十一 第一章・転移直後 本荘マリーナでの戦い
十一
陸上自衛隊第21普通科連隊第4中隊第2小隊第2分隊の分隊長をつとめる市村正明2等陸曹は、停車した82式装甲車の後部扉を開いて地面に飛び降りると、車体の右側に移動して89式自動小銃を構えた姿勢で身体をぐるりとまわし、周囲に異状がないか確認した。
彼に続いて降車する普通科隊員達も、同じように82式装甲車の左右に展開し、周囲に構えた武器の銃口を向けつつ警戒をおこたらない。
「第2分隊長より小隊長、送れ」
『小隊長より第2分隊長、送れ』
「第2分隊、予定地点に現着、展開終了。これより前進を始める。送れ」
『小隊長、了解。発砲は小隊長の命令あるまで禁止。ただし敵の攻撃に対する反撃は、各自の判断で許可する。終わり』
「第2分隊長、了解。終わり」
市村2曹は、分隊の6名が各自数メートルほどの間隔をあけて横隊となったのを確認すると、無線のチャンネルの分隊内に変更し指示を下した。
「分隊長より全員。敵を発見するまで前進する。発砲は分隊長の命令あるまで禁止だ。全員着剣!」
市村2曹の命令とともに、普通科隊員達が腰の銃剣を引き抜き89式自動小銃の銃口に装着した。
「よし、分隊、前へ!」
市村2曹が左手を振り下ろすと同時に、82式装甲車のディーゼルエンジンが低いうなり声をあげ、ゆっくりと前に出る。その左右に展開した普通科隊員達も、あらためて89式自動小銃を構えて足を踏み出した。
82式装甲車は、普通のトラックと同じくエンジンがキャビンの後ろにある。車体前部が丸々操縦席になっているわけで、前方視界がとても広い。そのキャビン上部のハッチを開いて車長が身体を乗り出すと、据え付けられているM2重機関銃の銃把を握った。
「二見、敵は見えるか!?」
「まだ見えません! 川岸まであと300メートルはあります!」
「判った! 敵を発見したら報告しろ!」
市村2曹は、82式装甲車の車長である二見2等陸曹に向けてどなった。さすがに数メートルも離れて移動している装甲車の上の人間と話をするのに、普通の声ではとどかないからだ。無線を使えばいいのだろうが、会話が終わるまで他の分隊員の声が入らなくなるのを市村2曹は嫌ったのである。
比較的まばらに木が生えている森の中を、ゆっくりと上下左右に視線をめぐらせ警戒しながら前進すること数分、双眼鏡をのぞいていた二見2曹から分隊全員に無線がとんだ。
『キク02より全員、前方十一時方向、距離100に武装した人間を発見。数は十名から十五名。小銃らしきもの三、シールド四を確認、終わり』
「分隊長より全員、装填を許可する。安全装置はまだ解除するな。送れ」
二見2曹の報告と同時に、市村2曹の命令が分隊にとぶ。全員が一斉に槓桿を引き、銃弾を薬室に装填する金属音が周囲に響く。
装填の終わった者から報告の無線がとんでくるのを耳にしつつ、市村2曹は前方に目をこらした。さすがに森の中からでは、まだ川岸は見えない。
「分隊長より全員、敵の射撃に注意しつつ交互躍進。終わり」
送信を終わらせた市村2曹は、手近な木の陰に隠れるようにして前方に注意を向けつつ、隣を進んでいる隊員にハンドサインで前進するように指示した。
その隊員は了解のハンドサインを返すと、84ミリ無反動砲を背負ったまま89式自動小銃を構えて、小走りに10メートルほど進んで木の陰に隠れ、周囲を確認してさらに離れた位置の隊員に前進のハンドサインを送った。
しばらく第2分隊が木の陰に隠れつつ前進した先で、森の切れ目のあたりで十数名の男達が盾を構えて待ち構えていた。どうやら森の中から聞こえる82式装甲車のエンジン音を聞いて、森に入らず警戒していたようである。
「第2分隊長より小隊本部、送れ」
『こちら小隊長、第2分隊長、送れ』
「敵集団と接触、これより警告を実施する。……日本語、通じますかね? 送れ」
『とりあえず試してみろ。駄目ならなんか考える。送れ』
「第2分隊長、了解、終わり」
そんな都合よくゆくわけないよなあ、と思いつつ、市村2曹は木の陰から離れると、銃口を相手に向けたまま怒鳴った。
「こちら日本国陸上自衛隊だ! 貴様らは日本国の領土に許可なく上陸している! 武器を捨て投降しろ!」
『ウルセー! バカヤロー! スッゾオラーッ!!』
「おい、日本語通じたよ!?」
まさかのまさかに、市村2曹は驚きのあまり分隊に指示を出すのも忘れて硬直してしまった。
その隙を相手は見逃さず、並べた盾の間から突き出されたボルトアクション式小銃の銃口が火を噴いた。
「おわっ!?」
放たれた銃弾は、市村2曹が隠れていた木に命中すると爆炎をあげる。その衝撃に地面に転がった彼の姿を見た分隊員達は、即座に銃の安全装置を解除すると、敵に向かって射撃を開始した。
キャンプ場に隣接する閑静な森の中に、89式小銃の断続的な射撃音とMINIMI機関銃の連射音が響きわたる。
「痛てぇ……、って、効いてねえ!? 分隊長より全員、射撃待て!!」
そして市村2曹は、転がった先の木の陰に隠れるように伏せると、敵が構えている盾に着弾する5.56ミリ小銃弾が光輝く魔法陣のようなナニカにはじかれているのを見て、とっさに射撃中止を命令した。
敵も撃ち返してきていて、木の幹や地面に弾が当たっては、爆炎をあげたり雷光が走ったりしている。とはいえ、迷彩服のおかげで視認しづらく、繊維強化複合素材とセラッミック製防弾板を使用した88式鉄帽と防弾チョッキ2型の防護性能のおかげもあって、自衛隊員に死傷者はまだ出ていない。
「分隊長よりキク2、装甲車を前に出せ! キャリバーで盾を撃ってみろ! 送れ!!」
『キク2、了解!』
市村2曹の命令に、二見2曹は82式装甲車を前に出すと、M2重機関銃から12.7ミリ機銃弾をきり撃ちで3発づつ射撃し始めた。
直撃すれば人体がはじけ飛ぶかまっぷたつになる威力を持つ12.7ミリ弾の威力に、さしもの盾も耐えられず、後ろに隠れていた人間ごとばらばらに砕け散る。
「分隊長より全員、手榴弾!!」
市村2曹は無線機に向かって怒鳴ると、着用している防弾チョッキ2型のウェビングにひっかけてあった手榴弾を取り、安全ピンを抜いて混乱し逃げ出そうとしている敵に向かって放り投げた。
運よく、というべきか、市村2曹の放った手榴弾は敵集団の真ん中で炸裂し、数名を吹き飛ばした。そこに次々と他の分隊員らが投擲した手榴弾が炸裂し、生き残った者も負傷した者も関係なく吹き飛ばしてゆく。
「射撃やめ! 射撃やめ!」
もはや立っている者がいないのを確認した市村2曹は、無線機に向かって射撃をやめるよう怒鳴った。
一瞬前の騒動が嘘のように静かになり、離れているはずの日本海からの潮騒すら聞こえてきそうな雰囲気すらある。
「分隊長より全員、負傷者はいるか? 応答しろ。送れ」
市村2曹の声に、分隊全員から無事の応答が返ってくる。その事実に安心した彼は、木の陰から立ち上がると、それでも油断なく89式自動小銃をかまえたまま、人間だった肉塊の山に近づいていく。
「……うわ、ひでぇ。しばらく肉とか食いたくねえや」
12.7ミリ機関銃で掃射され、何発もの手榴弾を叩きつけられた敵は、五体満足な死体が一つとして残っていなかった。その惨状に顔をしかめた市村2曹は、無線のチャンネルを変えると小隊長に向けて報告を入れた。
第2小隊第2分隊の戦闘をドローンのカメラを通じて見ていた峰山航大3等陸佐は、中隊本部の天幕の中で盛大に顔をしかめていた。
液晶モニターの画面越しではあったが、89式自動小銃やMINIMI分隊支援機関銃の5.56ミリ弾がはじかれ、敵の小銃の射撃で爆炎があがるのが見えていたのだ。第2分隊が敵を容赦なくひき肉に変えたのも、仕方がないとしか思えない惨状である。
「通信、この映像を急いで連隊本部に報告してくれ。さすがにキャリバーでないと通用しない敵が多数上陸してきたら、今のままでは対処しきれん」
「はい、中隊長。中隊全員に注意を喚起します。それと、敵の帆船はどうしますか?」
運用訓練幹部の2等陸尉が、動揺を隠せない声色で指示を求めてくる。
峰山3佐は、少しだけ迷ったあと、決断を下した。
「ここで沈めよう。さすがに見逃すのは危険すぎる。捕虜はとれたら運が良かった、くらいに考えるとしよう。対戦車小隊に命令、不審船を撃沈せよ、だ」
「はい、中隊長」
数分後、子吉川の対岸で待機していた対戦車小隊は、01式軽対戦車誘導弾発射器4基の一斉射撃を実施し、不審船を撃沈した。
川岸に到着した第2小隊は、破壊された不審船から脱出した船員2名を捕虜にすることに成功した。
秋田県本荘港で起きた戦闘と同様の戦いは、日本国全土で発生していた。
中には、避難しそこねていた民間人を巻き込み、多数の死傷者を出すような事案も発生していた。幸いにして自衛官の死傷者は非常に少なかったが、巻き込まれた警察官や消防士、救急隊員、市町村の職員の死傷者は少なくなかった。
東京は永田町の首相官邸の地下にある内閣危機管理センターでは、全国から入ってくる戦闘の報告に皆が鎮痛な表情になってしまっていた。
「さすがに、ここまでの数の不審船の着上陸を許すのは、想定外でしたね」
脂の浮いた顔を手のひらでなでた畠山武雄首相が、モニターに表示されている日本地図の上にしるされた各地での交戦の報告数の多さと、同時に表示されている日本人死傷者の数に沈んだ声をもらした。
今朝の記者会見で畠山首相は、不審船多数が来寇しているために国民の沿岸部からの避難を呼びかけたが、やはり半日では避難しきれなかったわけである。被害状況が明らかになる明日以降、マスメディアはヒステリーを起こしたように政府と自衛隊を難詰し、国民にパニックを広めるであろうことをここにいる全員が疑っていなかった。
「……現時点で、着上陸した侵入者は全て制圧している、と報告が入っております。上がっている哨戒機からも、日本から離脱しようとしている不審船は発見されていない、との報告が」
「つまり、不審船に拉致された日本人は、今のところ確認されていない。そういう理解でよろしいですね?」
「はい、総理」
それでも努めて冷静さを保っている馬場健司統合幕僚長が、各地の自衛隊の奮闘の結果を報告する。その内容に、もう一度顔をなでた畠山首相は、あらためて国家安全保障会議のメンバーの顔を見回した。
「敵の侵攻の第一波は撃退しつつある、そう考えてよいでしょう。次は、この異世界の国々と接触し、このような事件を未然に防がねばなりません」
畠山首相の言葉に、この場の全員がはっとした表情になってからうなずいた。日本国は、この異世界に転移してまだ数日しか経っていないのである。ここで立ち止まっていては、この先この世界で生き延びることなどできはしない。
そのことに考えが及んだのか、早河太一外務大臣が発言を求めた。
「総理、ルクシニア帝國との接触はどうしますか? さいわい、先方から概略とはいえ地図を渡されていますし、与那国島の南西に帝國の領土と思われる島も確認されています。海上自衛隊から護衛艦を出してもらって、特使を派遣したいと考えますが」
「先方との打ち合わせでは、帝國側から使節を送ってくる予定になっていましたね?」
「はい、総理」
「では、それを待ちましょう。確かに我が国は今苦境に立たされていますが、ここで狼狽して段取りにない行動に出るのは、これからのかの国との関係を考えると得策ではないと思います」
先に来訪したルキフェラ帝との会談では、日本が異世界に転移したあと、ルクシニア帝國から使節を派遣することになっていた。これは、日本国がどこに転移してくるかおおまかな位置は判っても、正確な位置は特定できないため、帝國以外の国の領土を侵犯することがないように、という配慮からであった。
「とにかく、今は不審船対処に全力をつくしましょう。無制限に船がわいてくるわけではありません。一隻も帰さなければ、敵も船を出すのをためらうでしょう。この世界での外交はそれからです」
「はい、総理」
畠山首相の言葉に納得したのか、早河外務大臣は落ち着いた表情になってうなずきかえした。
早河大臣が落ち着いたのを確認した首相は、あらためて馬場統幕長に顔を向けた。
「自衛隊には、今しばらくがんばってもらわなくてはなりません。マスコミや在野からの非難は激しいものになるでしょう。ですが私は、自衛隊の最高司令官として、何があっても諸君らを支持します。安心して任務にはげんで欲しいと、自衛官の皆さんに伝えてください」
「はい、総理。自衛隊は、必ずや総理の信頼におこたえすることをお約束いたします」
「ありがとう、統合幕僚長」
馬場統幕長の言葉にうなずき返した畠山首相は、警察庁長官と海上保安庁長官に向き直った。
「同じく、警察官と海上保安官の皆さんにも、苦しい戦いをさせることになっています。どうか国民のためにも、いましばらく耐えて任務にはげんでいただきたい、そう現場に伝えて下さい。よろしくお願いします」
「はい、総理」
「ありがとうございます、総理」
畠山首相の口調には浮ついたものは一切無く、ただ今の危機を乗り越えるために精一杯努力する、それだけが気概としてこめられている。その事実になえかけていた気持ちが持ち返すのを、警察庁長官も海上保安庁長官も感じていた。
そして一息入れた畠山首相は、防衛大臣に顔を向けた。
「「北」の状況は判明していますか?」
「……現時点では、樺太島内および千島列島での通信量が増大していることは把握しています。内容も一部解明していますが、やはり向こうも我が国同様に不審船の来寇への対処におわれているようです」
「やはりそうですか。……できる限り早い時期に、「北」の共産党中央委員長と会談できるよう、セッティングをお願いできますか?」
「努力いたします」
「よろしくお願いします。ロシアもアメリカもいないこの異世界で、我が国と共通の価値観を持った国家は、もはや日本人民共和国しかありません。出来る限り早く彼らと意思疎通を行って、共通の基盤に立ってこの異世界で生き抜いてゆかねばなりません」
「わかりました、総理。出来る限り早く、日本人民共和国との交渉の席をもうけられるよう努力します」
「よろしくお願いします」
「北」こと日本人民共和国の名前が出た時、この場のほとんどの人間が、自分がすっかり彼らのことを失念していたことに気がつき自身の不明に目をふせた。
だが畠山首相は、そんな彼らを非難するようなそぶりはいっさい見せず、ただこれからの事を口にしたのみである。
畠山首相の表情には、ただただこの国を生き延びさせる、その覚悟があるだけであった。