#051「そして」
──そして、時は満ちた。
北方大陸グランシャリオ、最北の永久凍土地帯ヴォレアス。
白闇と氷雪、絶死を告げる極地の中の極地。
ダークエルフの幼い子どもが、実に三十五ヶ月ほどの月日を送った二度目の冬の終わり。
七つの冬至で云う最終番、第七冬至を祝う前日に、彼らの車輪はついに運命の交差路へ辿り着いた。
忌み子。
半神。
魔女。
復讐鬼。
四者の星は、四者の誰もが想定し得ない内にひっそりと。
けれど、たしかに絡まり合い、気がつけば袋小路──誰にもどうすることのできない〝必然の檻〟に閉じ込められる。
「悲劇というのは、いつの世も唐突に降りかかってくるものと誤解されがちです。ですが、実際は大きく異なります」
世にあまねく大半の嘆きがそうであるように、人々はその時が来てからでないと、「なぜこんなことに」と思えないだけ。
本当は皆んな、すべてが必然であると知っているのに、いざその時を目の当たりにすると、衝撃が大きすぎて現実を拒絶してしまう。
〝こんなことが必然であってたまるか〟
〝こうならないように出来ることが、他にいくらでもあったはずだろう〟
〝仕方が無かった〟
〝間が悪かった?〟
そんな一言で片付けるには、あまりに冷酷。あまりに無念。
現実の受け入れ難さ。
だからこそ──
〝……あら。薬草が足りないわね〟
その始まりは何の変哲もない、どこにでもあるような言葉からだった。
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──
「薬草が切れた?」
「ええ。困ったわ、チェックはしていたはずなのだけれど……」
「何が無いの、ママ?」
夕刻。
装飾輪の飾り付けを終えた夕飯前の時間。
俺がケイティナと、退屈しのぎにしりとりをして遊んでいると、台所の戸棚から実に困りきった様子のママさんボイスが届いた。
どうやら、今晩の料理に使いたい薬草──ハーブの一種が、ちょうど切れてしまっているらしい。
俺は「もしや?」と思い、すっと立ち上がった。
「あだっ!」
すると、それまで背中合わせに座っていたケイティナが、突如として支えを失ったことで後ろに倒れる。
白金の糸が流れるように空を舞った。
ケイティナは「ムゥゥッ」と呻きながら後頭部を押さえつつ、
「しりとりはぁ?」
「終わりでいいだろ。俺の負け」
「えー?」
「だいたい、ティナさん俺の知らない単語たくさん使ってくるから、デタラメかそうじゃないのかまったく分からないんだよね」
なんだよ、エリヌッナデルクとかルゥミオリアって。
しりとりという言葉遊びを教えたのはもちろん俺だが、フィールドが変わればアドバンテージも変わる。
異世界言語に堪能なデーヴァリングには、そもそも勝てる道理がなかった。
夕飯前の暇つぶしになるかと、ほんの気まぐれで勝負を仕掛けてみたが、結果は惨敗。
俺は百科事典でも相手にしている気分に陥り、斯くして白旗を振っている。
「ひどい。私、デタラメなんか言ってないのに」
「でしょうね。でも、俺からしたらそーゆー気分なの」
「ラズくんのざーこざーこ!」
「張っ倒すぞ!」
「キャッキャ」
ケイティナは猫がくすぐられたように笑い、ぴょんっ、と起き上がった。
そしてくっつく。
くっつき虫のように俺の背中へ。
(いや、妖怪子泣き爺か?)
「……ム。いま何か失礼なこと考えなかった?」
「まさか」
素知らぬ顔で嘯き、台所へ。
ママさんは「やっぱ男の子は力持ちねぇ」なんて小さく呟いている。
(いや、どちらかというとこれは、ダークエルフだからできる芸当じゃねえかな……)
今現在の俺の体格で、大した体幹のブレもなく、ケイティナほどの少女一人を簡単に背負えるのは、相当な筋力がないとムリだろう。
背丈的にも現状、俺の方が少々小さい。
〈渾天儀世界〉の暦が一年=十八ヶ月と知って、自分の正確な年齢がサッパリ分からなくなったのは随分と前のことだが、果たしてダークエルフ……本格的な第二次性徴はいつ来る種族なのか。
(ホモサピだったら、とっくに来てる頃合だよな……?)
しかし、俺は未だ声変わりの前兆すら感じちゃいない。
(長寿種族、難しい……)
まあ、長生きできるのはいいことだと思うので、この辺は変に焦るより、気長に期待していこう。
いずれ身長を抜かせるのは確定しているのだ。
そのうち、見上げるばかりではなく見下ろす体勢で、ケイティナをからかってやるぜ。
アレクサンドロとの打ち合いも、体がデカくなればもっと優位に立ち回れるだろうしな。
閑話休題。
「それで? 何の薬草が切れたんだ? ママさん」
「氷渓花薄荷よ」
「ああ。いつだったか私とラズくんが、一緒に採りに行ったやつだ」
「やっぱり、そうか……」
案の定の答えに、俺は申し訳ない気持ちで額を押さえた。
氷渓花薄荷といえば、軟膏や薬液の材料にも使われる薬草だ。
このところやたらと生傷が絶えない俺のせいで、ママさんは日夜せっせと薬の調剤に取り掛かっていた。
そのせいで、本来は料理用に使う予定の分まで、気づけばゴッソリ使い切ってしまったに違いない。
(おのれアレクサンドロ)
と、恨むのは筋違いもいいところ。
結局のところ、なんだかんだで平穏が続いているが、依然として正体不明であるあの男を、秘密裏に匿い続けているのは俺である。
ママさんもケイティナも、アレクサンドロの存在には気づいていない。
本当は早々に出ていってもらうつもりが、つい長付き合いを受け入れてしまった。
ギブアンドテイクの打ち合い稽古。
それもこれも、この世界で必要な戦い方ってのを、アレクサンドロがきちんと教えてくれるのがいけない。
毎度毎度、あともう少しで勝てそうだな、ってところで綺麗に負かされるので、悔しさからどんどん熱中してしまう。
アレクサンドロも口は悪いが、要所要所で褒めたりしてくれるし、ちゃんと〝師匠〟やってくれるんだよな。
打撲や擦過傷が多いのは、それだけ良い師匠のもとで、未熟を減らせている証拠だろう。
(……まあ、それはそれとして、アレクサンドロのヤツ、めちゃくちゃ強いからな)
こっちは鉄製の斧で立ち向かっているのに、向こうは何かいい感じの棒──要するにそこらへんに落ちてる木の枝で、完璧に圧倒してくる。
(凡庸が聞いて呆れるぜ……)
アレクサンドロは自分の実力を、まるで正しく理解していない。
もしくは、本気で凡庸なのだろうか?
この世界の標準が、マジであのレベルだとすると、俺は正直かなり凹んでしまう……
(と、いかんいかん)
ママさんとケイティナには、ここ最近の打ち身や生傷は、新しい狩りの方法を模索している最中での、言うなれば必要経費みたいなものだと説明している。
つまり、薬草が切れた原因そのものとしては、この問題、解決策を見出すのに協力しないワケにはいかない。
怪我が絶えないのは俺の未熟。
自分のためにも、ママさんのためにも、薬草を採ってこよう。
「あー、ママさん。ちなみに、氷渓花薄荷は実験室には?」
「……ダメね。それも全部使っちゃったわ」
「う〜ん。となると、新しく摘んでこないといけない感じ?」
「ええ。できれば、そうね。今日作ろうとしているのは、明日の第七冬至のためのご馳走……七草蒸煮肉の仕込みだから」
七つの冬至の大トリである第七冬至では、来たる翌年の冬に向けて、来年もまた無事に一年を越せますようにと、七つの縁起草を用いたシチューを作るのが伝統である。
氷渓花薄荷はたしか、第二冬至にまつわる縁起草だったはずだ。
(要は日本の七草粥みたいなもんだよな)
違うのはシチューだから、草だけでなく普通に肉なども入れる点。
去年の今頃、俺も一度たしかに食べているが、味は普通のシチューに香草焼きした肉などがゴロゴロっと入っている感じで……人によってはあまり、いや、かなり美味しくないだろう。ぶっちゃけ俺は得意ではない。
けれど、
「私としたことがやっちゃったわ……七草蒸煮肉は、一年の最後のお祈りなのに……」
「……私、あれあんま好きじゃないよ?」
「関係ないわ」
「……おおぅ」
「ハハハ」
母娘の愛らしいやり取りに苦笑する。
ママさんがこの伝統を、誰のために続けているか。
それを思えば、俺もケイティナも到底ワガママなど言っていられない。
(この女性は俺たちのために、シチューを作るんだもんな)
来年もまた、子どもたちが平穏無事でありますように。
そういう慈愛しさの塊だから、俺はもう我慢してシチューを啜ろう。
そのためには、
「わかった。じゃあ俺、パパっと採ってくるよ」
「あ、なら私も行くぅー!」
「あら……いいの? 二人ともいい子ね。とっても助かるわ。それじゃあ悪いけど、お願いできるかしら?」
「任せてくれ」
ママさんの嬉しそうな言葉に、つられて頬を緩ませながら、ドンと首肯を返す。
シチューの仕込みには、どうやら一晩をかけるらしい。
今から行くとすると、夕飯の時間には多少遅れることになるが、ママさんもできるなら早い内に仕込みを終えたいはずだ。
(三人前と考えても、一度の食事分程度ならすぐに採って来れる)
本格的な補充は、もちろん時間をかけてやる必要があるだろう。
しかし、差し当たっての調達であれば、俺一人でもギリギリ不可能じゃない。
それに、前回はどんな薬草なのかきちんと把握せずにケイティナと勝負をして負けたが、今はもう図鑑を見なくとも数種の薬草を見分けられる。
そんな俺と、元から薬草に明るいケイティナの二人。
揃って摘みに行くなら、なおさら最速で薬草採取が可能だ。
(──よし、そうと決まれば)
「ティナさん、厚着の時間だ」
「おっけー」
「いってらっしゃい。無理はしなくていいからね」
焚き火をして暖を取る時間など今回はない。
なので、ケイティナにはあらかじめしっかりと防寒対策を行なってもらう。
台所に残ったママさんに見送られながら、俺はすたこら屋根裏部屋へ向かい、適当な装備品を見繕った。
「畜犛牛の外套に、白貂鼠の耳当てと襟巻き」
「それと手袋、そしてブーツだね」
「キメキメだぜ」
「キメキメかな?」
俺が狩り、ママさんが拵えた毛皮製防寒具の数々。
着膨れたケイティナを頭の天頂から足の爪先まで確認して、俺は「うむ」と頷いた。
どことなくだが、エスキモーの民族衣装のようにも見えなくはない。
モコモコファサファサしたケイティナは、端的に癒し系だ。
「じゃ、行くか」
「うん」
最後に腰へ、ランタンを括り付ける。
小さい火だが、無いよりはマシ。
俺は簡単にマントだけ羽織り、扉を開けた。
(洞窟には……まあ向かわないから平気か)
手を繋ぎ、階段を下りながら考える。
こうして誰かと一緒に狩猟空間に下りるのは、アレクサンドロが居着いてからは初めて。
(いや、というか)
ケイティナと薬草を採りに行った以来のことである。
(……ま、今日に限ってアレクサンドロが、洞窟を出歩いてるってコトもないか)
氷渓花薄荷は凍りそうなほど冷たい水辺か、凍ってしまった水辺にしか生えない。
目的地は山間の雪渓、雪解けの小川。
アレクサンドロとケイティナが出くわす可能性は、ほとんど無いと思っていいだろう。
(それに)
万が一バレたとしても、ケイティナなら事情を話せばきっと分かってくれる。
俺はそう、楽観視していた。
「イヤアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーー!!」
その悲鳴が、夕闇の空に劈くまで。
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tips:七草蒸煮肉
長き冬も残りわずか。
一年の終わりと、新たな一年へ向けた最後の祈り。
古き民は時の巡りに感謝して、七草を煎じたシチューを食した。
偉大なる北神よ、巨いなる神々よ。
たとえその息吹が、すでに地上を通らずとも、信仰は風習となり、伝統として続いている──ユトラ・ベネトナシュ。