第31話 雑談回 異世界召喚一週間目①
(すごいなー・・・)
異世界召喚から丁度一週間目。
照り映える夕陽の差し込む王宮図書館の、直射日光が当たらない本棚の影にある机。そこに座る久留米は、向かい合って座る同級生に溜め息をついていた。
目の前の和成の傍には、自分なら完読するのに一ヶ月はかかりそうな本が何冊も山と積まれている。
そこにある本は和成がこの1日で読破した本だ。
(読む速度が全然違う)
久留米が一冊を読み終える前に、和成は二冊目を読み終えて三冊目に手を出していた。
そもそも側からみれば、熱意からして違う。
ゆるふわにページをめくりマイペースに何度も休憩を挟んだ久留米と違い、和成は眼球で知識を咀嚼するかのように本に掛り切りだった。食い入る様に本を読むという表現を久留米は知っていたが、まさかその言葉を使うに相応しい状況があるとは思っていなかった。久留米はあまり読書が好きでない。
例えるなら、久留米は直線百メートルを散歩していて、和成はフルマラソンを全力疾走している感じだ。
「ふぅ・・・キリもいいし、休憩するか」
パタンと表紙が閉じる音を響かせながら、和成は目をきつく結んで天を仰ぎ、椅子の背もたれに体を預けた。
頭の奥で心臓の鼓動と同時に疼痛を感じる。
何時ものことだ。本好きなら誰でも経験している慣れた痛み。
それを感じるということは、それだけ自分が読書を堪能したということでもある。
ならば、この痛みを嫌う者は書痴にはいないのではなかろうか・・・と和成は考える。
少なくとも和成は読書後のこの感覚が嫌いでない。寧ろ好きだ。この感覚のために定期的に徹夜で読書に没頭していると言ってもいい。
「たくさん読んだねー。私そんなに読めないよ。しかも読む速度めっちゃ早いし」
「慣れだよ慣れ。単純な読書量の違い。実際のところ流し読みの読み飛ばしも多かったしな。だいたいの内容が分かればいい」
「とても流し読みしてたようには見えないけど・・・・まぁいいや。よくそれで内容がちゃんと分かるねー」
「それも経験だな。なんとなく、どこを読み飛ばせば内容に大差無いかが分かるんだよ。自慢するが、俺は小学校四年生の時から今まで図書室の年間貸し出し冊数が一位から動いたことがない。誰だってそれのレベルで本を読む訓練をしていれば、だいたい俺と同じ事ができるはずだ」
「自慢じゃないがって言う人はいたけど、自慢するがって言った人に会ったのは初めてだよ。それにそれって、元から本をそれだけ読もうとする意欲のある人じゃないと無理でしょー。私は出来なーい」
「実を言えば、スキルを上手く利用して読書量を更に増やしてるんだがな。動体視力が良くなり視野が広くなる『観察』のスキルと、体感時間が増えて集中力がアップする『思考』の合わせ技だ。
常時発動型で放っといても勝手に発動するから、おかげでランクが既に両方5になった。
これって早い方なんですかね、メルさん」
そう言って和成は、後方で佇み見守るメルへ顔を向けた。
その方向にて佇むメルは、何時ものように凛としている。
「かなり早い方だとは思いますが、常時発動型であることと、平賀屋様が先程まで行っていたトレーニングを考えれば妥当であると考えます」
メルの答えが、山と積まれた鈍器のような分厚さを持つ本を見つめながら返される。
それだけの情報を目を酷使して収集し脳髄で処理すれば、それに纏わるスキルならどんどこランクが上がるだろう。
ただし。
「スキルのランクは、上がれば上がるほど上がり辛くなるものです。ランクを最高の10まで上げるのに掛かる労力は、ランク1からランク5に上げるそれとはまるで違います」
「それはそうでしょうね。必要な努力値?みたいなのが、ランクによって比例していくんですから」
「ねぇねぇ平賀屋くん。それで、本を読んでどんなことが分かったのー?この世界について知るためにそれだけいっぱい読んだんだから、色んな収穫があったんじゃない?」
元々和成が図書館を訪れたのはそのためだ。いや単に本好きだからというのも勿論あるのだが、情報収集の目的こそが最上に存在する。
ただ、それに答えようとする和成は、実に渋い顔をしていた。
「確かに色々と収穫はあった。しかし一番の収穫は、『俺たちの世界の常識はこの世界ではあんまり参考にならない』ってことだな」
久留米がその答えに対して聞き返す前に、勇者帰還の知らせを告げる鐘が鳴った。
☆☆☆☆☆
「どんな風に参考にならないの?」
そう和成の自室で尋ねたのは、半日共に読書をしていた久留米ではなく、その隣に座るレベル上げから帰ってきた姫宮だった。暇が出来れば和成のお話を聞きに来ていたので、異世界に来てからというもの姫宮と和成の組み合わせは既に見慣れたものになっている。
数時間前。
図書館で久留米が尋ね返そうとしたものの、レベル上げ組が帰ったことを知らされて出迎えに出かけたため、そのまま早めの食事が終わるまで話が中断されていたのだ。出迎えは別に義務ではないが、和成からしてみれば出迎えないという選択肢はない。
と言うか、和成がタイミング良く読書をやめたのは、体内時計から友人たちの帰還時間が近いことを分かっていたからだ。
同様に、二十冊というキリ良い量で読み終えたのも偶然ではない。頁に記された文字量と本の分厚さから読書にかかる時間を予測することは、経験を積んだ和成にとっては十分に可能なことだ。多少の誤差は生まれるが。
今回はほんの少し、終わるのが早かった。
意味深な言葉に久留米が尋ね返そうとしたことも、傍らのメルからレベル上げ組が帰ったことを知らされてお出迎えに出かけたため、そのまま早めの食事が終わるまで話が中断されていたのだ。
「平賀屋くんったら意味深なこと言って気にさせるだけさせといて、勿体ぶって全然話してくれないんだよー」
「うわーそれは酷いね。というわけで平賀屋くん。観念して早く話しなさい」
女三人寄れば姦しいと言うが、陽気で朗らかなこの二人の場合はそれだけでかなりキャピキャピしていた。尚、部屋の隅で和成を見守るメルはカウントに入れていない。
しかし、実は最初食事が終わり和成の部屋を訪れた時は、この二人にもう一人が加わわっていた。
慈愛美だ。
現在の時刻は七時過ぎ。裁は図書館で個人的な調べ物をし、剣藤は中庭で自主練を行い、化野は親切と王城内を散歩中。未だに和成と顔を合わせるのが気まずそうな熊谷は、姫宮以外の四人と別の中庭でアニマル四神と触れ合っている。
そして雑談をしようと慈・姫宮・久留米が、食事を終えた和成が部屋へ帰る際、一緒について来た。和成の話が独特なため聞くのが楽しいからだ。
ただ、慈はその直後に和成から、
「これ、慈さんが好きそうな本。図書館で見つけたやつ。読み終わったら感想聞かせて」
と数冊の本を渡され、喜色満面の笑みを浮かべて自室へと帰って行った。
そんな彼女を見て、和成から本好きという存在の一端を理解した久留米は、これから慈があの本を一気読みすることが分かった。
「まず、この国が一夫多妻であるということだ」
「ハーレム!酒池肉林!肉欲の宴!」
「偏見が過ぎるぞ」
姫宮の反応は色々と極端だった。
「だいたい合ってると思うけど?」
「個人的には、想像のハーレムと現実の制度や文化としての一夫多妻制は同列じゃないと思うがね。人間、三人寄れば三つの派閥が生まれるし、それが色恋沙汰にもなればお察しだ。イスラム教圏の一夫多妻制だって、あれは夫を早くに亡くして生活基盤を失った家族に対する救済措置な側面がある。まぁ向こうの男性優位思想が全く影響してないとは言えないけど、そもそも縛りも多いしな。全ての妻に対して平等に接しなくてはならないとか。」
「どういうこと?」
久留米が尋ねる。
「例えば、夫がある一人の妻のご飯を食べたとする。しかし、どれだけそのご飯が美味しかろうが、夫は妻を褒めてはいけない。何故なら、一人だけ褒めるのは平等ではないからだ」
「えぇー?」
和成の答えは久留米にとって不満である。
食べた人が笑顔になる。自分が作った料理を褒めて欲しい。喜んでほしい。
美味いの声が聴きたい。
そうでないのなら、料理を作る意味などない。
「それって平等なの?」
「平等なんだよ、その文化圏の人にとってはな。平等とか自由ってのは、一つの言葉なのに複数の意味がある。その意味は時とか場合とか場所とか時代とか国とか文化とか、色んなもので変わってくる」
「私は、そんなの嫌だけどなー」
「俺だってそうだ。褒めることも感謝することも出来ない家庭なんて、絶対つまんねぇ。あと他に一夫多妻制って言えば、貴族や武家あたりか。けどそれだって、後継ぎを用意するためでもあるしなぁ・・・。当時の出産成功率を思えば、妾とかは別に間違ってるとも言い難いし、俺たちの時代の尺度で判断してもしょうがない側面もあるんだよな。特に当時は世界規模で女性の権利というものは軽視されていたし、そもそも人権という概念自体薄かったわけだし・・・・・」
そこまで話して、和成は悩ましそうに頭を掻いた。反論のできない過去の人々の文化風習を批判するのは、フェアでないように思えてあまり得意ではない。
「七つまで子は神のもの、と昔は言われていた。要はそれだけ子供が亡くなるのが当たり前だったんだな。出産までいかずに流産したり、産んだ後も赤ん坊が死ぬ要因は色々ある。童謡【シャボン玉】は、子を亡くした作詞者の野口雨情が、鎮魂の意と子供が早逝する世の中に対する憂いを込めた歌だという説がある。これが大正時代の話だから、ざっくり百年ぐらい前。で、戦後は幼児が栄養失調で亡くなることもあっただろうから、少なくとも七十年ぐらい前まで子供は死にやすかった。子供が死なないのが当たり前になったのは、まだほんの最近のことなんだよな」
「「・・・・・・」」
しみじみと語る和成に、姫宮と久留米はただ黙っていた。
産婦人科医の母を持つ和成からしてみれば、子供が無事に産まれることは当たり前ではない。
医学の発達した現代日本であっても、子供は死ぬ時は死ぬのだ。
そして和成は歌い出した。
「しゃーぼんだーま、とーんーだー
やーねーまーでー、とーんーだー
やーねーまーでー、とーんーでー
こーわーれーて、きーえーたー」
「やめて、すっごい気分が落ち込むから」
「なんかー・・・際限なくどん底だよー」
敢えて抑揚を下手くそにし、あどけなさを残した和成の童謡が、二人の心にきた。
「話を戻そう!一夫多妻はどうなったの?」
「一応この話も繋がるんだけどな。一夫多妻だろうが一夫一妻だろうが、夫婦となり家族となるのは一緒なんだから、子供の成長とは切っても切れないわけだし」
「いやー、私ももっと明るい話が聞きたいかなー・・・」
姫宮の話題変えに、久留米も乗っかった。一夫多妻制に関する話題に明るいものがあるのか分からなかったが、そのあたりは和成の引き出しの多さに任せる。
「なら、そっちの話はまた機会がある時に置いておこう。しかし明るい話なぁ・・・」
久留米の要求に、和成は暫し頭を悩ませる。
下手に話題を間違えれば、生々しさがとんでもないことになるからだ。
「・・・なら、ゲーム形式にしようか。この国、というかこの国以外でも、少なくとも人族領では基本的に一夫多妻制が採用されている。それはこの世界が地球と根本的に違うからですが、その違いとはなんでしょう」
なお、文章上にヒントはない。読者の方々は分からなくても仕方ない。
「えーっと、魔法があるとか、ステータスがあるとか?」
「それは別の法律とか文化に関係してるね。全く関係がない訳ではないけど、もっと決定的な大きい違いがある」
「「んー・・・?」」
五分経っても、二人には全く答えが浮かばなかった。
「ヒントその1、トイレ」
「「・・・・・・」」
「ヒントその2、公衆浴場」
「・・・・・・?」
「あ、分かった!」
姫宮が首を傾げる横で、久留米が元気に手を挙げて反応した。
「女の人が多いんだ!」
「久留米さん、正解」
「え、どういうこと?」
答えを聞いても姫宮にはピンとこない。
「そのまんまの意味だ。トイレと公衆浴場の男女による使用面積の差を思い出せ。男性用よりも、女性用の方がどれも数倍の大きさがあっただろう」
「あ、確かに!」
「この世界は、女が男の三倍いる世界なんだよ。エルドランド王国の人口を戸籍の情報で調べたところ、実に約75%が女性だった。調べてみたとこら、この人口比率は他の国でも大して変わらない」
そう言って和成は、目線を部屋の隅で佇むメルに向けた。それに反応して同じく視線を移した女子二人に、メルは首肯を示した。
「そもそもの男女比が違う上に、此処は魔法がありモンスターがありステータスがあるファンタジー世界だからな。文化も歴史も宗教も貞操観念もかなり違う。辿ってきた過程が全然違う。つまり、それがさっき言った、あまり俺の常識が通じなさそうってことに繋がる」
「あー、成る程ー。そう言えばそういう話だったねー」
「えらく遠回りして、やっと入り口に帰っただけじゃない!」
「雑談ってのはそういうもんだろ。御偉いさんの前でやる発表とかならともかく、これは友人間でのお喋りなんだしさ。別にいいじゃん」
「そりゃまぁ別にいいけどさ・・・」
「ーーーー結局のところ、歴史に真実などなく在るのは解釈だけで、常識なんてのは常識の数だけあるんだよ。国が違えば、地理気候が違えば、歴史が違えば、時代が違えば、常識なんてのは変わる。
ましてやここは異世界。日本じゃない。
なら、日本での価値観を捨ててはいけないとは思うが、その尺度で計ったら駄目なんじゃないかと思うわけだーーさて、そろそろキリのいい時間だ。風呂にでも入って、明日に備えようじゃないか」
 




