甘味と緊張の乙女日和
2月14日。バレンタインデー。ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世の命令により「妻子を故郷に残し戦場へ出ると士気が下がる」という理由で婚姻を禁止されていた兵士たちを憐れんで、皇帝には内緒で兵士たちの為に隠れて結婚式を挙げてあげていたという聖ウァレンティヌスが、その噂を聞いた皇帝に注意を受けながらそれを無視して兵士たちの婚姻を応援していたことから、最終的に処刑された日。
その日が全ての神々の女王であり、家庭と結婚の神である「ユーノー」の祝日であった為、翌日の「ルペカリア祭」に捧げる生贄となったという。
そんな出来事から、キリスト教では「恋人たちの日」となったわけだが、現代の日本では「女性が、好きな人やいつもお世話になっている人へチョコレートをプレゼントする日」というのが一般的となっている。
中には「逆チョコ」といって、男性から女性へ送るというバレンタインデーの在り方もあるが、それは置いておくことにしよう。
さて、そんな2月14日を迎えた瑠璃ヶ丘高等学校の1年3組もそわそわした空気が漂っていた。
入学式からバレンタインデーを迎える日まで女子と接点があった人なら貰える可能性があるが、普段から接点のない人が貰えることはほとんど無いと言えよう。
用意する女子からすれば、手作りにせよ、買ったものにせよ、手間やお金がかかるイベントだ。普段から別に話しているわけでもない人へチョコレートをプレゼント出来るだけの余裕なんか無い。
案外「男性陣が勝手にそわそわしているだけの日」という見方も現代ではあるかもしれない。
とはいえ、貰える人は貰えるわけで、夏休み明けに転校してきた彼……黒山透夜もチョコレートを貰える人の1人だった。
もちろん、彼はバレンタインデーを意識しているわけではない。だが、今日、周りからの視線を気にする1日となった。
そうなった原因は、朝。詩織と真悠が登校してしてきてからだ。
真悠は男子に人気な可愛い女の子である。チャームポイントである毛先が少し丸かった、軽く茶色の混ざった髪(自毛)! スマイルは天使級! そして何よりも、誰にでも優しくできるという女神のような心の広さ!!
不登校でもない限り、真悠と話したことない男子生徒はいないだろう。
だから彼らは期待していたのだ。「もしかしたら、栗川さんから貰えるかもしれない」と……。
結論から記そう。彼らの期待は裏切られた。
真悠は自分の席で鞄を下ろす前に、詩織と一緒に黒山の席へと向かって、肩にかけた鞄の中から丁寧にラッピングまでされたチョコレートを黒山へと渡した。
「はい、黒山君! ハッピーバレンタイン!!」
「ありがとう、栗川。必ずホワイトデーにはお返しをする」
「ほんとー!? 楽しみにしてる!!」
真悠は元気いっぱいにVサインもプレゼントした。
黒山はそんな真悠の行動が面白く感じたのか、ほんの少しの間だけ、いつも険しい表情が優しくなった。
「ほら、次はしーちゃんの番だよ!」
「わ、わかってるわよ……。はいこれ!」
楽しそうに渡した真悠とはかなり違ったテンションで詩織は黒山にチョコレートを渡した。
詩織にとって、幼馴染である真悠や、父と弟。それから兄も同然な雪消以外の男子にチョコレートを渡した経験は初めてだった。
それが原因なのか、詩織は自分の顔が熱くなっているのを自覚していて、恥ずかしくて黒山の顔を見れなかった。
代わりに「本音」ではない言葉を黒山へ向けてしまう。
「べ、別に本命とかじゃないんだから、勘違いしないでよ!? あと、食べたら感想を教えてよね! ……一生懸命作ったんだから」
「一生懸命作ったんだから」という部分が小声になってしまったが故、黒山の耳に届くことはなかったが、黒山は至って「普通に」返事をした。
「ああ。梶谷にもお返しをするし、感想もちゃんと伝えると約束する」
(な、なんでチョコ貰ってこいつはいつも通り冷静でいられるのよーっ!?)
詩織の心の中は、渡すことの恥ずかしさから、渡されながら冷静でいられる黒山への怒りに変わりつつあったが、勢いよく椅子に座るだけで他には何も起きなかった。
そんな詩織の様子を見て、真悠はにやけた。
「先に戻ろーっと! 黒山くん、私にも感想頂戴ねーっ!」
「ああ、わかった」
真悠が自分の席へ行き、隣の席に座っている詩織は顔を机に突っ伏している。
机はひんやりとしているので、熱くなった顔を冷ますには丁度いいのだろう。
2人の女子の意識が自分から離れたことで黒山は気付いた。
周りの男子から向けられる視線が、明らかな敵意であることに。
バレンタインデーという日の存在よりも、彼らの視線の方が圧倒的に鬱陶しく感じた黒山は、その敵意を『拒絶』しようとした。
実際、右手を最も近い敵意に向けかけたところで、黒山から『拒絶』が放たれそうな気配を感じた詩織の咎める視線を感じて中断した。
取り締まる立場である自分がこういった場面で能力を使っていいわけがない。
黒山はそう自分に言い聞かせて、その視線を我慢することにした。
(やれやれ……)
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放課後。
黒山はこの学校の中でも上位を争えるほどの顔立ちだが、女子に人気だというわけではない。
そもそも彼は転校してきてから今の今まで総合的に痛々しい。
クラスの男子からすれば「よりにもよってなんでアイツ!?」というのが本音で、黒山にわざと聞こえるように声を出す男子も実際にいた。
そんな声にも黒山は気にせず1日を過ごしたわけだが、校内で黒山へ送られたチョコレートは2つだった。
定例報告会も今日は予定されていないので、そのまま帰宅しようとして、下駄箱で外履きに履き替えて校門を出たところで目立つ女子が1人立っていた。
目立つ……と言っても、奇抜な格好をしているわけではない。その女子が紅ヶ原女子高等学校の制服を着た女子高生だったからだ。
そして黒山はその人物に心当たりがあった。
「こんなところで何をやっているんだ、奈月?」
「あっ、透夜! 透夜を待ってたんだよ!!」
「俺を?」
「うん! だって今日、バレンタインでしょっ?」
「それはそうだが……剣道部はいいのか?」
「もう! そういう無粋なことを聞いてくるのは、ボク良くないと思うなっ!」
「……悪かった」
「へへ……よく出来ました!」
奈月は黒山にチョコレートを渡そうと、鞄の中からチョコレートの入った箱を取り出した。
その箱は、詩織や真悠と違ってラッピングがされていない。ただしそれは、奈月が不器用でラッピング出来なかったわけではない。とある「企み」があったからだ。
てっきり黒山はそのまま渡されるものだと思ったが、何故か自分でその箱を開けた奈月に首を傾げた。
「これはねー……こうするんだよ?」
奈月は箱の中から玉状のチョコレートを取り出して、唇だけでそれを加える。
そして「このまま食べて?」と言わんばかりに、背伸びして黒山の顔に近付いた。
帰宅する生徒も決して少なくない学校の校門前で、だ。
「…………」
黒山も伊達に16回、2月14日を過ごしてしたわけではない。
普段、恋愛等に疎い(あるいは無意識に拒絶している)黒山でも、奈月が「口移し」をしようとしていることがわかった。
結局、彼が取った手段は、そのまま食べる……ではなく、唇に加えられた玉状のチョコレートを右手の親指と人差し指で摘んで取り、そのまま自分の口へ運んだというものだ。
奈月は自分の思い通りにいかなかったことに驚いた顔をしていた……が。
「…………」
「…………」
「……関節キス……だね」
「…………」
口移し失敗を間接キス最高に変えてしまう辺り、黒山はそんなプラス思考を心底尊敬した。
最終的に、このまま口移しをリトライされても困るので去ろうとしたところ、急ぎ先回りされて今度は普通にチョコレートを渡してくれたので、そのまま受け取って、お礼とホワイトデーの話をしてから、その場で奈月と別れた。
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奈月と別れてから家に着くまでは何も起きなかった。
(沙希は現れなかったな……)
……と心の中で呟きながら、良かったのか残念なのか微妙な気持ちで家の中へ入っていった。
「…………」
玄関にあまり見覚えのない靴がある。
同居している保護責任者である沙苗はまだ仕事中のはずなので家にはいない。
では一体誰なのか? ……というか、どうやって入ってきたのか?
その答えはリビングですぐにわかった。
「ぬぐわっ!?」
「あら? おかえりなさい、透夜」
そこにいたのは沙希だった。
しかし、黒山はとても彼らしくない声が出てしまうほど、そこにいた沙希の格好に驚いた。
エプロンをしている……だが、その下には何も……。
「な、なんで沙希がここに……!?」
「なんで……って、決まっているじゃない。今日はバレンタインデーでしょう? 好きな人にチョコレートを渡すために、よ」
「……というか、どうやって入ってきたんだ!? あと、なぜエプロンの下に何も……」
「家事をする条件で沙苗姉さんから特別に許可をいただいたの。……エプロンの下がなんですって?」
「くっ……。何故、服を着ていないかって聞いているんだ」
「そこに目がいくだなんて、透夜もなんだかんだ言って男の子なのね。……どう、喜んでもらえているかしら?」
「…………」
「さて、そんなところに突っ立っていないで、手を洗ってうがいしてそこに座りなさい」
沙希が指差したのは、テレビの前に置かれたソファだった。
黒山は素直に手を洗い、うがいをしてからそのソファに腰をかけた。
黒山がソファに腰掛けたのを確認した沙希は、手作りチョコレートケーキを乗せたお皿とフォークを持って座った黒山の前に立った。
「はい、透夜」
「………?」
「あーん」
「…………んんっ!?」
黒山は諦めて言われるがままに口を開ける。
そして口の中に入っていくはずのチョコレートケーキを待っていると、気付いてしまう。
「あーん」をする為に前屈む沙希の胸元がアブナくなっていることに。
気付いた時には遅し。口の中いっぱいに広がるチョコレートケーキを味わいながら、抗議をした。
「んんんんんっ! (むなもとがっ!)」
「何を言っているのかわからないわ。それに、お行儀が悪いから、お話しするなら食べてからにしなさい」
黒山は急いで飲み込んで、抗議の続きを始めた。
「沙希! 食べさせてくれるのは嬉しいが、目のやり場に困る! 頼むから服を着てくれ」
「そのまま服着たら崩れるのだけれど?」
「何が?」
「胸の形よ」
それはつまり、下着まで外しているということだ。
黒山には、ブラの機能的な重要性がわからないので、沙希の説明で理解は出来なかったが、よくよく考えれば……という具合で下着をつけていないことに気付いた。
「……頼むから、すべて付けてくれ」
「これを全てあーんした後でならいいわ」
「…………」
結局、不本意ではあるが目を瞑りながら「あーん」してもらった。
彼にとって「何も見ていない」というのは、視覚的な油断だと思っているが、この場を乗り切る為なら仕方ないし、耳だけでもすましていようと考えた。
それからおおよそ20分くらいかけて食べ切れたので、下着をつけてもらい、ちゃんと制服を着たところでようやく沙希の顔を見れた。
「どうだったかしら?」
「美味しかった。ホワイトデーにはちゃんとお返しを……」
「うん、お菓子の方ももちほん。今度は透夜が裸エプロンを……」
「誰得だ、やらない」
「…………」
その後、沙希は約束通り家事をこなし、沙苗が帰ってきたので3人で夕飯を食べた。
流石に泊まるというわけにはいかないので、黒山は沙希を家まで送って行った。
「チョコレートケーキ、ありがとう」
「どういたしまして。それではまたね、透夜」
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今年のバレンタインはいつもより苦戦を強いられてしまった黒山だった。
もちろん、貰えただけでも嬉しいし、今年はとある人の実験台にならなかったことだけでも良かったと思いつつ、翌日を迎えた。
教室へ入ると、男子たちからの視線は昨日に比べたらまだ軽くなっていた。
黒山はそのまま2人にチョコレートの感想を述べて、今年のバレンタインデーをしめくくったのだった。
いかがでしたでしょうか? とにかく夢をつぎ込みました。
楽しんでいただけなら良かったと思います。




