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「ありがとうございました」
「いやいや、無事でなによりだ」
ボクのお礼の言葉に、フェリーユさんは爽やかに微笑んでくれた。
運営委員長であるアイカさんにも、ボクは大きくお辞儀をして感謝の意を示す。
「わたくしども運営委員会は、なにも営利目的のためだけに存在するわけではありません。わたくしでも、マナミン、カナミンのふたりでも、遠慮なく頼ってくれていいんですからね?」
そう言い残して、アイカさんたちは去っていった。
「ま、どうにか収まってよかったわ」
アリサさんが安堵の息をつく。
だけど、さっきの話だと、つまりはアリサさん自身が悪いってことになるんじゃ……。
そう考えると、ふつふつと怒りが沸き上がってくる。
――あれ? それって、ちょっとおかしくない?
ボクは、はたと気づいた。
だって、アリサさんはヒミカのことを、卑怯者と罵っていたじゃないか。
犯人だと思い込んでいたから、という理由でなかったら、あんな言い方はしないはずだ。
自分のせいだとわかっていたけど、それを認めたくなくて、ヒミカに罪をなすりつけようとした?
いや、それでもやっぱり、納得がいかない。
アリサさんがヒミカに向けていた憎悪は、どう考えても演技とは思えなかったからだ。
それに、レース後の検査で検出された睡眠導入剤は、確か遅効性のものという噂だったはずだ。
寝つきが悪いときに飲むとしたら、即効性の薬を使うのでは……。
ふと見れば、ヒミカも怪訝そうな表情をアリサさんに向けていた。
そんなボクたちの様子に気づいたのだろうか、フェリーユさんが声をかけてきた。
「ヒミカ、セスナ。ちょっと、あたしの部屋で話そうか」
フェリーユさんの言葉はいつもどおりの優しい響きではあったけど、どことなく抗いがたい強さをも含んでいた。
「……はい、わかりました」
ボクは頷き、ヒミカの手をぎゅっと握る。
そして、すでにママさんとアリサさんを伴って歩き始めていたフェリーユさんのあとを、黙ったまま追いかけた。
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「実は、さっきの話は真っ赤な嘘だ」
フェリーユさんは部屋に入ってカギを閉めるなり、衝撃の発言を始めた。
今回の件に犯人はいないと、さっきは言っていた。
しいて言うならば、アリサさん本人の不注意による事故。
そういうことで、アイカさんも含め、みんな納得していたはずだ。
でも、実際には犯人がいるのだという。
「犯人は、オードリアのファミリアー、マリアだ」
フェリーユさんは淡々とした口調で、微かに声のトーンを落として言った。
「えっ? マリアさん?」
ボクは耳を疑った。
オードリアさんの天然さにツッコミを入れる役割で、レースでは緻密な計算も行って指示している、しっかり者という印象のマリアさん。
そのマリアさんが、あんなひどいことを?
信じられないといった表情を浮かべているのは、ボクだけではなくヒミカも同じだった。
「そうね、信じがたいことではあります。ですが事実なのですよ」
ママさんが言葉を添えてくる。
ママさんが嘘をつくなんてことは考えられない。だからこれが、紛れもない真実なのだろう。
まだ信じられない気持ちはあったものの、マリアさんが犯人だということを事実として受け入れざるを得なかった。
「マリアは、ヒミカの才能に嫉妬していたみたいだな」
フェリーユさんが再び会話の主導権を受け継ぐと、詳細な状況を説明し始めた。
マリアさんは、リトルウィッチ時代からオードリアさんのファミリアーをしていた。
スターウィッチへと昇格してから四年目となるオードリアさんは、有力な若手と評価されている四人の中で言えば、一番古株のホウキ星ということになる。
オードリアさんの年齢は十八歳、まだ充分に若手と呼べるだろうし、二十二歳と年上のミルクちゃんだっているわけだから、気にするほどのことでもないように思うのだけど。
ただ、オードリアさんは元来、のんびりとした性格。
天然ボケな会話にツッコミを入れて楽しく場を盛り上げたりしながらも、マリアさんの心の中には常に焦りの念があったのだという。
マリアさんは少しでもオードリアさんを優位にするため、ヒミカを消そうと考えた。
フェリーユさんによって見い出され、いきなりスターウィッチに参戦してホウキ星となったことに、脅威を感じていたからだった。
とはいえ、直接手を下してしまっては、自分やオードリアさんの立場が危うくなる。
そこで、他のライバルであるアリサさんがレース中に事故に陥るよう細工をし、その罪をヒミカになすりつけるという作戦を思いついた。
ライバルのひとりであるアリサさんもリタイアすることになるし、一石二鳥というわけだ。
作戦はひっそりと準備され、実行に移された。
オードリアさんとアリサさんは仲がよく、一緒にいることも多かった。
レース前に準備などをする控え室は数人単位になっているのだけど、仲のよいふたりは、たいてい同じ部屋を使っていた。
だから、オードリアさんのファミリアーであるマリアさんには、ポーチの中の風邪薬のビンを睡眠導入剤と取り替えるのも、ホウキの給油タンクの中に木の実を入れるのも、さほど難しいことではなかった。
事故のあと、オードリアさんとマリアさんは検査入院しているアリサさんのもとを訪れていた。
ボクとヒミカがお見舞いに行くよりも前に。
オードリアさんがアリサさんとお喋りして彼女を元気づける様子を、マリアさんは黙って眺めていた。
「それでは、そろそろ帰りましょうか」というオードリアさんの声に従って、病室を去ろうとする間際。
一旦廊下に出たあと、マリアさんは持ってきたお見舞いのお菓子を渡しそびれたと言って、オードリアさんをその場に残して病室へと戻った。
お菓子を手渡しながら、マリアさんはアリサさんに耳打ちした。
「ヒミカさんがホウキに細工をした、という噂話があるんです」と。
にわかには信じられなかったアリサさんだったけど、自分でもホウキがおかしかったことには気づいていた。
揺らぎかけているアリサさんに向かって、風邪薬を睡眠導入剤にすり替えたという噂もあるのだと、マリアさんはさらに続けた。
確かにアリサさんは風邪薬を飲んだ。
レース中に頭がぼーっとしてきたのも、なんとなく覚えていた。
マリアさんは追い討ちをかけるように、正式に発表されてはいないものの、どうやらヒミカが犯人だというのは確実な情報みたいだと言葉を添える。
アイカさんから聞いた話だからと、嘘をついて。
ウィッチレースの運営委員長から聞いた話、ということで、アリサさんもその言葉を信じ込んでしまった。
それでそのあと、お見舞いに行ったヒミカに対して、あんな罵声を浴びせるに至ったのだ。
今にして思えば、マリアさんがみんなのいる前で、「……やっぱり、ヒミカさんが……」なんて発言をしたのも、ヒミカが怪しいということを印象づけるための演技だったのだろう。
検査入院の結果やアリサさんのホウキについては、運営委員会側が調査をしていたわけだけど。
それとは別に、なにかがおかしいと感づいていたフェリーユさんとママさんは、ふたりで独自に調べを進めていた。
その結果、運営委員会の調査が及ぶよりも早く、犯人のマリアさんにたどり着いた。
伝説級のホウキ星であるフェリーユさんとママさんに詰め寄られたマリアさんは、観念してすべてを白状した。
フェリーユさんとママさんは、真相を語ったマリアさんを引き連れ、被害者であるアリサさんのもとを訪れた。
マリアさんはすべてを認め、涙ながらに土下座をして謝った。
なお、オードリアさんは、マリアさんが仕掛けた細工のことを知らないらしい。
それは、マリアさんがみんなの前でヒミカが怪しいことを印象づけようとした発言のあと、オードリアさんがすかさず叱咤していたことからも、おそらく真実なのだと考えられる。
そうはいっても、ファミリアーとホウキ星は一心同体。
マリアさんが罰せられたら、オードリアさんの処分も免れないだろう。
きっとオードリアさんは失格処分となり、ウィッチレースの世界から追放されてしまうはずだ。
アリサさんは、有力な若手ホウキ星と言われるメンバーの中でも、オードリアさんとはとくに仲がよかった。
今年から参戦し始めたヒミカやミルクちゃんと違い、オードリアさんは去年もアリサさんとともにレースを戦っていたからだ。
仲がいいというだけではなく、よきライバルでもあるオードリアさんを、失格になんてしてほしくない。
そう考えたアリサさんは、どうにか処分されない方法はないものかと、フェリーユさんとママさんに相談した。
自分が犠牲になってもいいから、とまで言うアリサさんに、フェリーユさんとママさんも親身になって解決できる道を探した。
いろいろと話し合った末、アリサさんが自分の不注意で起こした不慮の事故ということにすれば丸く収まるのではないか、との案を採用するに至ったのだという。
「本当に、すみませんでした……」
部屋の陰から不意に、マリアさんの謝罪の声が響く。
今まで気づかなかったけど、あらかじめこのフェリーユさんの部屋で待っていてもらったのだろう。
マリアさんは涙をぼろぼろとこぼしながら、ひたすら深く頭を下げていた。
「もういいってば、マリアさん。大丈夫、あたいは全然気にしてないから」
アリサさんが優しく声をかけたけど。
マリアさんは泣き止む気配を見せなかった。
彼女が謝っている相手は、アリサさんだけではなく、もうひとりいたからだ。
全員の視線がヒミカへと向けられる。
「今回の件では、ヒミカにも多大な迷惑がかかってしまった。精神的にもすごく傷ついたかもしれない。許せなくて当然だとは思う。だが、マリアは心から反省している。どうか許してやってくれないか?」
フェリーユさんが優しくヒミカに問いかける。
ヒミカは、まだ泣きながら頭を下げ続けているマリアさんに一瞬だけ視線を向けると、すぐにフェリーユさんの目をじっと見つめ返す。
それでもヒミカは、黙ったままだった。
「やっぱり、許せない?」
被害者のひとりであるアリサさんまでもが、フェリーユさんと同じように、優しくヒミカに問いかける。
だけど、ボクにはわかっていた。
ヒミカの答えは、決まっている。ただ、言葉にするのが苦手なだけなのだ。
やがてヒミカは、ゆっくりと口を開いた。
「……許す。みんな、仲間だもん」
その言葉に、フェリーユさんやアリサさんにも笑顔が戻る。
「それではこの件は、わたくしたちの胸のうちだけに秘めて、仕舞っておくことに致しましょう」
ママさんがいつもどおりの穏やかな笑みをたたえながら、そう提案した。
ボクたちは、もちろんそのつもりです、という意思を込めて頷き返す。
「ありがとうございます、ありがとうございます……!」
静かになった部屋の中には、マリアさんのかすれた涙声だけが何度も何度も響き渡っていた。




