プリディクション - 第30話
「ご慧眼、感服します」
傍の魔術師――神官って呼ぶべきなのかな――が、どうやらしずしずと頭を下げたようだった。先生は舌打ちをする。実に腹立たしい、といった調子で。
「気に入らねーな、あっさり認めやがって。魂の識別情報なんてのは、曖昧で感覚的なものの筈だ。複数人で共有できるような代物じゃねえ。つまり、この術の行使者はお前独りで、お前を無力化できれば、魔術装置は実質停止する。すべての権限がお前にあるわけだ。そこまで認めちまってるくせに、それでも、自分は従者でしか無いってか?」
「有り得ないことではないと思いますが」
「そうかね。だがあたしには、お前が『主』と表現する奴と、他ならないお前自身が、どこまでも対等な関係だと考えた方がしっくりくるぜ。で、もしそうだとした場合……お前は自分の所業をすべて、『主』の責任だ、っつってなすり付けてるように思える」
気に入らねーな、と、先生は改めて吐き捨てた。その時。
顔を伏せたまま、何とか目線を上げて前方を視野に入れようとしていたあたしの前に、一筋の、青紫色の耀きが走った。
「気に入らねーよ、マジで。お前のその、『わたしに罪は御座いません』ってな調子が、どうしようもなく気に入らねー。
一応教えてやるけどな、この国の刑法じゃあ、幇助犯も立派な犯罪者だ。自覚しろよ。お前は手当たり次第に他者を操って罪を犯させようとする、ドブネズミよりも薄汚い魂の持ち主だ」
それは、あたしにとって、何らかの前兆に思えた。
感情を抑えるようにつらつらと――しかし、強い口調で先生は、神官に言葉を投げ続ける。それと同時に、あたしの視野で、二度、三度と、線香花火の火花のように、細かな輝きが走っていく。
何をしてるんだろう、とあたしは思った。先生は間違いなく重傷な筈だ。多分、もうまともに動くのも難しい筈。だけど、この輝きはきっと、先生が『何か』をしようとしている、その前兆に間違いない。
「あなたは」
そんな、先生に対し。
「どこまでも、純粋な方なのですね。操る力こそ、怨嗟に塗れた暗いものではありますが」
傍の神官は、どこまでも美しく、整った――無感情な声で告げる。
「その実、何よりも善を貴び、悪を憎んでいる。……嗚呼、実に興味深いことです。その、純粋で残酷な、子供のような価値観も――わたしの目を通してさえも把握できない、特異な魂の性質も。何もかもすべて――」
興味深い、と、吐息と混ざる程に柔く、蠱惑的に神官が漏らした、その直後だった。
雷轟が、夜の迫る世界に響き渡った。
「もういい。分かった」
強い、何もかもを吹き飛ばすような風が、前方から吹き荒ぶ。あたしは思わず視線を上げていた。そして、それはきっと、隣の神官も同様だった筈だ。
「お前も、魔術装置の防衛システムたちと同じだ。自分を省みるつもりなんざ微塵も無え。だからもういい。お前と話すのは時間の無駄だ」
先生は――白衣をはためかせながら、両手の指の間に古びたお守りをぎっちりと挟みこみながら――低く低く、まるで豹のように頭を低くして、こちらを――あたしの傍の神官を睨んでいた。その周囲と四肢には青紫色の耀きが無数に入り乱れ、凍えるような冷たい風がこちらに押し寄せてくる。瞳には煌々と青白い輝きが漲り、その様は。
「まるで、雷獣のよう」
傍の神官は、そう怪しく笑った。あたしにはそれが不思議でならなかった。夕闇を塗り替えるような先生の耀きも、そこから漏れ出す凍り付くような強風も――それらを目の当たりにしながら、隣の女性は尚も、笑っている。
「けれど、お忘れですか? あなたのその術……どうやら、数時間前よりも数段階、強力なものを放つつもりのご様子。ですが――」
『自分に向けられた攻撃の数々をいなし、放たれた魔力なり呪力なりを掻き集め、カウンターとして利用する――』
「――ヴードゥーはアニミズムを根底にした教え。わたしは、大気中に無数に存在する、小さな精霊たちの力を借りることが出来ます。故に、あなたがわたしに傷をつけたことは一度も無く――また、それだけの力、跳ね返されれば命に関わりましょう」
「跳ね返せること前提に考えてんじゃねーよ……!」
「跳ね返せないとお考えなのですね? 試してみるのも良いでしょう。わたしは、それを止めはしませ」
ん、という声は聞こえなかった。それほどに突然だった。そして、刹那的だった。
先生は爆轟のような音と共に、跳んだ。
掻き消えた体躯が、瞬時にわたしの――いや、あたしのすぐ傍の神官へと詰め寄り、大きく腕を振り上げる。
振り。
「仕方――」
下ろした。
「――ありませんね」
妖しく神官が呟いた。再び雷轟が周囲の夕闇を斬り裂いて――その中で、あたしは見た。
先生の放った雷槌のような一撃の全てが、神官の周囲の大気に吸い込まれたところを。
あたしの眼前の大気が、星空のように、スパークのように煌いたところを。
そして。
その輝きの全てが、一筋の槍と化して、宙を往く先生の体躯を貫――。
「勘違いすんなよ」
――あたしは聞いた。
時の狭間で。
青白く輝く槍が振り下ろされる直前の、コンマ数秒という圧縮された時間の渦中で。
「カウンター狙いは――」
先生が、強く、雄々しく。
「――お前の専売特許じゃねえ!」
笑う声を。





