マリオネット - 第7話
「君の体を操っていたのは、キミ一人では無かったのか?」
彼女は笑った。恐ろしい笑い声だった。同じ声を何度も幾重にも重ねて同時に再生したような、共鳴と反響で頭が狂いそうになるような、そんな笑い声だ。
「馬鹿な……そんな馬鹿な! あり得ない! この体にあった精神は、確かに唯一つだった筈だ!」
《あら、意外。その口ぶりだと、標的が多重人格者の場合はやり口を変える程度の頭はあったわけね。もっとお馬鹿さんだと思ってた。なら、説明を聞いて納得できるだけの理解力もあると考えて良さそうかしら?》
「敗者の分際で――!」
《つまりね、アメデオ。私を私たらしめる意識――即ち、生命や魂と言われるものは、確かに唯一つだけなの。ただ、さっき伝えたでしょ? 私は、他者の精神や生命力を食らえる特異能力者だって。そして同時に、私は除霊師でもある》
ゆっくりと告げられる言葉を、私は何とか、脂汗の流れる動かない体で咀嚼した。順を――そうだ、順を追って考えるんだ。
彼女は除霊師だ。悪霊や怪異を退けることを生業とする。そして、特異な能力を持つ。その能力を行使すれば、霊を滅することなど容易いだろう。能力の赴くままに食らってしまえばいいのだから。咥え、噛みつき、咀嚼し、飲み込む……。
《健康な肉体の場合、食べ物の消化にかかる時間はおよそ3時間前後。勿論、内容物にもよるけれどね。さて、ではここで一つ目の問題です。食べ物ではなく霊体を消化する場合、必要な時間はどれほどでしょう?》
「……そんなもの」
《私も知らないわ。奇遇ね? ただ、物質と違って、霊体の消化にはかなりの時間が掛かるらしい、ということは経験的に分かるの。きっと、消化する必要がないからでしょうね。だって、消化しなくても、私は食らった霊体をそのまま自分のエネルギーとして消費できるから》
「待て。待ってくれ」
無茶苦茶だ。それはあまりにも無茶苦茶な能力だ。横暴で乱暴で傍若無人に過ぎる。私はぐるぐると狂ったように巡る思考を、何とか立ち直らせようと試みた。だが、それはあまりに困難だったと言わざるを得ない。何故ならば――そう、彼女の説明が事実ならば。
いま、この体の駆動を邪魔しているものは――。
《私、つい最近まで、派手な怪我をして寝込んでたのよね。だから、体の中の『彼ら』を使う機会も無かった。さて、では二つ目の問題。主人格が体の外に放り出され、新参者がやってきた私の体の中で、次に起きることは何でしょう?》
――ほぼ、無意識だった。私はベッドから降りて、小さな本棚の上に置かれた、見覚えのある真ピンクの箱へと手を伸ばそうとした。元の場所に戻ろうとした。帰ろうとしたのだ。が、その動きを――何とか腕を伸ばしたところで――体の中の『彼ら』は邪魔をした。
『彼ら』とはつまり、坂田雨月によって食らわれ、彼女のエネルギーとしての属性を付与された、無数の魂たちの成れの果てのことだ。それら無数の霊体たちは、つい今の今まで、消化されるか浪費されるかを待つだけの――いわば、死刑台に並び続けているだけの存在だった筈だ。自我も感情も消え失せていた筈だ。何故なら、抗うことなど叶わない王者として、この体の唯一神として、坂田雨月が君臨していたのだから。
それが、消えた。絶対的強者である彼女の存在が消え失せた。ならば死を待つだけだった霊体たちはどうする? 当然、奪おうとするだろう。生存本能の赴くまま、今が好機とばかりに、この肉体の主導権を簒奪しようと動き始めることだろう。例えるなら、それらは蜘蛛の糸に群がる悪党共のようであり、檻の中でボスを決めようとする囚人達のようでもある。
そして、消えた坂田雨月の代わりに、肉体の中心に坐した者がいる。何も知らぬまま彼女と入れ替わり、肉体の主導権を持った者。蜘蛛の糸の先頭に居て、檻の中心に座っている者。それは、他でもない。
『キミの体は私が貰うよ』
私だ。私なのだ――。
《さて、楽しい楽しい謎掛けの時間も、そろそろ終わり。改めて状況を伝えてあげる。肉体の主導権を奪われ、私という精神は現在、手綱を握っていた主の消滅で獣と化そうとしている、有象無象の霊体の陰に居る。と言っても、肉体の主導権を奪った『誰かさん』が砕かれた瞬間、結ばれていた契約は無効となり、手綱は再び私の手に戻るでしょうね。
分かる? あなたの生き延びる道は、唯一つ。この体に渦巻く無数の霊体を打ち砕き、唯一無二の肉体の所有者となること。ちなみに、さっきの笑い声を聞いて分かる通り――霊体たちの中には、私という存在に半ば消化・同化させられている、坂田雨月の劣化コピーと言える者も沢山居ます。単純な力比べで勝てる相手ばかりでは無いということも添えておくわ。さぁ、それでは最後の問題です。この状況で、あなたは望み通り、私の肉体を手に入れることが出来るでしょうか?》
「坂田雨月」
《答えは》
「坂田雨月ッッッ!!!」
《ぶっちゃけ興味ないからどーでもいいわ》
私は無茶苦茶に叫んだ。正確には、叫ぼうとした。だが、それすらも私には許されなかった。
私の精神が無数の暴力によって砕け散るまで、そう時間は掛からなかった。





