第5話「それでも選ぶ」
第6部「自由の代償」前書き
AIが正しい答えをくれる。
それなら、その答えに従えばいい。
失敗しない。
傷つかない。
後悔しない。
きっと、その方が楽です。
でも。
もし、自分で決めることを選んだら。
間違えるかもしれない。
誰かを傷つけるかもしれない。
「AIの言う通りにしていればよかった」
そう思う日が来るかもしれません。
第6部で描くのは、そんな自由の怖さです。
第5部で、光太郎はノアに伝えました。
AIを捨てろとは言わない。
答えを聞くことも、助けてもらうことも悪くない。
ただ。
最後の一つだけは、自分で決めろ。
人生だけは。
その言葉を受けたノアは、少しずつ自分で選ぶようになります。
朝ご飯を選ぶ。
遊び方を選ぶ。
誰かと話す言葉を選ぶ。
小さな失敗をして。
笑って。
少しずつ、自分の人生を自分の手に取り戻していきます。
けれど。
選択が大きくなった時。
その失敗もまた、大きくなります。
そしてノアは、初めて知ることになります。
自分で決めるということは、結果まで引き受けるということだ。
第6部では、光太郎にも簡単な答えはありません。
「自分で決めろ」と言った側にも責任がある。
AIに従えば助かった未来があったかもしれない。
それでも、人間に選択権を残す意味はあるのか。
AIは答えをくれる。
でも。
その答えを選ぶのは誰なのか。
そして。
選んだ結果を引き受けるのは誰なのか。
物語はここから、さらに苦しく、さらに深くなります。
正解のない未来を。
それでも自分で選ぶために。
第6部「自由の代償」。
始まります。
《選択してください》
青い文字が、明滅していた。
《使用者ノアへ質問》
《次の判断を》
《誰に委ねますか?》
俺。
ユリア。
《叡智の書庫》。
三つの選択肢を前に、ノアの指が震える。
「光太郎さん」
「うん」
「僕は……どうすればいいですか?」
俺は答えなかった。
今度は、答えを知らないからじゃない。
答えてはいけない。
そう思った。
【正解を渡さない】
「ノア」
「はい」
「分からない」
ノアが目を見開く。
「……え?」
「俺にも、分からない」
「でも、光太郎さんなら」
その言葉が胸に刺さった。
昔なら、嬉しかったかもしれない。
頼られている。
信じられている。
俺なら正解を出せると思われている。
でも今は、怖かった。
それは、かつて俺が《叡智の書庫》へ向けていた信頼と、あまりにも似ていたからだ。
「俺が決めたら、お前は従うか?」
「……はい」
即答だった。
だから余計に答えられない。
「じゃあ駄目だ」
「どうしてですか?」
「俺が、お前のAIになるからだ」
ノアが息を止めた。
「AIに全部決めてもらうのは嫌だって言っておいて、今度は俺に全部決めてもらう。それじゃ、相手が青い本から人間に変わっただけだ」
「でも!」
ノアが叫ぶ。
「僕が決めたら、また誰かが傷つくかもしれない!」
「うん」
「失敗するかもしれない!」
「うん」
「ラウルさんみたいに!」
「……うん」
否定しない。
自分で考えれば成功する。
そんな都合のいい話じゃない。
むしろ、自分で決めるからこそ、失敗した時の逃げ場がなくなる。
ノアは唇を噛んだ。
「AIに従って失敗したら、AIのせいにできます」
「ああ」
「誰かに任せて失敗したら、その人のせいにできる」
「ああ」
「でも、自分で選んだら」
涙が落ちる。
「僕のせいになる」
「そうだ」
ユリアが俺を見る。
たぶん、もっと優しい言い方はある。
それでも、ここだけは嘘をつきたくなかった。
「怖くないんですか?」
「怖いよ」
ノアが顔を上げる。
「今でも?」
「今でも」
「光太郎さんでも?」
「俺を何だと思ってる」
「すごい人です」
「評価が重い」
ユリアが横から口を挟んだ。
「大丈夫だよ、ノア君。コータロー、かなり普通だから」
「おい」
「朝ご飯だけで五分悩むし」
「パンとスープの配分には戦略が」
「昨日、靴下を左右逆に履いてた」
「なぜ今それを公開した?」
ノアが、泣きながら少し笑った。
その笑いが、今は何より大事だった。
「だから」
俺は言った。
「一人で決めなくていい」
ノアの表情が止まった。
【四つ目の選択肢】
「……一人で?」
「ああ」
俺は《叡智の書庫》を見る。
表示されているのは、俺、ユリア、AI。
どれか一つに判断を委ねろ。
でも。
「なんで誰か一人に全部決めさせなきゃいけない?」
ノアが青い画面を見る。
《誰に委ねますか?》
「AIに聞いてもいい。俺に相談してもいい。ユリアにも」
「私は?」
「今入れた」
「一瞬忘れてたよね?」
「気のせいです」
「目を見て」
「今その確認いる?」
「大切な判断だから」
「俺の心拍数を集団討議しないで」
ノアが、今度はちゃんと笑った。
俺は続ける。
「人に聞け。いっぱい聞けばいい」
俺に。
ユリアに。
ラウルに。
村のみんなに。
必要なら、《叡智の書庫》にも。
「知識を集めろ。意見を聞け。反対されろ。喧嘩してもいい」
そして。
「最後に、自分で決めればいい」
ノアは長く黙った。
やがて、伸ばしていた指を下ろした。
《選択してください》
青い文字が明滅する。
「選びません」
《入力を確認できません》
「この中からは、選びません」
《選択してください》
「嫌です」
《選択してください》
「嫌です!」
青い光が強くなる。
ノアは震えていた。
それでも、もう俺を見なかった。
「僕は、みんなに相談します」
《…………》
「ラウルさんにも。村のみんなにも。光太郎さんにも。ユリアさんにも」
そして、本を見る。
「あなたにも聞きます」
《叡智の書庫》が淡く光った。
「でも」
ノアは胸に手を置く。
「最後は、僕が選びます」
静寂。
次の瞬間、表示がすべて消えた。
「……え?」
ノアが固まる。
俺も固まる。
ユリアも固まる。
「壊した?」
「ええっ!?」
「コータロー、子どもを煽って貴重な知識魔法を破壊した?」
「言い方!」
「ぼ、僕、壊したんですか!?」
三人で青い本を覗き込む。
十秒後。
一行だけ浮かんだ。
《回答を記録しました》
続いて。
《第二試験》
《判定保留》
「保留!?」
思わず叫ぶ。
「そこ合格じゃないの!?」
ユリアが吹き出した。
「コータロー、AIに褒めてもらえなくて悔しいんだ」
「違う!」
ノアまで笑っている。
第六部の結論がAIに保留された。
人生、大体こういうものである。
【許されなくても、前には進める】
村が見えてくると、ノアはまた無口になった。
壊れた柵。
修理途中の倉庫。
事故の痕跡。
その向こうに、ラウルがいた。
右腕には包帯。
ノアの足が止まる。
「……無理です」
「うん」
「帰りたいです」
「うん」
「逃げてもいいですか?」
俺は少し考えた。
「今日だけ逃げる?」
ノアが俺を見る。
「明日でもいい。明後日でもいい。逃げたら終わりじゃない。戻ってくればいい」
長い沈黙。
やがて、ノアは首を横に振った。
「今日、行きます」
「分かった」
俺も歩こうとすると、ノアが振り返った。
「光太郎さん」
「ん?」
「少しだけ、ここで待っててください」
「一人で行くの?」
「はい。でも」
俺とユリアを見る。
「一人じゃないので」
胸の奥が熱くなった。
「行ってこい」
ノアは歩いていく。
遅い。
情けないくらい遅い。
でも、止まらない。
ラウルの前で深く頭を下げた。
しばらくして、ラウルが何か言う。
ノアが顔を上げる。
また言葉を交わす。
ノアが泣く。
それでも、逃げなかった。
「コータロー」
ユリアが小さく呼ぶ。
「行かなくていいの?」
「行かない」
「助けなくて?」
「助けたい」
「じゃあ」
「だから、行かない」
ユリアが少し笑った。
「変わったね」
「誰が?」
「コータロー」
「そうかな」
「昔なら『大丈夫だ、俺に任せろ!』」
「そんな暑苦しくない」
「してた」
「証拠は?」
「私」
「最強の証人だった」
俺たちはノアを見守った。
助けることと、代わりに決めることは違う。
ようやく、その違いが分かってきた。
夕方。
戻ってきたノアの目は真っ赤だった。
「どうだった?」
「許してもらえませんでした」
「……そっか」
胸が痛む。
でも。
第4話で、リナが教えてくれた。
許すことと、前へ進むことは同じじゃない。
「ラウルさんに言われました」
「何て?」
「『まだ、お前を見ると腹が立つ』って」
「うん」
「『腕を見るたび、あの日を思い出す』って」
「うん」
「『お前を許せるかは分からない』って」
ノアは涙を拭いた。
「でも」
声が少し変わる。
「『だから、お前も考えろ』って」
俺は顔を上げた。
「『次に同じことが起きたら、どうするのか考えろ。それくらいは、怪我させた責任としてやれ』って」
厳しい。
でも。
怒ったまま、ノアの未来を捨てなかった。
「それで、何て答えた?」
「分かりませんって」
俺は笑った。
「いい答えだ」
「それから」
「うん」
「一緒に考えてくださいって」
今度は、俺が何も言えなくなった。
ユリアがそっと笑う。
「ノア君、それ誰に教えてもらったの?」
ノアは俺を見る。
俺は少し胸を張る。
「まあ、俺という優秀な師匠が」
「リナさんです」
「俺じゃなかった」
ユリアが吹き出した。
「光太郎さんもです」
「後付け感がすごい」
でも。
それでいい。
誰か一人から正解をもらうんじゃない。
リナから。
ラウルから。
ノアから。
ユリアから。
失敗した人から。
傷ついた人から。
そして、AIからも。
少しずつ答えの材料をもらう。
【それでも選ぶ】
夜。
村の広場に人が集まった。
村長。
農民。
職人。
事故に遭った人。
知識魔法を使いたい人。
使いたくない人。
意見は真っ二つだった。
「知識魔法は禁止すべきだ!」
「でも、あれがなかったら去年の飢饉を乗り切れなかった!」
「また事故が起きたらどうする!」
「人間だけで決めたって事故は起きる!」
「じゃあ誰が責任を取る!」
「ノア一人に背負わせるのか!」
声が飛び交う。
俺は思った。
AIに聞きたい。
ものすごく聞きたい。
《この会議を十五分以内にまとめる最適な進行方法を提示せよ》
「コータロー」
「何」
「今、AIに聞きたいって思ったでしょ」
「なぜ分かった」
「顔」
「俺の顔、情報漏洩が激しいな」
その時。
「みなさん!」
ノアが叫んだ。
広場が静まる。
十二歳の少年が、一番前に立つ。
手には《叡智の書庫》。
「僕は、知識魔法を使って、人を傷つけました」
誰も口を挟まない。
「だから、もう使うなって言われたら、その方が楽です」
ざわめき。
「使わなければ、次に何かあっても、僕のせいじゃないって言えるから」
俺は黙って聞く。
「でも、この本に助けてもらった人もいます。僕も助けてもらいました」
村人たちが顔を上げる。
「だから、捨てたくありません」
今度はラウルを見る。
「でも、もう、この本の言うことをそのまま正しいとは思いません」
《叡智の書庫》は何も答えない。
「僕は、間違えます」
誰かが息を呑んだ。
「また失敗すると思います」
それでも。
「だから、一緒に考えてください」
ノアは村のみんなを見る。
「僕が間違ってたら、止めてください。僕も、みんなが間違ってると思ったら言います」
「知識魔法にも聞きます」
そして。
胸に手を置いた。
「最後は、僕たちで決めたいです」
その瞬間。
青い光が広場を照らした。
《叡智の書庫》が開く。
《第二試験》
《観測結果》
《使用者ノア》
《判定》
一秒。
二秒。
《合格》
ノアが目を見開く。
俺は思わず笑った。
「今度は合格かよ」
ユリアが肘で小突く。
「AIに褒めてもらえて嬉しい?」
「ちょっとだけ」
「素直でよろしい」
だが、表示は終わらなかった。
《第二試験結果》
《人間は》
《単独で正解を選択できるか》
《回答》
《不能》
ざわめきが走る。
さらに文字が続く。
《再定義》
《人間は》
《他者と共に》
《不完全な判断を引き受けられるか》
ノアが息を呑む。
《回答》
《可能性あり》
「……可能性?」
ノアが言った。
俺は笑った。
「十分だろ」
人生に百点満点なんてない。
だから。
俺たちは、考える。
それでも。
選ぶ。
【答えのない隣】
翌朝。
俺たちは村を出ることになった。
ノアは村に残る。
《叡智の書庫》も、彼の手元に残す。
「本当にいいんですか?」
「何が?」
「僕が、これを持っていて」
便利だ。
危険だ。
人を救える。
人を傷つける。
どれも本当だ。
「いいんじゃないか」
「軽いですね」
「重く言った方がいい?」
「いえ」
ノアが笑う。
「光太郎さん」
「ん?」
「ありがとうございました」
「まだ早い」
「え?」
「俺も分からないことだらけだ」
ノアの頭に手を置く。
「だから次に会ったら、お前が教えてくれ」
驚いて。
それから。
「はい!」
大きく頷いた。
馬車が動き出す。
村が遠ざかる。
ユリアが俺の隣に座った。
「終わったね」
「何が?」
「第二試験」
「たぶん」
「たぶん?」
「あの連中、絶対第三試験とか出してくる」
「確かに」
しばらくして。
ユリアが俺の肩に頭を乗せた。
「……ユリア?」
「疲れた」
「俺の肩は宿屋じゃないんですが」
「無料?」
「有料」
「いくら?」
「高いよ」
「じゃあ払えない」
「どいてください」
「嫌」
どかない。
むしろ少し体重が増えた。
「コータロー」
「ん?」
「前より、好きかも」
心臓が止まりかけた。
「……また?」
「何が?」
「人として、って付けるやつ」
「今日は付けてないけど」
「…………」
馬車の車輪だけが、やけに大きな音を立てた。
「それ、どういう意味?」
「自分で考えて」
「難易度が高すぎる!」
「AIに聞く?」
「いない!」
ユリアがくすっと笑った。
頭は、俺の肩から離れなかった。
俺も。
もう、離してくれとは言わなかった。
正解は分からない。
でも。
分からないまま隣にいるのも、悪くない。
その時だった。
前方から、馬が一頭。
猛烈な勢いで駆けてくる。
「光太郎様!」
王都の伝令だった。
顔色を失っている。
「何があった?」
差し出された布告には、大きく書かれていた。
《知識魔法全面禁止令》
「……は?」
伝令が息を切らす。
「ノア・ベルンの事故をきっかけに、各国で知識魔法への反発が急拡大しています」
「各国?」
「王国だけではありません」
帝国。
自治都市。
宗教国家。
辺境諸侯。
世界中で、同じ声が上がり始めているという。
AIを壊せ。
知識魔法を消せ。
人間から判断を奪う悪魔の力を、この世界に残すな。
俺は、さっきまで見えていた村を振り返った。
そこには。
《叡智の書庫》を持った十二歳の少年がいる。
「コータロー」
ユリアの声が低くなる。
俺は布告を握りしめた。
俺たちは、AIに従うなと教えた。
自分で考えろと言った。
自由に選べと言った。
そして。
世界が、自分で選び始めた。
その最初の答えが。
AIを、この世界から消すことだった。
自由には、間違える権利がある。
なら。
人間が自由に選んだ答えが。
俺の気に入らない答えだった時。
俺は。
それを認められるのか。
青空の下。
第六部で見つけた答えの、その先に。
もっと厄介な問いが待っていた。
第6部 第5話 完
第6部「自由の代償」完
次回
7部 AIの権利
第1話 AIが「自由」を求めた日
ノアの事故をきっかけに、世界中へ広がる知識魔法禁止運動。
「危険なら、なくせばいい」
それは、あまりにも正しく、あまりにも簡単な答えだった。
AIを信じる者。
AIを憎む者。
AIと共に生きようとする者。
世界は三つに割れ始める。
人間から選択を奪うAIは危険だ。
では。
危険だからAIを禁止することは、人間から選択を奪うことではないのか。
次回、第7部「AIの権利」開幕。
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