タブー - 第16話
可哀そうに、梓馬さんは完全に言い負かされたのです。後で話を聞くと、彼はこういった駆け引きを行ったのも初めてだったそうですよ。会社内での権力闘争や政治的駆け引きなんかとも無縁だった。まぁ、あの時に関して言えば、そもそもウエンさんが駆け引きだのなんだのと考えるタイプですら無かったことが最大の敗因だったと思いますが――とにかく、これで梓馬さんは死ぬしか無くなってしまったわけです。「やっぱなしで」なんて言える状況や雰囲気ではとてもありませんでしたからね。
ですが。
「……どうして、無駄死にだと思うんです?」
同じく地面に座り込んでいた天然パーマの男性が、呟くように問いました。沈んだ――しかし、落ち着いた声色でした。
「その人の言い分は筋が通っていますよ。でもあなたは、その方が身代わりになっても、この祟りは収まらないという」
「身代わりに第三者が人身御供になって祟りが収まった、って話なんか、日本全国どこにでもあるだろ。それなのに、なんで『無駄死に』なんだよ」
茶髪の大学生さんが後に続きます。彼らは双方、先ほどの殴り合いの後に向かい合って座ったままで、ウエンさんの方を見ようともしていませんでした。ただ、その言葉には突き刺すような鋭さがあった。
「説明しろよ。てめえで言ったことなんだから、全員が納得できるように話せよ。皆、命懸かってんだ。説明しないんなら、それこそ無責任だ」
「言い方に棘があるなぁ、キミたち。そんなにツンケンされるようなこと、僕なにかしたっけ?」
そうではなく、『何もしようとしない』からツンケンされていた訳ですが、マイペースな方でしたし、きっと今でも理由はご存じないでしょう。この出来事すら忘れてらっしゃるかもしれません。……それはともかく。
「えっとね、簡単に言うと、ノーダメ―ジだからさ。その子が」
ウエンさんは僕――の後ろの茉莉を指さして、のんびりと答えました。
「さっきも言ったけど、結局のところ、天狗は腹を立ててて、ぶん殴りたいんだよ、神社を荒らしたその子を。で、おじさんが代わりに死ぬとするでしょ? でも、一番ムカついてるその子には何のダメージも無い。それじゃダメなんだ。やり返したいんだもん」
「何でそんなことてめえに分かるんだよ」
「そりゃ、ここでこうやってその子が生きてるからさ。源平合戦の頃の霊って結構年季入ってるし、本気出せば人間なんてサクッと殺せる筈なんだ。でも、まだ殺してない。それは、相手が『殺すだけじゃ飽き足りない』って考えてるから。
だから……そうだなぁ。それこそ、その子が物凄く悲しんだり、後を追って死ぬような人間じゃないと、身代わりにはならないんじゃないかなぁ」
ああ――僕はその言葉を聞いて、何故その日その場に自分が居合わせたのか、理解できたような気がしたのです。恐怖が無かったか、と言われると……正直言って、実はあまりよく覚えていません。ただ、使命感だけがあった。茉莉を守れるのはその日その時僕しか居なくて、茉莉は僕にとって家族同然の存在だったから。妹のようなものだったから。
「僕が」
だから、僕は言いました。
「僕が外に出る! 出ます!」
大声を出しても、体は異様なまでに震えていました。大学生二人組も、梓馬さんも、驚いたように僕を見ていました。
強く手を握られて、振り返ると、茉莉は口をパクパクさせながら、懸命に首を左右に振っていました。やめて、と言いたかったのだと思います。僕が逆の立場なら、きっとそう言いたかっただろうから。
「大丈夫。大丈夫……茉莉、大丈夫だから。心配しなくていいよ」
「大丈夫じゃないと思うなぁ」
震える声で茉莉にそう言っていると、背後からウエンさんの間延びした声がしました。「なんでですか」と僕は言いました。振り返りながら。
「あのね、身代わりになるっていうのは、そんなに単純な話じゃないんだ。代わりに死ぬだけ、だなんて考えてるなら大間違いさ。だって、生き残った人は、死んだ人に一生縛られるんだから」
意外なことに、本殿でだらけていたウエンさんは、いつの間にか立ち上がり、本殿の階段を下っていました。一段、二段と、ゆっくり。背伸びをしながら。
「そうだな、想像しやすいように、キミの視点で考えてみようよ。仮にこの事態を引き起こしたのがキミで、妹さんが身代わりになったとする。
これはね、辛いよ。何日経っても何年経っても、キミは妹の顔を忘れないだろう。身代わりに死なせたことを悔やみ続けるんだ。よく眠れる日なんて一日も来ない。ご飯だってなかなか喉を通らない。キミの見る景色はいつだって殺伐としていて、目の前に素敵な女の人が現れたって恋も出来ない。そうして、殆どの人間が過ごす幸せな時間を、無力感と共に過ごしていく。妹を殺した自分が幸せになるなんて有り得ない、なんてことを思いながら、永遠に苦しみ続けるのさ」
地獄になるよ、と彼は言いました。僕には分かりませんでした。それが――その言葉が、ウエンさんのかつて出逢った誰かの話なのか、それとも――ウエンさん自身の話なのか。ただ、彼はそれまでの言動とは打って変わった鋭い眼差しで、中腰になって僕と目線を合わせながら――尋ねたのです。
「そんな人生を、妹に押し付けるのはイヤじゃない? 素直に死なせてあげた方が、妹のためだと思わない?」
「思わない!」
僕はそう叫んで、茉莉を梓馬さんの方へと強く押し飛ばしました。そしてその反動のまま――石畳の外へと跳び出たのです。





