#052「剣は燃え」
「イヤアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーー!!」
少女の悲鳴が、夕闇の空に張り裂ける。
その事実を理解した瞬間、俺は拾い集めていた薬草をすべて手から落とし、全力で悲鳴の方角へ疾走していた。
(なんだ? なにが起こった?!)
雪渓に到着し、二人で氷渓花薄荷を探し始めたのはほんの数分前。
俺とケイティナは、以前と同様、二手に別れることで薬草採取の時短を図った。
辺りには静かな自然。
危険な野生動物は、いつも通り存在しない。
(もしかして、足を滑らせたのか──ッ!?)
ケイティナが悲鳴を上げる理由。
それも、こんなに危機感を煽る叫びとなると、想像できるのは果たしてなにか。
一番考えやすいのは、氷に足を取られて転んだ可能性。
しかし、ヴォレアス暮らしの人間として、ケイティナは俺などより、よっぽど足場の悪さに注意深い。
(俺がドジって怪我するならまだ分かるッ)
けれどケイティナと俺では、年季が違うのだ。
一年を通して雪と氷に囲われる生活。
厳しすぎる自然は自ずと足腰を鍛え、一見華奢にしか見えない可憐な少女も、立派に〝北方の民〟へ変えてしまう。
少なくとも、温暖な気候の平地暮らしと比べてしまえば、北方大陸人は確実に足元への注意力が強い。
その差は、子どもの時点で浮き彫りになるはず。
(たとえ、過保護気味に育てられていても……!)
ヴォレアスの過酷さは、容易にその壁を超えていく。
家の中での安全な暮らし。
蝶よ花よ。
けれど、本当にそんな微温湯で育てられていたのなら、将来的にどんな悪影響が現れるか。
体力が低くなれば、免疫力だって低下する。
子ども思いのママさんが、そんなリスクを見過ごすはずがない。
俺が来る前、暖炉用の薪がどのようにストックされて来たのか。
思えば鉄斧が、屋根裏部屋でなく最初から玄関脇に置かれていた事実。
ケイティナが斧を持つ姿など一回も見ていないが、恐らく彼女は平均以上に体力が高い。
五十メートル近い階段を上り下りしても、なだらかとはいえたしかな山登りをしても。
彼女に堪えた様子は欠片も無かった。
そもそも、住んでいる家が高地である。
少ない酸素で多少運動をしても、平気なくらいにはカラダが丈夫で足腰もしっかりしている。
──では。
(さっきの、悲鳴は……!?)
「ハッ、ハッ──!」
雪を蹴りあげ息を切らし、俺は胸の内で不安が膨らむのを自覚する。
先ほどの悲鳴は、とても胸をザワつかせた。
あんな風に叫び声をあげるケイティナを、俺はこれまで一度だって見たことがない。
いったい何が起こったのか。
ゾッとしながら、急いで駆けつけ──幸いすぐに少女の後ろ姿を発見した。
二手に別れたのは、ほんの数分前。
おかげであまり、離れた場所へは行ってなかったのだろう。
(……? よかった、特に怪我をしたってワケでも……ないみたいだな)
ケイティナは尻もちをついて、ペタンと地べたに座り込んでしまっているが、特段血を流している様子も、意識を失っている様子もない。
まずはその事実に、「ホッ」と安堵の息を吐く。
「ティナさん! どうした? 何かあっ、たの……」
──そこで。
メ ラ リ
俺は『異常』を目撃してしまった。
驚きのあまり、声もすぐには戻らなかった。
ケイティナの視線の先、五メートル前方。
ソレは虚空に浮かび、有り得ない現象を生んでいた。
──メ ラ リ
空気が、撓んでいる。
夏の日の陽炎。
想起されるのは土瀝青の上のモヤモヤとした揺らめき。
路面を焦がすタイヤ熱。
冷たい大気と熱い大気が隣接することで、光の屈折率が混乱を来たす局所的異常気象。
それは、かつての世界であればとても見慣れたもので。
然れど、
(永久凍土地帯ヴォレアス……ここ北方大陸じゃ、絶対に有り得ないだろ……)
剣が燃えている。
それも、周囲の雪を一瞬で溶かしてしまったように、ポッカリ……『丸』を生んで。
ゴゴゴゴゴゴと、赤色に立ち上る十字状の焔が、刀身を中心に真円を描いて、雪渓の底、山間の地肌を完全に露出させていた。
雪解けの小川が、ジリジリと蒸発していく。
煙が風に、頬が熱い。
「なん、で……どう、して……っ!?」
ケイティナは目を見開き、すぐ後ろにいる俺に気がついた様子もなく、愕然とした様子で言う。
その唇は震えていて、視点はひどく焦点を欠き、顔にはやがて見る見る間に絶望が広がった。
恐怖さえ、そこにはあった。
「どうしてっ! どうしてここにっ……コレがあるのッ!? イヤ、イヤイヤイヤ、イヤァァァァァァァァァァァァァァ ──!!」
「ケイティナ……!?」
俺は動揺した。
こんなケイティナは、見たことが無かった。
様子がおかしいなんて話じゃない。
まるで恐慌状態。
少女の普段からは、考えられない精神の倉皇。
「ど、どうしたんだよケイティナ! 落ち着けッ、落ち着けって!」
思わず正面に周り、少女の肩を抑える。
顔を見て、泣かないでくれと抱き締めようとする。
……咄嗟にそうしたのは、泣いている子どもを、安心させようと思ったからかもしれない。
しかし、ケイティナは別に、涙を溢しているワケではなかった。
ほとんど泣きかけの、怯えた表情をしていただけで、決壊には至っていない。
だけど、そんな顔はちっとも見たくなかった。
まったく似合っていない。
頼むから、やめてくれ。
──なのに。
「ッ──ヒぅ!?」
腕の中におさめた少女は、突然こちらの腕を振り払うと、バッ! と距離を置いた。
逃げるように後ずさった。
拒絶の反応。
それは、間違いなく俺から離れようとする動きだった。
「え、ケイ、ティナ……?」
「や、やめて……来ないで」
「な、なんでだよ……」
「……ダメ、ダメなのッ! もう、ダメだから……!」
何を言っているのか分からない。
どうしてそんな目で俺を見るのか。
焦点の安定しない怯えきった琥珀の目。
俺は、間違いなく、ケイティナの味方である。
なのに、なんで……?
「ア、アレか……? あの『剣』が、悪いのか……?」
「ッ」
息を呑む呼吸。
ケイティナの反応は正解を示した。
けれど、それだけじゃなさそうな複雑な表情もしている。
また、その顔か。
(だから、ワケが分からねぇって……ッ)
悲しい顔はしないで欲しい。
苦しい顔も、辛そうな顔も、今にも壊れてしまいそうなそんな顔だって見たくはない。
そういう顔をされると、何だか無性に、こっちまでキツくなる。
理由はなんだ。
原因はなんだ。
教えてくれれば、俺がすぐに取り除いてやるからさ……
「……」
剣へ振り返る。
そこにあるのは、アレクサンドロの剣だ。
虚空に浮かぶ大剣は、すっかりその存在を忘れかけていたものの、見れば誰の持ち物だったか思い出せる。
前に見た時は、こんな風に燃えてなどいなかった。
だが、特徴的な長柄、身の丈を優に超えた剣身。
およそ人の腕では、満足に振るうことはできないはずの無骨な鋼鉄。
──ツヴァイヘンダー。
またの名を、トゥーハンデッドソード。
意味は同じで、どちらも〝両腕を必要とする剣〟
(……コイツは、たしかに、俺がこの雪渓に埋めた)
ケイティナはそれを、たまたま見つけ出してしまったのだろう。
忘れかけていたが、アレクサンドロが現れた日、俺はアイツの武装解除をする目的でこの『剣』をここへ置いておいた。
あの時はまだ、アレクサンドロを危険な人物かもと疑っていたからだ。
しかし、今はもう、そんな疑いは抱いていない。
アレクサンドロはたしかに怪しい男ではある。
記憶も未だに失ったままらしい。
けれど、その人となりは、だからこそ信頼に値するんじゃなかろうか。
記憶を失っていても、アレクサンドロの性格はほとんど善良なもので、威圧的な口調とキツめの性格、誤解を生みやすい言動をしているのが多少欠点ではあっても、率直に言って、優しい男だと俺は思っている。
だって、アレクサンドロは俺のような〝子ども〟に、きちんと対等な立場で接してくれるのだ。
約束を破ったことはない。
取引を交わしてから、あの男は律儀に、誠実に、会うたびに真面目な指導をしてくれた。
「……持ち主に返そう」
ケイティナが怯えるなら、この剣はこれ以上ここには置いておけない。
自分の持ち物を隠されていたと知って、アレクサンドロはかなり怒るかもしれないが、謝ればきっと、許してくれる。
アレクサンドロは理不尽な男じゃない。言葉を聞いてくれる大人だ。
互いの立場になって考え、道理さえ認めれば、必ず理解を示してくれるはず。
「待っててくれ、ケイティナ……」
いま、持ち主を呼んでくる。
俺がそう、足を動かそうとした瞬間だった。
「──これは……いったい、どういうコトだ?」
ザッ、と。
タイミングよく、それはもう、本当にタイミングがよく。
アレクサンドロ・シルヴァン。
エルフの騎士。
記憶を失った彷徨の徒。
大剣の担い手が、戸惑った様子で雪渓に現れた。
その視線は、真っ直ぐに、燃え盛る剣に向けられ──
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tips:ツヴァイヘンダー
大型の両手剣。
渾天儀世界においては、トロルズベイン(トロールを殺す剣)とも呼ばれる。
対人間用でなく、対怪物、対バケモノ用としてもっぱら用いられている。
この剣を振るう者は、ただ鋼鉄の殺意だけを必要とした。




