黒の国
まだ陽の登り切らない、昼前の空。遠い青には雲が流れ、そのおかげで時折生まれる日影が日差しを遮り、旅路を楽なものにしてくれる。
赤、青、黄の国が結びつく巨大な三角形の街道から大きく外れた、西方の端。森を超え、長いあぜ道を進んだ先にようやく、黒の国へと続く舗道が姿を見せた。しっかりと敷き詰められた煉瓦を踏みしめめ、ブーツの底を鳴らしてみると、ようやく辿りついたと実感が沸く。
青の国を回り、赤、黄の国に向かうのかと思えば、突然の黒の国を目指しての長旅。
食料も多く買いこんでいたつもりが、道中で全て――主に僕が――食べきってしまい、もう二日ほど、断食状態での旅をしていた。だが、辛いのは僕よりも余程、食事を制限して余りをくれた先生の方だろう。
恐る恐る後ろを見ると、相も変わらず鎧に身を包んだ先生が、どうしたんだと言わんばかりに首を傾げる。顔も兜に隠れてしまっているため、表情を窺うこともできないが、どう見ても余裕しゃくしゃくだった。
「な、なんでもないです!」
この二人旅、僕と同じ距離を、僕よりも遥かに重い鎧と武器をこさえて歩いているにも拘らず、全く堪えた様子がないと、僕が貧弱になったような感覚がある。ここで弱音を吐いたら負けな気がして、敢えて足早に道を進むことにした。
しかしもちろん、理由はそれだけではなかった。
単純に、楽しみだったのだ。青の国は広く豊かで、信仰の盛んな国だった。赤や黄はどちらかと言えば軍事の広大な国だったと聞いており、それも見て見たくはあったが、そういった類の噂が一切流れない黒の国にも興味がある。
騎士の見込みありということで先生に拾って貰って以来、小さな村を転々としながら国を巡る旅に出たが、本当に大きな、国と言うに相応しい場所に訪れるのはまだこれで二ヶ所目だ。
世間を知っているとは言い難い浅学な僕も、ここで見識を広げ、優秀な騎士への一歩とする。それを思えば、空腹も疲れも自然と和らぎ、前へ進む力が沸いた。
「……見えました、先生!」
道の先に見えた黒い城壁を見て、思わず走り出す。首から下げる外套を揺らしながら、次第に大きくなっていく巨大な壁に興奮しつつ、その城門へと向かう。黒の国の由来となったという、硬質な金属分を含んだ石材による城壁は、非戦派の青の国を見た後の僕には、より強い衝撃を与えた。
凄い、凄いと心の中で叫びながら、門の前まで駆ける。折角なのだから、その特殊な石材の手触りや質感を確かめたいと、壁に近寄ろうとした時のことだった。
「おい、貴様。当国は今、鎖国状態にある。外からの立ち入りは禁じられているんだ」
黒い軽装を身に纏った番兵らしき男が、キツイ口調で注意をしてくる。
だが、僕と先生は長い間歩いて疲れている――先生はどうかはわからないが――せめて食料を調達できないと、帰ることさえも困難だ。それに何より、ここまでの道中の苦労が水の泡と化すのが我慢できず、思わず彼に抗議の声をあげてしまった。
「そんな! 折角ここまで――」
言い掛けた僕の肩を、番兵が軽く突き飛ばしてくる。よろめいた僕は尻餅をついて、派手に腰を地面に打ってしまった。地面がなまじ硬い煉瓦造りだったせいで、酷く痛む。
恨めしげに相手を睨んでみるが、番兵は手に持っていた斧槍の切先を、鼻先に突きつけてきた。
「ごたごた言わずに出ていけ。脳天に風穴が開くぞ」
武器を向けられ、思わず腰に佩いていた剣に手を伸ばしたが、そこで動きが止まる。
いつの間にか音もなく、隣に二人の男女が立っていたのだ。どちらも黒い修道服のようなものに身を包み、深く顔を隠しているが、強い威圧感を放っている。
その二人を見た番兵が、舌打ち交じりに武器を引き、無礼極まる態度で言った。
「困りますね聖女殿。確かに鎖国は我らが王が決めたことですが、幾ら信仰の側の統率者とはいえ一国民なのですから、法令は守って頂かないと」
聖女と呼ばれた女性は、それに全く反応せず、一人静かに門へと歩みを進める。その態度が気にくわなかったか、番兵が彼女を引き止めようと伸ばした手を、後ろからついて行こうとした男が受け止める。ぎりぎりと、人が人の腕を掴んでいるとは思えないような音がして、番兵は咄嗟に手を振り払った。
相当痛みを伴ったのか、眉間に皺を寄せて手首を抑える番兵に向け、修道服の男の腕がさらに伸びる。だが、聖女と呼ばれた女性が振り向き、彼に一つ微笑みかけると、その動きが止まった。
何が何だかわからないまま、二人は開き始めた門の奥へ消えようとしている。番兵たちも、忌々しげにそれを睨みながらも、止めようとはしていない。
彼女たちに頼めば、もしかすれば僕と先生も中に入れるかもしれない。
「あ、あのっ!」
声を振り絞ったが、二人の修道士は振り向くこともなく、街の中へと進んで行ってしまった。彼らがふと振り向いたとき、丁度いい所に、先生が後から追い付いてくる。
番兵はまだ握られた腕が痛むのか、右腕を庇うようにしながら、先生にまで無礼な口を叩く。
「今この国は鎖国の法令が出てるんだ、中には入れん。帰れ」
それを聞き、先生はふむと唸るように顎に指先を当てる。僕も服の裾を払いながら立ち上がり、どうにか中に入れないかと考え始めると、先に行ったとばかり思っていた二人が、またしても音もなく門の元まで戻ってきている。
そしてあろうことか、修道服の男が番兵に向け、信じられない台詞を吐いた。
「この二人を、中に入れて差し上げろ」
その台詞に、流石の番兵もしばらく固まり、やがて何かを言い返そうとする。当然だ、自分達が爪弾きにされているから頭に来もするが、法令を守っている番兵の行動には何の問題もない。
だが、その理不尽を押し通すように、男はドスを利かせた声で言った。
「聖女様からの御命令だ。お前も、悪魔と呼ばれて焼き殺されたくはないだろう?」
信仰者の持つ、神が自らを守っているという絶対的な自信からか、その言葉には揺らぎがない。僅かに息を詰まらせた番兵たちは、仲間内で目配せをしあい、僕と先生の行く道を開いた。
早く行け、と吐き捨てるように言って僕たちの背を押して国の中へと入れ、番兵はさっさと門を閉じてしまった。振り向いても、閉じられた門が悠然と見下ろしてくるばかりで、唖然とするほかない。
ともあれ、あの聖女様と修道士の男性に礼を言わなければと辺りを見回すが、既にその二人の姿はなかった。遠くを眺めて見ても、人並みにそれらしき姿は見当たらない。先生の方を見ても、分からないとばかりにその首を左右に振るばかりで、どうやら完全に見失ってしまったようだった。
「……まあ、折角入れましたし、観光に行きましょう!」
と、少し元気を出して行ってみるが、どうにも釈然としない。
あの二人の行動が、今も喉元につかえているのだ。先生の姿を見るなり、手の平を返したように、僕たちを国の中へ入れるように言うなど、裏があるとしか思えない。
心から楽しみにしていた、この黒の国で過ごす幾日かは、もしかすると僕の思っている以上に、観光という言葉からはかけ離れたものになるかもしれなかった。
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