第11話――目を覚ましたら、元いじめ相手のオタクがいた
最初に感じたのは、寒さだった。
次に、体中の痛み。
そして最後に、あたしは自分がどこにいるのか分からないことに気づいた。
「……ん、ぅ……」
重いまぶたをゆっくり開く。
暗い。
視界に入ったのは、見覚えのない岩壁だった。
その近くで、小さな炎が揺れている。
……は?
火?
なんで?
ここ、どこ?
寝ぼけた頭でそんな疑問を並べていると、不意に視界の端で何かが動いた。
「お、起きたか」
男の声。
反射的にそちらを向く。
そして。
「…………は?」
思考が止まった。
そこにいたのは、上半身裸の男だった。
いや、正確には男の子。
同い年くらいの、見覚えのある顔。
少し伸びた黒髪。
眼鏡はかけていない。
妙に落ち着いた目つき。
そして、こちらを見ながら、なぜか片手を軽く上げている。
「具合はどうだ?」
「…………」
「おーい。聞こえてるか?」
「…………はぁっ!?」
あたしは勢いよく上半身を起こそうとして――
「いっっっったぁ!?」
右脚に走った痛みで、あっさり撃沈した。
「おい、動くな。まだ治ってない」
「は!? ちょ、待っ……!」
目の前の男が近づいてくる。
あたしはとっさに身を引こうとした。
けど、脚が痛い。
体も重い。
そもそも、ここがどこなのかすら分からない。
情報が多すぎる。
いや、情報が多いというより、意味不明な情報しかない。
暗い洞窟。
焚き火。
知らない布。
痛む脚。
そして、上半身裸の――
「……オタク?」
「ん? ああ、そうだが」
「いや、そうだが、じゃないんだけど!?」
思わず声が裏返った。
なんで?
なんでこいつがいるの?
水科理人。
クラスメイト。
普段は教室の隅っこで本を読んでいて、誰かに話しかけられても面倒くさそうに返事をする、あのオタク。
あたしが時々からかっていた相手。
……いや、時々っていうか。
まあ。
そのへんは、今どうでもいい。
問題はそこじゃない。
なんで、あたしが目を覚ました場所にこいつがいるのか。
しかも、服を着ていない。
いや、下は着てるけど。
上は裸。
なんで?
どうして?
あたしの脳内で、ろくでもない可能性が次々と浮かんでは消えていった。
「……ちょっと待って。あたし、なんでここにいるの?」
「それを俺に聞くのか?」
「はぁ!?」
「いや、俺も知りたいんだが。むしろ、そっちが教えてほしいくらいだ」
「……は?」
こいつ、何言ってんの?
自分の置かれている状況を理解していないような顔で、そんなことを言ってくる。
いや、顔というか、こいつの場合はいつもこんな感じだった気もする。
「とりあえず、落ち着け。ここで暴れられると困る」
「誰のせいで暴れてると思ってんの!?」
「主に状況のせいじゃないか?」
「人のせいにすんな!」
「状況は人じゃないだろ」
「そういう意味じゃない!」
……ダメだ。
こいつ、相変わらずだ。
こんな状況なのに、なんでこんな会話ができるわけ?
いや、できるからこそ、こいつなのかもしれない。
あたしは一度、深呼吸した。
落ち着け。
まずは状況確認。
ここがどこなのか。
どうしてこんな場所にいるのか。
そして、こいつが何をしたのか。
……最後のは、ちょっと保留。
「……ねえ」
「なんだ?」
「ここ、どこ?」
「分からん」
「…………は?」
「だから、分からん。少なくとも、俺が知ってる場所じゃない」
「いや、そうじゃなくて!」
「そうじゃないなら、どういう意味だ?」
「だから、ここがどこなのかって聞いてんの!」
「俺も聞きたい」
「会話になってないんだけど!?」
「そうか? 質問には答えたぞ」
こいつ……!
あたしは思わず額を押さえた。
ダメだ。
こいつと話していると、こっちの頭がおかしくなりそう。
……いや。
待って。
本当に、ここはどこなの?
あたしは改めて周囲を見回した。
岩壁。
水辺。
焚き火。
少し離れた場所に、濡れた服らしきものが置かれている。
そして、自分の脚には何か硬いものが固定されていた。
「……なに、これ」
「添え木。応急処置だ。勝手に外すなよ」
「そ、添え木?」
自分の脚を見下ろす。
変な板のようなものが、布で固定されている。
その下の脚は、まだ痛む。
少し動かしただけで、嫌な感覚が走った。
「……あたし、脚……」
「折れている可能性が高い。詳しいことは分からん。俺は医者じゃないからな」
「…………」
一瞬、何も言えなかった。
折れている。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
え。
嘘でしょ。
いや、痛い。
痛いけど。
こんなことになるなんて、思ってなかった。
これからどうなるの?
そもそも、ここから出られるの?
みんなは?
修吾たちは?
……あたし、どうなるの?
急に、胸の奥が冷たくなった。
それを誤魔化すように、あたしは目の前のオタクを睨んだ。
「……で、なんであんたがここにいるの?」
「落ちてきたからだな」
「…………」
「俺も落ちた。そっちも落ちた。たぶん、そういうことだ」
「説明が雑すぎるんだけど!?」
「じゃあ、詳しく説明できるようになったら説明する」
「今説明してよ!」
「今は説明できるほど詳しくない」
「うっざ……!」
思わず本音が漏れた。
こいつ、本当に腹立つ。
いつもそうだ。
人をからかっても反応が薄いし、こっちが怒ってもどこ吹く風。
そのくせ、たまに妙に的確なことを言う。
……いや。
今はそんなこと、どうでもいい。
あたしは自分の体を確かめようとして、ふと気づいた。
「あれ……?」
「どうした?」
「……あたし、なんでこんな布に包まれてんの?」
自分の体には、大きな布が掛けられていた。
服は着ている。
けど、濡れていたはずの服とは違う気がする。
少なくとも、普段着ている制服の感触じゃない。
「濡れた服のままだと体温が下がるからな。とりあえず、乾かす必要があった」
「……は?」
「詳しい説明が必要か?」
「い、いや……いい」
思わず顔が熱くなった。
いやいやいや。
ちょっと待って。
つまり、こいつがあたしを助けたってこと?
濡れた服をどうにかして、布を用意して、脚まで固定して……。
……え?
何それ。
こいつ、そんなことできたの?
いや、待て。
そもそも、あたしが目を覚ましたときから気になっていたことがある。
「……ねえ」
「今度はなんだ?」
「その火、どうしたの?」
「作った」
「…………は?」
「火を起こした」
「いや、それは見れば分かるけど!」
「じゃあ、質問の意味が分からん」
「そうじゃなくて! どうやって!?」
「道具を作って、火を起こした」
「…………」
……こいつ。
あたしをからかってる?
いや、でも、こいつの顔はいつも通りだ。
本気で言っているように見える。
それが余計に腹立つ。
「……あんた、何なの?」
「水科理人だが」
「名前を聞いてるんじゃない!」
「そうか。難しい質問だな……」
そう言いながら、こいつは焚き火を見つめた。
「生物学的には人間だと思う。少なくとも、今のところは」
「今のところって何!?」
「今後の検査次第だな」
「検査なんかないでしょ!」
「ないなら、なおさら分からんな」
「…………」
あたしは黙った。
こいつと会話するの、疲れる。
本当に疲れる。
なのに、こいつは何も気にしていない様子で、火のそばに置いてあった何かを手に取った。
それは――
「……え?」
パンだった。
普通のパン。
見慣れた形の、焼き色のついたパン。
こいつはそれを軽く確認すると、あたしのほうへ差し出した。
「食べるか?」
「…………」
「腹減ってるだろ」
「……いや、ちょっと待って」
あたしはパンとこいつの顔を交互に見た。
「それ、どこから出てきたの?」
「ここから」
「いや、だから、どこから!?」
「……手元?」
「そういうことじゃない!」
なんで?
さっきまで何も持ってなかったじゃん。
いや、火の近くに置いてあったのかもしれない。
でも、そんなもの、あった?
あたしは周囲を見回した。
パンが置かれていたような場所はない。
袋もない。
食料を入れた箱もない。
そもそも、ここは洞窟だ。
パンを焼くための台所も、材料もない。
「…………」
こいつ、何をしたの?
あたしはパンをじっと見つめた。
……まさか。
いや、でも。
そんなこと、ある?
あたしは召喚されたときのことを思い出した。
あのとき、あたしたちは全員、王様だか何だかに能力を確認されていた。
そのとき、水科の能力は――
「……あ」
思い出した。
確か、収納系の能力だったはず。
名前は……なんだっけ。
ストレージボックス?
そう。
たしか、そんな名前。
アイテムを収納できる能力。
なら、もしかして。
「……あんた、収納に食べ物を入れてたの?」
「まあ、そうだな」
「……は?」
「城を出る前に、いくつか確保しておいた。食料がないと困るだろ」
「…………」
……いや、ちょっと待って。
確保?
いくつか?
「いくつかって、どれくらい?」
「さあ。数えてない」
「…………」
「料理人が作った食事とか、果物とか。騎士たちが持っていた酒も少し」
「酒!?」
「いや、あれは少しじゃなかったな……。あいつら、何をそんなに持ち歩いてたんだ?」
「知らないよ!」
なんでこんなところで、騎士の酒の量にツッコミを入れなきゃいけないの!?
……いや、待って。
ということは。
こいつ、食料を持っている。
しかも、収納できる。
そして、今の話からすると――
「……あんた、もしかして、何でも収納してるの?」
「何でも、というわけじゃない。入るものなら入れるけど」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
あたしは言葉を切った。
こいつは、あたしが思っていたよりずっと準備していたらしい。
召喚された直後から。
いや、そもそも。
あたしたちが召喚されたとき、みんなは能力だの、ステータスだの、勇者だの、そんな話に夢中だった。
修吾なんて、自分の能力を見てからずっと調子に乗っていた。
それに比べて、こいつは……。
「……あんた、最初からこうなると思ってたの?」
「いや、まったく」
「じゃあ、なんでそんなに準備してんの?」
「準備というか、持ち出せるものを持ち出しただけだな。帰れる保証もなかったし」
「…………」
……ああ。
そういうことか。
こいつは、別に未来を予知していたわけじゃない。
ただ、帰れる保証がないなら、食料くらい確保しておこう。
そう考えただけ。
それだけのこと。
なのに、今となっては、それがどれほど大きな差になっているのか。
あたしには分かってしまった。
「……変なやつ」
「よく言われる」
「自覚あるんだ……」
「まあ、自分のことだからな」
こいつは平然と答えた。
……何なの、本当に。
あたしは差し出されたパンを見た。
お腹が鳴りそうだった。
いや、もう鳴っていたかもしれない。
最悪。
こんな状況で、空腹まで自己主張してくるなんて。
「……いらない」
「そうか」
こいつはあっさりパンを引っ込めた。
「じゃあ、俺が食うか」
「ちょ、ちょっと待って!」
「ん?」
「……やっぱり、ちょうだい」
「最初からそう言えばいいのに」
「う、うるさい!」
あたしはパンを受け取った。
……くっ。
なんであたしが、こいつに食べ物をもらう立場になってんの?
いや、でも。
今はそんなこと言ってられない。
あたしは恐る恐るパンを口に運んだ。
普通のパンだった。
少なくとも、見た目も味も。
少し硬いけど、ちゃんと食べられる。
……おいしい。
いや、違う。
別に、おいしいとか思ってないし。
ただ、空腹だったから。
そう。
空腹だったから、おいしく感じるだけ。
「……水も飲むか?」
「……あるの?」
「ある」
「……じゃあ、ちょうだい」
こいつはどこからともなく水の入った容器を取り出した。
……いや。
だから、どこから!?
もういい。
もう聞かない。
聞いても、こいつは「ここから」とか言うに決まってる。
あたしは水を受け取り、少しずつ飲んだ。
喉が潤う。
ようやく、頭が少し回り始めた気がした。
……でも。
安心したら、今度は別のことが気になった。
「……ねえ、水科」
「ん?」
「……あたし、どれくらい寝てたの?」
「正確には分からん。時間を測るものがないからな」
「……そっか」
「たぶん、かなり長い。少なくとも、すぐには起きなかった」
「…………」
あたしはパンを握りしめた。
ここで、どれくらい過ごすことになるんだろう。
一日?
二日?
それとも、もっと?
考えたくなかった。
でも、考えないわけにもいかない。
「……みんなは?」
自然と、そんな言葉が口から出た。
「クラスのみんな。修吾たちは……どうなったの?」
水科はすぐには答えなかった。
焚き火に視線を向け、少し考えるような顔をする。
「それを聞きたいのは俺も同じだ。俺が知っているのは、落ちる前後のことだけだからな」
「……そっか」
「そっちは、何か覚えてるか?」
あたしは口を閉じた。
覚えている。
覚えているけど……。
あのとき、何が起きたのか。
誰が何をしたのか。
どうして、あたしがあんな場所にいたのか。
そして、どうしてこいつと一緒に落ちることになったのか。
……全部、話さなきゃいけない。
たぶん。
でも、まだ頭の中が整理できていない。
「……ちょっと、待って」
「分かった」
水科はそれ以上、何も聞かなかった。
そのことに、少しだけ驚いた。
普段なら、こいつは面倒くさそうに話を流す。
けど、今は違った。
あたしが考える時間を、何も言わずにくれた。
……何それ。
そういうこと、できるんだ。
「……あんた」
「ん?」
「……あたしを助けたの?」
口に出してから、なんだか変な質問だと思った。
だって、ここにいる時点で、そういうことなんだろう。
でも、確認したかった。
水科は少しだけ首を傾げた。
「まあ、結果的には」
「……結果的に?」
「落ちてきたから、つかんだ。あとは、運がよかったんだろ」
「…………」
「ただ、脚は……すまん。あのときは、ああするしかないと思った」
水科は、少しだけ目を伏せた。
「俺がつかんだせいで悪化した可能性もある。そこは、悪かった」
……なんで。
なんで、こいつが謝るの?
あたしは自分の脚を見た。
痛い。
まだ痛い。
でも、もしあのとき、こいつがつかんでいなかったら?
……考えたくない。
「……別に」
あたしは小さく答えた。
「……あんたのせいじゃないでしょ」
「そうか?」
「そうだよ。だって、あたしだって、どうなったか分かんないし……」
そこまで言って、言葉が止まった。
水科は何も言わなかった。
焚き火が、ぱちりと音を立てる。
あたしはその音を聞きながら、パンの残りを口に運んだ。
……助かったんだ。
とりあえず、今は。
それだけで十分だと思うことにした。
でも、まだ分からないことが多すぎる。
ここがどこなのか。
どうすれば出られるのか。
ほかのみんなはどうなったのか。
そして――
「……ねえ、水科」
「なんだ?」
「……あんた、これからどうするつもり?」
水科は焚き火を見つめたまま、あっさり答えた。
「とりあえず、生きる」
「…………」
「そのあと、脱出方法を考える。順番としては、そんなところだな」
「……なんか、すごい単純」
「複雑に考えたところで、腹は膨れないからな」
「……それは、そうだけど」
「あと、できれば怪我人を増やしたくない。俺も含めて」
「…………」
……こいつ。
変なやつだ。
本当に、変なやつ。
でも。
少なくとも今は、こいつがいてよかったのかもしれない。
そんなことを考えてしまった自分に、あたしは少しだけ戸惑った。
だって、あたしはこいつをからかっていた側なのに。
いつも、オタクだの何だの言っていたのに。
それなのに今は、こいつがいなかったらどうなっていたか分からない。
……最悪。
こんなの、認めたくない。
「……何か言ったか?」
「何も言ってない!」
「そうか。ならいい」
水科はまた、火のほうへ視線を戻した。
そして、小さな声で何かをつぶやいた。
「……さて、食料はある。水もある。火もある。怪我人も一人……いや、俺も怪我してるから二人か。問題は出口と、魔物と、時間の感覚と……あと、会話の相手が俺しかいないことだな」
「……聞こえてるんだけど?」
「独り言だからな」
「声に出すな!」
「すまん。考えるときに声が出る癖があるらしい」
「今さら気づいたの!?」
「いや、前から気づいてた。ただ、直す必要性を感じなかった」
「直してよ!」
……ああ、もう。
やっぱり、こいつはこいつだ。
こんな場所に落ちてきても。
怪我をしていても。
状況が何も分からなくても。
妙なことを考えて、妙なことを口にして、平然としている。
その姿を見ていると、不思議と少しだけ落ち着いた。
……いや。
別に、安心したわけじゃない。
ただ、こいつがいつも通りすぎて、こっちまで調子が狂うだけ。
そういうことにしておこう。
あたしは残りのパンを食べ終え、布を少し引き寄せた。
まだ脚は痛い。
ここから出られる保証もない。
明日がどうなるのかも分からない。
それでも。
今は、火がある。
食べ物がある。
そして、目の前には――
「……なあ、早乙女」
「な、なに?」
「そのパン、もう一個いるか?」
「……いる」
「了解」
水科は、またパンを取り出した。
……だから、どこから出してんのよ。
あたしはもう、何も聞かなかった。
今は食べて、休んで、考える。
とりあえず、それでいい。
……でも。
いつか絶対、こいつの収納の中身を全部確認してやる。
食料だけじゃないはずだ。
たぶん。
いや、絶対。
だって、あのオタクだし。
そう考えながら、あたしは二個目のパンにかじりついた。
……ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ、安心した。
それが悔しいから、今は誰にも言わないでおく。




