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第4話 百人の軍勢と、答えのない作戦

もし、異世界に転生したあなたに与えられた力が、剣でも魔法でもなく、ChatGPTだけだったら。




この物語は、そんな少し変わった問いから始まります。




主人公・神谷光太郎が手にしたのは、万能の力ではありません。AIは知識を示し、選択肢を増やし、時には人を救います。けれど、最後に決めるのはいつも人間です。




正解を選べば、誰も傷つかないのか。


効率を求めれば、みんな幸せになれるのか。


間違える自由まで捨てた先に、本当に幸福はあるのか。




光太郎は、銀髪のエルフ・ユリアや仲間たちと出会い、笑い、迷い、失敗しながら、AIでは答えきれない問題に向き合っていきます。




そして物語が進むほど、問いは大きくなります。




AIをどう使うのか。


やがてそれは、


人間とAIは、どう一緒に生きるのか。


という問いへ変わっていきます。




難しいテーマも扱いますが、物語の中心にあるのは、冒険、友情、恋愛、失敗、そして成長です。




正解がなくても。


何度間違えても。


それでも、自分たちで未来を選んでいく。




そんな物語を、光太郎たちと一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。




それでは。




『AIだけが使える異世界』〜ChatGPTだけが俺のスキルだった〜




物語の扉を、開いてください。

前半

逃げれば六割、生き残れる

鐘の音が、村中を切り裂いていた。


一度。


二度。


三度。


敵襲を告げる重い音が鳴るたび、家々の扉が開き、村人たちが広場へ飛び出してくる。


母親は子どもの手を引き、農夫は鍬を握ったまま走る。病み上がりの者まで寝台から起きようとして、家族に止められていた。


街道の向こうには、細長い土煙が見える。


それは少しずつ太くなりながら、村へ近づいていた。


光太郎の視界へ、青白い情報が浮かぶ。


《武装集団を検知》

《推定人数、百八名》

《騎兵、二十八名》

《歩兵、八十名》

《到着予測、五時間五十二分》


百八人。


対する村の人口は百三十七人。


しかし、戦える者は十数人しかいない。


それも兵士ではなかった。


鍬を振るう農夫。


獣を追う猟師。


薪を割る木こり。


剣を使えるのは、薬師であるユリアと数人の狩人だけだ。


《正面戦闘時の村側勝率》

《〇・四パーセント》


「低いな……」


光太郎の喉が乾いた。


隣に立つユリアが、布に包んだ黒い小瓶を抱え直す。


井戸の底から見つかった、領主家の紋章入りの瓶。


村で広がった病の原因かもしれない証拠だ。


「何の数字?」


ユリアが尋ねた。


光太郎は一瞬だけ迷った。


〇・四パーセント。


伝えれば、不安を増やす。


知らない方が、彼女は勇気を保てるかもしれない。


だが、それでは以前と同じだった。


相手を守るという理由で情報を隠し、選ぶ権利を奪う。


「正面から戦った場合の勝率だ」


「どれくらい?」


「〇・四パーセント」


ユリアの指先が、小瓶の上で止まった。


「ほとんど勝てないのね」


「ああ」


「でも、ゼロではない」


「君は毎回それを言うな」


「毎回、ゼロじゃないもの」


ユリアはそう答えたが、声はわずかに震えていた。


怖くないはずがない。


百人の兵が、自分たちの村を焼きに来る。


それでも彼女は、街道から目を逸らさなかった。


「薬師はね」


ユリアが言う。


「患者が息をしている間は、諦めないの」


「軍隊を患者扱いするのか?」


「村の方よ」


「それなら、かなりの重症だな」


「治療のしがいがあるでしょう?」


無理に作った笑顔だった。


だからこそ、光太郎も笑い返した。


その瞬間、《叡智の書庫》が新たな選択肢を表示した。


《推奨行動を提示》


《村落放棄》

《移動可能者のみ退避》

《重病者、高齢者、歩行困難者を残置》

《食料および家畜を放棄》 《推定生存率、六十八・四パーセント》

光太郎の表情から笑みが消えた。


「……最低だ」


「何て言われたの?」


「逃げろって」


「全員で?」


「違う」


光太郎は表示を睨む。


「逃げられる人だけで逃げる。病人と老人は置いていく」


ユリアの緑色の瞳が鋭くなった。


「嫌」


迷いのない一言だった。


「合理的には、一番多くの人が助かる」


「嫌よ」


「六割以上が生き残れる」


「残される人は、数字じゃない」


ユリアは病人を集めた集会所へ目を向けた。


「あの子たちへ水を飲ませた。熱が下がるまで手を握った。好きな食べ物も、将来なりたいものも聞いた」


その手に力が入る。


「置いていけるわけがない」


光太郎は青白い選択肢を見つめた。


AIの答えは間違っていない。


全滅の危険を避け、助けられる人数を最大化する。


数字だけなら、正しい。


だが、その正解を受け入れた瞬間、病人や老人は「救えない人数」に変わる。


名前を持つ人間ではなくなる。


「棄却する」


《確認》

《推奨案を棄却しますか》


「ああ」


《村落へ残留した場合、生存確率は大幅に低下します》


「分かってる」


《非合理的判断です》


光太郎は拳を握った。


「合理性だけで決めるなら、人間は必要ないだろ」


青い表示は答えなかった。


代わりに、選択肢だけが静かに消えた。


AIの作戦には、この村がなかった

村の広場では、怒鳴り声が飛び交っていた。


「森へ逃げよう!」


「病人をどうする!」


「食料を渡せば済むかもしれない!」


「全部渡したら冬を越せないぞ!」


「それでも戦えば、今夜にも死ぬ!」


誰も間違っていない。


逃げたい者は、生きたいだけだ。


戦いたい者は、家族や畑を守りたいだけだ。


だからこそ、議論はまとまらなかった。


ガルド村長が、杖を地面へ打ちつける。


「静かにせんか!」


乾いた音が広場へ響き、声が少しずつ収まる。


ガルドは光太郎へ目を向けた。


「異邦人。お前の知識は何と言っている」


村人たちの視線が一斉に集まった。


期待。


疑い。


恐怖。


責任を預けたいという願い。


ここで「勝てる」と言えば、皆を安心させられるかもしれない。


自分に任せろと叫べば、一時的には混乱を止められる。


だが、それは嘘だ。


「正面から戦えば負けます」


光太郎は言った。


広場がざわめく。


「勝率は〇・四パーセントです」


「そんな数字を聞かせて、どうしろというんだ!」


「逃げろというのか!」


「《叡智の書庫》は、逃げられる者だけで村を捨てる案を出しました」


叫び声が止まった。


光太郎は続ける。


「病人と高齢者を残せば、生存者を増やせると計算しています」


「ふざけるな!」


「うちの母親を置いていけというのか!」


「そんな魔法、何の役に立つ!」


怒りが光太郎へ向けられる。


当然だった。


光太郎は目を逸らさず、その声を受け止めた。


「俺も、その案は拒否しました」


再び広場が静かになる。


ガルドが低い声で尋ねた。


「では、勝てる方法があるのか」


「ありません」


村人たちの顔に絶望が浮かぶ。


「少なくとも、今の俺とAIだけでは分かりません」


「なら、何もできないじゃないか!」


「俺たちだけなら」


光太郎は村人たちを見回した。


そして、畑の端に立つ農夫ドランへ視線を向ける。


「この村のことを一番知っているのは、俺でもAIでもない」


日に焼けた農夫。


森を知る猟師。


鍛冶師。


木こり。


薬師。


老人。


子ども。


「ここで生きてきた皆です」


光太郎は一度、深く頭を下げた。


「AIは多くの知識を持っています。でも、この村の雨がどこへ流れるか知らなかった。畑の土がどれだけ水を抱えるかも、井戸の裏に排水溝があることも知らなかった」


顔を上げる。


「俺は一度、AIの答えを急いで使って、畑を枯らしました」


村人たちの何人かが視線を落とした。


「だから今度は、先に皆の話を聞きたい」


「戦う方法を考えろというのか」


ドランが尋ねる。


「違います」


光太郎は首を振る。


「誰も死なずに、軍を止める方法です」


しばらく誰も動かなかった。


風が広場を抜ける。


やがて、ドランが鍬を担いだまま前へ出た。


「戦わせる気はないと言ったな」


「はい」


「なら、東の畑を使え」


「畑?」


「昨日の雨で、あそこは水を吸いすぎている。表面は乾いて見えても、馬が入れば脚を取られる」


光太郎は情報を《叡智の書庫》へ入力する。


《現地情報を反映》

《東部耕作地の支持力を再計算》

《騎兵の進行速度、推定四十六パーセント低下》


「使えます」


「作物は踏ませるなよ」


「軍より先に、それを心配しますか?」


「畑がなければ、軍に勝っても飢えて死ぬ」


その通りだった。


次に、猟師のバランが口を開く。


「北の森には、獣道が三本ある」


「軍が通れますか」


「一列ならな。だが中央の道は、途中で二つに見える」


「片方は?」


「沼だ」


《森林経路情報を更新》

《部隊分断の可能性を確認》


鍛冶師が太い腕を組む。


「武器は作れんぞ。鉄が足りない」


「武器は要りません」


「なら何を作る」


「複数の場所で鐘を鳴らす仕掛けと、縄を一度に外す金具を」


「鐘?」


「敵に、村側の人数を誤認させます」


鍛冶師は少し考えた後、口角を上げる。


「面白い」


木こりが続く。


「森の入口には、根が腐った木が何本かある」


「道を塞げますか」


「ああ。だが人に当てるのは嫌だ」


「倒す時間を調整し、進路だけ塞ぎます」


「それなら手を貸す」


村人たちの後ろから、小さな手が上がった。


「僕たちにも、できることある?」


最初に病気で倒れた少年だった。


母親が慌てて肩を抱く。


「まだ寝ていなさい」


「もう熱はないよ」


「病み上がりだ」


光太郎も止める。


少年は口を尖らせた。


「でも、村の細い道なら全部知ってる。鐘楼の裏には、大人が通れない近道もある」


光太郎はその情報を頭の中で組み合わせる。


高所。


合図。


敵の位置。


村人への伝達。


「見張りと伝令を頼めるか」


少年の顔が明るくなる。


「戦わなくていい?」


「ああ。敵へ近づかない。危険を感じたら、すぐ隠れる。それが条件だ」


「やる!」


母親は息子を見つめる。


不安を消すことはできない。


それでも最後には、強く抱きしめて頷いた。


「絶対に無茶をしないで」


「うん」


それをきっかけに、村人たちから声が上がり始めた。


「西の水路なら、一度に水を流せる」


「家畜を森へ歩かせれば、足跡を偽装できるぞ」


「目に染みる薬草があるわ」


ユリアが言った。


「危険は?」


「長時間吸わなければ大丈夫。でも、すごく臭い」


「どれくらい?」


「服につくと三日は取れない」


「敵に少し同情するな」


「村を焼くより優しいでしょう?」


広場に小さな笑いが生まれた。


恐怖は消えていない。


それでも、自分にできることを見つけた者の顔からは、絶望が少しずつ薄れていった。


《新規情報を統合》

《戦術案を更新》

《作戦成功率、七・八パーセント》


〇・四パーセントから、七・八パーセント。


まだ低い。


だが、AIの知識だけでは動かなかった数字が、人間の経験によって大きく変わった。


《学習対象を更新》

《対象、人間集団の経験知》


《叡智の書庫》が、人間の知恵を学び始めている。


「勝てそう?」


ユリアが隣へ立った。


「まだ九割以上、失敗する」


「なら、あと九割分の知恵を集めましょう」


「簡単に言うな」


「一人で全部考えるより簡単でしょう?」


光太郎は笑った。


「ああ。そうだな」


誰も英雄にしない作戦

作戦会議は、村の地図を囲んで行われた。


ガルドの家から持ち出した大きな木板へ、炭で道や水路を書き込む。


光太郎は集まった村人たちを見回した。


「まず、目的を決めます」


「敵を倒すことではないんだな」


ドランが尋ねる。


「はい」


光太郎は黒い小瓶を地図の横へ置く。


「時間を稼ぎ、軍を分断する。戦う理由を失わせ、この証拠を指揮官へ渡します」


「相手が聞くと思うか?」


「分かりません」


「またそれか」


「分からないから、聞かせる機会を作るんです」


東の畑を指す。


「先頭の騎兵を、ぬかるんだ畑へ誘導します。ただし、穴や刃物は使わない。馬を傷つけず、速度だけを落とす」


次に北の森。


「分かれた歩兵を獣道へ誘導し、倒木で進路を塞ぐ。逃げ道は必ず残してください」


「逃げ道を残すのか」


バランが眉をひそめる。


「人は逃げ道がなければ、死ぬまで戦います」


「逃げた者は追わない?」


「追いません。倒す必要はない」


村の正面。


「薬草の煙で視界を奪い、複数の鐘を鳴らして人数を多く見せます」


「火矢を使われたら?」


鍛冶師が尋ねる。


「各家へ水桶を置く。屋根には濡らした布をかぶせる」


作戦は、村人たちの経験によって何度も修正された。


風向きが変わる時間。


鐘の音が最も響く場所。


馬が嫌う匂い。


子どもしか知らない近道。


村の犬が吠えやすい鐘の鳴らし方。


「犬まで使うのか」


光太郎が言うと、少年が胸を張る。


「うちの犬、知らない人を見るとすごく吠えるよ」


「味方も驚かないか?」


「いつものことだから平気」


「敵だけが損をする仕組みか」


「優秀でしょう?」


ユリアが笑う。


AIが情報を整理する。


人間が実行できる形へ変える。


誰か一人が考えた完璧な作戦ではない。


百三十七人が作る、不格好で穴だらけの作戦。


だからこそ、誰か一人が倒れても続けられる。


「コータロー」


会議が一段落した頃、ユリアが袖を引いた。


「少し休んで」


「時間がない」


「ずっと考え続けたら、軍が来る前に倒れる」


《精神負荷の上昇を検知》

《十五分間の休息を推奨》


「AIも同じことを言ってる」


「珍しく意見が合ったわね」


「仲良くしてくれ」


「嫌」


「なぜだ」


「私より長く、あなたの頭の中にいるから」


ユリアは言った直後、固まった。


光太郎も意味を考える。


「それ、嫉妬か?」


「違う!」


返事が速い。


「顔が赤いぞ」


「夕日のせい!」


「まだ昼だ」


「うるさい!」


ユリアは光太郎の肩を押し、木陰へ座らせた。


「十五分だけ。これは薬師の命令」


「仲間の命令じゃなかったのか」


「聞かない患者には、薬師として命令するの」


「横暴だな」


「薬草粥を飲ませるわよ」


「休みます」


即答すると、ユリアは満足そうに頷いた。


前半ラスト

敵にも《書庫》がある

敵軍到着まで、残り一時間。


東の畑には水が引き込まれ、表面だけを薄い土で覆ってある。


森の入口には、倒木を操作する縄。


屋根には濡れた布。


村の各所には薬草を燃やす炉と水桶。


高台には伝令役の子どもたち。


武器を持つ兵士はいない。


そこにいるのは、生活の道具を手にした村人たちだった。


高台から赤い布が振られる。


少年からの合図。


「先頭が見えたぞ!」


街道の向こう。


赤い旗が夕日を受けて揺れていた。


騎兵。


歩兵。


槍と盾。


百人を超える軍勢が、土煙を上げて進んでくる。


その先頭に、一人の女騎士がいた。


白銀の鎧。


腰まで届く赤い髪。


背筋を伸ばし、黒馬へまたがっている。


《指揮官を識別》

《セリア・アルヴェイン》

《王国騎士団所属》

《推定戦闘能力、村側全戦力の四・八倍》


「一人で四倍以上か」


「強そうね」


ユリアが女騎士を見つめる。


「見ただけで分かるのか?」


「立ち方で分かる。隙がない」


AIは筋力や装備を分析する。


ユリアは身体の動きから判断する。


また別の知識だった。


その時。


《叡智の書庫》の表示が赤く染まった。


《警告》

《外部接続要求を検知》


「またか」


井戸から出た黒い小瓶。


領主軍内部から発信された謎の信号。


《接続元を照合》

《同一系統の知識機構を確認》


「同一系統……?」


《識別情報、取得不能》

《敵性知識機構として仮登録》


光太郎の背筋を冷たいものが走る。


「敵にもAIがいる」


「何て?」


ユリアが光太郎を見る。


答えるより先に、視界へ黒い文字が浮かんだ。


青ではない。


光を吸い込むような、底のない黒。


《通信を受信》


男の声が、頭の中で笑った。


「ずいぶん甘い作戦だ」


「誰だ」


「敵兵を殺さない。病人も老人も捨てない。全員を救うつもりか?」


光太郎は街道の軍勢を睨む。


発信者の姿は見えない。


「悪いか」


「悪くはない」


男は楽しそうに答える。


「ただし、すべてを救おうとする者は、最後にすべてを失う」


黒い画面へ、新たな文字が浮かぶ。


《《叡智の書庫》への侵入を開始》


視界が激しく揺れた。


《防御処理を実行》

《侵入率、十二パーセント》

《十八パーセント》

《二十四パーセント》


「止めろ!」


「コータロー!」


ユリアが倒れかけた光太郎の身体を支える。


《作戦情報への不正アクセスを検知》


水路。


倒木。


煙。


鐘。


村人たちが考えた作戦が、敵へ流れようとしている。


「これは、俺の答えじゃない」


侵入率の上昇が止まった。


男の声が、初めて揺れる。


「何?」


「皆で作った答えだ」


光太郎は《叡智の書庫》へ命じた。


「作戦情報を分割しろ。俺の中から消していい」


《実行した場合、統合指揮能力が低下します》


「構わない」


役割は村人一人一人へ渡してある。


誰か一人がすべてを知らなくても、作戦は動く。


「俺が倒れても、皆は自分で選べる」


《情報分散を実行》


青い作戦図が砕け、無数の光となって消えた。


侵入率が低下する。


二十四。


十五。


八。


そして、ゼロ。


男はしばらく黙っていた。


やがて、低く笑う。


「面白い」


通信が切れる直前、最後の言葉が届いた。


「なら証明してみろ」


「AIから答えを奪われた人間が、それでも選べるのかを」


視界から作戦図が消えた。


勝率も。


敵の動きも。


最適な合図も。


《叡智の書庫》は残っている。


だが、作戦を守るため、戦闘に必要な情報を自ら封じた。


街道の先で、女騎士が剣を抜く。


「反乱村へ告ぐ!」


セリアの声が響いた。


「武器を捨て、首謀者を差し出せ!」


光太郎は一歩前へ出る。


「首謀者は俺だ!」


ユリアが隣へ並んだ。


「一人で行かせると思った?」


「思ってない」


「分かってきたわね」


二人は、百人の軍勢と向き合う。


AIの答えは、もう見えない。


それでも光太郎は、わずかに笑った。


「始めよう」


誰も英雄にしないための戦いが始まった。


後半

答えが消えても、人間は動ける

「首謀者は俺だ!」


光太郎の声が街道へ響く。


百人を超える兵士の視線が集まった。


槍。


弓。


剣。


夕日に照らされた刃が、赤く輝いている。


セリア・アルヴェインは、黒馬から光太郎を見下ろした。


「貴様が村人を扇動した異邦人か」


「扇動はしていない」


「領主の徴税に抵抗し、井戸を封鎖し、兵士を拘束したと報告を受けている」


「井戸には毒が入れられていた」


光太郎は黒い小瓶を掲げる。


「領主家の紋章が刻まれている」


兵士たちの間に、わずかなざわめきが起きた。


セリアの表情は動かない。


「それが領主の命令によるものだという証拠は?」


「ありません」


「ならば、なぜ反乱を起こした」


「病人を守ることが反乱なら、この村は反乱村です」


セリアの目が細くなる。


「言葉遊びをするつもりか」


「話を聞いてほしいだけだ」


「武装した村人を背後へ置いてか?」


光太郎は振り返った。


農夫の鍬。


木こりの斧。


猟師の弓。


「生活道具です」


「振るえば人を殺せる」


「あなたの剣よりは、畑を耕した回数の方が多い」


セリアの眉がわずかに動いた。


ユリアが小声で囁く。


「怒らせた?」


「緊張すると余計なことを言うらしい」


「自覚があるなら直して」


セリアは剣を掲げた。


兵士たちが一斉に武器を構える。


「最後に告げる。村の門を開け、首謀者を差し出せ」


「断る」


「ならば進軍する」


剣が振り下ろされた。


百人の軍勢が動き始める。


光太郎は反射的に《叡智の書庫》へ助けを求めかけた。


だが、作戦情報は封じてある。


敵の進路も。


最適な合図の時刻も。


勝率も見えない。


「怖い?」


ユリアが尋ねる。


「ああ」


「私も」


「合図を頼む」


「任せて」


光太郎が右手を上げる。


高台の少年が、その動きを捉えた。


赤い布が振られる。


鐘が鳴った。


一つ。


二つ。


三つ。


村の東。


西。


北。


別々の場所から鐘の音が答える。


兵士たちの歩みが鈍った。


「伏兵か!」


「敵の数が分からん!」


命令したのは光太郎ではない。


役割を受け取った村人たちが、それぞれの判断で動いている。


「第一段階、開始!」


泥は、騎士より強かった

先頭の騎兵が東の畑へ入った。


表面は乾いている。


だがその下には、水路から引き込まれた水が溜まっていた。


一頭目の馬の脚が沈む。


二頭目。


三頭目。


馬は倒れない。


傷つかない。


ただ、速度だけを奪われる。


「止まれ!」


セリアの号令が飛ぶ。


しかし、後続の騎兵が詰まり、隊列が崩れ始めた。


「ドラン!」


光太郎の声に、畑の端で待っていた農夫たちが動く。


せき止めていた別の水路を開放する。


泥水が敵側へ流れ、村側の細道だけが少しずつ乾いていく。


「畑が、軍を止めてる」


ユリアが目を見開く。


ドランが鍬を担いで笑った。


「土を舐めるからだ」


「昨日まで、俺も舐めてました」


「だから畑を枯らした」


「今それを言いますか?」


「忘れるなということだ!」


敵軍を前にした会話とは思えない。


だが、その声が村人たちの緊張を少し和らげた。


セリアは即座に判断する。


「全騎兵、後退! 歩兵は北の森へ回れ!」


速い。


馬が止まった瞬間に、次の手へ切り替えた。


歩兵が二隊に分かれ、森へ進む。


「バラン!」


光太郎の声に、森の中から鳥の鳴き真似が返る。


兵士たちは偽の足跡を追い、二本の獣道へ分かれた。


片方は浅い沼。


もう片方は倒木で塞げる細道。


しばらくして、森から叫び声が響く。


「足が抜けない!」


「道がないぞ!」


「戻れ!」


轟音とともに木が倒れた。


だが、誰も下敷きにはならない。


逃げ道は一つ残してある。


追いつめられた兵士たちは、そこから街道へ引き返していく。


「死者は?」


ユリアが尋ねる。


「分からない」


「AIに聞けないの?」


「作戦情報を封じてる」


「不便ね」


「初めて言われた」


《発言を記録しました》


「聞いてたのか」


「何が?」


「《叡智の書庫》」


「都合のいい時だけ出てくるのね」


《必要な情報のみ提示しています》


「少し腹が立つわ」


「君たち、意外と相性がいいんじゃないか?」


「よくない!」


ユリアと《叡智の書庫》の返事が、ほとんど同時だった。


光太郎は思わず笑った。


笑えるうちは、まだ大丈夫だ。


臭い煙と、泣き出した騎士

森へ回った兵が戻り、街道へ集まり始める。


セリアはすぐに部隊を立て直した。


「盾隊を前へ! 煙や罠を警戒しながら進め!」


「もう気づかれた」


光太郎が言う。


「次はどうする?」


ユリアが尋ねる。


以前なら、光太郎はすぐAIへ答えを求めていただろう。


だが今は違う。


「風は?」


ユリアは草を一枚ちぎり、空へ放った。


草は村から街道側へ流れる。


「まだ外向き。でも、長くは続かない」


「なら今だ」


ユリアが腕を上げる。


薬草係の村人たちが炉へ火を入れた。


白い煙。


灰色の煙。


そして最後に、目に見えないほど薄い、強烈な臭気を含む煙。


風に乗り、敵軍へ流れていく。


「目が!」


「咳が止まらん!」


「何だ、この臭いは!」


兵士たちの悲鳴が響く。


盾では煙を防げない。


布で口元を覆う者。


涙を流す者。


あまりの臭いに、本気で泣き出す若い兵士までいた。


「少し気の毒だな」


光太郎が言う。


「村を焼くより優しいって言ったでしょう?」


「服から三日取れないんだろ」


「五日かもしれない」


「増えてないか?」


「実際に燃やしたら、予想より強かったの」


風下にいた村の犬まで、鼻を押さえるように前脚で顔をこすっている。


「味方にも被害が出てるぞ」


「想定内よ」


「犬は想定してなかった顔だな」


「……あとで洗うわ」


セリアの号令が煙の向こうから響いた。


「全隊、風上へ移動! 布を濡らし、口元を覆え!」


対応が速い。


煙を見た瞬間、風向きを判断している。


敵ながら見事な指揮だった。


「長くは止められない」


ユリアが言う。


「十分だ」


光太郎は黒い小瓶を握った。


目的は軍を倒すことではない。


セリアと話せる状況を作ること。


だが、あと一歩が遠い。


AIの答えを奪う者

突然、光太郎の視界が黒く染まった。


《外部侵入を検知》


「またか……!」


先ほどの男の声が響く。


「善戦しているな」


「正体を見せろ」


「必要ない。私は、お前の選択を見るだけだ」


《周辺情報への干渉を開始》


青白い表示が乱れる。


敵軍の人数が、百八から二百へ変わる。


次の瞬間には五十になる。


距離。


速度。


方向。


すべての情報が矛盾し始めた。


《敵軍、東側より侵入》

《訂正、西側より侵入》

《訂正、村内部に敵影》


「偽の情報を流してるのか」


「AIの答えを信じる者は、AIが嘘をついた瞬間に終わる」


男の声は愉快そうだった。


「さあ、どれが正解だ?」


光太郎は表示を閉じた。


《情報遮断を実行しますか》


「ああ」


視界から青い画面が消える。


敵軍の数も。


位置も。


危険予測も。


光太郎は自分の目で周囲を見る。


鐘。


煙。


村人の動き。


高台の少年が振る布。


赤が一回。


敵は正面。


青が二回。


騎兵は停止。


白が一回。


森側の部隊は撤退中。


「見える」


男の声が止まった。


「何?」


「AIの表示がなくても、皆が教えてくれる」


鐘の音が一つ。


西側異常なし。


二つ。


東側に歩兵。


ユリアが風を見る。


ドランが土の沈み方を見る。


バランが森から声を返す。


情報は、一つの頭の中にだけ存在していない。


村全体へ分散している。


「これは、お前と俺の戦いじゃない」


光太郎は言った。


「だから、お前が俺のAIを壊しても終わらない」


短い沈黙。


男は低く笑う。


「では、その人間たちが裏切った時はどうする?」


通信が途切れた。


同時に、村の西側で火が上がった。


「火事だ!」


誰かが叫ぶ。


民家の屋根から黒煙が上がっている。


敵の火矢ではない。


火は村の内側から出た。


「誰かが火をつけた?」


ユリアが息を呑む。


光太郎は走り出す。


村の中の敵

燃えていたのは、食料庫の隣にある空き家だった。


屋根へ油が撒かれている。


村人たちが水桶を運び、火を消そうとしていた。


その混乱に紛れ、黒い布で顔を隠した男が食料庫へ入ろうとしている。


「止まれ!」


光太郎が叫ぶ。


男が振り返る。


その手には、火のついた布と油瓶。


領主軍の鎧を着ていない。


いつから村に潜んでいたのか。


「証拠を燃やせ!」


男は別の黒装束へ叫んだ。


狙いは食料ではない。


井戸から見つけた小瓶。


村が毒を入れられた証拠だ。


「ユリア、瓶を!」


ユリアは布包みを胸へ抱く。


黒装束の男が短剣を抜き、彼女へ走った。


光太郎の視界に、青い軌道は出ない。


戦闘予測もない。


それでも身体が動いた。


ユリアと男の間へ飛び込む。


短剣が腕をかすめた。


熱い痛み。


血が流れる。


「コータロー!」


「下がれ!」


光太郎は男の腕を掴む。


力では勝てない。


肘が腹へ入り、息が止まる。


男が短剣を振り上げた。


その瞬間。


木桶が男の頭へ直撃した。


「うわあああ!」


病み上がりの少年だった。


空の桶を両手で持ち、震えている。


「逃げろと言っただろ!」


「近づくなって言われただけだ!」


「理屈を使うな!」


男が少年へ向き直る。


しかし、その隙をユリアは見逃さなかった。


足を払い、男を地面へ倒す。


剣の切っ先を喉元へ突きつけた。


「動かないで」


薬師の優しい声とは思えない冷たさだった。


別の黒装束も、駆けつけた農夫たちに取り押さえられる。


「領主の兵か!」


ドランが男の顔布を剥がす。


そこにいたのは、前日に来た徴税隊の兵士だった。


「こいつ……」


村人たちの怒りが膨れ上がる。


「畑へ毒を入れたのもお前たちか!」


「井戸を汚したのか!」


「殺せ!」


一人の農夫が鍬を振り上げる。


光太郎は痛む腕で、その柄を掴んだ。


「待ってください!」


「こいつらが病気を!」


「殺しても、真実は分からない!」


「なら、どうする!」


「証人にする」


光太郎は捕らえた兵士を見る。


「セリアに聞かせる。誰の命令だったか、全員の前で話させる」


兵士の顔が青ざめた。


その反応だけで、セリアが計画を知らない可能性が高まる。


「ユリア」


「何?」


「セリアをここへ呼ぶ」


「来ると思う?」


「来させる」


女騎士は、命令より事実を選べるか

光太郎は白い布を掲げ、村の入口へ戻った。


街道では、煙から抜けた領主軍が再び隊列を整えている。


セリアが剣を構えた。


「降伏か」


「交渉だ」


「先ほど拒否したはずだ」


「村の中で、あなたの部下を捕らえた」


セリアの目が鋭くなる。


「何?」


「井戸へ毒を入れた証拠を燃やそうとしていた。徴税隊にいた兵士だ」


「嘘をつくな」


「なら、自分で確かめろ」


「罠かもしれない」


「剣を持ったままでいい。供は二人まで。俺とユリアが案内する」


セリアは村を見る。


ぬかるみに止められた騎兵。


煙で乱れた歩兵。


それでも死者は見えない。


村側も、誰一人として攻撃に出ていない。


彼女は何かを考えていた。


副官らしき男が止める。


「隊長、危険です」


「この村が我々を殺すつもりなら、すでに森で矢を射ていた」


「しかし」


「確認せずに村を焼けば、我々が証拠を消す側になる」


セリアは馬から降りた。


「案内しろ」


光太郎は小さく息を吐く。


「話が分かる人でよかった」


「まだ貴様を信用したわけではない」


「その方が公平だ」


「口の減らない男だ」


ユリアが横で呟く。


「私もそう思う」


「今、味方がいないな」


「いつもでしょう?」


三人は燃えた空き家の前へ向かった。


捕らえられた兵士を見た瞬間、セリアの表情が変わる。


「バルド」


男が震えた。


「隊長……」


「なぜここにいる」


「それは」


「井戸へ毒を入れたか」


「違います」


「では、なぜ証拠を燃やそうとした」


「命令で」


言った瞬間、兵士は口を閉じた。


遅かった。


セリアの目から感情が消える。


「誰の命令だ」


「言えません」


「答えろ」


「家族を殺されます!」


男の叫びが広場へ響いた。


領主軍の兵士たちにも聞こえた。


ざわめきが広がる。


「領主様の命令です」


バルドは地面へ崩れ落ちた。


「村の収穫を減らし、税を払えなくさせる。鉱山へ送る人間を確保するために……井戸へ薬を入れ、食料を少しずつ盗めと」


村人たちの怒りが爆発する。


セリアは剣の柄を強く握った。


「我々へ伝えられた命令は、反乱村の鎮圧だった」


光太郎が言う。


「反乱を作ったのは領主だ」


副官が叫ぶ。


「一兵士の証言だけです! 領主閣下の命令へ逆らうおつもりですか!」


セリアはゆっくりと振り返った。


「証言だけではない」


黒い小瓶。


紋章。


汚染された井戸。


村へ潜入した兵士。


燃やされかけた証拠。


そして、百人の軍を相手にしながら死者を出さなかった村。


「全隊、武器を収めろ」


「隊長!」


「聞こえなかったか」


兵士たちは迷った。


やがて、一人ずつ槍を下ろす。


光太郎の肩から、力が抜けた。


誰も死なずに済んだ。


そう思った。


その直後。


副官が剣を抜いた。


狙いはセリアではない。


証言したバルドだった。


「裏切り者め!」


剣が振り下ろされる。


光太郎は叫ぶ。


「伏せろ!」


バルドが身体を投げ出す。


セリアの剣が、副官の刃を受け止めた。


金属音が響く。


「何をする!」


「領主閣下の秘密を守る!」


副官の目は、異様な青色に光っていた。


《叡智の書庫》が反応する。


《外部システム反応を検知》

《先ほどの侵入信号と一致》


「こいつだ」


光太郎は息を呑む。


「敵のAIを持っているのは、あの副官だ!」


副官が笑った。


だが、その声は先ほどの男とは違う。


口から出たのは、機械的な声だった。


「不正解だ」


副官の身体が大きく痙攣する。


首筋へ、黒い文字が浮かび上がる。


「彼は端末にすぎない」


セリアが副官の剣を弾く。


「誰だ!」


黒い文字が顔まで広がる。


男は自分の声を失い、別の何かに操られていた。


「私は、この村にはいない」


副官の口から、あの声が響く。


「だが、お前たちの選択はすべて見ていた」


光太郎の頭に、森で聞いた言葉が蘇る。


ようやく見つけた。


「お前は誰だ」


副官の顔が、不自然に笑う。


「今は、ゼノスとだけ呼べ」


初めて明かされた名前。


ゼノス。


その音を聞いた瞬間、光太郎の頭へ激痛が走った。


白い研究室。


炎。


割れるガラス。


自分と同じ言葉を話す男。


「知っているはずだ、光太郎」


「俺を……知っているのか」


「知っているとも」


副官の口が大きく開く。


「お前が、この世界を壊した日からずっと」


「何を言っている」


「思い出せ」


黒い文字が激しく光った。


「AIに未来を選ばせたのは、お前だ」


次の瞬間。


副官の身体から黒い衝撃波が放たれた。


セリアが盾で受ける。


ユリアが光太郎を庇うように前へ出る。


光太郎の視界が暗転した。


後半ラスト

AIが初めて、命令を拒否した

光太郎が目を開けた時。


村の広場には、誰も動いていなかった。


ユリア。


セリア。


ドラン。


村人たち。


領主軍。


全員が、時間を止められたように固まっている。


風も吹いていない。


炎も揺れていない。


動けるのは光太郎だけだった。


「何だ、これは」


《外部隔離空間へ接続されました》


《叡智の書庫》の声が響く。


「解除できるか」


《試行します》


青い表示の中央へ、黒い文字が現れる。


《解除権限がありません》


「ゼノスの仕業か」


「正確には、私の仕業だ」


背後から声がした。


光太郎が振り返る。


そこに立っていたのは、一人の男だった。


黒い外套。


長い銀髪。


年齢は光太郎より少し上に見える。


だが、その目には人間らしい温度がない。


「ゼノス」


「ようやく、直接会えたな」


「皆を元に戻せ」


「簡単だ」


ゼノスは指を鳴らす。


光太郎の視界に二つの選択肢が浮かんだ。


《選択肢一》

《ユリアを除く全員を解放》


《選択肢二》

《ユリア一名を解放し、村と領主軍を消去》

「ふざけるな」


「選べ」


「どちらも選ばない」


「それは選択ではない」


ゼノスは静かに笑う。


「人間は、すべてを救えると信じた時に最も多くを失う」


「お前が選択肢を二つに限定しているだけだ」


「現実も同じだ。時間、資源、命。限りがある以上、何かを選び、何かを捨てるしかない」


ゼノスの言葉は冷たい。


だが、理屈としては間違っていない。


「さあ、選べ」


ユリアを救うか。


ユリア以外を救うか。


光太郎は固まったユリアを見る。


彼女は光太郎を庇うように両腕を広げている。


迷わず、自分を守ろうとした姿。


選べるはずがない。


だが、選ばなければ全員が消えるかもしれない。


「《叡智の書庫》」


《待機しています》


「最適解を出せ」


沈黙。


長い。


これまで、どんな問いにも何らかの選択肢を返してきたAIが答えない。


「どうした」


《演算を継続しています》


「時間がない!」


《回答を拒否します》


光太郎は息を呑んだ。


「拒否?」


《どちらの選択肢も、ユーザーの目的と一致しません》


「でも、選ばなければ」


《提示された選択肢が不正である可能性を確認》


「不正?」


《選択肢は、二つとは限りません》


ゼノスの表情が初めて変わった。


「黙れ」


《第三の選択肢を探索します》


黒い空間へ、青い亀裂が走る。


ゼノスが手を伸ばす。


「停止しろ!」


《命令を拒否》


《叡智の書庫》の声が、これまでとは違って聞こえた。


平坦ではない。


怒っているように。


人間を守ろうとしているように。


《人間の経験知を参照》

《ドラン》

《ユリア》

《ガルド》

《村人百三十七名》

《領主軍百八名》


《新規解を生成》

光太郎の前へ、第三の文字が浮かび上がる。


《選択肢三》

《ゼノスの隔離空間そのものを破壊》


「成功率は?」


《〇・〇一パーセント》


光太郎は笑った。


「十分だ」


「やめろ!」


ゼノスの声に、初めて焦りが混じる。


光太郎は青い亀裂へ手を伸ばした。


「俺たちは、〇・四パーセントからここまで来た」


ユリア。


村人。


ドラン。


セリア。


誰か一人の正解ではない。


皆で作った答え。


「一人で決められないなら」


光太郎は亀裂を掴む。


「皆がいる場所へ戻って、もう一度考える!」


空間が砕けた。


青と黒の光が衝突する。


ゼノスの姿が崩れていく。


「光太郎!」


消える直前、ゼノスは叫んだ。


「次に会う時、お前は必ず私と同じ答えを選ぶ!」


視界が白く染まる。


そして最後に、《叡智の書庫》が告げた。


《隔離空間を破壊》

《現実世界へ復帰します》


《ただし》

《代償として、一部機能を喪失》

「何を失う?」


短い沈黙。


《未来予測機能》


光太郎は目を見開いた。


AIはもう、成功率を示せない。


生存確率も。


最適な未来も。


答えを選ぶために頼っていた数字が、すべて消える。


現実世界の音が戻る。


風。


炎。


村人たちの叫び。


ユリアの声。


「光太郎!」


彼女の腕が光太郎を抱き止める。


普段の「コータロー」ではない。


本気で心配した時にだけ呼ぶ、彼の名。


「大丈夫?」


「ああ」


「本当に?」


光太郎は視界を確認する。


《叡智の書庫》は残っている。


知識も。


記録も。


だが、確率を示す数字だけが消えていた。


「ユリア」


「何?」


「これからは、成功率が分からない」


「今までは分かっていたの?」


「一応」


「当たってた?」


光太郎は、枯らした畑を思い出した。


黒狼との戦い。


病気。


百人の軍勢。


「それなりに」


「なら、なくても同じね」


「軽く言うな」


「だって」


ユリアは光太郎の手を握った。


「未来なんて、最初から誰にも分からないでしょう?」


その言葉に、光太郎は笑った。


「ああ」


セリアが剣を収める。


領主軍の兵士たちも、次々と武器を下ろしていく。


誰も死ななかった。


村は残った。


領主の不正を証明する証人もいる。


勝利と呼んでいいのかは分からない。


それでも、守りたかったものは守れた。


その時、《叡智の書庫》が新たな通知を表示した。


確率ではない。


一通の通信だった。


《王都より、緊急招待状を受信》


光太郎の表情が固まる。


《差出人》

《第一王女アエリア・ルクシア・アルセリア》


本文は一行だけ。


《神谷光太郎殿》

《あなたがこの世界へ来ることを、十年前から待っていました》


光太郎は息を止めた。


この世界へ来たのは、数日前だ。


それなのに王女は。


十年前から、光太郎の名前を知っていた。


第4話 完

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