エンディング - 第2話
「え」
女の青い瞳が、強く鋭く光っている。……俺は目を見開いていた。
無い。
女が持っていた水飴の棒が、蠢く蟲達ごと消え失せている。
「何……何をした?」
「ハッピーエンド」
「何?」
「あたしの答えさ。理由は『あたしがそう信じてるから』。
こりゃあたしの持論だがな。物語なんてのは大抵、誰かの人生の、ほんの一部分の切り出しだ。神話のスサノオを見ろよ。高天原じゃ只の糞野郎、だが八岐大蛇退治譚じゃご立派な英雄だ。
オッサンの噺も同じさ。どの話にも必ず『続き』がある。だから、あたしは信じるね。どれも最後にゃ、幸せが待ってる、ってな」
女の言葉は覇気に満ちていた。纏う陰鬱な空気とは全く対照的だ。だが、何故だ? この屋台に来る奴は皆、俺と同類の筈なのに。
「大体な、オッサン。手がせこいぜ。どうせ、正解かどうかはあんたの匙加減、気に入り加減なんだろ? 曖昧な謎掛けしてくる奴は、大抵そんなもんだよ」
俺は呆けた頭で女を見ていた。爛々と輝く二つの眼には、確固たる自信が満ち満ちている。眩しい光だ。遥か――遥か昔に目にしたきり、見ることの無かった光。俺は今、それに相対している。
「あんた……何者だ?」
問うと、女は不敵に笑った。
「分からねえか? オッサンの話にも出てきてただろ」
「『霊能力者』? 本当に?」
俺は高揚していた。本物の霊能力者と出会う。こんな滅多にない出来事と遭遇するなんて――。
「話を戻そうぜ、オッサン」
俺の昂奮を押しとめるように、女は尋ねた。あたしは正解か、と。
俺は。
「……ああ、うん。正解だ。正解だよ、お嬢さん」
言葉の途中で、俺は笑った。ここ最近感じたことの無い、清々しい気分だ。
「そうさ、結論なんてどうだっていいんだ。分かるだろ? 兎角、この世は表層しか見ない馬鹿者が多すぎる。
例えば……そう、丁度、お嬢さんの後ろの奴ら」
眼前の彼女は大きく仰け反り、俺に体を向けたまま、器用に後方を見た。言うまでもなく、その視界には、能天気にへらへらと笑いながら石畳を行き交う、俗人どもが映っていることだろう。
「祭りってのは本来、神に感謝を捧げ、獲物を還す神聖な儀式だ。それがどうだい。今や只のイベントとしか思ってねえ不届き者ばっかりだ」
「一応言っておくがな、祭の起源ってのは、学者様の間でも揺れてる難問だぜ」
「そうさ、お嬢さん。どれだけ目の前のことに自分の解釈を持てるか。重要なのはそこだ。生者の価値は、そこに凝縮されていると言ってもいい」
「聞けよ」
「俺はな、それを為さない馬鹿者どもが、只只管に憎いのさ。想いは馳せるべきものだ。生者は常に考え続け、受け取る中で吟味し続けるものだ。それが出来るのは生者の特権だし、その放棄は生の放棄でもある」
相手は面倒そうに溜め息をついた。それで俺は我に返った。そうだ、暫く見ない正解者、正しき享受者。彼女には贈り物を授けねば。
「じゃあお嬢さん、あんたには――」
「気が済んだか? じゃ、今度はこっちのターンだ」
仰け反っていた彼女は、そこから「よっと」と声を吐き、俺を真正面から見据え――一瞬で、俺の目の前に右手を掲げた。
「……お守り?」
そう。彼女の右手に在り、俺の眼前に突きつけられたもの。それは、一つの古いお守りだった。と言っても、決して神聖なものでは無い。酷く陰鬱な気を纏っている。いや。
呪われて、いる。
「オッサンが只の語り部だったなら、まだ猶予はあったんだけどな。あんたは邪悪だ」
「邪悪? 俺が? 俺はただ、生の価値を伝えてるだけだ」
「よく言うぜ。気分次第で正解は変える、途中退室も許さねえ。決め手は水飴だな。アレ、あの世の食い物だろ? 黄泉戸喫――口を付けたら、その時点であの世に連れて行くつもりだったんだろ」
「お嬢さん」
俺は掲げられたお守りを見つめた。呪われたお守り。彼女が身に纏う陰鬱な気は、これが発生源だったのか。そう言えば、昔、聞いたことがある。
魔を以て魔を祓う――そんな退魔の術法がある、と。
「俺はあんたを祝福したいんだ」
「そりゃ嬉しいね。だがな、オッサン。あたしはあんたの、その高慢で押しつけがましい考え方が嫌いだ。
祭りだろうが噺だろうが、どう受け取るかなんて他人が強制するもんじゃねえ。厳粛な奴も、気軽に自由に楽しむ奴も居る。居ていいんだよ。……ま、これも所詮はあたしの持論だし、あんたがどう受け取るかは自由だ」
でもさ、と彼女は笑った。屈託の無い笑顔で。
「オッサンの噺、あたしは嫌いじゃないぜ。……これくらいは素直に受け取れよ?」
「……そうかい」
彼女の掲げるお守りが、碧く光った。綺麗な光だった。ああ、いや、でも。
この落ち着いた気分は、きっと光のお蔭では無く――。
「じゃあな、オッサン。往生しろよ」
どん、と、何かが破裂したような衝撃が、体に響いた。





