第62話 決断と根回し
超賢者スペルが提示した期限は一週間。
ただしこの期限は厳しいものではない。単に諸々の手続きを済まし、円滑にエウレカへの移住に関する状態――住居や住民票登録など――を整えるのに二週間は必要で、一週間以内に明確にエウレカへ行くことを決定できれば、スペルら世界会議に出席している学術都市エウレカの上層部と一緒に入国ならぬ入都市ができ、面倒が少ないというだけである。
ただしその裏には、なるべく早く研究を進めたいという研究者の業というものが潜んでおり、早ければ早いほどいいという超賢者の思惑が透けていた。
それだけ熱心に勧誘されれば悪い気はしない。
また和成自身、知的好奇心はある方なのでその心理は理解できる。
だからそのこと自体に問題はない。
問題はないのだが。
「エウレカへ行くことを前提とした場合、色々と考えないといけなことがある。だから、そこんとこをちゃんとしとかないといけないんだよね」
「例えば?」
流れで和成の事情に深く食い込んでしまった姫宮が、そのまま流れで尋ねる。
仮にここで和成が自力で何とかすると主張しても、彼女が首を突っ込まないということはないだろう。そういうお節介で親切な少女なのだ、姫宮は。
良くも悪くも。
「まずはメルさんの扱い」
「ああ、和成くんの護衛をしているメイドさん――て、あの人、今どこで何をしてるの?」
「たぶん、どこかで何かをしてるんだろうね」
何の説明にもなっていない含みがある台詞に、自然と姫宮の目が怪訝なものへ変わっていく。
「どういうこと?というかあの人って、ちゃんと護衛の仕事を果たせてるの?なんかそんな印象がないんだけど」
「・・・これはあくまで俺の私見なんだけど、完璧な護衛って言うのは、護衛対象を完璧に守り抜くだけだと駄目だと思うんだよ」
「早く結論を言ってよ」
「つまり、護衛対象に自分が護衛されていることすら気付かせないのが、完璧な護衛なんじゃないかと思うんだよね。――そうでないと、真面目そうで有能なあの人が、偶に気が付けばいなくなってる理由がつかない」
「――え、じゃあ、あの人、今もどこかで、何かお仕事してるってこと?必殺仕事人?」
「単なる俺の妄想かもしれないけどね。根拠は特にないし」
「ふーん。つまり、メルさんが和成くんの護衛のままかどうかも、王様と相談しとかないといけない訳か」
メルはエルドランド王国国王、キングス直属の部下である。
彼個人の命令を受けて動く、かなり特殊な従者だ。
「ただまぁ、それは俺個人がどうこうできることではない。キングス王の采配ひとつだ。だからそれ以上に、ハピネスの教育係の方をどうするか――なんだよな」
「・・・どうしようもないんじゃない?エウレカに行って、目的の“魔法技術の習得”と“ステータスに関する研究のお手伝い”をやってたら、教育係とかどうやっても無理じゃん」
「ついでに言うと、ハクさんとの文通。ジェニーさんとの商売。あとはスペル先生から貰った古文書の解読の仕事もある。ルルルから神殿の行事や修行に携われば女神様の寵愛を受けられるかも――というお誘いが来たこともある。ああ、あとライオンハルトさんからも、この人の相談に乗って欲しいって話がそれとなく・・・」
「抱え込み過ぎだよ!あとそれ以外にも色々あるんでしょ!?それだけじゃないんでしょ!?」
「あくまで権力者の断り辛いお誘いと、軽々しく投げだせない報酬が絡む責任あるお仕事を列挙しただけだからなー。友達のみんなとの付き合いまでは含めていない」
「まったく・・・優先順位をつけるとどうなるの?」
「ルルルの御誘いは断る。これは初めからそのつもりだった。女神様に対して一応、敬意は払うけど、俺は女神様が嫌いだ。まずは向こうから謝罪をしろ!話はそれからだ。
ライオンハルトさんの話も受けない。そろそろボロが出るかもしれないからな。次も上手くいくとは限らん。
次に古文書の解読。これは何ともいえない。“ステータスに関する研究のお手伝い”と“古文書の解読”のどちらかしか行えないってなった時に、研究者であるスペル先生が、自分の研究とお孫さんの研究のどちらを優先するか読めない。あとで聞いとかないとね。
ハクさんとの文通。これはあまり問題ない。キリがないから一度に交わすやり取りの上限は決めているし、ハクさん自身が忙しいからしょっちゅうやり取りできるわけじゃない。
ジェニーさんとの商談もそこまで問題にはならない。何時日本に帰ることになるか分からないから、何時でも終わらせられる契約を結んでおいた。にっちもさっちも行かなくなったら、事情を説明して契約は切らせてもらう。最悪、信用を失うことになるのは少し痛いけどね」
「つまり、和成くんの優先順位の一番は、やっぱりエウレカに行くことなんだね」
「そうだな。と言うかそもそも俺が人脈や金策を推し進めたのは、自分なりに戦争に対抗するための手段を確保するためだ。お金も人脈も、自衛の手段を持つの手段だ。お金はオールマイティな手札になるから、積極的に金策を推し進めた。人脈も強力な武器になるから、構築するために積極的に動いた。多少のリスクは背負いながら。それで、極上すぎるぐらいに極上な結果を手に入れた訳だけど――」
天龍連合王国の象徴『白龍天帝』のハク(仮称)。
有数の大商会『モウカリマッカ商会代表』、ジェニー・モウカリマッカ。
ホーリー神国『姫巫女』、ルルル・ホーリー・ヴェルベット。
エルドランド王国騎士団の元重鎮、ライオンハルト・ガオーレ。
エルドランド王国における医者の権威、シュドルツ・アスクレピオス。
学術都市エウレカのトップである超『賢者』スペル・デル・ワードマン。
エルドランド王国『王女』、ハピネス・クイン・エルドランド。
「何なんだこの頭のおかしいラインナップは? 結果がちょっと極上すぎる。スペル先生はまだ声をかけてきてくれてもおかしくないし、ハピネスの場合もあのネコの作為的なものを感じるけど、ハクさんやジェニーさんに至ってはそもそも偶然だ。もしもハクさんが白梅の香り袋をつかってなかったら、こんな結果にはならなかった!」
「すごい幸運だよね」
「ぶり返しが怖い。しっぺ返しが怖い。後で何かひどい目に会うんじゃないかと思えて仕方がない」
うぅぅぅと頭を抱える和成を、姫宮は取り敢えず慰める。
具体的には頭を撫でてみたりしてみた。
「ハピネス王女、スペル先生、ジェニーさんの場合は、元々は単に俺だけ金を稼ぐ手段がなかったから、その手段を確保しようとしてただけなんだけどな・・・」
和成は責任感が普通にある。お金をもらえる仕事を融通してもらって、必要なくなったので、もうしませんとは言いづらい。言えない。言って堪るかと思う。
「――ちゃんと言わないといけないんだがな。自分の目的のために、手前勝手ですが仕事ができなくなりましたって、頭を下げて」
「けど、他の二人はともかく、ハピネスちゃんは納得するかな?和成くんはハピネスちゃんの教育係なのと同時に、お友達でもある訳でしょ。教育係をやめるってことになったら、自分よりも他のことを優先したんだって塞ぎ込んじゃうかも。まだ和成くんが教育係になってから一カ月もたってない」
「毎日教育係として接せられたって訳でもないからな。世界会議の影響もあって、俺が教育係として活動した期間は――2週間もないな。精々、1週間と少しってところだ」
「それはちょっと短すぎるよね。ハピネスちゃんも、何時か和成くんが私たちと一緒に日本に帰ることは覚悟してたと思うけど――こんなに早いのは覚悟してなかったんじゃないかな?」
「そうだな・・・・俺もそう思う」
わしゃわしゃと頭をなで続ける―もはや頭をなでること自体が目的になっている―姫宮の手をそっと払いのけて、和成は天を仰いだ。
「けど、俺はこのチャンスを逃したくない。手前勝手なのは重々承知の上だけど。――だからちゃんと、俺が俺の責任で、ハピネスに謝って、納得してもらえるように説得しないといけないんだよなぁ」
☆☆☆☆☆
そして後日。
和成はハピネスの、本来なら王族とその護衛以外立ち入ることを許されない王城の王族居住域にある自室の前で、頭を抱えていた。
「いやでず!認めまぜん!」
向こう側に引きこもり、ハピネスは頑なに出てこない。
扉の向こうから聞こえる声は、水気の多く混じった濁り声だ。
顔から出るものを殆ど出しながら大泣きしている様子が目に浮かぶ。
「おーいハピネスー!ハーピーネースー!!」
和成がどんどんと叩く扉の音も、こうなっては騒々しくも虚しいだけだ。
堅く鍵がかけられていて開く気配がない。
「けっきょく和成さまも、わたくしの権力とかぁ!お給金とかぁ!
そういうのが目的だったんだぁぁぁぁぁぁぁァ!!うぐっ、えぐっ、あぐっっ!
うぇぇぇぇぇェェェェぇぇぇぇぇぇェェぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえン!!
うわぁぁァッァぁぁぁんえっ、うえっ、ぁぁァァァァぁぁぁぁァァぁぁぁぁ!!!
うわァァァぁぁぁぁぁァァぁぁぁァァッァぁッァァぁぁぁぁん!!!!」
扉の向こうからは、少女特有のヒステリックな泣き声がわんわんと響いていた。




