第61話 平賀屋和成の決断
「魔力の扱い方。魔法陣の書き方。どちらも習得するには一朝一夕では無理じゃ。儂の見立てでは、世界会議が終わるまで、この国に居られる期間中みっちり特訓しても難しいじゃろう。あと数週間ではとても足りん。だがエウレカなら、魔力の扱い方も、魔法陣の書き方も、何カ月でも教えられる。儂が直接という訳にはいかんが、儂が信頼しとる『賢者』を師として勧めることは出来る。―――悪い話ではないと思うんじゃが」
「――――――」
滑り落ちていた椅子に座りなおし、和成は姫宮と顔を見合わせた。
「理由を聞いてもいいですか?何故それを提案してくれたのか、それを提案することで先生には何のメリットがあるのか」
「ずばり、和成殿の『意思疎通』のスキルと異界の知識が、儂らにとってのメリットじゃな。エウレカなら古文書の解読をより近い距離で頼めるというのもあるが――それとは別に、実は研究者をしとる孫が、“ステータス学”という新しい学問を研究したがってのぅ」
「ステータス学、ですか・・・・」
「――ひょっとして、サファイアという人ですか?」
「知ってるの、和成くん?」
「そのタイトルの本を読んだことがある」
何時ぞやの、まだ世界会議が始まる前のこと。
和成は確かに、ハピネスとその本についての話をした。
「うむ、まさしくその本の著者こそ、我が孫なのじゃ」
和成の反応に、スペルは満足そうにうなずいた。
外見は小学生であるが、その態度は孫を誇りに思う老爺のものだ。
「ステータス学とは具体的に言うと、ステータスという概念が現象に当たえる影響を調べる学問、じゃな」
「それはどういうことをするんですか?」
姫宮が尋ねた。
「そうじゃのう・・・・例えば、お嬢さんのおっぱいを和成殿が揉んだとしよう」
「ーーーーーーーーーーへ?」
「そうするとどうなると思う」
「普通に変形するのでは?」
「何故そう思う」
「柔らかいから。おっぱいは脂肪で構成されてますし」
「なら、攻撃の意思をもって、乳をもぐぐらいの力でつかみかかったらどうなると思う。揉まれた側がそれを攻撃と認識していたらどうなる」
「・・・・・・・・もしかして、岩のように硬くなる、とかですか?」
「その通り」
スペルの提示した例に固まる姫宮を他所に、二人はどんどん話を進めている。
双方ともに、とても真面目な澄んだ眼をしている。
「いやいやいや!もっと他の例えがあるでしょ!これセクハラじゃないの!」
そういって姫宮は胸を両手で隠すリアクションをとるが、そもそも二人が自分の胸に見向きもしていないことを察して、とても微妙な気分になる。自分が過剰に反応しているだけではという発想が頭をよぎり、気まずくてしょうがない。
「しょうがないよ姫宮さん。この世界にはまだセクハラという概念が根付いていない」
「こういう時の例え話は多少エッチな方がいいんじゃよ。頭にすっと入る」
「むぅぅ・・・・・」
確かに分かりやすかった。率直に姫宮はそう思う。
この世界における防御力とは、頑丈さや攻撃のダメージを減少させる指標であって、肉体の硬度ではない。姫宮の防御力がどれだけ大きくなろうとも、彼女のおっぱいは柔らかいままだ。
そしてステータスに於いて自分より攻撃力が低い者に胸を揉まれると、こちらにその行為を受け入れる意思がなければ、乳房は鉄のように行為を退ける。殺傷の意志が共にある行為を受けた場合も同様。
どういうことなのかよく理解できたし、そうそう忘れないほど頭に残った。
しかし問題は、スペルの例え話の所為で、言葉を咀嚼する際のイメージ映像が自分の胸を揉む和成だったことである。
隣に座る男子に、胸を揉まれる姿を想像してしまった。
嫌でも意識してしまうではないか。
「?」
そしてチラリと隣に視線を向けると、当の和成は何も意識していない。
比喩表現が姫宮のおっぱいでなく慈や剣藤のおっぱいであっても、見ず知らずの肥満体のおっさんのおっぱいであっても、その態度は一切変化しなさそうで。
無性に腹が立った。
「なじぇだ」
むにーと、取り敢えず和成の両頬を引っ張ることにする。
「気にしてないのが腹立つの!」
「理不尽だにゃぁ。ひょれにひょもひょも、例えばにゃんなんだからさ。だいたい姫宮さん、しょこしょこ下ネタ耐性はあるほうじゃにゃいか。慈しゃんとかが使われてたら、俺をからかって終わりだったんじゃにゃいの」
「他の人ならともかく、自分が使われるのは嫌なの!」
「おい」
口を無理やり引き延ばされ所々発音が間抜けになる和成の反論に、姫宮は自分の意見に一片の汚れもないとばかりに言い切った。
親しくなった(と思っている)相手に対してはどんどん我儘に、言ってしまえば子供っぽくなる。
それが姫宮未来だと、彼女の幼馴染である乗山颯が言っていた。
友達だと思っているのは和成も同じなので別にかまわないが、これ以上話がそれるのはご免だった。
「今やっとるじゃれ合いも、お嬢さんに相手を傷つける攻撃の意志があれば、和成殿の頬肉は引き千切られておったじゃろうな」
ふぉっふぉっふぉ。
そうほほえましそうに、少年の姿のスペルは老爺じみた声で笑った。
実年齢は老人なので、ある意味当然だが。
「それで―ひょろひょろ離しぇ―その、ステータス学を研究しようとしているお孫さんの協力をしてほしいと」
姫宮の両手を払いのけて、和成は話題を修正する。
「そうじゃ。ステータス学を研究するには、ステータスが存在しない場合どうなるのか、という視点が必要不可欠になる。しかしその想像は難しい。何故なら想像の域を出んからじゃ。比較対象がなければ客観的に証明することが出来ん。それは研究と呼べんじゃろう」
「それは、そうでしょうね」
「一応、全くわからんという訳ではない。例えば服。和成殿が着ている衣服なら、お嬢さんは素手で破き裸に剥くことが出来るじゃろう。しかし立場が逆なら、和成殿は刃物を使おうともお嬢さんの服を切り裂くことは不可能じゃ。まぁ、合意の上であれな話は別じゃが」
「ねぇ和成くん。この人の例えってこんなのばっかなの?」
「こんなのばっかだよ。受け入れて諦めれば楽になれる」
姫宮の超賢者に対する視線が冷たくなった。
「しかしそんな和成殿でも、材質が布であるならお嬢さんが脱いだ後の衣服を切り刻むことが可能になるじゃろう」
「――なるほど。ステータスの外側にある行動だからですね」
「なんだろう。私今、和成くんの真剣な眼差しがすごく嫌だ」
「いや、それでは正解とは言えんな」
今度は遠い目をしている姫宮。彼女をそっちにのけて二人は会話を進める。
話がわき道にそれるからしょうがない。
後でへそを曲げた姫宮の機嫌取りをすることにして、和成はスペルを真っすぐに見つめる。
「和成殿には、刃物を使わずに素手で衣服を破くことは出来んじゃろう。しかし儂なら簡単に破ける。この腕が少年や老人の細腕であっても、さながら紙のようにな」
「それは、俺たちにだけ――破く主体にだけ――ステータス値の影響が現れるからでしょうか・・・・?」
「他にも、そもそも着用された場合とそれ以外では、布に対するステータス値の反映のされ方が異なるのかもしれん」
「・・・つまり、攻撃のステータスが上がれば筋力も増すということでしょうか」
「現象から判断するにそういうことなんじゃろう。――つまり、和成殿は研究に極めて重要なサンプルに成り得るということも示唆している」
「ああ、成程。それは確かにそうですね」
「和成くん。私は説明を求めるよ」
一人で簡単に察してしまった和成に、姫宮が詰め寄った。
スペルのセクハラについては受け入れて諦めたようだ。
それで楽になったのかまでは分からないが。
「俺は今、ステータス的には殆どまっさらな状態だ。身体能力に関係するステータス値が全て1で、日本にいたころと身体能力に変化がない。それはつまり、俺の能力こそ、ステータスの補正を受けていない身体能力の基準とみなせるということだ」
「――ああそうか!この世界の現象は絶対的なものじゃなくて相対的なものだから――」
「ステータスによっては、体格に優れている者にも、体重が軽くとも純粋な力で対抗できるのがこの世界の法則だ。なら逆に、体格に優れている者が体重の軽いものを投げ飛ばした場合、その現象がステータスの補正によって起きたものか、単なる筋力の結果起きたものか、どうやって判断する?仮に両方が起きているとすると、どれぐらいの割合で起きているかをどう判断する?」
「そ、それは基準がないから無理で――あ!」
姫宮は気付いた。
「そう!例えば俺の筋肉のデータから、どれだけの筋肉量でどれだけの運動を起こせるのかといった、筋肉が起こせる現象の限界値を導き出す!そして別の人のデータも収集し、その人がどれだけの筋肉量を有しているのかも導き出す!年齢や性別、体格が違っても、体格や骨格といった様々なデータも統合し綿密な研究を行えば、俺の身体情報から計算でそれらを導き出すことは不可能じゃない!そして、筋肉量で起こせる運動の限界を超える現象が起きれば、その余剰分がステータスによる補正であると分かる!さらに言えば、より多くのデータとサンプルを集めることが出来れば、ステータス値が1の者と、10の者と、100の者が起こせる現象の違いを、物理現象のように計算式でもとめることが出来るかもしれない!!」
「――その通り、じゃ」
パチパチパチと、言葉にするうちに感極まって立ち上がる和成へ、スペルが正解の拍手を送った。
「それこそが、我が孫の悲願であり最終目標。ステータス値を組み込んだ計算式によって現象を算出する、この世界に対する全く新しいアプローチ。この理論が明確に世に知ら占められれば、世界に革命を起こす可能性も夢ではない!
姫宮殿は、この世界の現象は絶対的なものでなく相対的なもの――と言ったが、実はそうではないかもしれん。相対的と思われるステータスという法則に、絶対的な計算式を見出すことも夢ではない!既に、まだ一種類の一部だけじゃが、あるモンスターのステータス値を計算式に直すことに成功した!――儂は、その夢を孫にかなえさせてやりたい」
研究者と祖父の顔を同時にした少年の姿であるスペルが発した次の言葉は、その姿には似つかわしくないものであり、同時に似つかわしいものでもあった。
「儂が生きとるうちには、おそらくそこまで辿り着くことはないからのぅ」
計算式を客観的に証明できるだけのデータを収集するだけでも、超賢者スペルに残された時間だけではとても足りないことは、サイエンスというものに少し触れただけの和成でも分かった。
☆☆☆☆☆
「――姫宮さん。俺は、エウレカに行くことにする」
「・・・・・・・・そう」
和成の決断に、彼女は何も言わなかった。




