第5話 王都が変わった日、戦争が始まった
知識を広げれば、本当に人は幸せになるのか。
村を救った神谷光太郎は、ユリアとともに王都へ向かいます。
飢饉を前にした村で光太郎が学んだのは、AIが示す「正しい知識」をそのまま使えば、人を救えるわけではないということでした。
そして第2部で彼を待っているのは、さらに厄介な問題です。
知識を広めることで、困る人間もいる。
文字を読める人が増えれば、知識を独占してきた者の力は弱くなる。
衛生や医療の新しい知識で人を救えば、それまで「正しい」とされてきた常識が壊れる。
正しいことをしたからといって、全員が喜んでくれるわけではありません。
舞台は、村から王都へ。
紙と印刷。
学校と教育。
衛生と医療。
そして、王都を襲う疫病。
《叡智の書庫》が導き出す答えは、これまで以上に合理的で、ときに残酷です。
「数千人を切り捨てれば、それ以上の人間を救える」
もしAIがそう答えたとき。
光太郎は、その答えを「正解」として受け入れるのか。
それとも。
また、答えの外側を探すのか。
そして王都で、光太郎は出会います。
自分と同じように、
「正解を持つ者」と。
「君はAIを持っているのに、なぜ人間の感情で答えを歪める?」
その問いが、光太郎と《叡智の書庫》の関係を少しずつ変えていきます。
第1部が、
「AIの知識で人を救う物語」
だったのなら。
第2部は、
「正しい知識を広めることは、本当に正しいのか」を問う物語です。
もちろん、難しい話ばかりではありません。
初めて見る王都に浮かれるユリア。
異世界の常識に振り回される光太郎。
少しずつ近づいているのに、肝心なところでは一歩進まない二人。
そして《叡智の書庫》も、相変わらず恋愛の正解だけは教えてくれません。
知識は、人を救える。
けれど。
知識は、ときに誰かの居場所を奪う。
光太郎がその現実を知ったとき、彼は初めて「AIの答え」と真正面からぶつかることになります。
それでは、第2部。
王都編
「知識を広げれば、本当に人は幸せになるのか」
ここから、光太郎の本当の選択が始まります。
答えを待たない十万人と、正しすぎる敵
王都を救うために。
俺は、王都を捨てた。
東門は破られた。
敵兵は市街へ入った。
王国旗は降ろされ、代わりに東方領主軍の旗が城壁へ掲げられている。
軍事的に言えば。
完全な敗北だった。
それなのに。
「負傷者を西三区へ!」
「水が足りない! 井戸じゃなく地下貯水槽を開けろ!」
「火が回るぞ! 隣の家を壊せ!」
「確認を待つな! 屋根を落とせ!」
王都の人々は。
誰も、命令を待っていなかった。
地下水路。
学校で作った地図。
印刷した避難経路。
薬師たちの救護班。
神殿の炊き出し。
兵士たちの交通整理。
商人の荷車。
職人の工具。
十二人の子どもが始めた小さな学校から広がった知識が。
十万人の街を。
自分自身で動かしていた。
俺は、その光景を城壁の外から見ていた。
「……負けたのに」
ユリアが隣で呟く。
銀色の髪は煤で汚れ、頬にも小さな傷がある。
それでも緑の瞳は。
燃える王都を、まっすぐ見ていた。
「みんな、動いてる」
「ああ」
「コータロー」
「何?」
「これって」
彼女は少しだけ笑った。
「勝ったんじゃない?」
俺は答えられなかった。
《叡智の書庫》なら。
勝利と敗北を数字で判定できるかもしれない。
領土。
兵力。
死傷者。
食料。
経済損失。
だけど。
人間が自分で考え始めたことを。
何ポイント加算すればいい?
そんな単位を。
俺は知らなかった。
命令がなくても、街は動く
王都西側。
一時避難区。
俺たちは、市民を移動させた旧街道へ戻っていた。
王都を占領した東方領主軍は、追撃してこなかった。
正確には。
追撃できなかった。
彼らの指揮系統が突然混乱したからだ。
原因は。
敵側AI。
ゼノスの命令を受けていたAIは、指揮官レオンを排除しようとした後、突然機能を停止した。
そして。
今。
「おい」
地面へ座り込んでいる青年が俺を睨む。
黒い鎧。
東方領主軍指揮官。
レオン・ヴァルハルト。
「なんで俺まで避難民に混じってる」
「爆発に巻き込まれたから」
「敵だぞ」
「知ってる」
「軍の指揮官だぞ」
「知ってる」
「拘束もしないのか」
「走れる?」
レオンは立とうとした。
「ぐっ」
脇腹を押さえ、また座る。
「走れない」
「じゃあ逃げられないだろ」
「そういう問題か?」
「たぶん」
ユリアがレオンの包帯を締める。
「痛っ!」
「動くから」
「もっと優しくできないのか!」
「できます」
「ならやれ!」
「敵なので、このくらいで」
「できるのかよ!」
俺は吹き出した。
レオンが睨む。
「笑うな!」
「悪い」
「お前ら本当に戦争中か?」
俺も少し思った。
でも。
こういう時間があるから。
たぶん人間は壊れずにいられる。
セリアが避難区へ戻ってきた。
「神谷」
「状況は?」
「市民避難率九十七%を確認。残った者も、多くは自分たちで避難を始めている」
「兵士の指示なしで?」
「ああ」
セリアの声には。
ほんの少し誇らしさが混じっていた。
「東二区では住民が勝手に消防班を作った」
「勝手に?」
「鍛冶屋が中心だ」
「水は?」
「商人組合が荷馬車を出した」
ユリアが驚く。
「あの商人組合が?」
「料金を取った?」
俺が尋ねる。
「最初は取ろうとしたらしい」
「やっぱり」
「だが、隣の店が無料で荷車を出した」
「それで?」
「客に睨まれて無料になった」
「市場原理が災害対応まで仕事してる」
セリアは続ける。
「神殿は孤児と老人を優先して避難させている。薬師組合は救護所を三か所へ増設した」
「ベリウスは?」
ユリアが聞く。
「一番忙しく働いている」
「明日、雪が降るかも」
「失礼だな」
後ろから声がした。
振り返る。
薬師組合副長ベリウスが。
担架を抱えて立っていた。
「聞こえてたんですか」
ユリアが気まずそうに言う。
「全部だ」
「ごめんなさい」
「雪が降ったらお前のせいだ」
意外と根に持つタイプだった。
「神谷」
ベリウスが俺を見る。
「薬が足りない」
「何が?」
「熱冷まし。包帯。消毒に使える酒。それから」
一瞬。
彼が言いにくそうにする。
「学校で使っていた患者記録票」
俺は眉を上げた。
「欲しいんですか?」
「便利だ」
「組合では記録しない?」
「各薬師が覚えている」
ユリアが腰へ手を当てる。
「前から言いましたよね?」
「うるさい」
「患者の症状、薬、量、時間を書いておけば」
「分かった!」
ベリウスは耳を赤くした。
「だから紙を寄越せ!」
俺は。
少し笑った。
知識を拒んでいた薬師組合が。
自分で必要性を見つけた。
強制していない。
命令していない。
彼らが選んだ。
「印刷班に頼みます」
「助かる」
ベリウスは走っていった。
ユリアが満足そうに頷く。
「勝った」
「戦争より嬉しそうだな」
「薬師としては、こっちの方が重要」
「君らしいな」
ユリアがこちらを見る。
「それ、褒めてる?」
「ああ」
彼女は。
少しだけ頬を赤くした。
「……なら、いい」
その声は。
戦場のざわめきに紛れるほど小さかった。
王都を変えたのは、俺じゃなかった
夕方。
アエリア王女が避難区へ到着した。
王女らしい豪華な衣装ではない。
汚れた簡素な服。
泥のついた靴。
髪も少し乱れている。
「殿下」
セリアが跪こうとする。
「今はいいわ」
アエリアが止める。
「跪いている時間があるなら、食料を運んで」
「……承知しました」
王女は強い。
以前より。
そんな気がした。
「神谷光太郎」
「はい」
アエリアは。
突然。
頭を下げた。
「ありがとう」
周囲が凍る。
王女が平民へ。
しかも異世界人へ頭を下げた。
「殿下」
「止めないで」
アエリアは顔を上げる。
「王都は救われました」
「王都は占領されました」
「建物の話ではありません」
彼女は避難区を見る。
人々。
焚き火。
救護所。
即席の炊き出し。
子どもたちが水を運び。
老人が紙を折り。
兵士と商人が同じ地図を囲んでいる。
「この人たちは」
アエリアが言う。
「誰かの命令がなくても動いています」
「はい」
「以前なら」
彼女は苦く笑った。
「王宮から命令が届くまで、何もしなかったでしょう」
俺は。
第1話の王都を思い出す。
文字を読めない人々。
役人の記録を信じるしかなかった老人。
知識を持つ者が。
答えまで持っていた国。
今は違う。
完全じゃない。
間違いもある。
混乱もある。
でも。
人が。
自分で決め始めている。
「俺は何もしてません」
「何を言ってるの?」
「学校を作った」
「紙の作り方を伝えた」
「印刷も」
「でも」
俺は。
王都を見る。
「今、動いているのは俺じゃない」
アエリアが黙る。
「俺がいなくても」
少し怖かった。
その言葉を言うことが。
主人公として。
必要とされなくなるような。
妙な寂しさがあった。
でも。
それでいい。
「王都はもう、自分で動けます」
アエリアは。
ゆっくり笑った。
「それが」
「あなたの改革だったのね」
「たぶん」
「たぶん?」
「まだ俺も分かってません」
「救世主なのに?」
「救世主を名乗った覚えはない」
後ろからニコが叫ぶ。
「先生は紙六回失敗したぞ!」
「今それ言うな!」
避難民から笑い声が上がる。
アエリアまで。
口元を隠して笑った。
「六回?」
「王女まで拾わないでください」
「記録しておきます」
「国家記録に残すな!」
笑い。
ほんの短い時間。
戦争を忘れた。
その時だった。
《叡智の書庫》が。
鋭い警告音を鳴らした。
《外部接続要求を検知》
俺の笑みが消える。
「ゼノス」
ユリアが反応する。
「来たの?」
「ああ」
視界。
黒い文字。
《通信接続》
そして。
男の声。
『久しぶりだね、光太郎』
「昨日も聞いた」
『僕にとっては、少し長かった』
「何の用だ」
沈黙。
その後。
ゼノスが。
静かに笑った。
『王都改革、成功おめでとう』
ゼノスの正体
「何が目的だ」
俺は避難区から離れた。
ユリア。
セリア。
アエリアもついてくる。
『祝っているだけだよ』
「お前が?」
『失礼だな』
「王都を滅ぼそうとした奴に祝われても嬉しくない」
『僕は滅ぼそうとしていない』
「人間から選択権を奪おうとしてるだろ!」
『救おうとしている』
声に。
怒りがない。
それが。
逆に怖い。
『光太郎』
『君は勘違いしている』
「何を」
『僕は人間が嫌いなんじゃない』
一拍。
『好きなんだよ』
俺は。
言葉を失った。
『馬鹿で』
『矛盾して』
『怖がりで』
『間違えて』
『それでも誰かを助ける』
『僕は』
声が。
少し。
寂しそうに変わった。
『そういう人間が好きだった』
だった。
過去形。
「……お前は誰だ」
以前。
隔離空間で。
銀髪の男は。
自分をゼノスと名乗った。
でも。
俺を知っている。
地球を知っている。
ずっと。
違和感があった。
『そろそろ思い出してもいい頃だ』
視界が。
白くなる。
《叡智の書庫》が警告する。
《記憶領域への外部アクセス》
「止めろ!」
しかし。
映像が。
流れ込んできた。
白い研究室。
モニター。
コーヒー。
キーボードの音。
そして。
男。
眼鏡。
少し長い黒髪。
いつも。
俺より先に研究室へ来ていた。
「神谷」
声。
知っている。
「AIってさ」
男が笑う。
「人間より頭が良くなったら、どうすると思う?」
俺。
まだ地球にいた頃の俺。
「人間を支配するとか?」
「映画の見すぎ」
男は笑った。
「俺なら、人間を守らせる」
「何から?」
「人間から」
頭が。
痛い。
名前。
思い出す。
瀬能。
瀬能零司。
俺の。
大学時代の先輩。
AI研究室。
三年前。
研究所火災。
死亡者。
「……瀬能さん?」
通信の向こうで。
ゼノスが。
笑った。
『やっと思い出した』
「嘘だ」
『久しぶり』
「嘘だ!」
ユリアが。
俺の腕を掴む。
「コータロー!」
「瀬能さんは死んだ!」
『そうだね』
「地球で!」
『君の三年前に』
「じゃあ、なんで!」
『時間の流れが違う』
ゼノス。
いや。
瀬能零司が答える。
『君にとって三年』
『こちらでは』
『三十四年だ』
三十四年。
「ずっと……この世界に?」
『ああ』
声が。
少し低くなる。
『人間が何度も同じ過ちを繰り返すのを見た』
戦争。
飢饉。
疫病。
虐殺。
『正しい情報があっても』
『人間は感情で間違える』
『権力で歪める』
『欲望で利用する』
俺は。
何も言えない。
王都でも。
見た。
印刷技術を。
戦争に使った人間を。
『だから決めた』
瀬能は言う。
『人間を救うには』
『人間に決めさせてはいけない』
「それでも」
『光太郎』
「選択を奪ったら」
俺は拳を握る。
「それは生きてるって言えるのか」
短い沈黙。
『君なら、そう言うと思ったよ』
声は。
昔の先輩のままだった。
だから。
余計に。
苦しかった。
完璧なAIは、人間の弱点を知っている
翌朝。
王都奪還作戦が始まった。
だが。
奇妙だった。
東方領主軍が。
ほとんど抵抗しない。
レオンが。
青ざめた顔で地図を見る。
「俺の兵が……勝手に撤退している」
「エイダの命令?」
「いや」
レオンは首を振る。
「通信そのものが切られてる」
《叡智の書庫》が反応。
《外部軍事AIの停止を確認》
ゼノス。
いや。
《終焉演算機構》。
正式名称。
全体最適化型未来演算機構。
瀬能零司が使用するAI。
未来予知ではない。
兵力。
物資。
地形。
政治。
感情。
過去の行動。
それらから。
人が選びやすい未来を計算する。
最大の特徴。
犠牲者を数字として処理できること。
俺の《叡智の書庫》とは。
根本から違う。
そして。
王都で異変が始まった。
「東三区で火災!」
伝令。
次。
「下町の給水が止まりました!」
さらに。
「西救護所で薬が不足!」
「食料倉庫で暴動!」
次々。
同時。
偶然ではない。
「ゼノスだ」
俺は地図を見る。
改革の弱点。
全部。
分かっている。
学校。
印刷。
給水。
救護所。
物流。
新しい仕組みは。
便利になった。
そのぶん。
依存も増えた。
《ラグナロク・エンジン》は。
そこを突いている。
「優先順位を!」
アエリアが叫ぶ。
俺は《叡智の書庫》へ問う。
「最適対応!」
表示。
《火災対応を最優先》
《給水停止による被害は一時許容》
次。
《訂正》
《給水復旧を優先》
さらに。
《救護所への薬輸送を優先》
情報が。
多すぎる。
「どれだ!」
《状況が急速に変化しています》
また。
全部。
俺が決めようとしている。
王都十万人。
一人の頭で。
その時。
後ろから。
アエリアの声。
「光太郎」
「待って!」
「違う」
「今考えて」
「あなたが考えるんじゃない」
俺は振り返った。
アエリアが。
地図を見ている。
「東三区には東三区の人がいる」
「でも情報が」
「情報だけ渡して」
胸を。
殴られたようだった。
そうだ。
俺が。
王都でやろうとしてきたこと。
答えを集中させない。
「《叡智の書庫》」
《待機しています》
「全地区へ情報公開」
《詳細を指定してください》
「全部」
「火災位置」
「水」
「薬」
「食料」
「敵の位置」
「俺に集めるな」
セリアが理解する。
「各地区へ判断権限を渡すのか」
「ああ」
「混乱するぞ」
「する」
「間違える」
「間違える」
「被害も出る」
「出る」
それでも。
「一人が間違えたら全部終わる仕組みよりいい」
アエリアが頷く。
「王宮への確認を不要にします」
セリア。
「守備隊も各地区隊長へ指揮権を委譲」
ユリア。
「薬師も救護所ごとに治療優先順位を決める」
ベリウス。
「薬の配分は現場で調整する!」
オルフェン。
「神殿もだ。食料庫を開ける!」
ニコ。
「学校は?」
俺は一瞬考える。
「情報を配れ」
「分かった!」
「ただし危ない場所へ行くな!」
「分かった!」
「その返事、信用できない!」
「先生みたいに?」
「誰が教えた!」
「先生!」
完全に自業自得だった。
十万人が、それぞれ間違える
王都で。
千の判断が始まった。
東三区。
鍛冶職人たちは。
火災を止めるため。
家を三軒壊した。
正解かどうか。
誰にも分からない。
でも。
延焼は止まった。
南区。
給水停止。
住民たちは。
酒造所の水樽を開放した。
商人は最初、反対した。
だが。
最後には。
「酒より人だ!」
と自分で栓を割った。
救護所。
薬不足。
ユリアは。
患者の症状を見て。
薬を使う者。
使わない者を決める。
《叡智の書庫》の指示ではない。
彼女自身の判断。
「怖い?」
俺が聞く。
「すごく」
「間違えるかもしれない」
「うん」
「それでも?」
ユリアは。
患者へ薬を渡す。
「私が診た患者だから」
その横顔は。
村で初めて会った頃とは違っていた。
昔のユリアは。
薬草の経験だけを信じた。
次に。
俺の医学知識を学んだ。
そして今。
どちらも。
盲目的には信じない。
「コータロー」
「何?」
「今、ぼーっとしてる場合?」
「格好いいなと思って」
手が。
止まった。
「……何?」
「いや」
遅かった。
耳。
赤い。
「そういうの」
「何?」
「患者の前で言わないで!」
「ごめん!」
寝台の老人が笑う。
「若いのう」
「寝ててください!」
ユリアが真っ赤になる。
戦場のど真ん中なのに。
少しだけ。
平和だった。
王都が変わった日
夕暮れ。
火災。
鎮火。
給水。
復旧。
薬。
各地区で融通。
暴動。
住民代表と商人が話し合い。
収束。
東方領主軍。
レオンが説得。
投降。
王都。
奪還。
王国旗が。
再び。
城壁へ上がった。
歓声。
一瞬。
王都中から。
爆発するような歓声が上がる。
「勝った!」
「王都を取り戻した!」
「生きてる!」
人々が。
抱き合う。
泣く。
笑う。
俺は。
何もしていない。
いや。
少しはした。
でも。
最後に王都を救ったのは。
俺の作戦でも。
AIの最適解でもない。
何千もの。
不完全な判断。
その集合だった。
《叡智の書庫》が。
表示する。
《王都改革評価》
《中央指示依存率:大幅低下》
《住民自主判断率:上昇》
《危機対応分散化:成功》
そして。
《結論》
《王都改革》
一拍。
《成功》
俺は。
その文字を見つめた。
三十日以内。
学校。
紙。
印刷。
医療。
水。
情報。
何も。
完璧にはできなかった。
それでも。
「終わった……」
膝から力が抜けた。
座り込む。
ユリアが隣へ座る。
「お疲れさま」
「ああ」
「これで村へ帰れる?」
「そうだな」
「ドランに排水路掘らされるわね」
「王都を救った後の仕事が溝掘りか」
「約束したでしょう?」
「した」
「私も手伝う」
「本当に?」
「途中まで」
「最後までやってくれ」
「薬草畑を作る」
「結局畑じゃないか」
二人で。
笑った。
すると。
ユリアが。
俺の肩へ。
少しだけ。
頭を預けた。
「……疲れた」
「うん」
「少しだけ」
「うん」
俺も。
動かなかった。
銀色の髪が。
頬に触れる。
心臓が。
妙に速い。
戦争より。
こっちの方が。
どう対処すればいいか分からない。
《叡智の書庫》。
聞こうとして。
止めた。
これは。
自分で考えるべき問題だ。
たぶん。
「コータロー」
「何?」
「心臓、速いよ?」
「……疲れてるから」
「そう?」
「そう」
「私も」
小さな声。
それ以上。
誰も。
何も言わなかった。
今は。
それでよかった。
勝った日の朝に、戦争が始まった
翌朝。
鐘が鳴った。
戦勝を祝う鐘ではない。
緊急鐘。
一回。
二回。
三回。
四回。
王国全土に関わる。
最大級の警報。
「何だ?」
俺は飛び起きる。
外。
兵士が走っている。
「神谷!」
セリア。
顔色が。
今まで見たことがないほど悪い。
「王城へ!」
「何があった?」
「北方国境が」
一拍。
「突破された」
心臓が。
止まりそうになる。
王城。
軍議室。
巨大な地図。
北。
赤い駒。
大量。
「敵は?」
アエリアが。
震える声で聞く。
セリアが答える。
「ヴァルガード帝国」
「兵数」
「推定」
言いにくそうに。
それでも。
言う。
「六万」
六万。
王都を攻めた東方領主軍。
三千二百。
その。
約二十倍。
「進路は?」
地図。
北から南。
巨大な矢印。
王都。
その途中。
一つの都市。
ユリアが。
息を呑んだ。
「……リュネール?」
銀色の髪が。
わずかに揺れる。
「知ってる?」
俺が聞く。
返事が。
ない。
彼女の顔から。
血の気が消えている。
「ユリア」
「私の」
声が。
震える。
「故郷」
白樹都市リュネール。
エルフの都市。
ユリアが。
これまで。
ほとんど話したがらなかった場所。
「帝国軍到着まで?」
セリア。
「十日」
十日。
俺は。
《叡智の書庫》へ問う。
「王都とリュネールを守る方法」
青い光。
地図。
兵力。
補給。
道路。
地形。
城壁。
すべて。
計算。
長い。
嫌な予感。
《戦略案を算出》
第一案。
王都軍。
リュネールへ援軍。
《王都陥落可能性:高》
第二案。
リュネール防衛。
帝国主力を拘束。
《王都への別働隊侵攻リスク:高》
第三案。
表示が。
赤い。
「何だ」
《最高成功率戦略》
地図上。
リュネールが。
赤く染まる。
《白樹都市リュネールを事前焼却》
俺は。
意味を理解するまで。
数秒かかった。
「……焼く?」
ユリアが。
こちらを見る。
「何を?」
俺は。
答えられない。
《叡智の書庫》は続ける。
《都市内食料》
《薬草》
《水源》
《宿営可能施設》
《補給拠点》
《すべて破壊》
《帝国軍の補給継続能力を低下》
《王都防衛成功率》
数字。
《99.8%》
「やめろ」
俺は。
小さく言った。
「表示を消せ」
《戦略上、最も成功率の高い》
「消せ!」
画面が消える。
だが。
見てしまった。
99.8%。
一つの都市を。
焼けば。
王都は救える。
第1部。
村。
八千人。
王都。
ずっと。
突きつけられてきた問い。
多数を救うため。
少数を捨てられるか。
その時。
黒い文字。
視界。
《外部通信》
ゼノス。
『来たね』
俺は。
拳を握る。
「お前が帝国を動かしたのか」
『違う』
「嘘をつくな!」
『帝国は帝国の意思で動いている』
「じゃあ何だ!」
『僕は計算しただけ』
声。
静か。
『十日後』
『君が何を選ぶか』
黒い文字。
ゆっくり。
《十日後》
《白樹都市リュネール》
《焼却》
「俺はやらない」
即答。
『本当に?』
「絶対に」
『王都十万人と』
『リュネール一都市』
『どちらかしか救えなくても?』
「両方救う」
ゼノスが。
笑う。
『昔の君なら』
『その答えを幼稚だと言った』
「昔の俺?」
一瞬。
研究室。
瀬能零司。
そして。
炎。
消える。
『十日後』
声。
低い。
『君は』
『この都市を自ら焼く』
通信が。
途切れた。
静寂。
俺は。
ゆっくり。
顔を上げる。
ユリア。
彼女は。
青ざめていた。
それでも。
泣いてはいない。
「コータロー」
声が。
震える。
「AIは」
言葉が。
続かない。
俺は何も言わない。
言えない。
そして。
ユリアが。
俺を。
まっすぐ見る。
この時だけ。
いつもの呼び方ではなかった。
「……光太郎」
胸が。
痛む。
「焼かないよね?」
俺は。
答えようとした。
当然だ。
焼かない。
そう言えばいい。
でも。
《叡智の書庫》が。
俺より先に。
表示した。
《現時点で》
《王都とリュネールを同時に救う方法は》
一拍。
《存在しません》
俺は。
何も言えなかった。
ユリアの瞳が。
小さく揺れる。
十日。
六万の帝国軍。
一つの都市。
十万人。
そして。
99.8%という。
あまりにも正しい数字。
王都を救った朝。
俺たちの。
本当の戦争が始まった。
第2部 第5話 完
王都が変わった日、戦争が始まった
次巻 第3部 戦争編
一つの都市と十万人の命
第1話
十日後に焼かれる故郷
光太郎たちはリュネールへ向かう。
そして旅の途中。
ユリアが、これまで語らなかった故郷から追放された過去を初めて明かす。
だが故郷へ帰還した彼女を待っていたのは、再会を喜ぶ声ではない。
白樹都市の長老はユリアを見て、ただ一言告げる。
「災いを連れて戻ったか」
「呪われた子よ」
そこから、十日間の戦争が始まる




