祭り
訓練を始めてから二週間ほどが過ぎた。
ライラは闇魔法の基礎を少しずつ覚え、移動魔術の理論も理解し始めていた。ライラの闇魔法は、やはり吸収を性質とするようで、主にカイルの魔力を吸収する練習をしていた。乗馬にも少し慣れ、セレーヌから教わる護身術も以前より様になっている。
そんなある日のことだった。
執務室へ呼ばれたライラは、ルシアンとカイル、セレーヌの三人が揃っているのを見て首を傾げた。
「何かありましたか?」
問いかけると、ルシアンは一枚の報告書を机へ置いた。
「良い知らせだよ」
「良い知らせ、ですか?」
「ここ二週間、南境での魔物の出現数が大きく減っているんだ」
ライラは目を瞬いた。
「魔物が減っているのですか? なぜなのでしょう?」
「もちろん全く現れなくなった訳ではないけれど。それでも、フォルテリアの騎士団だけで十分対処できる程度になった。原因は調査中だけど……俺はライラの力が影響しているかもしれないとは思っている」
「私の力……というと吸収の力でしょうか?」
「そう、その吸収の力が、魔の森に溜まる闇の力を少しずつ減らしてくれているのではないか、と。……体調の方は、どうだい?」
前にフォルテリアで闇魔力を吸収した結果、倒れたことをルシアンは心配していた。そんなルシアンにライラは「大丈夫です」と力強く頷いて微笑む。すると、安心したようにルシアンも微笑んだ。
「そうか、君の体調が良くて何よりだよ、ライラ。君のおかげで、フォルテリアで収穫祭をできる事になったよ」
「お祭り……」
その言葉にライラは少しだけ表情を明るくした。
ソレイユ光国にも祭りはあった。
けれど王族である姉ルミナリアは民衆の前へ姿を見せても、ライラは部屋に閉じ込められるだけ。祭りとは、自分には縁のないものだと思っていた。
「行ってみたい?」
優しく尋ねられ、ライラは戸惑う。行ってみたい気持ちと、ルシアンの邪魔にならないかという心配と。
「行ってみたいです……でも、ご公務ですよね。私がお邪魔してしまいませんか?」
「邪魔なはずがないよ。公務といってもお忍びで、護衛にはカイルやセレーヌが同行してくれるから安心できると思うよ」
ルシアンは悪戯な光を瞳に宿して笑った。
「お忍び?」
「王と王妃候補だと分かれば、街の人たちも気を遣ってしまうだろう?」
「確かに……」
「だから今日は普通の恋人ということにしよう」
「こ、恋人……!」
ライラは思わず声を上げた。
その隣で、セレーヌが口元を押さえて笑いを堪えている。困るライラを見てカイルが静かに口を挟んだ。
「陛下」
「何だい?」
「ライラ様が困っておられます」
「本当だ、顔が真っ赤で愛らしいね」
反省しているようには全く見えない笑顔で返したルシアンにライラは恥ずかしさで俯いてしまう。
そんな様子を見ながら、セレーヌが静かに口を開いて話題の方向を変えた。
「……護衛は私とカイル様のみですか」
「ああ」
「フォルテリア騎士団は?」
「祭りの警備をしてもらう。大勢で歩けば、お忍びにならないからね」
「承りました」
その返事を聞きながら、ルシアンは再びライラへ視線を向けた。
「フォルテリアは果物が美味しい街なんだ」
「果物……」
「ベリーのお菓子も有名でね」
ライラの瞳が少しだけ輝く。その小さな変化を見逃さず、ルシアンは嬉しそうに目を細めた。
「食べてみたい?」
「……はい」
恥ずかしそうに頷くライラを見て、ルシアンは満足そうに笑う。
「決まりだね」
ライラも自然と笑みを返した。
祭りへ行くことが楽しみだと思えたのは、生まれて初めてだった。
⸻
祭りの日、フォルテリアの城下街に取った宿屋の一室でライラは着替えをしていた。その後にセレーヌに髪を結ってもらいながら、鏡の中の自分を見つめる。
今日は王女としてではなく、お忍びで街を歩く。初めての経験に胸がドキドキとした。
お忍びのために、ノクティス王国でようやく着慣れた豪華なドレスではなく、淡い藤色のワンピースと白いケープを羽織っただけの質素な装いだった。髪も高く結い上げるのではなく、後ろでゆるくまとめられている。
「……私、本当にこれで大丈夫でしょうか?」
少し不安そうに尋ねると、セレーヌは微笑んだ。
「とてもお似合いですよ、ライラ様」
セレーヌの言葉にライラは少し照れて笑った。セレーヌが心から、そう言ってくれていると、もう疑うことはないほどにはセレーヌはライラに尽くしてくれていた。
「フォルテリアの皆様は飾らない方が多いですから、このくらいが丁度良いかと存じます」
「なるほど。さすがセレーヌ、博識ですね」
「ありがたい、お言葉でございます」
目を輝かせてセレーヌを褒めたライラに、セレーヌが優雅にお辞儀する。その耳が赤いを知るものは、残念ながら、この場にはいなかった。
――コンコン
「ライラ、準備はどうだい?」
「あ、はい。出来ています」
扉の向こうから聞こえたルシアンの声に、ライラは返事をした。ルシアンは隣の部屋を借りていて、そこで着替える手筈になっていた。素早く、けれど優雅にセレーヌが扉を開と、その先にライラと同じく簡素な服装へ着替えたルシアンが立っていた。
普段の王としての華やかな装いとは違い、漆黒の上着にズボンという動きやすそうな格好だ。輝かんばかりの銀の髪は染められてライラと同じ黒色だった。それでも隠し切れない気品に、ライラは思わず見惚れてしまう。
「その服、とても良く似合っているよ、ライラ」
「あ……ありがとうございます」
「ふふ、お揃いだね?」
つと、ルシアンは染めた自分の髪に触れて首を傾げ、ライラを見た。その言葉にライラの頬に朱が散る。それを見てルシアンは甘い笑みを浮かべた。
(本当は服にも君の色を取り入れたことを伝えたいところだけれど)
ちなみにライラの服を自分に縁のある色にしたのもルシアンだった。けれど、これ以上、言い募るとライラを追い詰めてしまうかもしれない。それはルシアンの本意ではなくて、飲む混む。
「さぁ、デートを楽しもうか?」
「ル、ルシアン様……」
「お手をどうぞ、ライラ?」
ライラが困ったように名前を呼ぶと、ルシアンは蕩けるような目で微笑んだ。それから、すっとライラに手を差し出す。おずおずと手を握ったライラを連れて、宿屋を出る。
街は祭り一色だった。
色鮮やかな布が通りを飾り、屋台からは香ばしい匂いが漂ってくる。
子どもたちは笑いながら走り回り、大人たちは談笑しながら買い物を楽しんでいた。
「すごい……!」
活気に満ちた街の様子にライラは思わず立ち止まった。こんなにも沢山の人々が笑っている景色を、間近に見るのは初めてだった。
「素敵!」
目を輝かせるライラを見て、ルシアンは穏やかに微笑む。
「気になるものがあれば遠慮なく言って」
「はい! ルシアン様、あれは?」
小さく指差した先には、焼き菓子の屋台があった。甘い香りが風に乗って漂ってくる。
「あぁ、フォルテリアベリーの巻き菓子だね」
「フォルテリアベリーというと、前に仰っていた? ……食べてみたいです」
「もちろん」
ルシアンは迷うことなくライラを連れて屋台へ向かう。
「四つください」
「はいよ!」
手際よく渡された巻き菓子を受け取ると、最初の一つをライラへ差し出した。
「どうぞ、ライラ」
「ありがとうございます」
恐る恐るといった様子でライラが一口かじるのを見守る。柔らかなバターが塗られた皮のなかにフォルテリアベリーの甘酸っぱいジャムが口いっぱい人広がる。
「美味しい!」
ライラは自然と笑顔を浮かべた。その笑顔をルシアンは優しく見つめる。
(その顔が見られるだけで、連れてきた甲斐があった)
ライラはそんな視線に気付くことなく、もう一口巻き菓子を頬張る。
それを見たセレーヌは、どこか安心したように微笑んだ。
「ライラ様がこんなに楽しそうなお顔をされるのは、初めて見た気がしますわ」
「そうだね」
ルシアンも小さく頷く。
きっと彼女には、これまで当たり前の日常さえなかった。
だからこそ。
この笑顔を守りたい。
ずっと笑顔でいてほしい。
――ドォーン
誰よりも強く、そう思ったルシアンの願いに反するように、どこからか衝撃音がした。




