【完】マロニエ森のべリーメリー・ハッピーエンド
ふあん、とエアナを浮上させる。屋敷北側のマロニエ林へ向かった。
薄暗い中、もさもさとしたマロニエの樹々のてっぺん辺りを徐行しながら進むと、しだいに音が近くなってきた。
「ベイトリ――――シュ」
がさささ、もささ~~!
トラクターの音とはてんで異なる、独特の草刈り音がいよいよ近づいてきたあたりで、わたしは大きく呼びかけた。
「朝ごはんやよー。ベイトリーシュ!」
ぶひっ、と反応があって音がやむ。
マロニエの森が途端に、早朝の静寂に沈みかけた。
「はあーい」
一本の、ごん太い幹をした若木の傍。エアナを着地させる、……その先にぼんやり白さが曙光に明るい、たまご竜がいてこっちを見ていた。
「刈ったぶんの草、すぐにまとめますわ~」
竜は両手に、大型トラクターの草刈り刃を持っていた。……そう、トラクターの刃をたまご竜に付け替えて草刈り、の図。
脇には草の小山ができている。それをいとも簡単に、よーいしょ! と竜は二本の草刈り刃ですくいかける。
「あー、ええよそのまんまで。回収するんはトラクターでも時間かからんし、そのままにしといて」
「そうなんですのー?」
「ようけ刈ったねえ」
わたし達はほのぼのと声を掛け合った。エアナを降りてベイトリーシュのいる木の下へ歩く。たまご竜もふよふよと浮いてこっちに来た。
「すごいな。たった三十分かそこらで、この一画全部刈ってもうたの?」
大型トラクターを使っても、もっと時間はかかったはずだ。改めて竜人の力量に感動してしまう。
「ぶひ、竜だけど馬力だしたのですわ。お役にたってます~?」
「すごい立ってるよ」
わたしを見下ろして、たまご竜のベイトリーシュはにこにこと笑った。
焼け焦げていた身体の表面は、もうすっかりすべっとしていて白い。背中からにょっきりと伸びたつばさにも、ちょっと短めだけど薄い皮膜が生えている。
ミス・キンセラ竜の雷に撃たれ、紫の炎に焼かれてから二か月以上。ほんのちょっとずつ、でも確実にベイトリーシュは回復した。
わたしが見つけられなかったベイトリーシュを、どうしてリオネス騎士達が深い木々の合間に発見できたのかはわからない。
ともかく彼らは大慌てでクランドルハを去る前に、一応の落とし前と言うか、人間としてできる最善のことをベイトリーシュにしてくれたのだ。
ベイトリーシュは消えたのではなく、地上に落ちたのでは?? ようやくそう気づいたわたしが高度を下げてゆくと、深緑色の森林地にもさっと開いた穴があった。その真ん中にぼろぼろになったたまご竜と、リオネス軍用機の≪ケイズリーン≫が一台あるのを見て、わたしは慌てて着地する。倒れた樹々の上に危なっかしくエアナをとめて駆け寄ると、ベイトリーシュはぐったりとしていたが……息はしていた。
「えーと、あのう、侯! 本官は人間相手にしか、施術したことがないのですけれどもッ?」
「いいからとにかく、治療するのだッ」
威厳のマントなし、制服姿の普通のお巡りさんが何人か、たまご竜の周りにしゃがんでいた。一人はベイトリーシュの手首を取り、もう一人はすごい勢いで消毒液のスプレーをたまご竜にぶっかけている。それが角刈り騎士だった。ミス・キンセラの腰ぎんちゃく(……なんて言っちゃ悪いか)、角刈り騎士のカクルス侯は、自分の軍用機に衛生兵を連れていた。看護師、と言うか治療魔法が使えるリオネス騎士なのだろう。彼らは森の樹々の合間に墜落して、ぶしぶし煙を上げていたベイトリーシュを見つけ、すかさず応急処置をしてくれていたのである。
ひげだらけの子熊みたいなナース騎士が、三回くらいターンオーバー活性化の治療魔法を繰り返して、ベイトリーシュの表面皮膚がようやく極度の日焼けくらいに再生した時。
たまご竜はうーん、とうなって薄目を開け、頭を抱いていたわたしを見た。そうして気が抜けたように人間の姿に戻ったから、わたしは大急ぎでエアナ収納に入れておいたこぶた柄のパジャマを着せたのである。ベイトリーシュが自分の意思で竜人に変身できるとわかって以来、用心のために積んでおいて本当に良かった。
その時わたしもカクルス侯も、ベイトリーシュの背中を見ている。酷い日焼けの皮むけに、あせもとかき壊し、かさぶたの混じったような痛々しい肌だったけど。……黒い翼は、もうどこにもなかった。
角刈り騎士のおじさんはわたしを見て、――何も言わずにいかつい肩をすくめただけだった。安堵していたようにも思える。竜と呪いについて彼はこれからも、何をも言わないはずだ。
「は~、よかったであります! 後はこれをね、適宜つけてあげて! なくなったら、処方箋なしでも薬局で買えるやつですから!」
ナース騎士はでっかいバックパックから太いグリセリンクリームのチューブを取り出して、わたしの手に押しつけた。そのままカクルス侯に続いて軍用飛翔機≪ケイズリーン≫に乗り込むと、さーっと上昇して行ってしまったのである。
見上げた空に、あのリオネス空母の姿はなかった。ぐおーん、と低い音だけが聞こえたから、不可視の術を再度かけて全速力で帰国したのだろうな、と思う。
わたしはふらついて口もきけないベイトリーシュを支え、どうにかエアナの後部座席に座らせて、くるんだ毛布の上からシートベルトを締めてゆるゆる徐行でグレンの町へ飛んだ。
途中、レーダーの中に大きな飛翔機反応をちらちら見た。クランドルハ空軍艦は領空侵犯の他国機を……追いかけたのか、どうか。その辺の顛末はわからずじまいだったけど、わたし達は無事にマロニエの森にたどり着いた。
わたしに祖父の呪文を使わせるため。同時に、竜に竜自身の心臓を焼かせることで、呪いそのものを破壊できないかと試みたベイトリーシュは、まっこうから竜の炎を浴びた。
それなのに、生きのびられたのは何故なのか。
「炎の中にいた、その瞬間にね。身体の周りでぽんぽん、冷たいものが弾けていましたの。それが緩衝になっていた気がするんです」
しばらく寝込んでいるうちに、ぽそぽそとベイトリーシュは話していた。
「……たぶん、やけど。リオネス空母が放ったっちゅう、その~……冷却追尾弾? 角刈り騎士が、ぶっ放してくれたんと違うか」
ベイトリーシュの枕元にちんまり座った、伯母の推理は正しいと思う。ただリオネス騎士達はベイトリーシュの命を守るというよりも、あくまでミス・キンセラが他国で損害を出すのを防ぎたかっただけのようにも思えるが。後で調べて知ったが、冷却弾だって武器だ。大きな牛を、一瞬で冷凍粉砕できる威力を持っている。
「ま~、それでベイたん助かったんやし。リオネス騎士も、まんざら捨てたもんとちがう、思うとこー? 結果オーライやで」
だよね。
結果としてベイトリーシュの背から、まっ黒い呪いの翼は消えてなくなった。眠りから覚めたお姫様は、自力で呪いを解き――やっぱり自分自身で、落とし前をつけたのである。
マロニエ農家手伝いの、普通の女の子として生きていく日々をベイトリーシュはその手でつかみ取った。まだ学科ばっかりだけど、免許講習だって受け始めている。そう、普通の人間として……。って、竜人になれる部分は、あんまり普通じゃないか。
わたしは手をのばして、たまご竜の白いつばさの先っちょに触れる。
「なんです? ごみでもついて、ばっちいかしら」
「ちゃうよ。きれいやな、思うて」
呪いをなくしたのに、どうしてまだたまご竜に変身できるのかは、ベイトリーシュにもわたしにも伯母にもわからない。
わからないままに、推測だけしている。これは竜の呪いの名残り……ではなくって、≪呪いを通過したことの証拠≫みたいなものなのでは、と。
あったことは、あったこと。ベイトリーシュが生きてきた過去は変えようがない。祖父の魔法だって、呪いをなかったことにリセットする、まではできないのだ。
けれど変えようのない過去に、ベイトリーシュは向き合って挑み続けた。祖国を、多くの人々の尊い日常を、破壊したその過去から逃げなかった。
代わりに今守れるものを、精いっぱい守ろうとした。そういうベイトリーシュに同化し、感化された呪いのごく一部が、ベイトリーシュの一部になって残ったんじゃなかろうか。
だからたまご竜は真っ白で、……そう。お姫様の善さそのまんまに、こんなに潔く白いのだ。
「ぶひ」
たまご竜は青い目を細めて、嬉しそうに笑う。
それでいい、これがいい。ずうっとそうやって、笑っていて欲しい。
「ほな、行こか。からす麦のお粥さん、めちゃ美味しいのおばちゃんが作ったんよ」
「ぶひ。オートなミールのお粥さんですのね」
歩き出したわたし達の頭上には、マロニエがわんさか実をつけている。あと一週間もしたら収穫期だ。緑がかった殻がぱっくり割れて、つやつやした明るい褐色の実がどんどん落ち始める。それに備えて、下草をできるだけきれいにしておかないと……。
ぱっこーーーーん!!!
「ふぎゃああああッッ」
振り返ると、たまご竜がいかつい前脚で頭を抱えていた。
「いったぁぁぁぁい」
きれいに刈られた下草の上に、大きな殻に入ったまんまのマロニエ実が転がっている。高ーいところにあった実がひとつ、フライング落下したらしい。
「……わかる~……」
だからわたしはこの時期、ヘルメット装備。ベイトリーシュ用のも納屋に置いてあるけれど、竜サイズのはなかなか売っていない。どうしたもんだろう……。
がくーん、とうなだれている長い首の先の頭を、わたしは両腕に抱きこんだ。マロニエ打撃箇所、広いおでこの真ん中あたりに唇をくっつけた、ちゅう。
「ぶひ」
ゆでたまごの手触りの竜が、それで照れ笑いのくぐもった声を上げる。
濃い緑のマロニエ森を下に、白いたまご竜がふわりと舞いあがり……わたしも続いて浮上する。エアナ機体が、朝日を反射させてオレンジ色にきらきらと輝いた。
白い温もりの息と同時に、ベイトリーシュがわたしに何かを言った気がする。
「なーにー? 何て、言うたん?」
「あのですねえ」
生まれて間もない青空の中で、竜のつばさの眠り姫はのびのび白い身体を伸ばし、自由自在に羽ばたいていた。
「今ね。ばっちりがっちり、目がさめた~~!! って、言ったのですわ」
【完】




