表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/11

第9話 ほろ苦い、寝る前のチャーラ

あれからレオンは毎日のようにカフェに来るようになった。


その日も、カウンターの椅子が一脚だけ音を立てた。


「……閉店、間に合った?」


「ギリギリ。あと五分遅かったら、扉に“明日また”って札をぶら下げるところだったわよ」


 振り返ると、いつものコートを肩にかけたレオンが、疲れた顔で微笑んでいた。


「閉店後は……チャーラ、あるか?」


「はいはい、“例のやつ”ね」


 私はカウンター奥の棚から、琥珀色の小瓶を取り出した。

 最近開発した“チャーラリキュール”。薬草の香りを活かした低アルコールの寝酒だ。


 注いだカップから、淡く香るシナモンとハチミツの匂い。

 レオンは一口、ゆっくり飲み、目を細めた。


「……これ、いいな。胃が落ち着くし、頭のぐるぐるも消えていく」


「今日は何のぐるぐる?」


 私が聞くと、彼は少しだけ目を伏せ、ぽつりと呟いた。


「物流網の拡張。新たに契約した馬車屋が、配達時間を守らないんだ。違約金は取れるけど、それじゃ意味がない。信用と時間は、金より高い」


 彼にしては珍しく、明確な“困り顔”だった。


 私は棚から書類を取り出し、カウンターに並べた。


「これ、うちが王都で使ってる小規模ルートの業者一覧。早朝と夜便に強いところだけ選んでるわ。紹介しましょうか?」


 レオンは驚いたように目を見開いた。


「君、こういうのも全部管理してるのか……?」


「もちろん。“飲食店経営”って、“街の動き”と付き合う仕事なのよ」


 レオンはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……ありがたい。正直、今日ここに来たの、ただ“寝酒”が欲しかっただけなんだけどな」


「まぁ、うちの“寝酒”は情報もついてくるってことで」


 二人で笑い合いながら、カップを軽く合わせた。


 その瞬間、レオンが少しだけ真面目な顔になる。


「君って、本当に……頼りになるな」


「え? 今さら?」


「うん、今さら。何回思っても、言葉にしないと勿体ない気がして」


 私は、なんだか妙にくすぐったくなって、手元の書類をいじった。


「じゃあ、毎回来るたび言ってくれると嬉しいかも。寝酒と一緒に」




「……そういえば、レオンって昔から王都にいたの?」


 閉店後のカフェに、チャーラリキュールの香りがふんわりと漂う。

 カウンター越しに聞いた私の質問に、レオンは少し考えてから答えた。


「いや。王都に出てきたのは、17の頃。家を出て、一人で商いを始めた」


「へぇ、意外と若かったのね。何か理由でも?」


 レオンはカップを片手に、ぼんやりと琥珀色の液面を見つめた。


「……俺、ヴェルシェルン家の三男なんだ」


 手が止まった。


「公爵家の……?」


「そう。でも三男だし、継がないし、求められてもなかった。

 兄たちは優秀だし、俺がいてもいなくても変わらないって空気があってさ」


「……それで、家を?」


「ああ。俺、ただ“名前じゃなくて、自分のやったことで何かを動かしたかった”だけなんだと思う。

 だから王都に出て、自分の名前で事業を起こした。ヴェルシェルンじゃなく、“レオン”として」


 私は、黙って彼の言葉を聞いていた。


「貴族であることって、便利だよ。でも、それだけにしがみついてる奴を見ると……なんか、息が詰まってくるんだよな」


「わかるわ。私も“ミルフォード侯爵家の娘”って肩書きに、何度苦しめられたか」


 私は笑いながら、カップにもう一度チャーラを注いだ。


「でもさ」


 私の言葉に、彼が顔を上げる。


「今、あなたが“ここ”にいるのって、誰でもない“レオン”としてじゃない? それで充分でしょ」


 しばらくの沈黙のあと、レオンはゆっくり頷いた。


「……ああ。ありがとう」


 彼の声は、心なしか少しだけ軽くなっていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ