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新章・時計仕掛けの羅針盤。第55話。新章。時計仕掛けの羅針盤と、未知なる碧き海。

第55話:新章・時計仕掛けの羅針盤と、未知なる碧き海


カチ、コチ、カチ、コチ。


あの激しい『時間の神々』との決戦から、数ヶ月の時が流れた。


アルカディア公爵邸に流れる時間は、今も穏やかで、優しさに満ちている。


「アサヒ様。今日のおやつは、私が朝から焼き上げた特製のベリータルトですよ」


食堂に心地よく響く声。


夕日ちゃんが、お皿の上にきれいに並べられた真っ赤なタルトを私の前に置いてくれた。


かつて『夕日の国』の壮絶な理をその身に宿して神々と戦った彼女は、今ではすっかり、私の大好きな可愛い幼馴染のメイドさんに戻っている。



「ありがとう、夕日ちゃん。とっても美味しそう!」


「ふん、夕日のタルトなんてまだまだだね。僕が淹れたこの特製の『アサヒ専用ハーブティー』と一緒に飲まないと、タルトの美味しさは半分も引き出せないよ」


黄金の髪を揺らしながら、ソルが自信満々に私のカップに琥珀色の温かいお茶を注いでくれた。


少年のあどけなさを残しながらも、最近のソルは少しだけ背が伸びて、時折ハッとするような男の子らしい表情を見せるようになっている。


「もう、ソルは一言余計なんだから!」


夕日ちゃんが頬を膨らませてソルを睨む。


そんな二人の賑やかなやり取りを見つめながら、私はタルトを一口含んだ。


甘酸っぱい果実の味が口いっぱいに広がり、胸の奥がぽかぽかと温かくなる。


お母さんユウコが命をかけて遺してくれた、この世界。


そして、私(旭)を追って転生してきてくれた「朝日くん」と「夕陽ちゃん」。


私たちは今、誰も見たことのない最高の『今』を生きている。


「二人とも、アサヒの優雅なティータイムを邪魔してはいけないよ」


食堂の扉が開き、聞き慣れた落ち着いた声が響いた。


白銀の魔導衣の裾を上品になびかせながら入ってきたのは、アレン様だ。


黄金色の双眸を優しく細め、私のすぐ隣の席へと腰を下ろす。


「おはよう、アサヒ。今日も君の髪は太陽の光を浴びて、世界のどの宝石よりも美しく輝いているね」


「ア、アレン様……朝からからかわないでください」


ポッと頬が熱くなる。


神々との戦いを経てから、アレン様の大人の包容力と、私への情熱的なアプローチはさらに増している気がする。


隙あらばこうして甘い言葉を囁いてくるのだ。


「ちょっとアレン! またお姉様に変なセリフを吐いて!」


「そうだよアレン様、アサヒ様が困ってるじゃない!」


ソルと夕日ちゃんが左右からブーブーと文句を言う。


アレン様はそれを大人の余裕で受け流しながら、クスクスと楽しそうに笑っていた。


これ以上ないほどに満たされた、優雅な日常。


私の胸元には、あの日、お母さんが最後に優しい文字を残してくれた『白紙の預言書』が、お守りのように大切にしまわれている。


神々との因果はすべて解き明かされ、伏線は回収された。はずだった。


――カチ。


その瞬間、私の胸の奥で、冷たい歯車が弾けるような奇妙な音が響いた。


「え……?」


私は思わず胸元に手を当てた。


心臓がドクンと大きく波打つ。


気のせいではない。


私のドレスのポケットに隠されている『預言書』が、まるで生き物のようにトクトクと脈打つような振動を始めたのだ。


「アサヒ? どうしたんだい」


アレン様がいち早く私の異変に気づき、その黄金の瞳を鋭く光らせた。


ソルと夕日ちゃんも、お互いへの文句をピタリと止め、心配そうに私を見つめる。


「預言書が……お母さんの本が、なんだか熱くて……」


私は震える手で、ポケットからその本を取り出し、テーブルの上に置いた。


表紙を開くと、驚くべき光景が目の前に広がった。


お母さんが最後に遺した


『いってらっしゃい、私のアサヒ。』


という文字のすぐ下のページ。


そこから、見たこともない【碧(あお)い光】の粒子が、さらさらと噴き出してきたのだ。


「これは……!? 魔力じゃない……いや、時空の歪みとも違う。これは――『海の記憶』?」


アレン様が立ち上がり、手にした杖を構えて預言書を見つめる。


碧い光の粒子は、やがて空中で一つの形を結び始めた。


それは、古びた航海士が使うような、精緻な【羅針盤(コンパス)】の形をしていた。


針は激しく回転したあと、このアルカディア公爵領よりも遥か南――交わることのない二つの国を超えた先にある、未知の『境界の海』の方角を指してピタリと止まった。


そして、白紙だった預言書のページに、見たことのない新しい茜色の文字が、ゆっくりと浮かび上がってきた。


『朝日は昇り、夕日は沈む。けれど、交わることのない二つの光がハイタッチをしたその場所には、まだ誰も知らない、時間の“忘れ物”が眠っている――』


「お母さんの、新しいメッセージ……?」


私は息を呑んだ。


すべては終わったと思っていた。


けれど違ったのだ。


お母さんが遺してくれた時計仕掛けの神話には、私たちが未来へ進むための、さらに壮大な『第二章』が隠されていた。


「時間の忘れ物、か。おばさんは、まだ僕たちに何かを伝えようとしているのかな」


ソルが羅針盤の光を見つめながら、その瞳に『朝日の精霊』としての強い光を灯した。


「アサヒお姉様。お姉様が行くなら、僕の光はどこへだって一緒に行くよ。新しい海の果てまで、お姉様の道を照らしてみせる」


夕日ちゃんも、私の腕をきゅっと抱きしめて微笑む。


「私もだよ、アサヒ様。どんな未知の世界が待っていても、私の夕日の闇が、アサヒ様を絶対に守り抜くから」


二人の頼もしい言葉に、私は深く頷いた。


もう、かつてのように運命に怯えて泣いていた無力な私ではない。


「アサヒ」


アレン様が、そっと私の前に跪き、私の手をその大きくて温かい手で包み込んだ。


彼の黄金色の双眸には、私への底知れない愛と、新たな冒険へ向かう不敵な挑戦の光が宿っていた。


「公爵令嬢が領地を飛び出して海へ向かうなど、普通なら大スキャンダルだ。……だが、君がその羅針盤の先へ進みたいと言うなら、俺の全魔力と人生をかけて、その旅路に付き合おう。君の『今』を紡ぐのは、いつだって俺たちの役目だからね」


アレン様の大人の包容力に満ちた言葉が、私の背中を力強く押してくれる。


「アレン様、ソル、夕日ちゃん……ありがとう。行きましょう、新しい冒険へ!」


私は手にした碧き羅針盤をしっかりと握りしめ、南の空を見つめた。


お母さんが遺してくれた、新しい時計仕掛けの謎。


アサヒと、彼女を愛する三人の、世界の境界線を越える新たな大長編ファンタジーが、今ここに幕を開ける――!


(第55話 完)

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