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夏の庭園と、二人だけの約束

文化交流祭二日目の午後。


星嶺学園の校内は、午前中にも増して賑わいを見せていた。


生徒たちが準備してきた展示や発表は順調に進み、来場者たちはそれぞれ興味を引かれた場所へと足を運んでいる。


麗華の芸術と音楽のサロンでの演奏を終えた蓮も、再び公式プレゼンターとしての仕事に戻っていた。


しかし、彼にはまだ一つ、果たさなければならない約束が残っていた。


前日の夜、陽菜が嬉しそうに話していた夏の庭園。


蓮は、彼女が準備してきた企画を見に行くと約束していたのだ。


次の活動の進行表を確認し終えたところで、ポケットの中のスマートフォンが震えた。


画面を見ると、陽菜からのメッセージが届いていた。


『蓮、もうお仕事は終わった? 庭園の準備ができたよ! 時間があったら見に来てね。待ってるから!』


蓮は思わず微笑んだ。


「……そろそろ行かないとな」


スマートフォンをしまい、彼は夏の庭園へと向かった。


歩きながら、自然と陽菜のことを考えていた。


陽菜はいつも明るく、思ったことを素直に口にする少女だ。


好きなものについて話すときは目を輝かせ、何かをやり遂げようと決めたときには、驚くほど一生懸命になる。


悠斗が蓮の身代わりを始めてから、彼女と過ごす時間は少しずつ増えていた。


一緒に出かけたショッピングモール。


学校で交わす何気ない会話。


そして、彼女が時折口にする、幼い頃の思い出。


そのたびに悠斗は、知らない記憶について不自然な返事をしないよう、慎重に言葉を選んできた。


陽菜にとって、蓮は幼い頃から一緒に過ごしてきた大切な友人なのだ。


しかし、今、彼女の隣を歩いているのは、本物の蓮ではない。


水原悠斗。


その事実は、どれだけ彼女との時間が楽しくなっても、決して消えることはなかった。


それでも、約束をした以上、きちんと足を運びたかった。


悠斗は少しだけ歩く速度を上げた。


やがて、校舎から離れた静かな一角に、夏の庭園の入口が見えてきた。


そこには、季節の花々をあしらった小さな看板が立てられていた。


看板の向こうには、石畳の小道が続いている。


道の両側には色とりどりの花が咲き、ところどころに背の高い植物が植えられていた。


すでに花開いているものもあれば、まだ小さな蕾のまま、これから咲こうとしているものもある。


奥には木製の東屋があり、その周囲には来場者が休憩できるよう、いくつかのベンチが置かれていた。


華やかさを競うような派手な装飾はない。


それでも、植物の配置や色の組み合わせには細やかな工夫が感じられ、庭園全体が穏やかな雰囲気に包まれていた。


「蓮!」


明るい声が聞こえた。


小道の向こうから、陽菜が駆け寄ってくる。


柔らかな色合いの上品なドレスをまとい、長い明るい茶色の髪を揺らしながら、彼女は嬉しそうに笑っていた。


「来てくれたんだ!」


「来るって約束しただろ?」


「うん! でも、本当に来てくれると嬉しいもの!」


陽菜は蓮の前で立ち止まると、満面の笑みを浮かべた。


「ようこそ、わたしの夏の庭園へ!」


まるで自分の大切な宝物を紹介するかのように、両手を広げて庭園を示す。


蓮は改めて周囲を見渡した。


「綺麗だね。すごく落ち着いた雰囲気だ」


「本当?」


「うん。文化交流祭の賑やかな雰囲気から少し離れて、ゆっくりできそうだ」


陽菜の表情がぱっと明るくなった。


「そう! それが、この庭園で一番大切にしたかったことなの!」


彼女は蓮の隣に並び、小道を歩き始めた。


「文化交流祭って、いろいろな催しがあって楽しいでしょう? でも、全部を見ようとすると、どうしても忙しくなっちゃうと思うの。だから、少しだけ立ち止まって、花を眺めたり、風を感じたりできる場所があったらいいなって思ったんだ」


「なるほど。確かに、ここに来ると気持ちが落ち着くね」


「でしょう?」


陽菜は嬉しそうに頷いた。


「まだ咲いていない花もあるんだけどね。本当は、今日までに全部咲いてくれたらよかったのに」


「植物にも、それぞれのペースがあるからね」


「ふふっ。蓮、たまにはいいことを言うのね」


「たまには、って何だよ」


「だって、最近の蓮は妙に落ち着いているんだもの」


陽菜はいたずらっぽく笑った。


「昔は、何かに夢中になると、周りが見えなくなっちゃうこともあったのに」


悠斗の胸が、ほんのわずかに強張った。


また、知らない記憶だ。


「……そうだったかな?」


彼は慎重に答えた。


「そうだよ。まあ、そういうところも蓮らしいと思っていたけどね」


陽菜は懐かしそうに笑ったあと、再び庭園に視線を向けた。


悠斗は、それ以上無理に話を合わせなかった。


知らないことを知っているふりをすれば、いつか矛盾が生じるかもしれない。


それよりも、今、目の前にあるものについて話すほうがいい。


「ところで、この庭園は全部、陽菜が考えたの?」


「全部というわけじゃないよ。先生や手伝ってくれた生徒たちにも相談したもの。でも、全体の配置や、どんな雰囲気にしたいかは、わたしが中心になって考えたんだ」


「それは大変だっただろうね」


「うん。花の種類を調べたり、日当たりを確認したり、色の組み合わせを考えたり……。思っていたより、ずっと大変だったよ」


陽菜は苦笑した。


「途中で、何度も配置を変えたんだから」


「それだけ真剣に取り組んだってことだね」


「……そう言ってもらえると嬉しいな」


陽菜は少し照れたように微笑んだ。


蓮が自分の努力を認めてくれた。


それだけのことなのに、胸の奥が温かくなる。


「陽菜」


「なあに?」


「この庭園、きっとたくさんの人が気に入ると思うよ。花を並べるだけじゃなくて、訪れる人がどう過ごすかまで考えているんだから」


陽菜は足を止めた。


「……ありがとう、蓮」


その声は、先ほどまでの明るい調子とは少し違っていた。


心から嬉しいと思っていることが、自然に伝わってくる声だった。


二人が小道を進んでいると、庭園の入口付近から聞き覚えのある声がした。


「陽菜」


振り返ると、陽菜の両親がこちらへ歩いてくるところだった。


「お父さん! お母さん!」


陽菜はぱっと顔を輝かせ、二人のもとへ駆け寄った。


「来てくれたのね!」


「もちろんよ。あなたが準備してきた庭園だもの。ちゃんと見に来たかったわ」


母親が優しく微笑んだ。


父親も周囲を見渡し、感心したように頷いた。


「これはよくできているな。派手さを求めるのではなく、落ち着いて過ごせる場所に仕上げたんだね」


「うん! 来てくれた人たちに、ゆっくり楽しんでもらいたかったの」


陽菜は嬉しそうに説明した。


「それぞれの花が綺麗に見えるように配置したり、日陰で休める場所を作ったりしたんだよ」


「素敵な考え方ね」


母親は娘の髪を優しく撫でた。


「見た目の美しさだけではなく、訪れる人のことまで考えたのね」


「えへへ……。ありがとう、お母さん」


陽菜は照れくさそうに笑った。


父親も、もう一度庭園を見渡した。


「よく頑張ったね。準備にはかなり時間がかかったんじゃないか?」


「うん。でも、友達も手伝ってくれたから」


「そうか。周りの人たちと協力して、一つのものを作り上げたんだな」


父親は満足そうに頷いた。


「それも大切な経験だよ」


「……うん!」


陽菜の表情が、さらに明るくなった。


その様子を少し離れたところから見守っていた蓮に、父親が気づいた。


「蓮くん」


「こんにちは」


悠斗は丁寧に頭を下げた。


陽菜の両親とは、すでに以前の機会に顔を合わせている。


だから、今回も挨拶は自然なものだった。


「来てくれたんだね。陽菜の庭園を見に来てくれてありがとう」


父親が穏やかに言った。


「いえ。陽菜から話を聞いていたので、僕も楽しみにしていたんです」


「そうか。娘も喜んでいるようだ」


父親は陽菜を見て、少しだけ意味ありげに笑った。


「蓮くんが来てくれて、よかったな」


「お、お父さん!」


陽菜が慌てて声を上げる。


「何よ。事実を言っただけじゃないか」


「そういう言い方をしないでよ!」


母親も、娘の反応を見てくすくすと笑った。


「ふふっ。陽菜、せっかくだから蓮くんに庭園を案内してあげなさい。まだ見せたいところがあるんでしょう?」


「そ、それは……!」


陽菜は顔を赤くした。


「……あるけど」


最後の言葉は、ほとんど聞こえないほど小さかった。


蓮は困ったように笑った。


両親の前で照れている陽菜は、普段より少し幼く見えた。


けれど、そんな様子からも、彼女が家族に大切にされていることが伝わってきた。


「私たちは、ほかの展示も見てくるわね」


母親が言った。


「陽菜、あまり無理をしないこと。あなた一人で全部を背負う必要はないんだから」


「分かってるよ、お母さん」


「それならいいわ」


父親も蓮に軽く頭を下げた。


「では、蓮くん。娘をよろしく頼むよ」


「はい」


陽菜は両親を見送ったあと、しばらくその場で立ち尽くしていた。


「……もう、お父さんもお母さんも」


小さく呟き、恥ずかしそうに頬を膨らませる。


蓮は微笑んだ。


「二人とも、陽菜のことを大切に思っているんだね」


「……うん」


陽菜は少しだけ表情を和らげた。


「昔からそうなの。わたしが何かを頑張ると、いつも見に来てくれるんだ」


「いいご両親だね」


「うん。自慢の両親だよ」


陽菜は照れくさそうに笑った。


「……だからこそ、今日はちゃんと見てもらいたかったの。この庭園を」


「きっと、二人にも陽菜の気持ちが伝わったと思うよ」


「そうだといいな」


陽菜は庭園を見渡した。


それから、何かを思い出したように蓮へ向き直る。


「そうだ! まだ蓮に見せていない場所があるんだった!」


「まだあるの?」


「もちろん! こっちだよ!」


陽菜は先に立って歩き出した。


蓮も、その後を追う。


小道を少し外れたところに、木々に囲まれた小さな休憩スペースがあった。


木製のベンチと小さなテーブルが置かれ、周囲にはいくつかの鉢植えが並んでいる。


木漏れ日が地面に揺れ、遠くから聞こえる祭りの喧騒も、ここでは柔らかく響いていた。


「ここが、わたしのお気に入りの場所なの」


陽菜は嬉しそうに言った。


「来てくれた人が、ここに座って花を眺めたり、少し休んだりできるようにしたんだ」


蓮は周囲を見回した。


「確かに、落ち着くね」


「でしょう?」


陽菜は満足そうに頷いた。


「庭園のデザインを考えているとき、ここで誰かがゆっくり過ごしているところを想像したの。花を見たり、風を感じたり、何も考えずにぼんやりしたり……。そういう時間があってもいいと思ったんだ」


「いい考えだと思うよ」


「それでね……」


陽菜は少しだけ言葉をためらった。


「ここを、誰かと一緒に過ごせたらいいなって思ったの」


蓮は彼女を見た。


「誰かと?」


「う、うん」


陽菜は花に視線を落とした。


「……特定の誰か、だけど」


その言葉を口にした瞬間、陽菜の頬が赤くなった。


蓮はすぐには返事をしなかった。


彼女が何を言おうとしているのか、完全には分からない。


けれど、今は無理に尋ねる必要もないように思えた。


「少し座ろうか」


蓮がそう提案すると、陽菜はほっとしたように頷いた。


「うん」


二人はベンチに腰を下ろした。


しばらくの間、言葉を交わさずに庭園を眺めた。


木々の葉が風に揺れ、花々が穏やかな光を受けている。


文化交流祭の賑やかな声は、ここまで届くころには遠くなっていた。


「ねえ、蓮」


やがて陽菜が口を開いた。


「小さい頃、わたしは蓮と一緒にいる時間が好きだったんだ」


悠斗の胸が、わずかに締めつけられた。


陽菜は昔を懐かしむように微笑んでいる。


「もちろん、今もそうだよ。だけど、昔は何も考えずに一緒に遊べたでしょう? 次の日に何をするかとか、どこへ行くかとか、そんなことばかり考えていた気がする」


彼女は膝の上で手を組んだ。


「今は、少しずつ変わってきたよね。学校のこともあるし、将来のことも考えなきゃいけないし……。前みたいに、いつでも一緒にいられるわけじゃない」


蓮は黙って耳を傾けた。


「でもね、わたしは昔の思い出だけを大切にしていたいわけじゃないの」


陽菜は、ゆっくりと顔を上げた。


「昔のことは、もちろん大切だよ。忘れたくないし、これからも覚えていたい。でも、それだけじゃなくて……これからも、蓮と新しい思い出を作っていきたいんだ」


その声には、いつもの明るさとは違う、真剣な響きがあった。


「今日の文化交流祭もそう。わたしが頑張って準備した庭園を見てもらいたかったし、蓮と一緒にこの場所を歩いてみたかった」


陽菜は少し照れくさそうに笑った。


「だから、来てくれて本当に嬉しい」


悠斗は、胸の奥が温かくなるのを感じた。


同時に、強い罪悪感も押し寄せてきた。


陽菜は、目の前にいる自分を幼い頃から知る友人だと思っている。


一緒に過ごした時間も、共有した思い出も、彼女にとっては本物だ。


けれど、それを共有してきたのは、本来なら自分ではない。


本物の西園寺蓮なのだ。


自分は、彼女の記憶を持っていない。


彼女が語る思い出のすべてに、同じ気持ちで頷くことはできない。


それでも、今、彼女が自分に向けてくれている言葉を、適当に受け流したくはなかった。


「……陽菜」


「なあに?」


悠斗は少し考えてから答えた。


「大切な思い出を持っていることは、素敵なことだと思う。でも、今の時間を大切にすることも、同じくらい大事なんだろうね」


陽菜は目を瞬かせた。


「今の時間……?」


「うん。過去のことを覚えているだけじゃなくて、これから何をするか、どんな時間を一緒に過ごすか。そういうことも、きっと思い出になっていくんだと思う」


言葉にしながら、悠斗は祖父のことを思い出していた。


一緒に食べた食事。


疲れた日に交わした何気ない会話。


特別なことがなくても、毎日の小さな出来事は、いつの間にか大切な記憶になっていた。


「この庭園だって、今日ですべてが完成するわけじゃないだろう?」


悠斗は、まだ蕾のままの花を見た。


「これから咲く花もあるし、季節が変われば違う景色になる。今日だけじゃなくて、これからも楽しめる場所なんだと思う」


陽菜は、彼の横顔をじっと見つめていた。


「……蓮って、そんなことを考えていたんだね」


「そうかな?」


「うん。なんだか、少し大人になったみたい」


陽菜は小さく笑った。


「でも、そういうところも好きだよ」


「……え?」


悠斗は思わず聞き返した。


陽菜は自分の言葉に気づき、慌てて両手を振った。


「ち、違うの! 今のは、友達としてっていうか……! ほら、昔から一緒にいるから、そういうところもいいなって思っただけで!」


顔を真っ赤にして言い訳を続ける陽菜。


悠斗は、どう返すべきか分からず、困ったように微笑んだ。


「……ありがとう、陽菜」


それだけ答えるのが精いっぱいだった。


陽菜は恥ずかしそうに俯いたあと、そっと息を吐いた。


「……うん」


しばらくして、彼女は庭園へと視線を向けた。


「ねえ、蓮。まだ咲いていない花があるでしょう?」


「ああ」


「あと何週間かしたら、きっともっと綺麗になると思うの。今よりも花が増えて、庭園の雰囲気も少し変わるはずだよ」


「楽しみだね」


「うん。わたしも、もう一度見たいと思っているの」


陽菜は少しだけ迷ったあと、彼の方を向いた。


「……ねえ。花が咲いた頃に、もう一度ここへ来てくれない?」


悠斗は彼女を見つめた。


陽菜は膝の上で手をぎゅっと握っていた。


「文化交流祭だからとか、学校の仕事があるからとか、そういう理由じゃなくて……。ただ、一緒に庭園を見たいの」


彼女の声は、次第に小さくなっていった。


「蓮と一緒に、この場所で過ごしたいんだ」


悠斗は返事をするまで、少しだけ時間をかけた。


自分がいつまで蓮の身代わりを続けることになるのか、まだ分からない。


本物の蓮がアメリカから戻ってきたとき、今の関係がどう変わるのかも分からない。


簡単に未来の約束をしていいのだろうか。


一瞬、そんな考えが頭をよぎった。


けれど、陽菜は何か特別なものを求めているわけではなかった。


ただ、自分が大切にしている場所を、もう一度一緒に見てほしいと言っているだけなのだ。


その願いを、未来への不安だけを理由に断りたくはなかった。


「……うん。花が咲いた頃に、また来よう」


悠斗は穏やかに答えた。


「約束するよ」


陽菜の表情がぱっと明るくなった。


「本当?」


「本当だよ」


「絶対だからね?」


「分かった。絶対に忘れない」


陽菜は嬉しそうに笑った。


「よかった……!」


その笑顔を見て、悠斗の胸にも温かなものが広がった。


同時に、少しだけ苦しくもなった。


彼女が喜んでいるのは、蓮が約束してくれたと思っているからだ。


それでも、今ここで彼女と交わした約束を大切にしたいという気持ちは、悠斗自身のものだった。


「じゃあ、花が綺麗に咲くように、これからもちゃんとお世話をしなきゃね!」


陽菜は立ち上がり、庭園を見渡した。


「次に来たときには、もっと素敵な場所になっているはずだから!」


「無理はしないでね。植物にも、それぞれのペースがあるんだから」


「分かってるよ!」


陽菜は振り返り、いたずらっぽく笑った。


「でも、蓮がまた来てくれるなら、少しくらい頑張っちゃうかも」


「ほどほどにね」


「はーい!」


二人は顔を見合わせて笑った。


ほんの短い時間だった。


けれど、そこには文化交流祭の進行や、家柄や、周囲の視線を気にする必要のない、穏やかな空気が流れていた。


悠斗は、その時間を忘れたくないと思った。


ただし、その気持ちに甘えてはいけないことも分かっていた。


自分は本物の蓮ではない。


彼女が信じている関係を守りたいと思うなら、なおさら、その事実から目を背けることはできない。


今はまだ、何も答えを出せない。


だからこそ、せめて任された役目を果たしながら、目の前の相手に誠実でありたいと思った。


やがて、蓮は残っている仕事に戻るため、庭園を離れることになった。


陽菜は入口まで彼を見送った。


「今日は来てくれてありがとう、蓮」


「こちらこそ、案内してくれてありがとう。とてもいい庭園だったよ」


「まだ完成じゃないからね。次に来たときには、もっと綺麗になっているんだから!」


「それは楽しみだ」


蓮は微笑んだ。


「また来るよ」


「……うん。待ってるね」


陽菜は嬉しそうに頷いた。


蓮が歩き去っていく。


その姿が来場者たちの間に消えるまで、陽菜は入口に立っていた。


やがて、彼の姿が見えなくなると、ゆっくりと庭園へ戻った。


木々の葉が風に揺れている。


小道の両側では、花々が午後の光を受けていた。


陽菜はお気に入りのベンチに腰を下ろし、まだ蕾のままの花を見つめた。


「……次に来る頃には、咲いているといいな」


小さく呟き、微笑む。


今日、蓮と一緒に過ごした時間は、彼女にとって大切な思い出になった。


幼い頃の記憶だけではなく、今の自分たちだからこそ作れた、新しい思い出。


そして、花が咲いた頃にまた会うという約束。


それは、陽菜にとって小さな希望だった。


一方、校舎へ戻る道を歩いていた悠斗は、ポケットの中のスマートフォンに届いた生徒会からの通知を確認した。


まだ、やらなければならない仕事は残っている。


明日の閉会式に向けた確認も必要だ。


悠斗は画面を閉じ、歩き続けた。


ふと、先ほどの庭園を思い出す。


陽菜の笑顔。


彼女が両親に褒められたときの嬉しそうな表情。


そして、花が咲いた頃にもう一度来てほしいと頼んだときの、少し照れた顔。


どれも、簡単には忘れられそうになかった。


(……俺は、どこまでこの関係を続けていけるんだろう)


本物の蓮が帰国したとき、すべては変わるのかもしれない。


陽菜が今の自分に向けている笑顔も、交わした約束も、同じ形では続かなくなる可能性がある。


それでも、今日の時間まで偽物だったとは思いたくなかった。


陽菜が一生懸命に育てている花も、彼女が庭園に込めた願いも、両親から向けられた愛情も、すべて本物だ。


そして、それらを見て感じた自分の気持ちも、嘘ではない。


悠斗は静かに息を吐いた。


今は、まだ答えが見つからない。


それでも、交わした約束は大切にしたいと思った。


夏の庭園では、まだ咲いていない花々が、静かにその時を待っている。


そして、二人の関係もまた、まだ見ぬ未来へ向かって少しずつ変化し始めていた。


小さな庭園で交わした、二人だけの約束。


その意味を、今はまだ、どちらも最後まで理解していなかった。


それでも、いつか花が咲く頃に。


二人は再び、この場所で会うことになる。

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