友達という言葉、その先に
文化交流祭も、残すところあとわずかとなった。
電子工作部の展示スペースでは、ミライリンクの実演が無事に終わり、部員たちが最後の片付けと記録の整理を進めていた。
来場者からの反応も上々で、黒田さんや高瀬さんからも今後につながる話をいただいた。昨日までの苦労を思えば、今回の成果は十分すぎるほどだった。
そんな展示スペースの隅で、僕は栞と話をしていた。
「これからの改良計画、もう考えているの?」
僕が尋ねると、栞は手元のノートを開いた。
「うん。今回のデータを整理して、センサーの判断速度を改善したいの。それから、今より複雑なルートにも対応できるようにしたいし、操作する人がもっと簡単に設定できる仕組みも作りたい」
「もう次の目標が決まってるんだね」
「だって、今回の実演でできることが増えたから。今まで難しいと思っていたことも、工夫すれば実現できるかもしれないって思えたの」
栞はノートに目を落としながら、少しだけ笑った。
「もちろん、すぐには無理だと思う。でも、少しずつなら進めるはずだから」
「栞ならできると思うよ」
「……また、そういうことを簡単に言う」
栞は困ったように眉を下げた。
「蓮くんにそう言われると、できる気がしてくるから、ずるいよ」
「えっ? 僕、何かずるいことを言った?」
「そういうところも、ずるいの」
「うーん……難しいな」
僕が首を傾げると、栞は小さく吹き出した。
「ふふっ。別に、悪い意味じゃないよ」
そのとき、展示スペースの入口から、聞き覚えのある声がした。
「栞ー!」
栞の肩がぴくりと動いた。
振り返った彼女の顔に、驚きと喜びが浮かぶ。
「お父さん? お母さんも……!」
入口に立っていたのは、三人の家族連れだった。
最初に目に入ったのは、落ち着いた雰囲気の男性だった。黒髪は少しだけ無造作で、穏やかな青灰色の瞳が印象的だ。派手さはないが、周囲を静かに見渡す姿には、堅実な人柄が表れていた。
その隣には、温かな栗色の髪を肩まで伸ばした女性がいた。柔らかな茶色の瞳を持ち、娘を見つけると、嬉しそうに顔をほころばせる。
そして、その二人の間から、小さな男の子が勢いよく飛び出してきた。
「お姉ちゃん!」
「陽斗、走ったら危ないでしょ!」
母親が注意するものの、男の子は聞こえていないのか、栞のもとまで駆け寄った。
栞は慌ててしゃがみ込み、弟の頭を撫でる。
「もう、陽斗ったら。来てくれたんだね」
「うん! お姉ちゃんのロボットを見に来たんだ!」
陽斗と呼ばれた少年は、目を輝かせながら展示スペースを見回した。
僕はその様子を眺めながら、自然と微笑んでいた。
栞の表情が、いつもと少し違っている。
普段は真面目で、電子工作の話になると周囲が見えなくなるほど集中する彼女が、今は年相応の女の子らしい笑顔を見せていた。
それに、家族の顔立ちにも、どこか納得できるものがあった。
栞の黒髪と青灰色の瞳は、父親によく似ている。一方で、弟の陽斗は母親譲りなのだろう。ふんわりとした栗色の髪と明るい茶色の瞳が、母親の面影を感じさせた。
「えっと……」
栞は弟の頭を撫でたまま、こちらを振り返った。
「あ、蓮くん。紹介するね」
彼女は少し緊張した様子で立ち上がる。
「こちらが父の水野達也です。それから、母の由美。そして、弟の陽斗」
「初めまして。西園寺蓮です。栞とは学園の活動を通じて知り合いました」
僕が丁寧に頭を下げると、達也さんも穏やかに頷いた。
「初めまして。栞の父です。娘から、電子工作部の活動については時々聞いています」
「そうなんですね」
「ええ。詳しい技術の話になると、正直、私には理解できないことも多いのですが」
達也さんは少し苦笑した。
「それでも、栞が楽しそうに話しているのを見ると、頑張っているんだなと感じます」
「お父さん、そんなに話してた?」
栞が恥ずかしそうに尋ねる。
「話していたよ。新しい部品を手に入れたとか、プログラムがうまく動かないとか。うまくいった日は、帰ってきたときの表情ですぐにわかる」
「そ、そんなにわかりやすくないと思うけど……」
「わかりやすいわよ」
今度は母親の由美さんが笑った。
「あなた、好きなことの話になると、普段よりずっとよくしゃべるもの」
「お母さんまで……!」
栞の頬が少しずつ赤くなっていく。
僕は思わず笑いそうになったが、なんとかこらえた。
普段の栞からは想像しにくい一面を見られた気がして、なんだか新鮮だった。
「初めまして、蓮さん。娘と仲良くしてくださって、ありがとうございます」
由美さんが丁寧に頭を下げる。
「いえ、こちらこそ。栞にはいつも助けてもらっています」
「そんな……! 私が蓮くんを助けてるなんて、そんな大げさな……」
「大げさじゃないよ。栞がいてくれたから、僕もミライリンクのことをいろいろ知ることができたし」
「……う」
栞は何か言いかけて、口を閉じた。
その耳が赤くなっていることに、僕はまだ気づいていなかった。
「それで、こちらが弟の陽斗です」
栞が紹介すると、陽斗は僕の前に立って、じっと顔を見上げた。
「西園寺蓮です。よろしくね、陽斗くん」
「よろしく!」
元気よく返事をした陽斗は、すぐにミライリンクへと視線を移した。
「ねえ、お兄ちゃん! これがお姉ちゃんの作ったロボット?」
「そうだよ。栞たちがみんなで作ったんだ」
「すごい! これ、家でも動かせるの?」
「今のところは学校で実験しているんだ。家で使うなら、もっと安全に動かせるように工夫する必要があるね」
「そっかあ……」
陽斗は少し残念そうにしたものの、すぐに顔を輝かせた。
「でも、すごいね! お姉ちゃん、ロボット作れるんだ!」
「みんなで作ったんだよ。私だけじゃないからね」
栞は照れながらも、どこか誇らしそうだった。
家族に自分の成果を見てもらえることが、彼女にとって大きな意味を持っているのだろう。
そのとき、陽斗が突然、僕と栞を交互に見た。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん? どうしたの?」
「お兄ちゃんって、お姉ちゃんの彼氏なの?」
「……え?」
思いがけない質問に、僕は一瞬、言葉を失った。
隣では、栞が完全に固まっている。
「は、陽斗!? な、何を言ってるの!?」
「だって、お姉ちゃん、家でよく蓮くんの話をしてるもん!」
「えっ……?」
僕は思わず栞を見た。
「れ、蓮くん、その、違うの! これは、その……!」
栞は顔を真っ赤にしながら、両手を慌ただしく動かしていた。
「別に、蓮くんの話ばかりしてるわけじゃないから! ミライリンクの話をしていたら、たまたま名前が出ただけで……!」
「でも、お母さんに『今日は蓮くんがね』って話してたよ?」
「陽斗ぉぉっ!」
栞の声が展示スペースに響いた。
近くにいた匠と優奈が、何事かとこちらを振り返る。
康平まで手を止めて、僕たちを見ていた。
僕は状況を理解しきれないまま、苦笑した。
「えっと……」
陽斗は無邪気な顔で、もう一度尋ねた。
「それで、お兄ちゃんはお姉ちゃんの彼氏なの?」
「いや。栞は僕の友達だよ」
僕はできるだけ自然に答えた。
「学園の活動を通じて知り合って、一緒にいろいろなことをしてきたんだ。栞はすごく頑張り屋だし、話していても楽しい。これからも、いい友達でいたいと思ってるよ」
自分としては、何もおかしなことは言っていないつもりだった。
栞は大切な友達だ。
彼女が夢中になって取り組む姿を尊敬しているし、一緒に話していると楽しい。これからも、その関係を大事にしていきたい。
だから、そう答えた。
ところが、栞はというと。
「と、友達……」
小さな声で、その言葉を繰り返していた。
真っ赤だった頬が、さらに赤くなっている。
けれど、その表情には、恥ずかしさだけではない何かが混じっていた。
ほっとしたような、それでいて、ほんの少しだけ残念そうな。
僕には、その理由まではわからなかった。
「そっかあ!」
陽斗は元気よく頷いた。
「じゃあ、まだ彼氏じゃないんだね!」
「ま、まだって何!?」
栞が叫ぶ。
「陽斗、お願いだから、もう黙って!」
「えー? だって、お姉ちゃん、蓮くんのこと好きなんじゃないの?」
「~~~~っ!」
栞は声にならない声を上げ、両手で顔を覆った。
その様子を見て、達也さんが小さく咳払いをした。
「陽斗。あまりお姉ちゃんを困らせるものじゃないぞ」
「はーい」
返事だけは素直だった。
しかし、陽斗の顔には、まだ何か言いたそうな笑みが残っている。
由美さんは困ったように笑いながら、栞の肩にそっと手を置いた。
「栞、落ち着いて。陽斗に悪気はないのよ」
「わかってるけど……!」
栞は顔を覆ったまま、消え入りそうな声で答えた。
僕はその様子を見ながら、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「栞、大丈夫?」
「だ、大丈夫……。大丈夫だから、今は何も言わないで……」
「う、うん。わかった」
僕が素直に頷くと、栞は指の隙間からこちらを見た。
「……本当に?」
「本当に」
「……絶対?」
「絶対」
ようやく安心したのか、栞は小さく息を吐いた。
けれど、顔の赤みはまだ消えていなかった。
「ふふっ」
由美さんが微笑ましそうに二人を見つめる。
「栞が学園でどんなふうに過ごしているのか、少しわかった気がするわ」
「お母さんまで……!」
再び栞の声が上がり、僕たちの周囲に笑いが広がった。
文化交流祭の最後に、思いがけない騒動が起きてしまった。
それでも、僕は不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
家族に囲まれて笑う栞の姿は、普段の彼女とはまた違って見えたからだ。
電子工作に夢中になっているときの真剣な表情も好きだけれど、こうして照れたり、慌てたりしている姿も、彼女らしいのだと思った。
「蓮さん」
達也さんが、改めて僕に向き直った。
「娘のことを、これからもよろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
僕が答えると、達也さんは穏やかに頷いた。
「栞が好きなことに夢中になれるのは、いいことだと思っています。私たちは技術のことを詳しく理解できるわけではありませんが、本人が努力していることはわかりますから」
その声には、娘を信じている父親の温かさがあった。
「今回の展示も、実際に動いているところを見て、栞がどれだけ頑張ってきたのか、少しわかった気がします」
「お父さん……」
栞は顔を上げた。
まだ少し恥ずかしそうだったが、その瞳には嬉しさが浮かんでいる。
「私は、ただ好きでやってるだけだよ」
「好きなことを続けるのは、簡単なようで難しいものだよ。だからこそ、頑張っていることを誇りに思っていい」
達也さんはそう言って、娘の頭を優しく撫でた。
栞は少し照れくさそうにしながらも、その手を振り払おうとはしなかった。
僕はその光景を見て、自然と笑顔になった。
栞の技術への情熱は、家族から受け継いだものではない。
自分自身で興味を持ち、調べ、試し、失敗を繰り返しながら育ててきたものだ。
それでも、彼女が自分の好きなことを続けてこられたのは、家族がその気持ちを大切にしてくれたからなのだろう。
「お姉ちゃん、すごいね!」
陽斗が再びミライリンクを指差した。
「僕もロボット欲しい! 宿題を代わりにやってくれるやつ!」
「それは駄目だよ」
栞が即座に答えた。
「ロボットは宿題をさぼるために作るものじゃないの!」
「じゃあ、ゲームで一緒に遊んでくれるロボット!」
「それなら……うーん……」
栞は少しだけ考え込んだ。
「遊ぶだけなら、できるかもしれないけど……」
「本当!?」
「いや、まだ作るって決めたわけじゃないからね!?」
陽斗の目が輝き、栞は慌てて言い直した。
そのやり取りに、僕は思わず笑ってしまった。
「栞なら、いつか作れるかもしれないね」
「蓮くんまで……!」
「でも、宿題を代わりにやってくれる機能は、つけないほうがいいと思うよ」
「蓮お兄ちゃん、厳しい!」
陽斗が頬を膨らませる。
「ははっ。宿題は自分で頑張らないとね」
そんな何気ない会話を交わしているうちに、家族の表情もさらに和らいでいった。
やがて、達也さんたちはほかの展示も見て回ることにした。
「栞、あとでまた来るわね」
「うん。案内できるようにしておくね」
由美さんが手を振り、陽斗も元気よく手を振った。
「蓮お兄ちゃん、またね! 今度はお姉ちゃんの彼氏になってるかもしれないね!」
「陽斗ぉぉっ!」
最後の最後まで、栞の叫び声は止まらなかった。
家族が離れていった後、僕はしばらく笑いをこらえることができなかった。
「……蓮くん」
栞が恨めしそうにこちらを見た。
「笑いすぎ……」
「ご、ごめん。でも、陽斗くん、元気でいい子だね」
「それは……そうだけど……」
栞は小さく息を吐いた。
「家では、あんな感じなの。悪気がないのはわかってるんだけど、時々、思いもしないことを言うから……」
「でも、栞のことが大好きなんだと思うよ」
僕がそう言うと、栞は少しだけ表情を和らげた。
「……うん。私も、陽斗のことは大好き」
そう答える声は、とても優しかった。
しばらくして、栞は僕のほうへ向き直った。
「蓮くん」
「ん?」
「今日は、来てくれてありがとう。ミライリンクのことも、たくさん応援してくれて……」
「僕も楽しかったよ。みんなが頑張っているところを見られたし、栞の家族にも会えたから」
「……家族に会えたの、嬉しかった?」
「うん。栞がどんな人たちに囲まれて育ったのか、少しわかった気がする」
栞は目を伏せた。
「そっか……。それなら、よかった」
短い沈黙が流れる。
会場の向こうからは、最後の展示を案内する生徒たちの声が聞こえていた。
文化交流祭が終われば、またいつもの学園生活が始まる。
授業があり、部活動があり、それぞれの目標に向かって努力する日々が続いていく。
けれど、今回の文化交流祭を通じて、僕たちの間には確かなものが残った。
一緒に何かを作り上げること。
困ったときには助け合うこと。
そして、相手の頑張りを認め、応援すること。
それらは、きっとこれから先も変わらない。
「ねえ、蓮くん」
栞が静かに口を開いた。
「これからも、ミライリンクの改良を続けていくつもりなの。今回の結果を見て、もっと先まで進める気がしてきたから」
「うん。楽しみにしてるよ」
「だから……これからも、ときどき見に来てくれる?」
彼女は少しだけ不安そうに尋ねた。
「もちろん。栞が嫌じゃなければ、いつでも見に来るよ」
「嫌なわけないよ!」
栞は思わず声を大きくした。
それから、はっとして周囲を見回し、慌てて声を落とす。
「……その、来てくれたら嬉しい、って意味だから」
「うん。わかってるよ」
僕が微笑むと、栞も照れくさそうに笑った。
「じゃあ、約束ね」
「約束」
僕たちは小さく頷き合った。
その瞬間、栞の表情がふっと柔らかくなった。
「……なんだか、これからが楽しみになってきた」
「これから?」
「うん。ミライリンクのことも、部活動のことも。それから……」
そこで栞は言葉を止めた。
「それから?」
僕が聞き返すと、彼女は少し迷った後、首を横に振った。
「……ううん。まだ秘密」
「そっか。じゃあ、いつか聞かせてね」
「……うん。いつか、ね」
栞は微笑んだ。
その笑顔を見ながら、僕も思った。
未来には、まだ知らないことがたくさんある。
どんなことが待っているのか、今の僕にはわからない。
それでも、誰かと一緒に歩いていけるのなら、その先を知ることが少しだけ楽しみになる。
ミライリンクが僕たちの手で少しずつ形になっていったように、これから先の関係も、急がずに育てていけばいい。
文化交流祭の終わりが近づく中、僕たちはもう一度、展示スペースに並ぶミライリンクを見つめた。
小さなロボットが進んできた道のりには、失敗も、悩みも、たくさんの笑顔もあった。
そして、そのすべてが、これからの未来につながっている。
栞が大切に育ててきた夢も。
僕がこの学園で見つけ始めた、自分自身の居場所も。
まだ、完成したわけではない。
だからこそ、これからが楽しみなのだと思う。
「よし。最後まで頑張ろう、栞」
「うん、蓮くん!」
栞は明るく頷いた。
その声を聞きながら、僕は文化交流祭の残りの時間へと歩き出した。




