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「あたしがヒミカと出会ったのは、昨年の冬の始め頃だった」
柔和な表情を浮かべながら、フェリーユさんはロビーに声を響かせた。
「いつものように、あたしは自分の魔法の力に導かれて、街の片隅を歩いていた」
フェリーユさんは、特殊な魔法の力を持っているらしい。
ウィッチレースに参戦する人はみんな魔女ということになるのだけど、今の時代、空を飛べる以外の能力を持っている魔女は少ない。
どうしてそうなっていったのかは定かではない。
空を飛ぶのは便利だから残っただけという説や、自分の魔力だけでなくホウキに宿る力も使うため扱いやすいからという説などがある。
ともかく、純粋に自分の魔力だけで使える魔法の力を持った人は現在ではかなり少ない上、その力も弱い場合が多い。
フェリーユさんは、近くに困ったり苦しんだりといった強い負の感情を持つ人がいると、それを感じることができる、という能力を持っているのだという。
遠い距離からでは感じられないし、それを感じたからといって、魔法でどうにかできるわけでもない。
それでもホウキで飛ぶことや自分にできる範囲で手助けできるならばと、負の感情を抱いた人たちに声をかけるようにしていた。
単純に胸の奥に仕舞い込んだ心配事を人に話すだけでも、気が楽になったりするものだから。
そう言いながら、フェリーユさんは微笑んだ。
もっとも、フェリーユさんの力だけではどうにもならないことも多々ある。
そういう場合には、知人に応援を頼むなどして、どうにか手助けできるように努めていたそうだ。
そうやって街で人々に声をかけるのが、いわばフェリーユさんの日課のようになっていた。
去年の冬の初め頃も、そんな毎日を過ごしていた。
ある日、ひとりのお年寄りが困っていた。背負っている荷物が重く、なかなか思うように進めないでいたのだ。
人通りの多くない道ではあったものの、まったく誰も通らないわけではない。
それなのに、そのお年寄りを助けてあげる人は、誰ひとりとしていなかった。
お年寄りが困っているのを少し離れた場所から感じ取ったフェリーユさんは、当然のようにその場へと向かっていた。
するとフェリーユさんが声をかけるよりも前に、そのお年寄りの荷物を持ってあげる人たちがいた。
それが、ヒミカとボクだった。
そのときは、「今の時代でも、心の優しい若者はいるのか。世の中捨てたもんじゃないな」なんて思った程度だったらしいのだけど。
ボクはこのときにはもう、ヒミカに命令されてウィッグをつけ、女装しながらの生活を始めていた。
だからフェリーユさんは、親切なふたりの女の子、という印象で見ていたようだ。
それから数日後、今度は子供のものと思われる強い負の念を感じた。
散歩中だったフェリーユさんはいつものように、その思念を感じたほうへと向かう。
するとそこには、ボール遊びをしていたのだろう、男の子ふたり組が上のほうを見上げて立っていた。
視線の先には、木に登っているボクがいた。
木の枝のあいだに引っかかってしまったボールを、取ってあげようとしているところだった。
木の下からは、ヒミカが短い言葉をかけて、適切に指示を与えていた。
そのあとも、同じようなことが何度か続いたらしい。
フェリーユさんが負の念を感じてその場所へ向かってみると、すでにヒミカとボクがいて困った人を助けている。
こう何度も続くと、もはや偶然だとは思えない。
だからこそフェリーユさんは、ボクたちに声をかけた。
ヒミカには、強い魔法の能力がある。
実際に近寄ってみて、フェリーユさんにはその魔力がひしひしと感じられたという。
困っている人は強い魔力に導かれるように、赤の他人であるにもかかわらずヒミカを頼る。
そういう能力なのだろうと、フェリーユさんは語った。
確かにヒミカには、昔からちょっと変わった力があるように思えた。
田舎村に住んでいた当時、まだ幼かったヒミカにホウキを譲ってくれた魔女さんも、似たようなことを言っていた気がする。
思えばその魔女さんと出会ったのも、魔女さんが足をくじいて困っているときだった。
どうやらボクたちの住む村の近くを飛んでいたところ、疲れていたからか、森の木々にぶつかってしまったらしい。
そのままバランスを崩して落下。結果、足をくじいてしまったようだった。
確かそのときは、ヒミカがまだ乗り慣れていないホウキでふたり乗りして、その魔女さんを村まで連れていってあげたはずだ。
……魔女さんの荷物は全部、徒歩のボクが抱えて村まで持っていく羽目になったのだけど。
「魔法で空を飛べる魔女は、今でもそれなりにいる。だが、それ以外の能力を持つ人は少ない。だからヒミカは、とても貴重な存在と言えるだろう。それに、セスナの存在も気になるところだ」
……え?
突然ボクのことに話が及び、一瞬戸惑ってしまう。
「ヒミカの魔力……というより、実力と言ったほうがいいだろうか。それを引き出しているのは、セスナの存在が大きいと、あたしは考えている。ヒミカはあまり人に心を開かない性格のようだが、セスナにだけは絶大な信頼を置いているというのが、ふたりの様子を見ていると感じられるからな」
――ボクが、ヒミカの実力を引き出している?
にわかには信じられない言葉だった。
ボクはヒミカに言われるがままで、逆らうことなんてほとんどできない関係なのに。
だけど考えてみれば、ヒミカが自分の思いを素直にぶつけられるのは、ボクに対してだけというのは間違いない。
とすると、もしかしたら本当にフェリーユさんの言うとおりなのかもしれない。
「多大な能力のあるヒミカ、そしてその能力を引き出せるセスナ。このふたりをウィッチレースの世界から追放してしまうのは大きな損失であると思うのだが。……アイカさん、いかがだろうか?」
フェリーユさんは、黙って腕を組みながら話を聞いていたアイカさんに問いかける。
「……確かに、そうですが……」
アイカさんはまだ納得できていない様子だった。
やはり、男性がウィッチレースの世界にいるというのは、今ではそれだけ大問題と考えられているということだろう。
「もちろん、それだけではない」
悩んでいる様子のアイカさんを鋭い目で見つめながら、フェリーユさんはたたみかけるように言葉を連ねる。
「今まで一緒に戦ってきた若き魔女たちに問う。お前たちはヒミカとセスナのふたりを追放処分にしたいと考えているのか?」
フェリーユさんは表情を緩めながら周囲を見回し、集まっていた魔女たちの顔を順に捉えていく。
そして視線を、ある一点で止めた。
「アリサ、お前はヒミカと口ゲンカしていることが多いが、彼女が嫌いか?」
「…………いいえ」
むすっとした表情のままではあったものの、フェリーユさんの質問にそう答えるアリサさん。
「セスナのことは、どうだ?」
「……嫌いじゃないです」
「ふたりが追放処分を受けるとしたら、どう思う?」
「……悲しいです」
続けられた質問にも、素直な答えが返ってきた。
ふっと満足そうな笑みを浮かべたフェリーユさんは、ロビー全体を見渡しながら凛とした声を響かせる。
「他のみんなも、同じ気持ちだろう。ヒミカとセスナは、大切な仲間なのだ」
最後に運営委員長であるアイカさんのほうへと視線を戻したフェリーユさんは、
「ウィッチレースを盛り上げるためにも、ヒミカとセスナの存在は必要だと、あたしは考えている。是非もう一度、よく考えていただきたい!」
と、力強い口調で締めくくった。
さらには、
「わたくしも、同じ意見ですわ」
いつもどおりのたおやかな笑顔で成り行きを見守っていたママさんも、温かな同意の言葉を添えてくれた。
「…………わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら、運営委員会としても、認めることにしましょう」
伝説級のホウキ星であるふたりの主張を受け、アイカさんも折れざるを得なかったようだ。
仕方なく、といった様相で了承の意思を示す。
でもアイカさんとしては、自分の立場というものもあるから、そんな態度になっただけなのだろう。
「そういうわけですので、これからもスターウィッチのホウキ星とファミリアーとして、よろしくお願い致します」
ボクとヒミカに顔を向けてそう言ったアイカさんの瞳は、とても優しげな光を放っていた。
そのすぐあと。
「……ただし」
アイカさんは鋭い目つきへと変え、ボクを真正面に見据える。
「セスティリアフォルナさんには今までどおり、女装してもらいます。それが条件です。もともとどうだったかはともかく、今現在のウィッチレースのイメージというものを、簡単に崩してしまうわけにはいかないと思いますので」
「え~っと……はい……」
アイカさんからの提案に戸惑いを隠せないボクではあったものの、ここで否と答えてしまっては、せっかく認めてもらえたのを無に帰してしまうことになる。
ボクには素直に頷くという選択肢しか残されてはいなかった。
「それにしても、ビックリしたわよ!」
「そうですねぇ~。でも、認めてもらえて、よかったですわ~」
「にゃははっ! そうだね~! ミルちゃん的には、セスナちゃんが男でも女でも、全然気にしないけどっ!」
「ま、そうね。あたいとしては、ショートカットのセスナさんも、とっても凛々しくてよかったと思うし!」
「あら、アリサさん。セスナさんに惚れてしまいましたのぉ~?」
「バ……バカ! そんなんじゃないってば!」
「にゃははっ! 真っ赤になってるっ!」
アリサさん、オードリアさん、ミルクちゃんの三人は、やっぱりいつもどおりだった。
「……セスナは、わちの」
不意に、ヒミカが対抗意識を燃やしたのか、そんなことをつぶやいた。
「ちょ……ちょっとヒミカ、そんなふうに言ったら……」
ボクは気恥ずかしさもあったけど、それよりも周りの反応が容易に想像できたので、すかさずヒミカに抗議の声を上げたのだけど。
「お~! ラブラブだねっ!」
「ひゅーひゅー! よっ、おふたりさん! おアツいことで!」
案の定、冷やかしの声がそこかしこから飛んでくるのだった。
「あれ? だけど、ヒミカさんとセスナさんは一緒の部屋でいいの?」
ふと誰かがこぼした疑問に、ボクとヒミカは揃って真っ赤になる。
今までもずっと一緒の部屋だったのだから、今さらという気もしなくはないけど。
それでもこれからは、つい意識してしまうかもしれない。
周りからもそういう目で見られてしまうだろうし、恥ずかしさで逃げ出したい気分だった。
そんなボクの苦悩なんかお構いなしに、フェリーユさんが明るい声を響かせる。
「いいんじゃないか? 面白いし。……ただし、不純異性交遊は禁止で!」
フェリーユさん、あなたに決定権があるわけじゃないのでは……。
ツッコミを入れたいところではあったけど、決定権を持っているアイカさんまでもが、フェリーユさんの言葉に深く頷いていた。
なんだか、結局ボクたち、からかわれてるだけなんじゃ……。
そう思いながらも、これからも今までどおりの生活ができるのだということに、ボクは安堵の息をつく。
ヒミカは、どう考えてるのかな?
そっと顔をのぞき込んでみると、ヒミカは真っ赤になってうつむいていた。
ただ、彼女の細くて白い手はしっかりと、ボクの手を握りしめている。
魔女とファミリアーは一心同体。
ボクとヒミカはこれからも手を取り合って頑張っていかなきゃならないんだ。
ボクは決意を確かめるように、ヒミカの小さな手をぎゅっと、強く強く握り返した。




