第6章。神話の古代領域と、紡がれる因果。第48話。聖女の隠れ家と、二つの名前の秘密。
『ルミナス令嬢の失われた記憶 〜二つの世界を繋ぐ時計仕掛けの神話〜』
第6章。神話の古代領域と、紡がれる因果
第48話。聖女の隠れ家と、二つの名前の秘密
キィィィィィン……
と遠くで鳴り響いていたクリスタルの残響が、ゆっくりと朝焼けの温かい風の中に溶けて消えていく。
守護精霊たちを退けた私たちの前には、どこまでも透き通った青白いクリスタルの通路が、大迷宮の奥深くへと真っ直ぐに伸びていた。
床を踏みしめるたびに、私の裸足の足の裏から
「カラン、カラン……」
と涼やかな氷の鈴のような音が響き、波紋となって光の床を伝わっていく。
「アサヒ、本当によかった……。君が僕を信じてあのオレンジ色の光をくれたとき、胸の奥の冷たい歯車が、一気に熱くなって、どんな神様にだって負けない気がしたんだ」
私の右隣を歩くソルが、魔導剣を消した右手をそっと伸ばし、私の右手のひらをその細い指先でギュッと包み込むようにして握り直してくれた。
ソルの手のひらは、いつだって私の知っている、世界で一番愛おしい【魂の温度】を宿している。
朝、目覚めたときは神々のプログラムによって私の顔を忘れていても、今の彼の黄金色の瞳には、私を絶対に手放したくないという野生的なまでの熱い独占欲が灯っていた。
「やれやれ。ソル、そんなに僕を警戒しなくても、僕はアサヒ様を無理やり奪ったりはしないよ。……今はね」
私の左隣を歩くアレン様が、白銀の魔導衣の裾を優しく揺らしながら、大人の余裕を崩さずにくすくすと低く笑う。
だが、彼の黄金色の瞳は、ソルが強く繋いだ私たちの手元を、一瞬だけ寂しげに、そして深い切なさを滲ませるようにしてじっと凝視していた。
アレン様は、私が一人で抱える前世の母親としての孤独に、いつも目線だけで一番深く、静かに寄り添ってくれる。
その大人の寂しげな微笑みに、私の胸はキュンと小さく高鳴った。
そんな、甘酸っぱくてじれったい空気のなか、私たちは通路の最奥にある、小さな古びた木製の扉の前へと辿り着いた。
周囲のまばゆいクリスタルガラスの壁とは全く違う、そこだけが地球の私の部屋にある家具のように、温かい木目の浮き出た古いドア。
「ここよ……。ここがお母様たちのいた場所……」
ソルの胸に抱えられた精霊クレピュスクが、茜色の瞳を優しく細めて扉を見つめた。
私は緊張で小さく生唾を飲み込みながら、ゆっくりと手を伸ばし、古い真鍮のドアノブを回して、扉を内側へと押し開いた。
ギギィ……
と長い年月を感じさせる重い音が響き、扉の隙間から、どこか懐かしい『オショウユとダシの温かい匂い』を含んだ、古びた紙と埃の匂いがふわりと鼻腔をかすめた。
光が収まり、私の視界に飛び込んできたのは、神々の豪華な神殿ではなかった。
そこは、こぢんまりとした、でも信じられないほどに温かい、木製の家具で満たされた小さな部屋だった。
壁の古い棚には、何百冊もの手書きの魔導書が並び、部屋の中央にある古い丸テーブルの上には、三つの使い込まれた真鍮のマグカップが、まるでついさっきまで誰かがお茶を飲んでいたかのように、ぽつんと並んで置かれていた。
窓の外から差し込む、生まれたての朝焼けのオレンジ色の光が、机の上に積もった白い埃をキラキラとダイヤモンドのように美しく照らし出している。
「これ……お母様たちの、生活の跡……?」
私が感動に声を震わせながら一歩足を踏み入れた、その刹那だった。
手にした『白紙の預言書』が、私の「いま」の魔力に反応して、カチ、カチ、カチ……と、胸のポケットの懐中時計と呼応するように激しく脈打ち始めた。
ページの中からジュワァ……と滲み出すようにして、濃厚な夕暮れの茜色の魔力が、水彩画のように紙の表面に染み出していったのだ。
そして、その茜色の文字が形を成した瞬間、私の頭の中に、お母様ユウコの切なくて優しい『過去の残像の映像』が、アニメのスクリーンが広がるようにありありと映し出された。
それは、この部屋の丸テーブルを囲んで、楽しげに談笑している若い頃のお母様ユウコの姿だった。
そして、そのお母様の左右に座って、お互いにそっぽを向きながらも、お母様の笑顔を嬉しそうに見つめているのは――【ソルの先祖(初代朝日)】と【アレンの先祖(初代時間の番人)】の二人だった。
『……アサヒ、見えている? 過去(昨日)を変えることはできない。けれど、私がこの世界で彼らと出会い、そして地球へ旅立ったからこそ、アサヒという新しい時間が生まれたの。ソルの真名は「アサヒ(朝日)」。クレピュスクの真名は「ユウヒ(夕陽)」。過去と未来の二つの名前が揃うこの場所で、あなたの「いま」の力を解放しなさい。そうすれば、神様たちが凍りつかせた本当の未来の扉が、完全に開かれるわ……』
お母様ユウコが鏡の向こうから私に微笑みかけるようにして、その唇をゆっくりと動かしている切なすぎる過去の神話の映像。
「ソルの名前が、朝日……? クレピュスクの名前が、夕陽……?」
驚愕に心臓が激しく跳ね上がる。私の前世の記憶にある、あの「朝日くんと夕陽ちゃんがトンネルですれ違いざまにハイタッチをする」というお母さんの童話。
あれは、お母さんが最初から、この二人の精霊と私が出会って世界を救うことを予言して遺してくれた、最大の愛のメッセージだったのだ。
「アサヒ、大丈夫かい?」
ソルが私の肩を優しく掴み、私の顔を覗き込んだ。
私は涙をポロポロと床へと溢れ落としながらも、ソルの手を強く握り返した。
「ええ……! 私、お母様の遺してくれたこの部屋で、すべての謎を解き明かしてみせる!」
過去は変えられない。
お母様が亡くなってしまった過去も、ソルが毎朝記憶を失う残酷な事実も変えられない。
けれど、この仲間たちと手を繋いで生きている『いま』の温もりは、何があっても絶対に変わらない本物の奇跡だ。
16歳の私の胸の奥で、新たなる覚醒の火花が小さく散った。
二人の男の子とのじれったい恋と友情を胸に秘め、お母様たちが遺してくれた本当の時間の謎を完全に解き明かすための、ハラハラドキドキの壮絶なる時計仕掛けのファンタジーは、この聖女の隠れ家を舞台に、さらに予測不能な深淵へと、激しくその運命のネジを巻き直していこうとしていた。
(第48話・おわり)




