜい派手に話を盛ってもらおうじゃないか」
その方が後々やりやすくなる。
その怜悧な美貌を嘲笑でゆがめて昏い笑みをたたえた本多少佐は、そう愉悦のこもった声色で言い切った。
「……同志大隊長殿、旅団司令部から通信です」
「回せ」
普段は指揮をとる時に感情をおもてには出さない本多少佐が、なにか名状しがたいおぞましいものを内面から吹きこぼしているのを見ないことにしつつ、通信士官が送受話器を彼女を差し出した。
「第三大隊長より司令部、どうぞ」
『こちら旅団長、同志第三大隊長、現時点での状況はどうなっている? どうぞ」
「はい、同志旅団長閣下。前回の定時連絡より状況に変化はありません。迫撃砲とRPGの弾薬を優先して送っていただければ、味方到着まで空挺堡を保持し続けられます。どうぞ」
本多少佐は北樺太での一連の戦闘から、現地人が持つ魔術付与された武具であっても、120ミリ級の火砲を中隊規模で集中すれば問題無く無力化できることを確認していた。5.45ミリ小銃弾を防げる魔術付与された盾も、RPG7のHEAT弾頭ならば問題無く粉砕できることもわかっている。その結果として、ここ異世界の敵の土地のど真ん中に布陣していても、自分の大隊の兵士らに死傷者を出さないで済ませられる自信があった。
かつて本多少佐もこの世界で「勇者」として戦った経験があったが、その「勇者」としての「恩恵」をふるう必要性を全く感じないほどには、彼我の火力には差が存在している。
『そちらの状況は了解した。現在同志海軍歩兵が上陸作戦を実施中だ。旅団主力の上陸終了まであと48時間はかかるだろう。それまで陣地を固守せよ。旅団長より以上だ。終わり』
「第三大隊長、海軍歩兵旅団の上陸完了まで陣地を固守します。終わり」
旅団司令部との通信が終わり、本多少佐は送受話器を通信士官に返すと、大隊指揮所の中をその昏く鋭利な碧い瞳で見渡した。
指揮所にいる兵士達は、彼女の視線を向けられるやいなや直立不動の姿勢となり、その言葉を待つ態勢となる。
「同志諸君、同志旅団長閣下からの命令は聞いたな? では、己の分をわきまえず我らが祖国に侵略を仕掛けて来た現地人どもに、誰に戦いを挑んだのか教育してやろう。我々に武器を向けるという事の意味を、その血肉をもって学ばせてやろう」
そこでいったん言葉を切ると、本多少佐はその常人離れした美貌を愉悦にゆがませ、心底愉しそうに言い切った。
「奴らの魂魄に、恐怖のなんたるかを刻みつけるぞ」
普段は怜悧な輝きをたたえている本多少佐の碧い瞳は、深く底の見えない深淵をたたえていた。




