#22 レジサイド
キミヒコが目を覚ました時間から遡り、授与式翌日の早朝。
アルフォンソは自室で、とあるメイドを待っていた。つい先程、アルフォンソ自ら使命を与えたメイドである。彼女が仕事を果たし、報告に来るのを彼は浮ついた気分で心待ちにしていた。
「……遅いな、まだなのか」
「あと少しで朝食の時間です。今しばらくの辛抱かと……」
アルフォンソが落ち着かない様子で吐いた言葉に、部屋にいたメイドの一人がそう返す。
現在この部屋にはアルフォンソとその供回のメイドが二人、そして扉の外に護衛の近衛兵が二人いる。
「外の連中に感づかれたのではないだろうな?」
「いえ、そういった様子はございませんが……」
王がメイドに与えた命令は、扉の外の近衛兵にすら内密のことだった。知っているのはこの場の三人と先ほど部屋の外へ出て行ったメイド一人だ。
その内容は人形遣いの毒殺である。
人形遣いの部屋に配膳される朝食に毒を盛り、それを持っていき、その死まで確認してくるのが部屋を出たメイドの使命だ。
「ふん。軍の連中が言うことを聞かないから、こんな面倒をやる羽目になるのだ」
当初、アルフォンソは正規兵に命じてキミヒコを殺し、ホワイトを奪うつもりでいた。しかし、それは騎士二人と武官たちの猛反対にあいできなかった。
王命に反対するなど言語道断とアルフォンソは考えていたが、腹の立つことに誰も命令を聞こうとしない。近衛兵すらだ。
致し方なしに、彼は自分に忠実なメイドたちを呼び出して、毒殺を計画した。
毒はアルフォンソが元々持っていたもので、武官たちはおろか騎士二人もそれを把握していなかった。
王国を支配するブルッケンブルク家の歴史はそれなりには深く、そうした家にありがちな後ろ暗い過去もあった。裏切りが懸念される家臣を、骨肉の争いにより血族を、そして家督を奪うために当主を殺したことさえある毒である。
人形の主人さえ殺してしまえば、あの人形は自分のもの。そうすれば、あの小賢しい姪のヘンリエッタと裏切り者の騎士たちは皆殺し。ついでに今回の命令を無視した軍の連中を全員粛清してやる。そうして王国を平定した後は、あの美しい人形を侍らせて楽しむのだ。
計画が成就したあとのことを想像して、アルフォンソは顔をニヤけさせた。
一方で、とんでもない計画に加担してしまったと、メイドたちは顔を青くしている。とはいえ、まずいことをしているという自覚は彼女らにはあったが、それは騎士や武官たちに背いてしまっているという不安から来ていた。キミヒコへの罪悪感や、ホワイトへの恐れから来るものではない。
彼女たちの間で、キミヒコの評判はすこぶる悪かった。
キミヒコが王城に来た当初は、凄腕の傭兵のうえに顔もよいということで、メイドたちは好意的だった。だが、その評価はあっという間に反転した。
朝から晩まで王城でだらだらしており、やることといえば酒を飲む、娼婦を呼ぶ、メイドにセクハラするくらいのものである。おまけに強いと評判なのはキミヒコではなく、彼の可憐な自動人形であるホワイトだ。
自分は指一つ動かさずに、ホワイトを働かせて金銭を得ているヒモ男とあっては、評価が落ちるのもやむなしだった。
そして、メイドたちはホワイトを恐れていなかった。あのどうしようもない男にこき使われて、哀れみを感じているくらいである。
ホワイトが生首を抱えて登城した際は、その奇行に驚きこそしたが、武官や正規兵がなにをそんなに恐れているのか、彼女たちは理解できなかった。
ホワイトの恐ろしさを理解できないメイドたちからすれば、アルフォンソの癇癪の方がよほど恐ろしいうえに、毒殺計画が成功した際の報酬に目が眩んでしまったため、この計画は始まってしまった。
「……え?」
不意にメイドの一人が声を出した。扉の方を見つめている。
「む、どうした。もしや帰ってきたか」
「い、いえ……、扉の方でなにか聞こえた気がしまして……」
部屋の三人の視線が扉に注がれる。すると、トントンという控えめなノックの音が部屋に響いた。
「陛下、務めを果たしてまいりました。扉を開けていただけますか?」
毒を持って出ていったメイドの声だ。
「おお、でかした! さあ、扉を開けてやれ。……おいどうした?」
アルフォンソがメイドたちに声をかけるが、様子がおかしい。
「あ、あの……陛下。扉の外は近衛の方がいらっしゃるはずですが……」
メイドに言われてハッとするアルフォンソ。そもそも入室のお伺いを立てるのは、部屋の前にいる近衛の仕事だ。近衛はいったいどうしたのか。
「おい! 近衛ども! 貴様らなにをしている!」
アルフォンソが怒鳴るが、返ってきたのはメイドの平坦な声だ。
「近衛の方はいらっしゃらないようです。陛下、扉を開けてください」
近衛がいない。そんなはずはない。
アルフォンソとメイド二人が、この不審な事態に言葉を紡げずにいると、再びノックの音が響く。先程より強い音だ。
「陛下、扉を開けてください」
再びあのメイドの声がした。確かに声はあのメイドのものだ。アルフォンソはともかく、二人のメイドが同僚の声を間違えることはない。
アルフォンソが二人のメイドを見やる。
「こ、声はあの子のものです。でも、でも……」
メイドの一人が声を震わせて、アルフォンソの視線に返事をする。
さらに強いノックの音が部屋に響いた。
「陛下、扉を開けてください」
もはや、部屋にいる誰もが声を発さない。しかし、その呼吸は荒く、額には汗が流れる。
「陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてください。陛下、扉を開けてくださいーー」
声と共に扉が叩かれ続ける。扉を叩く力はどんどん強くなっているようで、もはやノックの強さではない。扉は打撃音とともに軋んだ音をさせている。
部屋にいる三人は動かなかった。この異常な事態に、どうしたらいいのかわからなかった。ただひたすら身を震わせて、この状況が過ぎ去るのを待っていた。
そうしていると、続いていた声と扉を叩く音が急に消えた。静寂が部屋に満ちる。
そうした状態がしばらく続き、アルフォンソがメイドの一人に声をかけた。
「外の様子を見てこい」
「えっ、で……ですが……」
「命令だ。見てこい」
哀れにもアルフォンソに命じられたメイドは、扉まで恐る恐る近づいていく。そして扉の取手に手をかけたそのとき、今度は三人の背後でなにかが落ちてきたような音がした。暖炉の方だ。
「お前は暖炉を確認しろ」
もう一人のメイドに命令するアルフォンソ。
彼女も命令を受けて、渋々と暖炉へ向かう。
暖炉の中には煙突からなにかが落ちてきたらしく、炭塗れになった黒い物体が落ちていた。
なんだろう、とメイドがそれに手を伸ばすと、それは宙を舞い、メイドの首を絞め上げた。
気道が塞がれ、息を吸うことも吐くこともできなくなる。新鮮な空気を求めて、メイドは自分の首を絞めるなにかを引き剥がそうとするが、物体の先端部がまるで手のように彼女の喉を掴み込んでおり、取り除くことができない。
苦しみもがくメイドを他所に、暖炉にさらに落下音が響く。炭塗れの物体が次々と暖炉から這い出てきて、一つにまとまっていく。
メイドの首を絞める前腕に、上腕が装着され、さらにそこに胸のパーツの肩の部分がくっついていく。その様子をアルフォンソたちは唖然と見守る。
暖炉からきたパーツが全て合体して人型を形成すると、メイドの首を絞める力はさらに強められた。
メイドの首からなにかが折れる音がして、炭塗れの人形が首から手を離す。
首が変な方向へ曲がったメイドの体が、床へ転がった。
人形はアルフォンソともう一人のメイドの方へと、煙突の炭で黒くなった体を向ける。ドレスを着ていないため、球体関節丸出しの非人間的な姿だ。
部屋に絶叫が響き渡る。扉の取手に手をかけていたメイドの悲鳴だ。
彼女は扉を開け放ち、外へと駆け出そうとするが、それは叶わなかった。扉を潜ろうとした彼女の体に、白い布のようななにかが巻きついたのだ。白い布は彼女の首と扉の取手に絡みつき、ギリギリと締め上げた。
メイドの片割れは声にならない悲鳴と共に手足を振り乱していたが、やがて動きはなくなっていき、静かになった。
彼女に絡みついていた白い布は人形へと向かい、その身に装着されていく。衣擦れの音とともに上衣、スカート、左右の袖の順に人形の体に装着され、人形のドレスとなった。
その白いドレスには所々に赤い斑点がついている。扉の向こうには首がなくなり、胸を抉られたであろう死体が二つ転がっており、ドレスの赤い染みはその死体から跳ねた血潮であることがうかがえた。
「ひ、ひい……。殺さないで、殺さないでください」
アルフォンソは足が震え、逃げることもできずにその場に蹲って、必死の命乞いをする。だが、人形はそれを無視して、ゆっくりとした足取りで彼へと近づいていく。
「お、お願いだ。謝る。謝るから……助けてくれ」
人形はアルフォンソの声などまるで聞こえていないかのように、一歩一歩踏み出していく。
「な……なぜだ。なぜこんなことをする。私にこんなことをして、タダですむと思っているのか。こ、殺してやるぞ。お前の主人を殺してやる! 私の騎士に命じて殺してやるからな!」
人形がアルフォンソの目の前まで来た。
いつの間にか、煙突を通った際についたであろう黒い汚れがなくなり、その白く美しい顔がアルフォンソの目に映る。
「ほ、本気だぞ。私は本気なんだ。貴様だって、あんなどこの馬の骨とも知れぬ男よりも私の方が……」
それが、アルフォンソの今際の際の言葉となった。
白く漂白された人形の体に、新しい赤い染みができた。




