波がピアノを奏でる
ささやく波の音と優しい夕日が二人を待っていた。
水江の工場での出来事だった。
どうやら、上司である班長と渡辺とのやりとりであった。
「渡辺君、昨日の仕事は終わったかな?」
「はい、班長、報告書の方は書いておきました」
「どれどれ、見せてくれ、おお、ちゃんと出来ているじゃないか。これは外国語じゃないか?」
「はい。貿易会社への報告書で班長が取引先の社長がギリシャの方だとお聞きしましたので」
「まあ、確かにそうだけど日本語も出来る方だぞ」
「ええ、でもギリシャ語の方が伝わりやすいかと思いまして」
「どこで、ギリシャ語を勉強したのかね?」
「以前、ギリシャに留学していたこともあり、ギリシャ語を学びました」
「ほお、そうだったのか。それは、お世話になっている貿易会社との仕事がスムーズにいくかもな」
「それは良かったです。お褒めの言葉をいただきありがとうございます」
水江は仕事で班長から叱責されていた。
「水江さん。また、頼んだ書類が間違っているじゃないか。大体、漢字が間違って書かれているぞ。今日中に作り直しなさい」
「はい、申し訳ありません」
「困るよ、こんなことじゃ」
班長が帰ると、そこには渡辺が現れ、優しく声をかけた。
「水江さん、大丈夫だよ。書類は僕が書いておくから」
「いいのですか、渡辺さん?」
「ああ、心配しなくていいよ」
「渡辺さんは頭がいいのですね。でも、申し訳ないです」
「そんな事はないよ。それよりさ、すぐ書き終えるから。終わったら、近くの海に行かないかな? 水江さんは海が好きだって言っていたからね」
「はい、是非行きたいです」
優しく声をかけられた水江は嬉しくてたまらなかった。
「早速行こう!」
海に着くとそこには優しい輝きを放つ夕日が二人を待っていた。
「渡辺さん、海の音がきれいですね」
「ああ、そうだね」
「まだ聞いていませんでしたが、渡辺さんの下のお名前を教えてください」
「僕は渡辺雄二、水江さん、これからも、よろしくね」
「はい」
「浜辺に座ろうか」
「はい」
「ちょうど、あの時みたいに夕日がきれいだ。ほら、海に沈んでいくよ。水江さんの瞳が紅色に輝いているかな。まるで、宝石みたいだよ。」
「私は浜辺で貝殻を拾ってきます……」
「どうしたの急に?」
「いえ……」
「待っているからね」
「取って来ました。ピンク色できれいです」
「本当だね」
「渡辺さんは夢がありますか?」
「僕は好きな人と結婚して幸せな家庭をつくりたいかな……」
「今はそういう人がいるのですか?」
「ああ、いるよ……」
「どうされましたか? 急に元気がなくなられて……」
「水江さんこそ、好きな人はいるのかな?」
「それは秘密です……」
「そうか、教えてくれないのか……」
「はい……」
「波の音がさびしく聞こえるかな……」
「どうしてですか?」
「それは秘密だよ」
「お互いに秘密だらけですね……」
「そうだね。でも、さびしいけど、波の音は僕を優しくしてくれる……」
「どっちなのですか?」
「どっちもだよ。水江さんは?」
「秘密です……」
「また秘密なんだね」
「はい」
「夕日が沈んで月明かりが降りてきたよ」
「渡辺さんは詩人みたいですね、」
「そうかな? 今度は月明かりが水江さんの瞳を輝かせているかな……」
「浜辺で今度は違う貝を取ってきます……」
「また、どうしたの急に? 今度も貝を取ってくるんだね」
「はい。」
「よほど、貝殻が好きなのかな?」
「はい。」
「波の音が恋しがっているから、そろそろ帰ろうか」
「もう、帰るのですか?」
「ああ……」
「渡辺さん、お願いがあるのですが……」
「何かな?」
「手をつないでいいですか?」
「ごめんね、それは出来ないんだ……」
「そうですよね……」
「会ったばかりなのに、ごめんなさい……」
「いや、気にしなくていいよ。僕の方こそ、ごめんね……」
「いえ……」
「そのかわり、明日から仕事を手伝うよ」
「はい、ありがとうございます……」
水江は自宅に帰り着き琴音と話した。
「お姉さん、今日は元気がないよ。どうしたの?」
「いいの、気にしないで……」
「そういえばね、近くにピアノを教えてくれる人がいるみたいなの。明日、お願いに行ってくる」
「よかったね。琴音」
「うん」
琴音は不安ながらも心を躍らて、ピアノの教室へたどり着いた。
ピアノを教えてくれる人の家はここかな? すごく大きな家。きっと、お金持ちなのね。もしかして、このボタンを押すのかな?
ピンポーン
わあ、音が鳴った。
玄関から一人の男性が現れた。
「君はあの時の?」
「あ……川崎さん……ピアノの先生だったのですね」
「そうなんだ。仕事が休みの日だけ教えているんだけどね」
琴音は恥ずかしかったが内心嬉しかった。
「そういえば、君はなんという名前かな?」
「琴音と言います」
「そうか、琴音ちゃんか」
「もう、私は十六歳です」
「そうか、ちゃんは失礼だったかな? じゃあ、琴音さんと呼ぶからね」
「はい。川崎さんでしたね」
「そうだよ」
「川崎先生、よろしくお願いします」
「一緒に、頑張ろうね」
「はい」
練習中のことだった。
「先生、何か弾いてみてください。」
「ああ、いいよ。じゃあ、僕が練習している曲の途中まで弾くからね」
「わあ、綺麗な曲。でも、なんだか悲しいですね」
「そうだね、この曲はショパンの別れの曲というんだ」
「そうなんですね」
「ああ」
「私もそういう綺麗な曲が弾きたいな」
「練習すれば、いつかきっと弾けるよ」
「はい、頑張ります」
川崎は優しく丁寧に指導した。
「ここは、こうやって。そうそう、上手だよ」
「本当ですか?」
「うん、素質があるよ」
「ありがとうございます」
「君は妹みたいだな。可愛いよ」
「からかわないでください」
「恥ずかしいですから。
「本当だよ」
「もう、帰ります……」
「どうしたの? まだ練習の途中だよ」
「急に用事ができました……」
「そうか、また、練習に来なさい」
「はい……」
「よし、元気があってよろしい!」
「頑張ります!」
琴音は心を躍らせながら、自宅に帰り着き、水江と話をした。
「琴音、今日は様子が変よ?」
「なんでもない……」
「どうしたの?お姉さんに教えて」
「どうしようかな……」
「いいから、琴音」
「お姉さん、私は好きな人がいるって、前に言ったでしょ。川崎さん、ほら、野原で会った人よ」
「うん。また、会ったの?」
「ピアノの先生でね、ショパンという外国の人の曲を弾いてくれて、とても綺麗だったの」
「そうだったの」
「うん、きれいな曲だったの、先生も素敵で、一生懸命な姿がカッコよかったな!」
「そうだったのね」
「でも、なんだかさびしそうだった……」
「何か事情があるのかもね」
「私は片思いになってしまうのかな?」
「私も片思いの人がいるの……」
「じゃあ、お互い同じね」
「そうね」
「今日は先生が夢にでてくるかもしれない。そうだとうれしい!」
「そうね、私も夢にでてくるといいな。海と一緒に貝殻を拾う夢を……」
「私も先生といっしょにピアノを弾く夢をみたいな」
「じゃあ、早く寝ようか」
「うん」
二人は恋は、まるで木々の隙間からこぼれる光のようだった。




