第一章10 『逃げる事から逃げ続ける』
「気乗りはしませんが、そちらがその気ならこちらも」
男がそう言った刹那、男はリューシャに吹き飛ばされたはずの位置から――消えた。
その突然の現象を目にし、リョウは何が起こったのか、なぜ男が消えたのかを理解することが出来ない。
焦燥と恐怖の感情のみが高まっていき、炊飯器を握る力はより一層強くなっていく。
「ここは僕が引き止める。皆は逃げてくれ」
ルースからの提案。この男を倒すのがリョウ達の目的では無い。
この村から逃げ出し、セティアを守るのが目的だ。
いずれ追い付かれる可能性はあるが、村から逃げてしまえば相手もそう易々とは居場所を突き止められないはず。
であれば、ルースにこの場を任せ逃げるのが得策。
「でも、それじゃルースさんが……」
「大丈夫、おそらく彼に殺意は無い。ここで派手に戦ったらどうなるか、彼自身理解しているはずさ」
「いくぞリョウ、セティア!」
リューシャの言う通りに、リョウとセティアは不安がりながらも村の入り口を目指そうとする。
が、その行為はもちろん男によって遮られた。
「そうはいきません――」
「僕もそうはさせないよ――光の護封剣」
姿を現した男に対して、ルースは間髪入れずに魔法を唱えた。
ルースがその魔法を唱えると、男を囲むようにして幾多もの光の剣が発生し、男の体を締め上げるかの如く男の体に凝着する。
おそらく、光属性の魔法の拘束魔法だろうとリョウは推測した。
「ここまで拘束能力の高い魔法を受けたのは初めてですよ。素晴らしい」
「褒めて頂いて光栄だね。できれば解呪を止めて欲しいのだけれど」
「私も任務ですから」
どうやら光の護封剣という魔法の拘束を男は解呪している最中のようだ、当たり前だが。
今すぐ逃げなければならない事はわかっている、わかっているが。
――これは逃げの選択では無いだろうか。
その思考がリョウの行動を遅らせる。
それに見かねたのだろう、ルースがリョウに声を掛けた。
「リョウ君、セティア、早く逃げてくれ。僕の魔法も長く持ちそうにない、一秒でも時間が惜しい」
「お父さん……私……きゃっ」
リューシャがセティアの華奢な体を持ち上げ、強制的に村の入口へと連れ行こうとする。
セティアも覚悟を決めたのか、それに抵抗する素振りはない。
そしてリョウも、
「ルースさん、絶対生きて下さいよ」
「ああ……娘を頼むよ」
「行くぞリョウ!」
リューシャの急かす言葉を合図に、リョウも村の入口へ向かって走る。
――――
――
―
――逃走から5分後――
――今は逃げても良い時、逃げても良い時なんだ。逃げなくちゃいけない時だってある。今がその時だ。
「入り口まであと5分もあれば着く! 振り向くな! 逃げてしまえばこっちのものじゃ!」
逃げてしまえばこっちのもの。確かにそうだ。
逃げてしまえばセティアを守ることが出来、本来の目的は達成される。
だが、一つだけ、一つだけ気がかりなことがある。
――ルースさんはこの後どうなんだ?
リョウの予想が正しければ、只事では済まされない。少なくとも、この村で今までの様な生活を送ることは出来ないだろう。
セティアに関する重要人物として捕らえられるか、今回の件の口封じとして殺されるか。
リョウはルースの娘、セティアの顔を見る。
「……やっぱ、心配だよな」
唇を噛みしめ、少女は自分の瞳から今にも溢れだしそうな涙を必死に堪えている。
セティアも、ルースが無事では済まされないことをわかっているのだろう。
肉親が自分を守る為に命を賭けているのだ。まともな人間であれば、それに対し涙を流すことなど当然。
――セティアちゃんには笑って生きて貰いたいよな。そんなら俺が選ぶ選択肢は決まってる。
「逃げじゃ、ねぇよな」
「リョウ?」
「リョウさん?」
「……馬鹿だと思って結構っす。ルースさんの所に、戻りますわ」
彼女の笑顔を守る為にリョウが選ぶべき選択肢は、逃げでは無い。リョウはそう思った。
思ったからには、ここで逃げていては人生をリセット出来ない。
自分の信念の為、セティアを守る為、リョウはルースに加勢せねばらない。それが今回の逃げない選択肢だ。
それがこの状況において、どんな愚行な行いであっても。
「……勝手にせい」
「どもっす……待ってて貰うかは、リューシャさんに任せます」
「……必ず戻って来い、必ずじゃ」
「リョウさん……」
そしてリョウは踵を返し、再び走ってきた道を戻る。
自分の我が儘だと、リョウはわかっていた。
わかっていても、リョウは逃げの選択肢を選びたくなかった。
「馬鹿者が……」
リューシャは振り返らずに、言葉を零した。
※
「さて、呪文も幾分か弱ってきましたが、この後あなたはどうなされるおつもりでしょうか」
「君の足止めを続けさせて貰うよ、分かりきった事を尋ねないで貰いたいね」
「いえ、そういうことではなく――このような行いをして、これからどう生きていくおつもりなのかと」
「……」
ルースは沈黙を保つ。
「神の子を助けられれば、それで良いということでしょうか」
「……」
「まぁいいでしょう。……そろそろ抵抗させて頂きますよ」
瞬間、ルースの光の護封剣が急速に存在を失っていく。
それに対しルースは何も抵抗することが出来ない。
「っく……」
「申し訳ありませんが彼女を追いかけねばなりませんので、眠って頂きます」
光剣の呪縛から解放された男は再び姿を消した。
まるで元からそこに存在しなかったように、気配すらも。
「闇属性の魔法か? いや、であれば魔力を感じるはず……我力か」
「流石です、ご名答。ではさようなら」
「――ッ」
いつの間にか男はルースの背後に立っており、ルースの言葉に応答すると手刀をルース目掛けて放つ。
それをギリギリの所で体を横に大きく逸らし回避し、流れるように男から大きく離れた。
「最悪、あなたを殺害してでも追わなければならないのですが」
「君にそれは出来ないだろう。そんな事をすれば国中がパニックに――」
「神の子の確保の為であれば、この村の存在、あなたの存在を抹消することなど造作もありません」
「……昨日の依頼を受けた者達はどうした」
「もちろん、消えて貰いました。この件を知る人間は少なければ少ない程助かりますので。それに――」
「――」
「あのような穢れた魂は、一度浄化せねばならないので」
「僕からしたら、君の魂も穢れていると思うのだけれ――ッ」
「黙れ!」
男の表情が一変し、何を思考しているのか判断出来ない鉄仮面から、怒りに満ちた悪鬼の表情へと変化する。
そのあまりにも当然且激しい変化にルースも言葉を詰まらせ、更に後ろに後退する。
「殺す! 私の……私の魂が穢れている等と言う人間の魂が! 腐っていないはずが無い!」
「僕を殺す気か」
ルースの問いに男は反応せず、再びその姿を消した。
男から如実に放たれていた殺気もこの空間から消え、再びルースは周囲を強く警戒する。
足音や呼吸の音、男が剣を抜く音も全く聞こえない。
「――」
「――」
「――」
「――」
「消えろ!」
男は現れたかと思うと一瞬で鞘から長剣を引き抜き、ルースに切りかかった。
――躱せないな、これは。
ルースは自分の死を覚悟した。
セティアが平穏な日々を過ごせるよう、強く祈りながら――
――が、その剣撃は突如投げ込まれた白い楕円形の物質によって防がれる。
「――なっ!?」
「まさか……リョウ君!?」
「ヒーローは遅れてやって来るって奴、結構真理だと思うんすよ俺」
逃げる事から逃げ続ける男、善田良。
ここに現る。




