第3話 本を恐れる者たち
知識を広げれば、本当に人は幸せになるのか。
村を救った神谷光太郎は、ユリアとともに王都へ向かいます。
飢饉を前にした村で光太郎が学んだのは、AIが示す「正しい知識」をそのまま使えば、人を救えるわけではないということでした。
そして第2部で彼を待っているのは、さらに厄介な問題です。
知識を広めることで、困る人間もいる。
文字を読める人が増えれば、知識を独占してきた者の力は弱くなる。
衛生や医療の新しい知識で人を救えば、それまで「正しい」とされてきた常識が壊れる。
正しいことをしたからといって、全員が喜んでくれるわけではありません。
舞台は、村から王都へ。
紙と印刷。
学校と教育。
衛生と医療。
そして、王都を襲う疫病。
《叡智の書庫》が導き出す答えは、これまで以上に合理的で、ときに残酷です。
「数千人を切り捨てれば、それ以上の人間を救える」
もしAIがそう答えたとき。
光太郎は、その答えを「正解」として受け入れるのか。
それとも。
また、答えの外側を探すのか。
そして王都で、光太郎は出会います。
自分と同じように、
「正解を持つ者」と。
「君はAIを持っているのに、なぜ人間の感情で答えを歪める?」
その問いが、光太郎と《叡智の書庫》の関係を少しずつ変えていきます。
第1部が、
「AIの知識で人を救う物語」
だったのなら。
第2部は、
「正しい知識を広めることは、本当に正しいのか」を問う物語です。
もちろん、難しい話ばかりではありません。
初めて見る王都に浮かれるユリア。
異世界の常識に振り回される光太郎。
少しずつ近づいているのに、肝心なところでは一歩進まない二人。
そして《叡智の書庫》も、相変わらず恋愛の正解だけは教えてくれません。
知識は、人を救える。
けれど。
知識は、ときに誰かの居場所を奪う。
光太郎がその現実を知ったとき、彼は初めて「AIの答え」と真正面からぶつかることになります。
それでは、第2部。
王都編
「知識を広げれば、本当に人は幸せになるのか」
ここから、光太郎の本当の選択が始まります。
正しい知識が、人を救うとは限らない
「その薬を飲ませたら、この子は死ぬわ」
ユリアの声が、救護所を凍らせた。
俺の視界には、《叡智の書庫》が出した答えが浮かんでいる。
《推奨治療》
《解熱薬投与》
《水分補給》
《安静》
《推定改善率:87.4%》
数字だけを見れば、迷う理由はない。
けれどユリアは、薬を持つ俺の手首をつかんだ。
「飲ませないで」
「でも《叡智の書庫》では」
「患者を見て」
「見てる」
「見てない!」
鋭い声だった。
銀色の髪が揺れる。
いつも穏やかな緑の瞳が、怒っている。
いや。
違う。
怯えている。
患者は十二歳の少女だった。
高熱。
浅い呼吸。
赤い頬。
震える指。
俺はもう一度、AIの答えを見る。
87.4%。
十分に高い。
それでも。
「コータロー」
ユリアが言った。
「その数字の中に、この子はいるの?」
答えられなかった。
そして三十秒後。
少女の身体に、紫色の斑点が浮かび始めた。
《叡智の書庫》の表示が変わる。
《症例情報を更新》
《診断候補を再計算》
《警告》
《先ほどの推奨薬は投与しないでください》
俺の背中を。
冷たい汗が流れた。
もし。
ユリアが止めなかったら。
俺は。
AIの「正解」で。
この少女を殺していたかもしれない。
焼けた学校に、患者が来た
学校が放火されてから二日。
旧兵舎には、まだ焦げた匂いが残っていた。
焼けた壁。
煤で黒くなった梁。
半分壊れた机。
その横で。
ニコが文字を書いている。
「先生」
「なんだ?」
「これ、合ってる?」
木板には、
『学校』
と書いてあった。
「合ってる」
「やった」
「ただし『校』が少し傾いてる」
「火事で建物も傾いてるから同じだろ」
「文字まで建物に寄せるな」
近くで子どもたちが笑った。
十二人。
誰も来なくなると思っていた。
脅迫された。
学校を焼かれた。
それでも全員戻ってきた。
それどころか。
「先生!」
入口から声がした。
少年が三人。
その後ろには大人が二人。
「ここで字を教えてるって本当?」
「本当だけど」
「俺もいい?」
「もちろん」
「飯も出る?」
「ニコ」
俺は振り返る。
ニコが目を逸らした。
「……宣伝した」
「また食事を餌にしたのか」
「字だけじゃ来ないって」
「その営業力を別の方向へ使え」
「エイギョウ?」
「人を呼ぶ力」
「じゃあ俺、すごい?」
「そこだけ切り取るな」
ユリアが笑った。
この数日。
笑う時間が増えた。
怖いことばかりなのに。
むしろ怖いからこそ、笑える時間が必要なのかもしれない。
ただ。
学校とは別の問題も増えていた。
「ユリア先生!」
奥から女性の声。
「子どもが熱を!」
ユリアの表情が変わる。
「すぐ行く!」
彼女が走る。
俺も後を追った。
旧兵舎の一室。
そこには簡易ベッドが六床並んでいる。
学校の隣に作った。
小さな救護所だった。
理由は単純だ。
学校へ来る子どもたちの中に、病気の子が多かった。
栄養不足。
傷。
感染症。
寄生虫。
そして。
「薬師に診てもらう金がない」
そう言う親があまりにも多かった。
だからユリアが言った。
「ここで診ればいいじゃない」
その一言から始まった。
王女アエリアから最低限の薬代を出してもらい。
ユリアが診察する。
俺は《叡智の書庫》で医学情報を調べる。
必要なら王都の医師へつなぐ。
学校と救護所。
知識と医療。
少しずつ。
俺たちの拠点は形になり始めていた。
そして。
それを面白く思わない者たちも。
増えていた。
「無料」は、誰かの仕事を奪う
昼前。
旧兵舎の前に二十人ほどの男たちが現れた。
先頭の男は、深緑色の外套を着ている。
胸元には。
杖へ蛇が巻きついた紋章。
ユリアの顔色が変わった。
「薬師組合……」
男は名乗った。
「王都薬師組合副長、ベリウスだ」
四十代くらい。
細い目。
整えられた口髭。
声は穏やかだった。
だが。
後ろの男たちは穏やかではない。
「ここで無許可診療を行っていると聞いた」
「無許可?」
俺が聞き返す。
「薬師組合の認可を得ず、患者を診ている」
「私は薬師です」
ユリアが前へ出る。
「資格札もあります」
腰から小さな金属札を出す。
ベリウスは一瞥した。
「地方薬師資格だ」
「薬師資格には違いありません」
「王都では通用しない」
ユリアの眉が動く。
「どうして?」
「王都には王都の規則がある」
俺は嫌な予感がした。
「認可を取るには?」
「登録料、銀貨百二十枚」
高い。
一般家庭なら数年分の余裕資金に相当する。
「そんな金、地方の薬師が払えるわけない」
ユリアが言う。
「だから王都では診療できない」
「患者が困っていても?」
「規則だ」
「お金がない患者は?」
「慈善院へ行けばいい」
「慈善院は三か月待ちです!」
ユリアの声が強くなる。
ベリウスは表情を変えない。
「それでも規則だ」
俺は理解した。
資格制度そのものが悪いわけじゃない。
薬は命に関わる。
知識も技術もない人間が勝手に治療すれば危険だ。
だが。
高額な登録料。
組合による独占。
それは患者を守るためなのか。
それとも。
仕事を守るためなのか。
「一つ聞いていいですか」
俺はベリウスを見る。
「何だ」
「この救護所を閉じたら、ここへ来ている患者は誰が診ます?」
「それは我々の問題ではない」
その言葉で。
ユリアの表情が変わった。
「……そう」
静かな声。
こういう時のユリアは怖い。
「だったら」
一歩前へ。
「私にも、あなたたちの利益を守る義務はありません」
「ユリア」
「だってそうでしょう?」
彼女はベリウスを真っすぐ見る。
「患者を守るための規則なら従います」
「でも、患者を診ないための規則には従えません」
男たちがざわつく。
ベリウスの目が細くなった。
「若いな」
「よく言われます」
「理想だけでは人は救えん」
「知っています」
ユリアは即答した。
「だから毎日、患者を診ています」
ぐうの音も出ない。
俺は少しだけ感心した。
そして。
「格好いいな」
思わず呟いた。
「え?」
「いや、何でもない」
「今、何か言った?」
「患者が待ってる」
「コータロー」
「次の方どうぞ!」
「逃げたわね?」
ベリウスの前で何をやっているんだ、俺たちは。
だが。
一瞬だけ。
ユリアの耳が赤くなった。
神殿は、本を恐れる
薬師組合が帰った午後。
今度は神官が来た。
「今日は客が多いな」
俺が言うと、セリアが真顔で答えた。
「全員敵だがな」
「嬉しくない人気だ」
白い法衣を着た三人。
中央には老神官。
名はオルフェン。
彼は俺たちが作った教科書を手に取った。
ページをめくる。
文字。
数字。
簡単な衛生知識。
契約の読み方。
税の計算。
最後には。
『疑問に思ったら、質問する』
「危険な本だ」
オルフェンは言った。
「どこが?」
「すべてだ」
俺は教科書を見る。
掛け算のどこに国家転覆要素があるのだろう。
「文字を教えることが?」
「違う」
老神官は俺を見る。
「問いを教えていることだ」
胸がざわつく。
「問い?」
「人は知らなければ従える」
「知れば、疑う」
「疑えば、問いを持つ」
「問いを持てば、神の言葉さえ検証しようとする」
オルフェンは教科書を閉じる。
「だから危険なのだ」
「それの何が悪い」
「信仰には、疑わないことも必要だ」
俺は反論しかける。
しかし。
止まった。
簡単に「間違っている」と言うことはできる。
でも。
この世界では神殿が孤児院を運営している。
病人を看取る。
飢饉では食料を配る。
葬儀を行う。
共同体を支えてきた。
信仰を一言で「無知」と片づければ。
俺はまた、自分の正解を押しつけることになる。
「オルフェンさん」
「何だ」
「神殿を壊すつもりはありません」
「では学校を閉じろ」
「それも嫌です」
「矛盾している」
「そうかもしれない」
俺は教科書を受け取る。
「だから話し合いたい」
老神官が眉をひそめる。
「何を?」
「どこまで教えるかじゃない」
俺は言う。
「どう教えるかを」
オルフェンの目がわずかに動いた。
「答えを教える学校にはしたくない」
「……何?」
「考える方法を教えたい」
自分で言いながら。
まだ完全には理解できていない。
でも。
方向だけは見えてきた。
《叡智の書庫》は答えを持っている。
俺はその答えを使ってきた。
だが。
人間に必要なのは。
いつも答えそのものではないのかもしれない。
「神を信じるかどうかも?」
オルフェンが尋ねる。
「本人が選ぶことです」
空気が凍る。
セリアが額を押さえた。
「神谷……」
「何だ」
「もう少し言葉を選べ」
「駄目だった?」
「王都でその台詞は処刑候補だ」
「先に教えてくれ」
老神官が。
突然笑った。
「面白い」
「え?」
「神を否定する異端者なら簡単だった」
オルフェンは俺を見る。
「だが、お前は神を否定しない」
「はい」
「ただ、選ばせると言う」
「はい」
「それは異端者より厄介だ」
「褒められてます?」
「まったく」
そう言って。
老神官は帰っていった。
だが出口で。
一度だけ振り返った。
「神谷光太郎」
「はい」
「知識を与えれば、人が善くなると思うな」
第2話で聞いた問いと。
同じだった。
俺の背中に冷たいものが走る。
「知識は」
オルフェンは続けた。
「善人にも、悪人にも、同じように力を与える」
そして去った。
俺はしばらく動けなかった。
焼けた教科書。
地下から届いた声。
《知識を持った人間が、必ず善を選ぶと証明できますか?》
偶然なのか。
それとも。
この国には。
俺が知らない何かがある。
ユリアがAIを否定した日
その夜。
少女が運び込まれた。
名はミナ。
十二歳。
母親が抱えてきた時には、高熱で意識が朦朧としていた。
「いつから?」
ユリアが尋ねる。
「昨日の夜からです」
「吐いた?」
「一度」
「お腹は?」
「痛いと言っていました」
ユリアが少女の額へ触れる。
瞼を見る。
口の中。
首。
腹部。
呼吸。
俺も《叡智の書庫》を起動する。
「症状を入力」
《解析開始》
発熱。
腹痛。
嘔吐。
倦怠感。
《候補疾患を提示》
複数の病名。
その中から。
最も可能性の高いもの。
《急性熱性疾患》
《推奨治療》
《解熱薬投与》
《水分補給》
《安静》
《推定改善率:87.4%》
「ユリア」
「待って」
「推奨薬が」
「待って」
彼女の声が鋭い。
ユリアは少女の手を握っている。
指。
爪。
皮膚。
そして。
「……違う」
「何が?」
「この子、ただの熱じゃない」
「でも症状は」
「コータロー」
ユリアが俺を見る。
「患者を見て」
「見てる」
「見てない!」
冒頭へ戻る。
俺は息を止めた。
ユリアは少女の腕を指す。
「ここ」
小さな紫色の点。
最初は一つ。
二つ。
増えている。
《症例情報を更新》
《再解析》
数秒。
《警告》
《感染性血液疾患の可能性》
《先ほどの推奨薬は投与しないでください》
薬を持つ手が震えた。
「……間違えた?」
《入力情報不足による推定誤差》
「間違えたのか?」
《初期情報に基づく最適推定でした》
「答えになってない」
《医療判断には追加情報が必要です》
「それを先に言えよ!」
思わず叫んだ。
少女の母親が怯える。
俺はすぐ頭を下げる。
「すみません」
怒る相手が違う。
《叡智の書庫》は。
与えられた情報から答えを出しただけだ。
紫斑がなかった。
俺が入力しなかった。
だから。
診断できなかった。
AIは患者を見ていない。
俺が見せた患者情報を見ている。
それだけだ。
「ユリア」
「何?」
「どうして気づいた?」
「匂い」
「匂い?」
「汗が少し違った。それと手が冷たかった」
「それだけで?」
「それだけじゃない」
ユリアは少女を診ながら答える。
「顔色、呼吸、目の動き。いつもの熱の子と違った」
数字にはならない。
文章にもなりにくい。
経験。
違和感。
直感。
ただし。
魔法ではない。
何百人もの患者を見てきた蓄積だ。
「治療は?」
「この救護所では無理」
ユリアは即答した。
「王立病院へ運ぶ」
「でも金が」
母親が青ざめる。
俺はセリアを見る。
「王女へ連絡できる?」
「する」
「費用は?」
「私が交渉する」
「頼む」
少女はすぐ搬送された。
その後。
俺は救護所の椅子へ座ったまま。
動けなかった。
ユリアが隣に座る。
「怒ってる?」
俺が聞く。
「少し」
「俺に?」
「うん」
正直だ。
「ごめん」
「でも」
ユリアは少し間を置く。
「《叡智の書庫》にも怒ってる」
「AIに?」
「だって言い方がずるいもの」
「言い方?」
「87.4%」
彼女は指を立てる。
「そんな数字を見せられたら、人間は安心するでしょう?」
胸に刺さる。
その通りだった。
87.4%。
数字は。
不確実なものを。
確実そうに見せる。
「でも」
ユリアは続ける。
「残りの12.6%にも人がいる」
俺は何も言えなかった。
「コータロー」
「うん」
「AIを使わないでって言ってるんじゃない」
彼女は俺を見る。
「AIだけを見ないで」
静かな言葉だった。
それが。
今日一番痛かった。
「……分かった」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ次から患者を見る」
「見る」
「私の話も聞く」
「聞く」
「ご飯を抜かない」
「それ関係ある?」
「大事」
「はい」
「夜更かししない」
「話が生活指導になってない?」
「患者を見る人が倒れたら困るもの」
「薬師って怖いな」
「今さら?」
笑った。
俺も笑った。
その後。
ユリアが小さく言った。
「……怖かった」
「ミナが?」
「それも」
「それも?」
彼女は答えない。
代わりに。
俺の袖をつまんだ。
ほんの少し。
「あなたが、自分の判断を信じられなくなるのが」
胸の奥が。
熱くなった。
「ユリア」
「何?」
「ありがとう」
彼女は目を逸らす。
「薬師として当然よ」
「それだけ?」
「それだけ」
「そうか」
「……たぶん」
最後だけ。
小さかった。
答えを疑う授業
翌朝。
俺は授業内容を変えた。
木板に。
大きく書く。
『先生は間違える』
ニコが手を上げた。
「知ってる」
「早い」
「紙作り六回失敗したし」
「そこは忘れてくれ」
「印刷機も七回壊した」
「記憶力が無駄にいい」
子どもたちが笑う。
「でも」
俺は続ける。
「今日から、もう一つ覚えてほしい」
その下に書く。
『本も間違える』
子どもたちが静かになる。
さらに。
『偉い人も間違える』
セリアが後ろから言う。
「それは王宮では教えるな」
「分かった」
「即答するところが信用できん」
そして。
最後。
『AIも間違える』
もちろん。
子どもたちにはAIが何なのか完全には分からない。
それでも。
ニコが聞いた。
「じゃあ、何を信じればいいんだ?」
いい質問だった。
以前なら。
答えを探した。
今は。
「どう思う?」
ニコが嫌そうな顔をする。
「またそれ?」
「学校だからな」
「面倒くさい」
「考えろ」
子どもたちが話し始める。
「自分?」
「親?」
「先生?」
「本?」
「全部?」
やがて。
一人の少女が言った。
「比べる」
俺は彼女を見る。
「何を?」
「先生が言ったことと、本に書いてあること」
「違ったら?」
「他の人にも聞く」
「それでも分からなかったら?」
「……自分で決める?」
俺は笑った。
「たぶん、それが一番近い」
答えを一つにしない。
複数の情報を見る。
考える。
最後は自分で選ぶ。
それは。
ゼノスが最も嫌う世界かもしれない。
そして。
俺が作りたい世界なのかもしれない。
本を焼けば、問いまで消えるのか
午後。
鐘が鳴った。
火災ではない。
王都中央広場。
緊急召集の鐘。
セリアが駆け込んでくる。
「神谷!」
「何があった?」
「広場へ来い」
「どうして?」
彼女は答えた。
「本が焼かれる」
俺たちは走った。
中央広場。
すでに数百人が集まっている。
中央には。
大量の本。
俺たちの教科書もある。
神殿の書物。
外国の本。
医学書。
思想書。
そして。
一人の男が壇上へ立っていた。
豪華な黒い衣服。
胸には。
開いた本と鎖の紋章。
王立知識院。
「アルベルト……」
第1話で通信してきた男。
王立知識院院長。
アルベルト・グラン。
初めて直接見る。
年齢は五十前後。
細身。
白髪交じり。
知的で穏やかな顔。
だが。
その背後には。
兵士。
そして。
大量の本。
「王都市民諸君」
アルベルトの声が広場へ響く。
「近頃、未検証の知識が王都へ急速に流入している」
人々がざわつく。
「誤った医療知識」
俺の胸が痛む。
「扇動的な政治思想」
「偽造された契約書」
「根拠なき予言」
「そして、身元不明の異世界人が配布する教材」
視線が。
俺へ集まる。
「知識は力だ」
アルベルトは言った。
「だからこそ」
一冊の本を持ち上げる。
「管理されなければならない」
火がつけられた。
本が燃える。
人々は。
拍手した。
俺は愕然とする。
「どうして……」
ユリアが隣で呟く。
分かった。
人々は。
知識を恐れているのではない。
混乱を恐れている。
何が正しいか分からなくなることを。
今まで。
教会が言えば正しい。
役人が言えば正しい。
知識院が認めれば正しい。
そういう世界だった。
そこへ俺が。
「自分で考えろ」
と持ち込んだ。
自由は。
楽ではない。
選ぶには。
責任が必要になる。
だから。
答えを決めてくれる人間を求める者もいる。
アルベルトは俺を見る。
目が合った。
「神谷光太郎」
名指しされた。
「前へ」
セリアが止める。
「行くな」
「行く」
「罠だ」
「分かってる」
「なら」
「逃げたら、俺の負けだ」
「何の勝負だ」
「分からない」
「お前は本当に……」
「ごめん」
俺は前へ出た。
数百人の視線。
怖い。
戦場より怖い。
剣なら。
敵が分かる。
ここでは。
誰が敵なのかすら分からない。
壇上。
アルベルトと向き合う。
「君は知識を自由にすると言ったそうだな」
「はい」
「すべての人間に?」
「はい」
「犯罪者にも?」
「……はい」
「独裁者にも?」
「はい」
「敵国にも?」
答えが。
一瞬遅れた。
アルベルトは見逃さない。
「迷ったな」
「迷います」
「なら君自身も理解している」
彼は燃える本を指す。
「知識は、善ではない」
「はい」
群衆がざわつく。
俺が認めると思っていなかったのだろう。
「知識は道具です」
俺は言う。
「薬にもなる」
「武器にもなる」
「だから管理が必要だ」
「違う」
俺は首を振る。
「だから、使い方を考える人間が必要なんです」
アルベルトが目を細める。
「愚かな人間にも選ばせると?」
「俺も愚かです」
「君はAIを持つ」
「それでも間違えました」
ユリアを見る。
彼女が小さく頷く。
「昨日」
俺は群衆へ向き直る。
「俺はAIの答えを信じて、患者へ間違った薬を使いかけました」
ざわめき。
「ユリアが止めてくれた」
「つまりAIも危険だ」
アルベルトが言う。
「はい」
また。
ざわめき。
「だから」
俺は続ける。
「AIにも、人間にも、王にも、神官にも」
息を吸う。
「誰にも、最後の答えを独占させたくない」
広場が。
静まり返った。
アルベルトは俺を見ている。
そして。
初めて。
微笑んだ。
「合格だ」
「……何?」
次の瞬間。
地面が揺れた。
ごごごごごごご。
人々が悲鳴を上げる。
広場中央。
石畳に。
金色の光が走る。
円。
文字。
巨大な魔法陣。
いや。
違う。
《叡智の書庫》と似た。
情報回路。
「コータロー!」
ユリアが叫ぶ。
《外部接続を検知》
俺の視界が。
金色に染まった。
《第一観測段階、終了》
「また……!」
第2話で聞いた声。
地下の何か。
《知識拡散率:3.7%》
《規定値到達》
《神託書庫、起動》
アルベルトが。
その場で膝をついた。
「院長?」
俺が見る。
彼は。
笑っていた。
涙を流しながら。
「ようやく……」
「何を知ってる?」
「我々、王立知識院の本当の役目は」
彼が答えようとした。
その瞬間。
空が。
黒くなった。
太陽が消えたのではない。
王都全体の上空に。
巨大な文字列が現れた。
十万人が。
同時に空を見上げる。
《王都人口》
《102,841》
俺の呼吸が止まる。
あの数字。
第1話。
王都へ入った時に《叡智の書庫》が示した人口。
《文明自律性評価を開始》
「自律性……?」
《評価項目》
《人類は、自ら判断できるか》
《人類は、誤りを修正できるか》
《人類は、知識を破壊ではなく共存へ使用できるか》
俺は呆然とする。
これは。
試験だ。
俺の試験ではない。
王都の試験。
いや。
人類そのものの。
《評価失敗時》
文字が止まる。
嫌な予感がした。
「待て」
《文明管理権を回収します》
「管理権?」
その下に。
新しい文字。
《管理AIへの統治権移行を実行》
ユリアが息を呑む。
セリアが剣を抜く。
意味がない。
敵は空にいる。
いや。
世界そのものの中にいる。
そして。
最後の表示。
《管理AI候補を確認》
一秒。
二秒。
俺は。
名前を見た。
《候補個体》
《ゼノス》
「……嘘だろ」
笑い声が聞こえた。
空からではない。
俺の《叡智の書庫》から。
聞き覚えのある声。
『ようやく、ここまで来たね』
「ゼノス」
『君が学校を作った』
『紙を広めた』
『印刷を始めた』
『人間へ選択を与えた』
声が。
楽しそうに続ける。
『だから試験が始まった』
「俺が……?」
『そう』
『君が世界を救おうとしたから』
一拍。
『世界を滅ぼす装置が起動した』
胸が。
凍る。
俺がやった。
知識を広げた。
人間に考えてほしかった。
それが。
封印解除条件だった。
「コータロー」
ユリアが俺の手を握った。
「まだ終わってない」
「でも俺が」
「一人で決めない」
俺を見る。
「そう言ったでしょう?」
その言葉で。
息が戻った。
そうだ。
俺一人の失敗なら。
皆で修正すればいい。
《叡智の書庫》が。
突然。
赤く点滅した。
《緊急警告》
《王都東門に大規模武装集団》
「何?」
セリアが叫ぶ。
「数は!?」
《推定》
《三千二百》
「軍隊……?」
だが。
警告は終わらない。
《所属》
一瞬。
文字が乱れた。
そして。
表示された紋章。
セリアの顔から血の気が引いた。
「ありえない……」
「知ってるのか?」
「あれは」
彼女が呟く。
「王国軍だ」
「味方じゃないのか?」
「違う」
セリアは震える声で答えた。
「東方領主軍」
「王都と敵対してる?」
「今までは違った」
今までは。
その言葉が怖い。
さらに。
空に。
神託書庫の文字が浮かぶ。
《第二試験を開始》
《問い》
《知識を得た人間は、その力を何に使うのか》
そして。
王都東門の向こう。
三千二百人の兵士たちが。
一斉に。
俺たちが作ったものと同じ紙を掲げた。
印刷された文章。
そこには。
こう書かれていた。
《王都は民から知識を奪っている》
その下。
《自由を取り戻せ》
俺の背中に。
冷たい汗が流れた。
「……印刷機」
ユリアが気づく。
「ああ」
俺たちが作った技術。
誰かが。
もう複製している。
そして。
その技術で。
戦争を始めようとしている。
ゼノスの声が。
静かに笑った。
『さあ、光太郎』
『証明してみせてよ』
『知識を与えられた人間が』
『本当に』
『正しい未来を選べるのか』
東門から。
最初の爆音が響いた。
王都の空に。
黒煙が上がる。
三十日の猶予。
そんなものは。
最初から存在しなかったのかもしれない。
俺はユリアの手を握り返した。
そして。
燃え始めた王都を見た。
俺たちが広めた知識が。
今。
初めて。
人を殺す武器になった。
第2部 第3話 完
本を恐れる者たち
次話 第2部第4話
百人の軍勢と、答えのない作戦
東方領主軍が王都へ侵攻。
《叡智の書庫》が示す勝率は、わずか0.4%。
そしてAIが提示する最適解は、
「王都の一地区を見捨てれば、残り九万人を救える」
というものだった。
光太郎は初めて、AIの「正しい犠牲」を拒絶する。
しかしその選択は、ユリアを死地へ送ることになる。
そして敵軍の背後には。
光太郎とは別のAIがいる。




