プリディクション - 第28話
●
「――先生!」
頭がくらくらするほどに大きな衝撃音と、あらかたの瓦が吹き飛んだボロボロの屋根の上を転がっていく雷瑚先生の姿が視界の端に見えて、あたしは思わず、伏せていた視線を上げ――。
「顔を上げるな!!」
途端、先生の鋭い声が夕暮れを走る。あたしはびくりと震えて、再度、顔を伏せた。
「……そいつの目を、絶対に見るなよ……!」
そいつ――先生がそう表現した人物が、あたしのすぐ傍に、静かに立った。プランシェット使いの女の子を倒した直後に、突然に現れた女性。あたしがその容姿を――いや、その人の『目』を見る前に、わざわざあたしの体を抱き寄せてまで視界に入れさせなかった人物。……その人は、やはりとても美しい、澄み渡るような声をしていた。
「怖がらないでください。危害を加えるつもりは、ありませんよ」
視界の端で、その人が、ゆっくりと手を伸ばしてくるのが見えた。あたしは体を強張らせた。どうしよう、どうしよう、どうしよう! 先生は――抱きかかえていたあたしを下ろして、「絶対に奴の目を見るな」と告げて駆けて行った先生は、何が何だか分からないうちに、あたしの後方へと転がっていった。だから、先生から見れば、あたしはこれ以上なく敵に近付かれた人質でしかなくて――。
「栄絵、そのままだ! そのまま何もするな!!」
後方から、また鋭い声がした。同時に、屋根を蹴り飛ばす音。空を切る音。風の鳴く音。次いで――恐らく、先ほどプランシェット使いの女の子に放ったのと同じ、青紫色の輝きを先生が撃ち出す音が連続して響き――だけど、傍の女性は一切体勢を変えぬまま、引き続きあたしに手を伸ばしてくる。頬に触れてくる。顔を上げさせて――。
「無視してんじゃねーぞ、この変態女!!」
怒声に近い先生の声が、前方から響いた。それでようやく、手を伸ばしていた傍の女性はくるりと体を反転させた。あたしには容易に想像できた。大きく跳躍した先生が、あたしたち二人の頭上を追い越しながら牽制とばかりに青紫の光の攻撃を発射して、直ぐに反転して、こちらにやってきた――そして。
「お前の相手はあたしだ! そうやって余裕ブッこいてると、次は――!」
強い、稲妻のような音が空気を裂いた。顔を伏せたまま、目線だけ前方に向けたあたしには、先生が何をしたのかが、何となく把握できた。
「次は――何でしょう?」
先生は。
「酷い方です。人を、殴り飛ばそうとされるなんて」
光を撃ち出すのでは埒が明かない、とばかりに、殴りかかったのだ。恐らく――あの、青紫の輝きを拳に宿して。
そしてそれは。
「如何でしたか?」
通じなかった。
「気は、済みましたか」
また、ドン、という強い衝撃音が響いた。先生の体躯が、突風を受けたゴミ袋のように、勢いよく、長屋のように連なった古い家々の屋根を転がっていく。あたしは、先生、と強く叫んだ。そして傍の女性の――頭が蕩けそうな程に甘い、とても良い匂いがする――ロングコートの裾を掴んで懇願した。やめてください。もうやめて。
「先生、大怪我してるんです。だからお願い、もうこれ以上、酷い事しないでください!」
「……成る程。あなたにとって、あの女性は尊敬する恩師、なのですね。ですが、それにしては解せません。何故、そこまで尊敬を集めるような偉大な人物が、このような荒れ事に生徒を巻き込むのでしょう」
女性が、ゆっくりと告げる。再度、こちらに体を向けようとしている。あたしは急いで顔を伏せた。
ふふふ、と、妖しい笑い声が頭上から降ってくる。
「見たところ、あなたに特異な力は無い様子。それでもこの場まで連れてきている理由が……何かあるのでしょうか?」
――まずい。
「寝惚けたこと言ってんじゃねーぞ、クソ魔術師。お前らが栄絵まで狙うから、一緒に連れてくるしか無かったんじゃねーか」
また、先生の声がした。女性はこちらへ向けようとしていた体を、再度先生の方へ――あたしの正面前方へと向ける。
「くそっ、また傷口開いてきた……大人しそうな面してるくせに、打撃もしっかりいなしやがって。撃ってもダメ、殴ってもダメ、ってか? 夢みてえな能力だなぁオイ。お前みてぇな薄汚い心持の奴には勿体ねえよ」
「申し訳ありません。それにしても、酷いことを仰る方ですね。そんな酷いことを言われると……わたし、涙が出てしまいます」
「勝手に泣いてろ。っつうか、これくらいで泣くくらいなら、わざわざこんな旧市街地の屋根の上にまで来てんじゃねーよ」
「仕方の無いことです。主の命令ですから」
「へぇ、そりゃおかしな話だ。主の命令――そう言えば、ちょっと前に言ってやがったな。自分は従者だとか。いやぁおかしな話だぜそいつぁ。それとも、お前の主ってのは、よっぽどオツムに難アリなのか?」





