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表彰台から下りたヒミカは、真っ先にボクのもとへ駆け寄ってきた。
「おめでとう」
「……うん」
短い言葉のやり取り。
ボクとヒミカのあいだでは、それだけで充分だった。
ヒミカはまだ、瞳を潤ませている。
ボクは温かい気持ちでその姿を見つめる。
そのとき、不意に背後から声がかけられた。
「ヒミカ、セスナ」
声の主は、スターウィッチのホウキ星の座から降りたばかりのフェリーユさんだった。
「レースで疲れているところ済まないが、ちょっとあたしの部屋まで来てくれないか?」
真面目な顔でそうお願いしてくる。
無意識にボクの脳裏には、アリサさんのホウキに細工が仕掛けられたあのレース後の状況が思い浮かんでいた。
なにかまた、大きな衝撃的事実が、フェリーユさんの部屋で語られるのではないか。
そんな予感がしていた。
「……はい、わかりました。ヒミカも、いいよね?」
「うん」
ボクとヒミカは、素直に頷くと、フェリーユさんに続いて魔女ホテルへと戻った。
フェリーユさんの部屋に着くと、中は静まり返っていた。
入ってきたばかりのボクたち三人以外に、人の気配はない。
部屋の奥にまで身を進めたところで、フェリーユさんはボクたちに座るよう促した。
すぐさまボクたちの前に自らも座り込むと、フェリーユさんはやはり衝撃的な内容を語り始めた。
「あたしがお前たちと初めて出会ったのは去年の冬の初め頃。以前そんな話をしたが、覚えているか?」
「はい、もちろん覚えてます」
「わちも」
「ふむ。だがな、あれは実は嘘だ」
『えっ?』
フェリーユさんの言葉に、ボクとヒミカの声が重なる。
「本当は、もっと前にお前たちと会ったことがあるんだ。もう十年ほど前のことになるだろうか――」
フェリーユさんは、ボクとヒミカに会っていた。今から十年も前に。
その頃、ボクたちは田舎の村に住んでいた。
とすると、それは――。
「ヒミカにホウキを譲ってくれた魔女さんですか!?」
「そうだ」
ボクの問いに、素直な肯定が返ってくる。
まだウィッチレースの世界に身を投じる前、フェリーユさんは自己流の特訓で、レース用のホウキの乗り方を習得した。
そして山奥での鍛錬を重ねる日々を経て、トゥインクルウィッチへの参戦が決まったフェリーユさんは、レースの行われる都市へと向かっていた。
その途中で、フェリーユさんは長時間飛行の疲れによってバランスを崩し、木々にぶつかって転落、足をくじいてしまったのだという。
このとき、まだ幼かった頃のボクとヒミカに出会った。
魔力も底をつき、しかも足の痛みで歩けなくなっていたフェリーユさんを、ヒミカがホウキの後ろに乗せて村まで運んだ。
ヒミカの背中に寄り添って飛んでいるあいだ、フェリーユさんは溢れ出るオーラをずっと感じていたらしい。
間違いなく、この子は魔女としての資質が高い。ウィッチレースの世界にとって、素晴らしい逸材となりうるだろう。
フェリーユさんはそんな感想を抱いていたそうだ。
だからこそ、自分が使っていたホウキをヒミカに託した。
村まで運んで手当てまでしてもらったことに対するお礼の意味も込められていたみたいだけど。
当時のヒミカが練習に使っていたホウキは、家の倉庫に眠っていた安物でボロボロだったから、それを見かねてという思いもあったのかもしれない。
「自分のホウキは買い替えればいい。それよりも、この出会いを大切にしたかった」
フェリーユさんは淡々と語る。
あのとき、一晩だけではあるものの、フェリーユさんはヒミカの家に泊まった。
その際、ヒミカの両親とも話していた。
ヒミカが魔女としての資質を充分に持っていて、優秀なホウキ星となりえると、フェリーユさんは両親に語り聞かせた。
確かに、ヒミカはホウキに乗って飛ぶのが昔から好きだった。それはヒミカの両親も知っている。
それでも、ひとり娘を心配する両親は、さすがに困惑を隠しきれない様子だったという。
もしよければ、連絡してほしい。
そう言って、お互いの電話番号の交換はしたようだ。
でも、フェリーユさんから電話をかけたりはしなかったし、ヒミカの両親から連絡が来ることもなかった。
「一年前、お前たちふたりを見つけるまではな」
そのときになって、フェリーユさんは初めてヒミカの家に電話をした。
応対したのは、ヒミカのお母さんだった。
フェリーユさんはそこで、ヒミカがホウキ星となるためにボクと一緒に村から出ていったという話を聞いた。
「差し出がましいようですが、それならば連絡をくれてもよかったのでは……」
「ごめんなさい、すっかり忘れてました」
そんな会話がなされたという。
「お母さんは、おっちょこちょい」
ぼそっと解説を加えたヒミカは、田舎村に残してきたお母さんの姿を思い描いたのだろう、とても穏やかな、それでいて少し寂しそうな表情を浮かべていた。
ともかく、おばさんから「お願いします」と改めて言われ、フェリーユさんも「任せてください」と返事をした。
もっとも、フェリーユさん自身もライバルのひとりになる以上、ヒミカの未来が明るいかどうかはわからない、とも伝えてあったようだけど。
「とはいえ、せっかくだからヒミカの資質を伸ばす手伝いくらいはしたい。ただ、ヒミカの資質をあたしが直接引き出す方法なんてない。それはヒミカが自分自身で成し遂げなければならない試練だからだ」
そこで一旦言葉を区切ると、フェリーユさんは唐突に、ボクのほうへとその鋭い視線を向けてきた。
「ヒミカを成長させることができないのならば、ファミリアーであるセスナを成長させればいい。魔女とファミリアーはふたりでひとり、一心同体の存在だからな。あたしはそう考えて、今回の作戦を実行に移した。ヒミカの母親に電話をしてもらって、レースをやめさせるように仕向けるという作戦を」
ボクは驚いた。
毎回レースのたびにボクに電話をして、最近ではヒミカに諦めさせるようにしつこく懇願してきた、あのおばさんの言葉は、全部演技だったのだ。
「ヒミカが村を出るのを、快く送り出してしまったようだったから、すぐにやめさせたいと言い出しても少々説得力が足りない。それで、一年間かけて徐々にエスカレートしていく形にしてもらったんだ。いわばあたしが黒幕として、ヒミカの母親の背後から糸を引いていた、ということになるな」
性格的にはっきりしない部分のあるボク。
それが個性とも言えるけど、ホウキ星を支えるファミリアーとしては、自分の意見をしっかりと述べられる能力も重要となってくる。
フェリーユさんはボクに心の成長を促すため、そんな作戦を遂行していたのだという。
そして今日のレース前、ボクはようやく、おばさんに反抗するような言葉を思いきりぶつけるに至った。
まさに、フェリーユさんの思惑どおりといったところか。
おばさんが言っていたレース関係者の知り合いというのは、フェリーユさんだったことになる。
ということは、来年のレースに出場できないように圧力をかけてもらうと言っていたのも、ボクを追い込むための口からでまかせだっと考えられる。
フェリーユさんの話に衝撃を受けるボクではあったけど。
それ以上に衝撃を受けているのは、ヒミカに違いない。
ヒミカには、おばさんから電話がかかってきていたなんて、ひと言も話していなかったのだから。
「えっと、わちのお母さんが、セスナに電話でわちをやめさせようとして、フェリーユさんが昔出会った魔女さんで、実は黒幕で……?」
声に出してつぶやきながら、頭の中で整理しようと躍起になっているようだけど、まったくまとまる気配はなさそうだ。
ともあれ、もう過ぎたことだし、フェリーユさんの口から真実が語られた今、わざわざ細かく説明する必要もないだろう。
フェリーユさんの語りは、さらに続く。
もし本当にレースをやめさせたいのなら、しつこく何度も電話すればいいはずなのに、おばさんが電話をかけるのはレース前の短い時間のみだった。
だいたい、本気で村に帰らせたいのであれば、居場所はわかっているのだから、直接レースのある都市まで来て連れ戻せばいい。
そうしなかったのは、そんな気がもともとなかったからなのだ。
「魔女とファミリアーとの信頼関係も、レースにおいては重要な要素となる。ヒミカとセスナの信頼度を高めるという目的もあって、あたしは今回の作戦を仕組んだ。素質を見抜いて参加させたからには、素晴らしいホウキ星に成長してもらいたかったからな」
穏やかな瞳で、フェリーユさんは微笑む。
「ま、そんなことを言いつつ、セスナが戸惑ったり悩んだりしている様子を見て楽しんでいたわけだが」
「ちょ……ちょっと、フェリーユさん!」
「はっはっは、冗談だ、冗談!」
そう言って笑い飛ばすフェリーユさんだったけど。
……ほんとかなぁ?
ボクにはどうも信用できないのだった。
訝しげな様子を感じたからだろうか、それとも、ヒミカがじっと見つめていたからだろうか。
いや、おそらくはその両方なのだろう。
フェリーユさんは真剣な面持ちで、先輩ホウキ星としての最後の言葉をボクたちに贈る。
「とにかく、だ。
来年からはお前たちも主役のひとりになる。しっかりと自覚を持って、今後のレースに臨んでくれ。
この先、スターウィッチを盛り上げていくのは、お前たちの使命だ。
つらいこと、悲しいこと、苦しいこともあるだろう。
だが、お前たちにはかけがえのない仲間がいる。
ライバルではあるが、仲間だ。それは間違いない。
もちろんお前たちにも、今年一年を通じて痛いほどわかっているはずだ。
頑張れ、未来を担うホウキ星たち!
スターウィッチがよりいっそう人々から愛される素晴らしいレースとなるように!
あたしは信じているぞ!」
『はいっ!』
ボクとヒミカは、声を揃えて力強い返事を響かせた。




