甘党少女の暴走。
グッと伸びをして、力を抜くと、血が通う心地の良い感覚。一日で合計何時間書いていたのだろう。今日も一日頑張ったなぁ。
夕飯を食べて、気がつけばもう二十二時を回っていた。そろそろ凪が帰る時間か。
「凪はいつ終わるの? 夏休み」
「宿題考査だけは行きますけど、それから定期考査までは行くつもり、ありません」
固い声は、意志の強さを感じさせる。
表情はすぐに柔らかさを取り戻すが、俺にそれ以上踏み込むことを躊躇わせるのには十分だった。
「一週間後ですね、丁度」
「そうか」
結局、全部小説に消費してしまった。
凪も、ずっと俺の世話に費やすことになった。
「なんか、大変だったな」
「そうですね。荒谷さん。放っておくと寝ませんしご飯の時間になっても出てきませんし。放っておくと部屋で干物になりかけてますし。カフェインの錠剤を注文しようとしてますし。健全な創作は健全な生活習慣からと言ったじゃないですか」
呆れたような目をする凪。流石に申し訳なくなる。
「でも、荒谷さんが、帰って来てくれて、嬉しかった」
薄く微笑んで、うつむいて、でもすぐの上を向いた。
「どうした?」
「い、いえ。その。荒谷さん。後悔、していませんか? 私と出会って、こうして、また作家として生活を始めたこと」
「ねぇよ」
俺のこれまでが、無駄じゃなかった。それを知れただけで、俺はどれだけ恵まれている事か。
「凪こそ、こんな奴に尽くして後悔してないか?」
「そ、それこそありえません。私は、荒谷さんの信者です!」
「泣いてんなよ。そんな感動的な会話か? これ」
「あ、あれ……」
ティッシュを差し出すと、すぐに拭き始めた。凪は、笑顔の方が似合う。
あれから、凪が可愛く見えてしょうがない。
でも、それを表には出さない。凪の俺に向ける気持ちは、熱心なファンに母性を足しただけのそれ。惚れたとか、男と女とか、そう言うものでは無い。
二十超える男が、女子高生に惚れるとか、駄目だろ。
だから、俺は年上として、接するんだ。
「少し遠出するのも、悪くないな」
「えっ?」
「いや、凪も夏をもう少し満喫したいだろ。海とか」
「あら、良いですね」
頬に指を当て、何か考え込んでいるようで、すぐに笑みを浮かべた。
「良いですね。行きましょうか」
「あぁ。まぁ、入らないけど」
「そうですね。眺めるだけですけど」
「水族館のおまけ程度かな」
潮風を浴びるだけでも、良いものだ。
「じゃあ、そうですね、明日行きましょうか。それよりも荒谷さん。お風呂入らないのですか?」
「えっ?」
「恐らく、連載の方は三日分ほど書き溜めてますよね。明日の分の短編も書きあがっていますよね?」
「ま、まぁ」
「お風呂、入って寝たらどうですか?」
すっと凪は一歩近づく。
「いや、でも、今筆乗ってるんだ」
「? 私には少し休憩、って感じに見えましたけど」
さらに一歩近づく。
「荒谷さん。抵抗するなら一緒に入りますか?」
「い、いや。勘弁……」
凪は既にパジャマを抱えている。楽し気に笑顔が弾ける。
「ほら、行きますよ」
「落ち着けやー!」
どうしてこうなった……。
凪は鼻歌交じりにごしごしと背中を擦っている。
「かゆい所ありませんかー?」
「無い」
お互い水着を着ることで妥協点を見出すことができた。
凪が入って十分くらいで、呼ばれた。
凪の言う事に逆らう事が出来なくなってきている自分がいることに気づいた。
凪のあのビキニまた見ることができ……落ち着け、俺。
「どうしましたか? 荒谷さん」
「なんでもねぇ」
どうにか平静を保とうと、背中を擦られる感触に意識を向けるというミスを犯した。凪がそこにいる事を嫌でも意識してしまうからだ。
「明日、この時の事、書いて欲しいなぁ」
「何言ってんだ」
「……むー」
「え?」
後ろに柔らかい二つの山を押し付けられる感触、腕が肩にかけられ、素肌と素肌が触れ合う。
「な、な、なに、して、んだ」
「荒谷さーん。性別どっちなんですかー? ちゃんとついてるんですかー? もしかして恋愛対象の性別が違うとかですか? 女としての自信失くします」
「凪……お前はもう少し自分を大切にしろっての。というか、もしかして、酔ってる?」
「よ、酔ってませんよ! 未成年ですよ! というか、荒谷さんの冷蔵庫お酒ありませんよね、成人しているのに」
「酒苦手なんだよね。わざわざ飲まない」
「あぁ、なるほど」
そう言いながら、さらに密着してくる。きめ細やかな肌が、直に感じられる。普段は遮る布という存在の偉大さを知った。自分の心臓がバクバクいっているのがわかる。これだけ高鳴り、これだけ密着していれば、凪も気づく。
「うん。今日はこれで納得しておきます。荒谷さん、細いですね」
「お前なぁ」
「あれ、生殺しだってクレームですか?」
「違う。お前、俺の事が好きだって勘違いするだろうが、やめろ」
信者のラインを越えてるぞ、たくっ。
「……荒谷さん?」
「凪、信者として俺を慕うのはわかるが、身売りみたいな真似はやめろ。別に身も心も捧げるのが信者ってわけじゃないだろ」
「むぐ、ぐぐ」
「どうした? バグッたか?」
パッと離れて、凪はシャワーを持つと、勢いよく捻った。
容赦なく俺の顔面に向けられる。
「えっ、けほっ、な、何を……」
「荒谷さん。……いえ、今は何も言いません。湯船入りましょう」
「いや、暑いし」
「何のために冷房を効かせてると?」
「君と入る理由が……」
「良いじゃないですか。折角広く作ってあるのですよ」
顔が引きつるのがわかる。
大家の娘ってやつか、これ。
「甘い時間ですね。荒谷さん」
チャポン、というより、ドボンという音を立てて、向かい合うように湯船に入った。
広く作られているという言葉通り、俺と凪が足を延ばしても余裕なくらいには広い。すげぇなこのマンション、改めて。
「プールと何ら変わらないじゃないですか、水着ですし」
「まぁ、確かに。正論ではある。いや、違うだろ」
「何が違うのです?」
グッと言葉を飲み込んだ。有効な反論が思い浮かばない。
「せ、せめて、前かがみになるな」
「あぁ、スタイル良いですよね、私」
楽し気ににこっと笑う。
「荒谷さんは、どう思います?」
「……良いと思う」
「やった」
「からかうのは勘弁してくれ、もう」
「からかってるつもりなんて、欠片もありません」
凪は立ち上がる。
「そろそろ上がりますね。荒谷さん」
「あぁ」
浴室の扉が閉まる。ようやく、平穏が取り戻された。高鳴っていた心臓は、まだ落ち着かないけど。
「はぁ」
凪に惹かれつつある現状、凪の信者としては行き過ぎた行動、わりと、戸惑う、
「これが、微妙な気分ってやつか」
はぁ。あぁ、くそっ。
身体を拭いて外に出た。
「さ、荒谷さん。寝ましょうか」
「いや、帰れや」
「帰るの面倒になりました。そもそも、私は元々引きこもりなので、家を出るという行為にかなりの気力がいるのです」
「じゃあ、俺は布団で寝るから」
「駄目です。荒谷さんは私の腕の中です」
「暑いじゃん」
「何のためにエアコンかけていると?」
結局、俺は凪に頭が上がらなくなっているらしい。
凪に包まれながら、俺は思った。
無いだろ、二十歳超えた男が、リアル女子高生好きになるとか。って。
凪には幸せになってもらいたい。稼ぎが良くて、大切にしてもらえる男を捕まえて。間違えても、こんな将来まともに生きて行けるのかもわからない男の傍に居て良い女じゃないって。
「凪、お前は俺に時間を費やしていい人じゃない。いい加減、前に進めよ。お前も。こんなの、子どもの思い出って思ってさ。俺はもう、大丈夫だから」
穏やかに寝息を立てる少女の腕の中で、ひっそりと呟いた言葉は、届いただろうか。
この二人がどうなるか、書いてる僕も正直わからん。




