書庫
ノクティス王家の書庫は、フォルテリア城の地下に存在していた。
厚い扉の前に立ったルシアンは、懐から一つの鍵を取り出す。それは王だけが持つことを許された鍵だった。カチリと冷たい音をさせながら鍵を開けて、扉を引く。中には無数の本が並んでいた。
魔法書。
歴史書。
王家の記録。
何代もの王が集め伝えてきた知識が、この場所にあった。
10年前に王になって以来、執務の合間を縫って少しずつ読み進めていた書の背表紙にルシアンは目を走らせる。
(ライラを救えるものがあるなら、何でもいい)
ルシアンは一番近くの棚から、本を取り出し始める。
闇属性。
魔物。
魔の森。
関連しそうな言葉が書かれた書物を片端から机へ積み上げていく。
時間を忘れるほど読み進めても、求めている記録には辿り着けない。
魔物の生態。
闇属性魔法の歴史。
魔術についての記録。
どれも参考にはなる。
けれど、ライラの助けにはなりそうにもなかった。
「……これも違う」
ルシアンは本を閉じた。苛立ちを隠す余裕もなく、次の本へ手を伸ばす。
その時だった。
一冊の古びた本が、棚の奥から滑り落ちた。
床へ落ちた拍子に、乾いた音を立てて頁が開く。
「……?」
何気なく拾い上げたルシアンの目に、一つの言葉が飛び込んできた。
『闇の聖女』
ルシアンの動きが止まる。
「……闇の聖女?」
そんな存在を、ルシアンは聞いたことがなかった。
ノクティス王国には、闇属性を持つ者についての記録が数多く残っている。
けれど、闇の聖女などという存在は、歴史書にも王家の系譜にも記されていなかった。
疑問を抱きながら、ルシアンは頁をめくる。
そこに記されていたのは、今から数百年も前の話だった。
かつてソレイユ国には双子の王女がいた。
その片割れの王女ノクティラは、類まれな闇属性の魔力を持ち、魔物の群れを一人で退けるほどの力を持っていたという。
彼女には、一つの特殊な能力があった。
――それが他者の闇属性魔力を吸収する力だった
ルシアンの指が止まる。
「……これは……」
そこから先を読む手が、震えた。
彼女は魔物の力を吸収することで、多くの民を救った。
魔物が増えれば、更にその力を吸収した。
強大な魔物が現れれば、その力すら取り込んだ。
その力によってソレイユ国は幾度も滅亡の危機を免れた。
人々は彼女を讃えた。
――闇の聖女
そう呼ばれるようになった。
けれど。
記録は、そこで終わらなかった。
ルシアンは頁をめくる。
次の頁には、震えるような筆跡で短く記されていた。
『闇の聖女の身体に異変が生じた』
黒く変色した爪。
異常な魔力量の増加。
眠る時間が長くなる身体。
そして――。
『人の姿を保てなくなった』
「……」
ルシアンの顔から血の気が引いていく。
脳裏に浮かんだのは、眠り続けるライラの姿だった。黒曜石のように硬質化した薬指の爪を思い出す。
「……まさか」
頁をめくる。
そこには、最後の記録が残されていた。
『彼女は最後まで魔物と戦い続けた』
『しかし、己の力によって己自身が魔物へと近づいていくことを止められなかった』
『最後には、完全に理性を失う前に自ら命を絶った』
ルシアンの手から、本が滑り落ちた。
床に落ちた音が、静かな書庫に響く。
「……嘘だ」
呟きは、誰に向けたものでもなかった。
「そんなもの……」
認められるはずがない。
ライラが、同じ道を辿るなど。
ルシアンは急いで本を拾い上げ、さらに頁を探した。
けれど、そこに救いとなる記述はない。
ただ最後に、一文だけが残されていた。
『彼女の力は、世界を救った』
そして。
『同時に、彼女自身を滅ぼした』
ルシアンは目を閉じる。
ライラが魔物から闇の魔力を吸収することで、魔物の数が減っている。
魔の森の闇魔力も薄くなっている。
それは間違いなく、ライラが王国を救っている証だった。
けれど。
(それと引き換えに、ライラ自身が壊れていく)
そんな結末を受け入れられるはずがない。
ルシアンは本を閉じた。
「……もう、十分だ」
王としてならば。
ライラの力を使えば、ノクティス王国は今より安全になる。
魔物を減らせる。
民を守れる。
王国にとって、これほど貴重な力はない。
けれど。
(俺は、王である前に……)
脳裏に、祭りの日のライラが浮かぶ。
お揃いだね、という彼の言葉に頬を染めた彼女。
巻き菓子を頬張って、嬉しそうに笑っていた姿。
ご一緒させてください、と強い瞳で決意した美しさ。
彼女を失うくらいなら。
王国のための力など、いらない。
「……ライラ」
ルシアンは踵を返した。
書庫を出る。
今すぐ彼女の元へ戻らなければならない。
訓練を止めさせる。
魔物の力を吸収することも、二度とさせない。
たとえ、それによってノクティス王国の魔物が増えたとしても。
たとえ王として失格だと罵られたとしても。
ライラだけは失わない。
そう決めて彼女の元へと急いだ。




