諦めるな。
俺は無償に腹が立った。
「治す手段は無いってか?」
「確率は低いですけど」
「ふーん」
俺は無償に腹が立った。
凪は手を後ろに組んで、照れたように笑ってる。
俺は無償に腹が立った。
「なんでそれに賭けないんだよ」
「えっ?」
「賭けろよ!」
「さ、諭さん?」
「なんでお前が死ぬのを見届けなきゃいけないんだ! 応援させろよ、お前が生きるのを……」
自分でも驚くくらい、大きな声。怒鳴るというより、叫ぶだな、これじゃあ。
「でも、それは……」
「金が足りないなら借金でもしろ、お前の両親が払いきれないなら俺も返すの手伝う。何ともしてやるよ畜生!」
命も、金で買える時代。
今の俺は歓迎していた。金で凪の命が買えるなら、いくらでも働ける気がした。
「凪のために、書かせてくれよ……」
「諭、さん。……なんで、諭さんが泣くのですか?」
「う、うるせぇよ」
あやすように、凪は抱き締めてくれた。
「負けんじゃねぇよ。勝手に負けんなよ。俺に諦めることをやめさせたお前が諦めんなよ……」
こんな答えが、すんなり出てくるようにした、お前が、なんで諦めんだよ。
きっと前の俺は、もう少し優しい言葉を、かけたか、冷たく突き放したか、どっちかだっただろうな。
でも、俺はその時、凪の言葉を受け入れたくない、って思ったんだ。
その日、俺たちはお互い、縋るように二人で眠った。
失うかもしれない、そう思った時、凪の存在の大きさに気づいた、凪を失いたくない。素直にそう思った。
初めて出会った、俺にとって大切な存在、なんで、奪っていくんだ、何も与えなかったくせに。
もうこれ以上、何も得なくて良い。だから、何も奪わないでくれ。俺は初めて、祈った。
「諭さん、諭さん」
「ん?」
声がして、目が覚めて、そのまま起き上がった。
「あぁ、凪か?」
「何ぼんやりしているのですか? 昨日はあんなに熱い夜を過ごしたというのに?」
「過ごしてねぇよ。捏造するな。体調は?」
「治りました」
「そうか」
「うわっ! っと。諭さん……」
腕の中にすっぽりと納まる、細い体。凪の存在そのもの。全身で感じたかった。
すぐに離した。泣きそうになったから。
「ご飯、食べます?」
「食べる」
気持ちが溢れそうだ。
いや、もう溢れてる。言葉にしていないだけで。
言葉として、ぶつけるべきだろうか。
ぶつけよう。
そう思ったけど、言葉が、出てこなかった。
俺は凪が、好き、だけど……。
くそっ、凪は真っ直ぐに気持ちをぶつけてくれたのに、何で、怯えてる……俺は、怯えてるのか、そうか。
「な、凪!」
「はい?」
きょとんとした少女に俺は言葉が詰まった。
振り返る時、ふわりと揺れた髪に、きょとんと首を傾げる仕草に、ワクワクとした光を宿す目に、何とも言えない愛おしさが湧いてくる。
「あー、えっと、そうだな。あっ、そうだ。ほら、昨日読めなかっただろ、短編」
「はい! あっ、書いててくれたんですね! 嬉しいなぁ」
澄んだ声は聴き心地が良くて、手を合わせて飛び跳ねて喜ぶ様子は無垢な子どものようで。
何もかもが魅力的に見える。
失うかもしれない、その事を意識した途端、凪の全てが輝いて見えた。
くそっ。あー。くそっ。
「……隣で読むんだな」
「はい。では早速」
そして、隣で静かに読み始める。
前はひたすら恥ずかしかったこの時間すら、愛おしかった。
瞬きと、紙をめくる手、文字を追う目。凪の動きはただそれだけになる。
「ふぅ。ごちそうさまです。ありがとうございます」
急に告白するのは恋愛慣れしていない、特に恋愛に憧れを持ちすぎる人が良くする悪手らしい。
さて、俺がもし、凪に凪の事を愛おしく思っていることを伝えたら。
なんて。
落ち着きたくなって大学の図書館に来た。専門書を探すならここが良い。
「凪の言っていた症状から推察するにこれか」
確かに、存在した。
最近出た奴にしか載ってないのか。
治せるのか、そうか……。
「凪を、助けられるのか……!」
帰り道。マンションを見上げる人影に足を止めた。
「凪に用か? 桐原さん、だっけ?」
「えぇ、クラス委員として、不登校がいるのは、寝覚めが悪いので。しかも、成績優秀者ですから。模範的な生徒になって欲しいので」
ふむ……。
「お茶でも飲まねぇか。そこの喫茶店で」
「……なぜ、あなたと?」
「そこの喫茶店の経営者は凪の両親だ」
「……わかりました」
渋々という様子で了承、こう言えばついてくるとは思っていた。
「おすすめはココアだよ。凪が言うに」
「では、それでお願いします」
なんというか、扱いやすいな。狙いがわかっていれば。初見の印象は堅苦しくて責任感が強そうだな、だけど。その責任感が扱いやすさを作り出していた。
「夏のココアというのも、変な感じですね。それで、私を誘った狙いは何ですか」
「いや、凪が不登校になった理由を聞きたくてね」
「そんな事、私たちは推察することしかできません。それをまことしやかにあなたに話すほど、私は器用ではありません」
生真面目さを感じさせる言葉は、彼女の根っこの善性をこれでもかと見せつけていた。
「ただ、クラスで言われていることをお伝えすることは、できます」
「ほう」
「神代さんは、男遊びで変な病気を貰った、という噂……」
机を叩いた音が、店内に響いた。それが自分の腕が鳴らした音だと気づくのに、少しの時間を要した。
「すまん。話を遮って」
「い、いえ。その。はい。神代さんは男遊びの末に変な病気を貰った。という噂が流れています」
尻すぼみになっていく声。
怖がらせてしまった、な。
「私は、この間神代さんと直接会って、嘘だなと思いました。そういうことをする人には見えなかったので」
「あぁ、その通りだ」
「あなたは、神代さんとお付き合いしているのですか?」
「いや」
「そうですか」
気がつけば、お互いのマグカップが空になっていた。
「ここの料金は……」
「奢られる仲では無いので。どうぞ。お会計はお願いします。私は神代さんに会いに行くので」
止めはしない。影山が教えたのが凪の部屋なら、いる筈が無いのだ。いや、どちらにしても、凪は居留守を使うだろう。
すぐに、桐原さんがせかせかとマンションの前を立ち去るのが見えた。
部屋に戻ると凪はにっこりと笑って出迎えた。
「おかえりなさい。ご飯にしますか?」
「あぁ、凪、その……」
「はい」
「怒るなよ」
俺はそう前置きして、凪の手を引いて、部屋に連れて行き、ベッドに押し倒した。
心臓が耳元でなっているようだ。バクバクうるさい。凪から目を離せない。手が震えるのを感じる。
「くっ……」




