新章・時計仕掛けの羅針盤。60話。深海の総力戦、そして、開かれるときの扉。
第60話:深海の総力戦、そして開かれる時の扉
「グルゥゥゥゥォォォォォン……!!」
深海の底に響き渡る魔導クラーケンの咆哮は、周囲の水圧すらも震わせるほどに禍々しかった。
その巨大な触手の一本に、お母さんが遺した『碧き鍵』が強く巻き付けられている。
碧色と茜色の光を放つその鍵は、まるで私に助けを求めるかのように、深海の中で悲しく点滅していた。
「あの子(鍵)が泣いてる……。アサヒお姉様、僕が今すぐ取り戻してあげる!」
ソルの小さな身体から、爆発的な黄金の光が解き放たれた。
水中にありながら、ソルの放つ『朝日の魔力』は消えることなく、むしろ周囲の海水を眩しく灼きながら、魔導クラーケンへとまっすぐに突き進んでいく。
「――光刃・日輪斬!」
ソルが両手を大きく振るうと、水の抵抗を切り裂いて、巨大な光の刃が魔導クラーケンの触手へと襲いかかった。
しかし、魔導クラーケンの頭部に突き刺さった白銀の時計の針が、ギチリと不気味な音を立てて逆回転を始める。
カチ。
「え……!? 攻撃が、届く前に消えた……?」
ソルが驚愕の声を上げる。
攻撃が当たる寸前、クラーケンはその周囲の「時間」だけをわずかに巻き戻し、ソルの光の刃を放たれる前の状態へと無効化してしまったのだ。
神々の残滓が持つ、恐るべき時間の操作能力だった。
「なるほど、時間の逆行による絶対回避か。……だが、俺の創り出す『新しい一秒』の中では、神の法則すらも静止する」
アレン様が白銀の魔導衣の裾を美しくなびかせ、一歩前へと進み出た。
その黄金色の双眸は、深海の暗闇の中でも絶対的な覇気を放っている。
手にした魔導杖を、海底の砂地へと力強く叩きつけた。
「アサヒ、俺の隣を離れるなよ。――禁忌魔導・停滞の檻!」
アレン様の全魔力が解き放たれた瞬間、クラーケンの周囲の海水の動きが、ピタリと完全に停止した。
クラーケンが時間の逆行を使おうとする、その一瞬の隙間。
アレン様は自身の圧倒的な魔力で、その空間の時間そのものを「完全に静止」させたのだ。
「グ、ギギギ……ッ!?」動きを封じられ、クラーケンの時計の針が苦しげに火花を散らす。
限界以上の魔力消費に、アレン様の額に汗がにじむ。
それでも、彼は私の盾であり続けるために、端正な顔に不敵な笑みを浮かべたままだ。
「今だ、ソル、夕日! 奴の動きを止めていられるのは三秒が限界だ。……その醜悪な触手を、すべて叩き切れ!」
「アレン様、ナイスサポート! ――沈め、逢魔の闇鎖!」
夕日ちゃんがツインテールを激しく揺らし、両手から濃密な紫色の闇の鎖を無数に解き放った。
アレン様が静止させた時間の中で、夕日ちゃんの闇の鎖がクラーケンの巨体をがんじがらめに縛り上げる。
すべてを眠りと終焉に誘う『夕日の国』の概念がクラーケンに注ぎ込まれ、その巨大な魔力の障壁をボロボロに腐食させていく。
「ラストは僕が決める! ――暁光の聖剣!!」
ソルが再び天へと飛び上がり、その全身をひとつの巨大な太陽のような光の塊へと変えた。
夕日ちゃんの闇によって防御を失い、アレン様の魔法によって時間を止められたクラーケンに向けて、ソルの最大出力の朝日の光線が、深海の裂け目を真っ白に染め上げながら直撃した。
ドゴォォォォォン――――!!!
深海の底で、光と闇のエネルギーが大爆発を起こした。
アレン様がすかさず私の魔法の泡をその大きな身体で抱きしめるようにして、爆発の衝撃波から私を完璧に守ってくれる。
その大人の包容力に満ちた腕の温もりに、私の胸は激しく高鳴った。
「グ、アァァァァァッ……!!」
クラーケンは悲鳴を上げながら、光の塵となって完全に消滅していく。
その頭部に刺さっていた神々の時計の針も、パリンと音を立てて砕け散った。
そして、クラーケンの触手から解き放たれた『碧き鍵』が、ゆっくりと海底に向けて落ちていく。
「あ……! 鍵が……!」
私が手を伸ばそうとしたその時、私の胸のポケットにある『白紙の預言書』が、まばゆい虹色の光を放って勝手に開いた。
落ちていく碧き鍵が、その虹色の光に吸い寄せられるようにして、まっすぐに私の手の中へと飛び込んできたのだ。
手のひらに収まった鍵は、驚くほど温かくて、お日様の匂いがした。
「お母さん……」
『よくやったわね、アサヒ。今のあなたなら、その扉を開けられるわ』
預言書のページから、お母さんの優しい幻聴が聴こえた気がした。
私は涙を拭い、しっかりと鍵を握りしめて、目の前にある巨大な『時の神殿』の門へと歩み寄った。
「アサヒ様、すごい……! 本当に鍵を取り戻しちゃうなんて!」
カイくんが水色の髪を揺らし、トビウオの羽を嬉しそうにパタパタさせながら私の周りを泳ぐ。
「さあ、アサヒ。お母様が君に託した、時間の本当の源流を、君の手で開くんだ」
アレン様が私の肩にそっと手を置き、優しく微笑みかけてくれた。
左隣にはソルが、右隣には夕日ちゃんが、それぞれ頼もしい笑顔で私を見つめている。
地球での因果を超えて、この異世界で結ばれた、私の一番大切な仲間たち。
「――開け、時の扉。私たちの、新しい未来のために!」
私は意を決して、時計の文字盤を模した巨大な門の中央に、碧き鍵を差し込んだ。
カチ。
完璧に歯車が噛み合う音が、深海に響き渡る。
次の瞬間、重厚な石の門が、ゆっくりと内側へと開いていった。
門の向こう側から溢れ出してきたのは、暗い海の底とは思えないほどに温かで、眩しい【茜色と黄金色の光の回廊】だった。
海の水はそこには入らず、まるで新しい世界への道が拓かれたかのようだった。
「これは……すごい……」
ソルが感嘆の声を漏らす。
「お母様の遺した、時間の本当の忘物。……この先に、何が待っているのか、みんなで見届けよう」
アレン様が私の手を優しく取り、光の回廊へと一歩を踏み出す。
ソルも夕日ちゃんも、そしてカイくんも、笑顔で私の後に続いた。
お母さん、私はもう逃げない。
過去の後悔を超えて、大好きなみんなと一緒に、あなたの遺してくれたこの光の先へ進みます。
誰にも予測できない、私たちの『第二部』の本当の物語が、この時の神殿の中から、今きらびやかに始まっていく――!
(第60話 完)




