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恋敵?いいえ、最強の相棒ですわ!  作者: 章槻雅希


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第7章 恋敵? いいえ、最強の相棒ですわ!

 シガンダ公爵嫡孫マルセリノの誕生から7年。シガンダ公爵領は王国でも屈指の豊かで安定した領地となっていた。


 オリハルコン鉱山の共同開発は順調に進み、その利益は街道や港湾整備、新たな産業への投資へ回される。農地は広がり、商人は増え、領都は以前にも況して活気に満ちている。


 その功績を誰が成し遂げたのか。それを知らぬ者は、最早貴族社会にはいなかった。








「フロレンシア」


 執務室へオラシオが入ってくる。精力的に領政に携わっていた彼も白髪が目立ち始めていた。年齢のせいばかりではない。不肖の息子に関しての気苦労が彼を年齢以上に老けさせていた。だが、その苦労から漸く解放される。


「お義父様」


 フロレンシアは仕事の手を止め、立ち上がり義父を迎え入れる。


「これをご覧」


 一通の書類が机に置かれる。そこには王城へ提出する正式な文書が綴られていた。──『シガンダ公爵家家督継承並びに後見人選任について』


 フロレンシアは静かに読み進める。


 内容は解っていた。何年も前から決められていたことだ。長男マルセリノを次代のシガンダ公爵とする。爵位の継承は3年後。それでもまだ10歳だ。ゆえに18歳の成人までは母フロレンシアが後見人として領政を担い、マルセリノ成人後に段階的に権限を委譲する。


 現嫡子であるナサリオは不摂生の影響で病臥しており、公爵位の激務には耐えられないため、嫡孫であるマルセリノが公爵となる。勿論、ナサリオの病臥は表向きの理由だ。


 当初、ナサリオに公爵位を継がせ実権はフロレンシアが握る予定だった。だが、結婚してからの彼の言動を見るに、公爵位を与えてはシガンダ公爵家の名を穢してしまう可能性が大きい。実権はなくとも腐っても公爵である。全く表に出ない、発言させないということは無理だ。そうすればマルセリノが公爵になったときの最初の仕事は父の後始末ということにもなりかねない。


 そういった懸念から、祖父オラシオから孫マルセリノへの直接の継承となった。ここのところオラシオも加齢による健康の不安もあり、3年後の爵位継承を決断したことにする。実際には領内がフロレンシアを領主と認め、貴族社会でも徐々に女性の社会進出を容認する空気が出来つつあることが理由だ。


「予定通りですわね」


「ああ」


 オラシオは満足そうに頷く。


「国王陛下にも既に内々にご了承いただいている」


「ありがとうございます」


「礼を言うのは私のほうだ」


 オラシオは深々と頭を下げた。


「この8年間、公爵家を支えてくれてありがとう」


「お義父様……」


「息子では到底成し得なかった」


 その言葉には父親としての寂しさがあった。だが同時に、公爵としての誇りもあった。


「領民は飢えることなく安心して暮らしている。商人も活発に飛び回っている。使用人も胸を張って誇りを持って働いている」


「それは皆さまのお力です」


 フロレンシアは首を振る。


「違う」


 オラシオは穏やかに微笑む。


「君だから、皆が力を貸したのだ」


 その言葉に、フロレンシアは少しだけ照れたように笑った。








 数日後、王城へ正式な書類が提出された。内容は嘗て密かに下された王命に充分に応えるものだった。ナサリオの爵位継承権剥奪、嫡孫マルセリノの後継者指名と3年後の襲爵、フロレンシアの後見人指名。ナサリオは継承権剥奪と同時に『領地の自然豊かな別宅での療養』となり、マルセリノ襲爵後は現公爵夫妻も別邸にて隠居(監視)する。


 シガンダ公爵家より提出された書類に、国王パウリノ三世は迷うことなく署名した。


「漸くここまで来たか」


 王は感慨深く呟く。フロレンシアやその学友たちの着実な手腕によって女性が領地経営に関わることを容認する家が増えてきた。いや、これまで夫や息子、或いは父や兄の陰に隠れて見えなかった者たちに漸く光が当たるようになった。


「長い8年でしたわね」


 王妃カルメンシータも微笑む。彼女もまた漸く御前会議への出席が認めらるようになった。まだ発言は歓迎されていないが、それでも一歩進んだ。


「これで、前例が出来た」


 王は窓の外を見る。その方角にはシガンダ公爵領がある。


 一人目。それが最も難しい。だが、前例が出来れば『以前にも認められている』という事実が力を持つ。


「次の世代ではもっと女性が表に出られる国にしたいものですね」


 王妃の言葉に王は力強く頷いた。


 フロレンシアの実弟シルベストレ・エチェバルリアは既に宰相府で頭角を現し始めている。今はまだ若く経験が不足しているが、あと10年もすれば研鑽を積み世知にもある程度長け、充分な狸に化けるだろう。そうすれば若き宰相の誕生だ。丁度その頃にはシガンダ公爵家をマルセリノが継承する。公爵領の経営から幾分手の離れた姉を顧問として招き、女性の爵位継承や社会進出のための政策を進めるのではないか。王にはそんな未来が見えていた。


「その礎を築いてくれたのが、あの()だ」


 嘗てエチェバルリア公爵令嬢だった少女は、誰もが認める名領主となっていた。


 そして、その陰にはもう一人。誰にも知られぬまま、8年間『恋人』を演じ続けた、最強の相棒がいたのである。








 シガンダ公爵家後継者交代の申請から数日後。公爵位は3年後に10歳のマルセリノへと継承され、後見人として領政を担うのは母フロレンシアであることが王城にも正式に認められた。ゆえにフロレンシアには既に『領主代行』の肩書が与えられている。


「漸く肩の荷が下りますわね」


 私室で紅茶を飲みながら、ドミティラが穏やかに微笑む。愚かな息子に悩まされ続けた彼女も公爵領と公爵家の未来が確定したことで漸く安堵できた。あの嫁と、それによく似たあの孫であれば、何の心配もいらない。他の二人の孫たちも兄を慕い、兄の役に立ちたいと母に付いて学んでいる。


「これで安心して余生を送れる。まぁ、隠居するのは3年後だがな」


 オラシオも頷いた。既に領政の大半はフロレンシアが見ている。オラシオがしていたのはどうしてもシガンダ公爵家当主としての判断或いは印章が必要な案件だけだった。それらについても徐々にフロレンシアに引き継ぎつつマルセリノに教えていくことになるだろう。


 そして、3年後には領地の片田舎にある別邸で隠居生活になる。親子3人での生活だ。


「……ナサリオは」


 夫婦は顔を見合わせた。彼の処遇が一番の悩みの種だった。けれど、決めた。これから先の公爵家に彼を残しておく理由はない。だが、安易に追放・放逐も出来ない。


「領地の別邸での療養だな」


 オラシオが深い嘆息と共に言った。


 既に別宅の準備は整っている。使用人も手配した。騎士を引退した庭師と門番兼御者、元冒険者のメイドと料理人。ナサリオが暴れても充分に制圧できる者たちだ。エチェバルリア公爵が紹介してくれた、フロレンシアに恩義を感じている者たちだということだ。


「王都からも領都からも離れた地だ。日がな酒でも飲んで暮らせばいい」


「そうですわね」


 ドミティラも頷いた。何もない、長閑な地だ。ナサリオにはそれくらいしか出来ることはないだろう。








 ナサリオが別邸へ出発する日が来た。


 ナサリオは父が決めたこの措置に納得してはいなかった。何故自分が公爵になれないのか。自分はたった一人の息子で、生まれたときから次期公爵だったはずだ。それなのに何故自分を飛び越して息子が公爵になるのだ。そう抗議したナサリオに、父は冷酷に告げたのだ。


「お前に公爵は務まらん。お前に任せれば領民を苦しめ、領地を荒らし、爵位を剥奪されることになるだろうことは明らかだからな。放逐されたいか? いや、放逐してもお前の性根は変わらんだろうし、フロレンシアや子供たちの迷惑になるだけだ。いっそ本当に病で死ぬか?」


 父の目は本気だった。拒否すれば本当に自分の命は消えてしまう、そう思わせるものだった。領地の別邸で大人しく過ごすのであれば、使用人も付けるし、それなりの生活費と遊興費も渡す。3年大人しくしていれば王都で年に一度くらいは遊ぶことも許してやる。そう言われてしまえば、自分で収入を得ることの出来ないナサリオは受け入れるしかなかった。


 別邸は辺鄙な田舎だが、数年大人しくしていれば、またマカリアと楽しく遊んで暮らせるだろう。ナサリオはそう考えた。


 このときまでナサリオはマカリアが自分と共に別邸へ移るのだと信じていた。しかし、そんな夢想はあっさりと打ち砕かれる。


「マカリア、荷造りは済んだのか?」


 明日には別邸へと移るという日、ナサリオはマカリアの部屋を訪れた。ナサリオの別邸行きが決まってからというもの慌しくてゆっくりとマカリアと過ごす時間も持てなかった。だから、公爵邸で過ごす最後の日に、庭の散歩に誘った。


 ナサリオにとってマカリアは自分を愛し8年間日陰の身で耐えてくれた女だった。


「あたしに荷づくりは必要ありませんよ」


 いつもの甘えた口調ではなかった。いつもの気の抜けるようなへにゃりとした笑顔でもなかった。それに若干の不安を覚えながら、ナサリオは尋ねた。


「お前も一緒に来るんだろう?」


「行きませんよ」


 マカリアはにっこりと笑う。けれど、今迄の笑顔とどこかが違う。


「え?」


「だって、あたしの仕事、終わりましたし」


「仕事?」


「はい」


 その笑顔は学生時代から浮かべていた『恋する女性』の笑顔ではない。フロレンシアの前だけで見せる、悪戯っぽい笑顔だった。


「ナサリオ様って本当に頭の中がお花畑なんですね」


「……は?」


「フロレンシア様とあたしが、ナサリオ様を取り合ってるって、本気で思ってたんですか?」


「違うのか?」


「違いますよ、気持ち悪い」


 あっさりと否定された。しかも気持ち悪いとまで言われた。そのことにナサリオは呆然とする。


「フロレンシア様は」


 マカリアは誇らしげに胸を張った。


「あたしが5歳のときからお仕えしている、一番大切なお嬢様です」


「…………」


「虐められたことなんて一度もありません」


「だ、だが、学院で……!」


「あたしを虐めてたのは、下位貴族の令嬢たちですよ」


 確かに学生時代にマカリアは虐めを受けていた。尤もマカリアは全く堪えていなかったが。


「え?」


「公爵令息と仲良くしてるのが気に入らない人たちと、エチェバルリア公爵家の評判を落としたい人たちが組んでただけです」


 フロレンシア自身は非の打ちどころがなく人望も厚かったため彼女を貶めることが出来ず、その婚約者の愛人に嫌がらせをすることで婚約者との仲に罅を入れることを狙っていたらしい。尤も、婚約者との関係は罅が入るほどの絆も信頼も情もなかったため無意味なことだった。


 マカリアの説明にナサリオの顔から血の気が引く。それはマカリアが自分を愛してなどいなかったことだけでなく、フロレンシアもまたナサリオに一切の愛情がなかったということだ。これではまるで道化ではないか。


「フロレンシア様はちゃんと守ってくださいました」


 マカリアは柔らかく笑う


「そんな……」


「それに」


 肩を竦める。


「あたし、最初から公爵夫人なんて興味ありませんし」


「嘘だ!」


「本当ですよ」


 ケロリと言う。


「男爵家の娘が公爵夫人なんて無理です」


「……」


「高位貴族のマナーなんて覚えられませんし」


 侍女としてそれに準ずるものは身に付けているが。


「……」


「社交界で笑顔で戦争するとか絶対無理」


「……」


「だから、全部フロレンシア様にお任せです」


 当然のことだと言い切った。


「じゃあ……」


 ナサリオの声が震える。


「俺との8年間は……」


「ああ」


 マカリアは満面の笑みを浮かべる。


「お仕事です」


「…………」


「ナサリオ様が領地に不利益なことしないように遊びに連れ出して」


「…………」


「領地経営を全部フロレンシア様に任せてもらって」


「…………」


「あと」


 人差し指を立てる。


「ちゃんとフロレンシア様との間に子供作っていただくように誘導するのもお役目のはずでした」


 ナサリオの目が大きく見開かれる。


「最初は」


 マカリアは笑顔のまま続ける。


「フロレンシア様を全然見てなかったから、ちゃんと閨に行くように誘導する予定だったんですよ」


「…………」


「でも」


 噴き出した。


「ナサリオ様、フロレンシア様のお体に夢中でしたから」


「…………」


「だから、排卵期だけ送り出して、それ以外は止めるお仕事に変わりました」


 全部、管理されていた。愛されていたと思っていた。慕われていたと思っていた。選ばれていたと思っていた。その全てが違った。自分はただ、操縦されていただけだった。


「……そんな」


「お疲れさまでした」


 マカリアは深々と頭を下げた。


「8年間、ご協力ありがとうございました」


 その一礼が何よりも残酷だった。








 二人の散歩ルートから少し離れた四阿。そこで様子を見ていたフロレンシアは静かに紅茶を口へ運ぶ。


「終わったみたいね」


「終わりましたね」


 戻ってきたマカリアも隣に座る。


「怒っていたの?」


「あまりのことに放心してました」


「そう」


 二人は顔を見合わせ、苦笑した。


「リア、8年間、いいえ、学院時代を含めれば10年近く、本当にありがとう」


「何言ってるんですか」


 マカリアが照れくさそうに笑う。


「親友じゃないですか」


「そうね」


「お嬢様が幸せなら、あたしも幸せです」


「あなたも充分幸せそうだったけれど?」


「そりゃそうですよ」


 肩を竦める。


「好きなだけ美味しいもの食べられて」


「うん」


「綺麗なお洋服着られて」


「ええ」


「社交しなくてよくて」


「ふふ」


「しかもお嬢様の近くにいられたんですから」


 二人は笑い合う。


 その笑顔は学院の頃と何も変わらない。


 主従。親友。そして。最強の相棒だった。








 真実を知ったナサリオは呆然としたまま別邸へと移った。そして、呆然としたまま日々を流されるように過ごした。そんな彼にも転機が訪れる。


 彼が別邸へと移って十数年後、王国で一人の庭園設計士の名が知られるようになった。


「この庭園もナサリオ殿の設計か」


「見事だな」


「あの放蕩息子がなぁ。元公爵令息とは思えん」


 風光明媚な田舎町。ただそれだけの辺鄙な田舎に遊ぶ場所などなかった。1日中何をするでもなく過ごすナサリオに元騎士の庭師が業を煮やして庭木の剪定を無理やり教え込んだ。怒鳴られながらも枝を切っていたナサリオは次第にその面白さに目覚めた。気付けば庭造りに夢中になっていた。彼は生まれて初めて夢中になれるものを見つけたのだ。


 貴族令息として育ったころには決して見つけられなかった才能。それは皮肉にも、公爵家から退場させられた後に花開いた。








 「まさか」


 完成した庭園を眺めながら、フロレンシアがしみじみと言う。


「庭師の才能があったなんて」


「人生って解らないものですよねぇ」


 マカリアも頷く。


「貴族令息のままだったら、一生気付かなかったでしょうし」


「そうね」


 二人は美しく整えられた庭園を眺める。自分たちが不要と切り捨てた人物は、今は己の才能一つで充実した人生を歩んでいる。尤も庭造り以外では昔のままの自信過剰で放蕩者ではあるのだが。


 祖父が作った庭を孫たちが駆け回り、遠くから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


「リア」


「はい」


「貴女がいてくれて、本当に良かった」


「当然です」


 マカリアは胸を張った。


「あたしは、お嬢様の専属侍女で」


 一拍置いて、ニカっと笑う。


 フロレンシアも堪えきれずに笑う。


「ええ」


「恋敵だった?」


「いいえ」


 二人は声を揃えた。


「最強の相棒ですわ」


 二人の笑い声は穏やかな風に乗って、庭園一杯に広がっていった。


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